鳴門滞在2日目、さてうず潮を見に行こうか、とも考えたのですが、エクシブ鳴門からは多少戻ることになります。戻るのも嫌だし、うず潮は前日、車に乗っている最中に橋の上から多少見えたからいいや、と納得し、先に進むことになりました。
が、考えたら、鳴門のお土産は全然買っていない。そのため、近くに道の駅はないだろうかと探したら、エクシブ鳴門の反対側に「道の駅 第九の里」というところがあるらしい。この「第九の里」とはどういう意味なんだろう、と思いながら、エクシブ鳴門からはとっても細い道を車で走って、到着。
途中の標識には「大麻」の文字が。タイマ?かと思ったらオオアサと読むということでした。
到着したところには、何やら西洋風の塔のような建物が建っています。ここが道の駅なのか、建物の雰囲気が草津にある 道の駅 草津運動茶屋公園 (ここもドイツと関係しているところ)
草津の道の駅
に似ているな、なんて思いながら建物に近づいてみると、こんな立て看板が。
これを見て初めてここが、映画「バルトの楽園」のモデルとなったところということに気がついたのでした。改めて、舞台は徳島だったのねえ、と驚いてしまったのです。
この映画、2006年に公開されていますが、ストーリーが初めて聞く内容だったので、興味津々で見に行ったことを覚えています。恥ずかしながら、第一次世界大戦で日本が戦った事すら知らなかった私。大量の俘虜が日本にいた、という事も初めて知る事実だったので、とても興味深かったです。
今では文部科学省選定映画になっているこの映画。その内容はともかく、歴史を多くの人に知ってもらうきっかけになったと思います。
徳島の田舎の町で、昔にはこんなことがあったんだなという驚き。
板東俘虜収容所に収容されていたドイツ人たちは戦後、バンドー会なるものを母国で結成。1962年ごろ、ドイツの日本大使館に板東俘虜収容所の近況を尋ねたことから再び地物との人達と交流が始まったようです。そこで知ったのは、ドイツ人慰霊碑も朽ち果てているだろうと思っていたのに、地元の人たちによって綺麗に保たれ、献花もされているということ。この事実に感激したドイツ政府は、慰霊碑の供養に務めた高橋春枝さんにドイツ功労勲章を授けたとか。
また、1000名ほどいた俘虜たちのうち170人ほどは日本に残ったのだそう。その中にはカール・ユーハイムさんがいて、今ではユーハイムというバウムクーヘンで有名な一大企業になっています。その他にもいろいろな有名人がいるようですが、ドイツの文化が日本に根ざすきっかけにも、この俘虜収容所は重要な役割を担っていたんですね。
教科書に書かれていない日本の歴史です。
そこで、この塔の建物が道の駅かと思ったら、ここは鳴門市ドイツ館。板東俘虜収容所に関する博物館のようです。この博物館で板東俘虜収容所のことが、世界記憶遺産に申請中、という事も初めて知りました。
戦争中にもかかわらず、こういうような事があったという事を多くの人に知ってもらうのには良い機会かもしれません。ここが世界記憶遺産に認定されれば、この映画も再度注目も浴びるかもしれませんね。
その後、ちょっとした買い物をした後に、板東俘虜収容所の跡地も訪れてみました。
そこはアパートの隣にあって、入り口がわかりづらいでしょうか。ドイツ村公園という名前が付いているようですが、草ぼうぼうで少し暗いような雰囲気で、もうちょっと綺麗にしておけば良いのに、と思ったところです。
そのすぐ近くに、映画のロケ地を再現したような場所があるようですが、残念ですが時間がないのでここはスルー。
帰り道、車の中で家族が「板東英二もここの出身なのかな」とぼそっとつぶやいた。調べたら、坂東町出身ということ。
うず潮を見に行ったのに、思わぬ発見をした今回の旅でした。
バルトの楽園(予告編)
が、考えたら、鳴門のお土産は全然買っていない。そのため、近くに道の駅はないだろうかと探したら、エクシブ鳴門の反対側に「道の駅 第九の里」というところがあるらしい。この「第九の里」とはどういう意味なんだろう、と思いながら、エクシブ鳴門からはとっても細い道を車で走って、到着。
途中の標識には「大麻」の文字が。タイマ?かと思ったらオオアサと読むということでした。
到着したところには、何やら西洋風の塔のような建物が建っています。ここが道の駅なのか、建物の雰囲気が草津にある 道の駅 草津運動茶屋公園 (ここもドイツと関係しているところ)
草津の道の駅
に似ているな、なんて思いながら建物に近づいてみると、こんな立て看板が。
これを見て初めてここが、映画「バルトの楽園」のモデルとなったところということに気がついたのでした。改めて、舞台は徳島だったのねえ、と驚いてしまったのです。
この映画、2006年に公開されていますが、ストーリーが初めて聞く内容だったので、興味津々で見に行ったことを覚えています。恥ずかしながら、第一次世界大戦で日本が戦った事すら知らなかった私。大量の俘虜が日本にいた、という事も初めて知る事実だったので、とても興味深かったです。
今では文部科学省選定映画になっているこの映画。その内容はともかく、歴史を多くの人に知ってもらうきっかけになったと思います。
徳島の田舎の町で、昔にはこんなことがあったんだなという驚き。
板東俘虜収容所に収容されていたドイツ人たちは戦後、バンドー会なるものを母国で結成。1962年ごろ、ドイツの日本大使館に板東俘虜収容所の近況を尋ねたことから再び地物との人達と交流が始まったようです。そこで知ったのは、ドイツ人慰霊碑も朽ち果てているだろうと思っていたのに、地元の人たちによって綺麗に保たれ、献花もされているということ。この事実に感激したドイツ政府は、慰霊碑の供養に務めた高橋春枝さんにドイツ功労勲章を授けたとか。
また、1000名ほどいた俘虜たちのうち170人ほどは日本に残ったのだそう。その中にはカール・ユーハイムさんがいて、今ではユーハイムというバウムクーヘンで有名な一大企業になっています。その他にもいろいろな有名人がいるようですが、ドイツの文化が日本に根ざすきっかけにも、この俘虜収容所は重要な役割を担っていたんですね。
教科書に書かれていない日本の歴史です。
そこで、この塔の建物が道の駅かと思ったら、ここは鳴門市ドイツ館。板東俘虜収容所に関する博物館のようです。この博物館で板東俘虜収容所のことが、世界記憶遺産に申請中、という事も初めて知りました。
戦争中にもかかわらず、こういうような事があったという事を多くの人に知ってもらうのには良い機会かもしれません。ここが世界記憶遺産に認定されれば、この映画も再度注目も浴びるかもしれませんね。
その後、ちょっとした買い物をした後に、板東俘虜収容所の跡地も訪れてみました。
そこはアパートの隣にあって、入り口がわかりづらいでしょうか。ドイツ村公園という名前が付いているようですが、草ぼうぼうで少し暗いような雰囲気で、もうちょっと綺麗にしておけば良いのに、と思ったところです。
そのすぐ近くに、映画のロケ地を再現したような場所があるようですが、残念ですが時間がないのでここはスルー。
帰り道、車の中で家族が「板東英二もここの出身なのかな」とぼそっとつぶやいた。調べたら、坂東町出身ということ。
うず潮を見に行ったのに、思わぬ発見をした今回の旅でした。
バルトの楽園(予告編)