ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

大災害と大きな出来事などが、次々に・・・・・

2018-07-09 07:05:38 | 草花
長い雨の日々が続きました。
大雨で災害に遭われた方たちに心からお見舞い申上げます。
亡くなられた方のご冥福を祈ります。

日本国内で大雨が続いている間に、国の内外で大きな出来事が続きましたね。
タイの洞窟に閉じ込められた少年たち13人の無事が確認できてほっとしましたが、脱出方法が決まり、昨晩現在で、まず4人が救出されました。
残る9人も無事生還出来て、全員が元の生活に戻れることを願いたいと思います。

オウム真理教関係七人の死刑執行も衝撃的なニュースでした。
彼の教祖は結局肝心なことは何も話すことなく、この世からオサラバとなりましたが、そのことが実に後味の悪い決着となった感じです。
一般的には、物語の決着は、悪いことをやった人間が、罪を悔いて謝罪し、赦しを請い、そのことにより、読み手は納得し、寛大な気持ちになり、決着する・・・・という筋書きでなければならなかったはずでした。
このストーリーが始まらないうちに物語が打ち切られてしまったという感じが否めませんでした。

死刑廃止論が叫ばれる世の中ではありますが、犯罪抑止に効果がある方法として死刑があるのでしょうか。
それとも被害者側の遺族の感情として、懲らしめのための死刑があるのだとしたら、もっと過酷な刑があっても良かったかもしれませんね。
江戸時代のように拷問・市中引き回し・はりつけ・百叩き・毒を飲ませる・辻に曝して罵詈雑言を浴びせ、石礫を投げつける・土に埋めて顔だけ晒す・・・など懲らしめや、仕返しの方法などをここに書いているだけで気持ちが悪くなりました。

しかし、あのカルト教団はそういうことを市中で、実際に民間人相手にやってしまったのです。
民間人ばかりでなく仲間さえも抹殺していたのですから、恐るべき行為でした。
連合赤軍事件や9.11同時多発テロ事件を彷彿とさせるようなむごたらしさに何故行きついてしまったのか?
しかも、いまでもその流れを継承する教団が存在しているのですから、再発防止の観点に立って考えた時に、
よく使われる「安心・安全」という言葉の意味からは程遠い現状ではないかと感じてしまいます。


画像ネタが枯渇しましたので、庭の花などを、蒸し返しを織り交ぜて、撮りました。

フウラン ↓



時期的に今年の見納め感が強まりました。



オニユリ ↓



庭のあちこちで咲いており、この色ですので、これから暑くなると、暑苦しく感じます。



マンリョウ ↓



マンリョウの花は知らぬ間に咲き始め、もう、峠を越えているようです。



ナンテン ↓



花が咲いたけれども、この長雨でしたので、うまく受粉できたかどうか・・・。
コメント (2)
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