伊勢原市 特色ある教育モデル推進校
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中皮腫・じん肺・アスベストセンターさんから「アスベスト対策と自治体の責務シンポジウム㏌神戸 神戸市内アスベスト 調査報告」のご案内がありました。中皮腫・じん肺・アスベストセンターさんは三木市民病院解体工事において色々お世話になったかたです。
アスベストの問題は市民病院の解体工事だけの問題ではありません。今後様々なところで問題となってくるでしょう。もしご興味があれば足をお運びください。
「アスベスト対策と自治体の責務シンポジウム㏌神戸 神戸市内アスベスト 調査報告」
日時 2月15日(日) 13:00~16:00
場所 神戸市立垂水勤労市民センター
(垂水区日向1丁目5-1)
参加費 無料
法人税や所得税を上げるとグローバル社会では企業や富裕層が海外に逃げていくという議論があります。
二宮先生の、国公労連のインタビューでの議論です。
高い税金だから逃げていくという理屈の前に低い税金でも逃げていく企業は逃げる。
企業が立地する、投資するのは海外の市場で儲かると判断するからである。
また、多国政企業(グローバル企業)にとって母国の力は必要であり、例えばテロの危険性、財産の没収、不当な訴訟に対して守ってくれるのは進出相手国ではなく日本企業なら日本国であり、多国籍企業は無国籍ではありえない。
それでも、出ていくような愛国心のない企業はほっておいたらいい。
私にとって、グローバル企業が母国を必要とするという議論は初めて聞く話で合点がいきました。
また、「愛国心のない企業」の話はいつも思っていることであり、そんな企業に国が気を使わなければならないというあり方絶対おかしいと思っています。
さて、グローバル社会では、法人税や所得税を下げなければ国際競争力が低下してしまうという理屈で法人税を下げて、消費税を基幹税化し税の在り方が垂直型再分配(累進課税等)から水平型再分配が税の在り方に変って行くという話を以前しました。
二宮先生は、消費税以外にも今の分権化の議論の中にも水平型再分配に移行する仕掛けあることを指摘しています。
その前に、現在、集権vs分権という構図で議論がなされています。以前は革新と言われる我々が地方分権を主張して来ました。
主張してきた私たちがいま分権にどちらかと言うと反対の論陣を張っています。
どうなっているのか、私も説明出来なくていました。
分かりやすい引用がありましたのでご紹介します。これは、一橋大学名誉教授の渡辺治先生の講義(第9期とちぎ自治講座(2012.2.4))の一部分(※P10の下から4段目から)を抜粋したものです。
例えば、ここで美濃部さんが登場したとしますと、確かに財源は乏しいけれども東京都の福祉や医療、介護、教育というものに対してその自由な条例の基準を使って国のミニマム基準をもっと上げることができるわけです。
東京都は当時自主財源でもって老人医療費の無料化をやったわけです。
国は怒りました。今と逆です。
ナショナルミニマム基準を下げるために地方自治体が努力をするんではなくて、当時の美濃部都政はナショナルミニマム基準がないあるいは低すぎるということで、自治体の権限を使いながら上乗せあるいは横出しという形で行ったわけです。
※美濃部=元東京都知事の革新知事
これまで、国がナショナルミニマム(※国が国民に対して保障する生活の最低限度のこと)基準を引き上げる努力をすべきことを地方自治体が代わりに行う為に分権を主張していました。
それが、今は国のナショナルミニマム基準を引き下げ、または地方自治体に丸投げすることに問題ありとしています。
二宮先生は、今の税制について、国は「応能負担型」垂直型再分配の税収にもとづいているが、地方自治体の住民税は「応益負担型」水平型再分配機能の色合いが強い。
たとえば、生活保護など典型的な「垂直型所得再分配」で、生存権がかかっているから、全国の統一した行政がやらないとダメ。
地方自治体の運営は主に住民全体が負担して、住民全体、地域全体が利益を受ける。
そうした国と地方の役割の違いがあることを指摘します。
しかし、分権化の議論が進むと税の在り方についても、国の責任を地方に押し付けていくと、地方税中心の税制になります。
すると応益負担型税制で対応することになり、ますますナショナルミニマムを守ることが出来なくなります。
だから基礎自治体を合併して一定程度の規模が必要だという議論もあるようです。
しかし、根本はナショナルミニマムは国が責任を負うべきであり、「応能負担型」垂直型再分配の税収を基本とした税制度を手放さないことだと思います。
最後に、二宮先生の議論を聞いて自分なりにまとめようと試みましたが、基礎学習の不足による中途半端、思い込みで十分まとめきれませんでした。
今後、もっと勉強していきたいと思います。
前回は、社会保障を国民の権利として、国の責任で持って保障しなければならないというはなしを書きました。
二宮先生の話はそのあと、分権化の話をされたのですが、その前に社会保障の財源はどう考えるのかという話になると思います。
国家公務員一般労働組合が二宮先生にインタビューをされておりその内容がユーチューブとBLOGOSの記事になっています。
財源の前に財政の話を少しします。
行政の財政を考える上で、「量出制入」(支出額を決定して収入を考える)はこれまで基本でした。
一方で、一般企業や家計の考え方は「量入制出」(収入額を決定して支出を考える)です。
しかし、財政再建を議論すると行政機関でも「量入制出」を基本に考える傾向があるようです。
では、財政赤字の原因は「社会保障費の増加」だ言われます。
高齢化社会等による自然増があることは確かでしょう。
しかし、構造改革が原因で貧困が広がる中で社会保障費が増加していることを指摘しています。
また、それ以上に税収が減っていることが問題だと言っています。
(※下のグラフは財務省のHPから参照です。資料は板東が調べた内容で、二宮先生がこの資料を参照した訳ではありません。)
http://www.mof.go.jp/tax_policy/publication/brochure/zeisei/04.htm
『※平成3年(1991年)の4つの税収が50.9兆円なのに対して、平成22年(2010年)は33.3兆円です。平成2年(1990年)10月にバブル経済が破綻し20年スパンでみると所得税、法人税は右肩下がりだと言えるでしょう。一方で、消費税は税率が3%から5%と上がることで20年スパンでは右肩上がりだと言えます。』
税収が少ない原因を①課税ベースになる所得が伸びていない②新自由主義的税制改革で税制そのものが空洞化してしまったことを指摘しています。
※新自由主義的税制改革=法人税・所得税を減税し、消費税を増やして基幹税化すること。
これからの超高齢化社会に対応するために増税はやむなしとしています。 しかし、その財源を消費税に依拠することには問題ありとしています。
消費税が基幹税になると水平型再分配となり、所得の再分配が行われなくなるからです。
社会保障を国民の権利として国の責任で保障させるという立場に立つと垂直型再分配の機能を持った税制となります。
基幹税として法人税・所得税を国税として位置付けるべきだと考えます。
この議論になると新自由主義者からは法人税や所得税を上げると企業や富裕層が海外に出ていくと言われます。
この点について二宮先生は分権化の問題と一緒に議論しています。この点は次回にしたいと思います。
帰ってきて、ネット上で二宮先生の講演内容を見て理解を深める中で、私の視点としてなかったことを中心に思うところを書きます。
「安倍政権は両生類」
まず、安倍政権とはどのような政権なのかについて、「グローバル競争国家派」と「復古的・右翼的国家主義」の両生類であり、特異な性格をもっているということです。
二つの考え方が安倍政権にあるのは理解しています。
一方で、グローバル競争国家を支持する財界人は国が靖国問題等で中国を刺激することについていいように思っていません。
また、復古的・右翼的国家主義者はグロ―バル経済を必ずしも良しとしているようには思えません。どちらかと言うと反グローバルの立場を取ることの方が多いと思われます。
二宮先生はこの安倍内閣が二つのまったくま逆な考え方を主張しながら運営していることを指摘しました。
「19世紀の救貧思想に逆戻りの社会保障」
次に、二宮先生は憲法9条の解釈改憲について言うまでもないと思いますが、憲法25条についても解釈改憲されようとしていることを指摘しています。
というのは、「憲法25条にもとづく社会保障」という人権(権利)から「共助・連帯としての社会保障」という人権でないものへ転換されようとしていることです。
ここでは復古的国家主義と一体になって19世紀的救貧思想(自助を基本にした生活)が基本に据えられています。
復古的国家主義とは右翼勢力の一つの考え方だと理解しています。しかし、ここがなぜ社会保障改悪と一体になるのか理解は出来ていないのですが、現実はそのようです。
ネットで調べてみると、相対的に救貧対策は否定しないが社会保障を権利としては認めがたいという態度を取っているようです。
また、共助を制度化すると保険原理が強められることを指摘されました。
保険原理とは、
①保険に加入し掛け金を払わなければ保障されない。
②「収支均等の原則」で保険料収入の範囲でしか給付されない。
現在既に、医療保険や介護保険制度があり、例外的な制度(減免・減額措置、一般財政からの繰入等)で何とか社会保障を権利としてしているのが現状であることが良く分かります。
介護保険制度で考えると、もともと、介護が措置だった時代は国が保証する介護を受ける権利でした。
それが、誰でも受けられるといった触れ込みから介護保険が始まって、今ではお金がないからボランティアでしてもらうことを基本としようとしています。
地方自治体では、財政難を理由に、今後ますます例外的制度が縮小されていくことでしょう。
そして、市民には保険料を上げるか、サービスを低下させるかの二者選択が行政から迫られるでしょう。
しかし、私たちは、社会保障は国が保障しなければならないものであり、国民にとっての権利であることに立ち返る必要があると思います。
では、財源はどうするのかについてはもう一本次に書きたいと思います。