( 写真は昔のものです )
「 遺影 」
この先、どんどん歳を取って爺さん顔も進んでいくだろうからこのあたりの顔が遺影にふさわしいのではないかとセルフタイマーを使って撮り、背景を薄い灰色系に変えてみました。
なんか、暗い顔だな~と思うので、少し笑顔にとか、ニャンを抱っこしてとか何種類か撮りましたが、普段自分の顔を見ることはないので気が付いたのですけど、実物よりは良くなりません。
独居老人だし、遺影が必要になることはないか、とも思いますし。
70歳くらいの写真なら90や100で死んでも使えると思います。
でも遺影は自分が気に入った写真では無くて残ったものがその人らしいと思う物で明るい顔をしているのが良いと思っています。
昔はアルバムから選んでいたように思いますけど、今はデジタルデータかな。
昨日は届く予定の品物が午前中早く届いたので税務署に申告書を提出しに行く事にしました。
地震が無いのでカーボンの折り畳み杖をカバンに入れて革のショルダーバックをはすっ賭けにして出かけました。
「 7km Japan 」
これは昨日の工程を距離ごとに追った3時間の記録です。
0~1キロ
歩きやすいズボンにウォーキングシューズ、数百メートルは普通に歩けるのですけどそこから両膝が痛みはじめ歩幅が短く、時々ガクッと激痛と言う状態で昭和公園(国営昭和記念公園では無くて線路の南側に昔からある野球場やグランドもある広い公園です。すっかり動物が減りましたがミニ動物園もあり子供が小さい頃夕方の散歩でよく連れて行き、仕事帰りの父を待ってしばらく遊ぶのが日課でした。)あたりから一歩ごとの激痛。
公園の北側の歩道を東へ、公園の終わりから道を渡ろうとしたらママチャリのおばさんが後ろから突進してきて左ひじをかすめて走って行きました。
もう少し私が左に寄っていたら追突でした。
1キロ~2キロ
江戸街道を北に渡り線路の方向へ北上、線路沿いに東へ。
膝が痛くて大丈夫いかなと言う感じ、客観的に自分の歩き方を見たら老人以外の何物でもありません。
西立川駅南口に到着、そのまま東へ進み東側の踏切を渡ります。
広い踏切なのでもし途中で警報機が鳴り始めたら早く歩けない老人には一大事だなと思いながら渡って国営昭和記念公園南の広い道に出て北側の歩道に渡り東へ少し行くと残堀川。
2キロ~3キロ
広い歩道なのですけど自転車が突進してくるのであまり気持ちの良い道ではありません。
その歩道の道路と反対側の端っこを痛みに耐えながら歩きます。
時々ガクッと着て歩幅が小さくなりますけど、下を向いて一歩ずつ歩きます。
若い頃単独で山の縦走をしたとき、長い登りでは上を見ないで足元を見てゆっくりでも一歩ずつ進めばいつかは頂上に着くと頑張ったのを思い出します。
やがて南北道路を横断し無料区南、
3キロ~3.5キロ
無料苦の入り口から道路を横断すれば左手に信用金庫の新しい美術館、モノレール下の道に入って北上すれば立川税務署。
膝の痛みは極限。
整理券と言っていましたが出すだけだと不要であっさり待ち時間も無く提出しました。
復路、3.5キロ~7キロ
税務署を出たところでカーボンの折り畳み杖をしました。
山では色んなストックを使いますけど街で杖を使うのは初めて、杖デビューの日となりました。
杖を使うとガクッと来ることはほとんど無く、痛みはひどかったのですけど何とか歩けました。
どんどん人に追い抜かれ、歩道の端を歩いていると前から人が着て、杖を突いて進路変更は出来ませんとばかり避けて貰って帰りに近くのコンビニで野菜を少し買って帰りました。
ニャンは日向ぼっこ台に出ていましたが、 ニャン入るよ と言ったら玄関ドアから入りました。
コーヒーを飲みたかったのでですけど 抱っこして というのでチュールをあげてしばらく抱っこ。
そのまま買ってきた袋の中からおにぎりとパンを出して食べました。
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父も足だけは生きていると思うほど足が丈夫でしたが、今の私の年齢の頃はすっかり衰えていました。
同じDNAなんだなとつくづく思います。