板東しょうごの「ふるさと三木に帰れる町に!」

一度三木から離れた若者が、ふるさとに帰ろうとしても、仕事がないから帰れない。若者がふるさと三木に帰ってこれる町にしたい!

私の職歴 その1 <労働者協同組合とは>

2011-02-03 13:19:32 | 人物像
今回は私がどのような仕事をしてきたか、ご紹介したいと思います。書けば長くなるので、何回かに分けて書いていきたいと思います。


私は、大学を卒業して、日本労働者協同組合連合会センター事業団という組織で全国事務職員として採用され、福岡県へ配属されました。

まずはじめに、日本労働者協同組合連合会センター事業団とは、どういう組織か説明が必要かと思います。

戦後間もないころ、仕事がない時代に、日雇労働者の組合で全日本自由労働組合(全日自労)が失業対策事業就労者を中心に、戦争と失業と貧乏に反対する運動をくりひろげました。

高度成長期の時代に入り失業対策事業が打ち切りになる中で労働者自らが事業を行おうという流れがあり、西宮市ではじめて高齢者事業団ができました。それが全国各地で「失業者・中高年齢者」の仕事づくりを目指す「事業団」が誕生し自治体からの委託事業を柱に事業が広がりました。

世界に目を向けると、イタリア等では労働者が自らが事業・経営に責任を持つ労働者協同組合というものがありました。「事業団」運動そのものが「労働者協同組合」ではないかと、「労働者協同組合」運動を展開するようになりました。

そして、日本労働者協同組合連合会ができ、全国的な運動・事業を展開する為にセンター事業団という全国的な労働者協同組合組織が出来ます。

現在は、地域福祉事業所(介護事業・子育て事業など)の展開を主に行っています。もともとは、失業対策事業の流れで公園・緑化事業や病院の清掃業務などのビルメンテナンス、生協の物流委託を中心としていました。

「よい仕事」を追求し、地域の「仕事おこし」を目指しています。三木市とのかかわりでは、H21年3月定例会で「協同労働の協同組合法(仮称)」の速やかな制定を求める意見書に関する請願が出され、全会一致で可決されました。


日本労働者協同組合連合会のホームページはこちらから
http://www.roukyou.gr.jp/index.php?itemid=34


次回は私がしてきた実際の仕事について書きたいと思います。



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