高倉さんが亡くなりましたね。
10日未明だそうです。
いつも礼儀正しく寡黙でした。
83歳、男性ならまあ長寿なのでしょうね。
映像時代黎明期のスターが次々と亡くなって行きます。
思えば我々世代が生きた時代は共通の話題があった時代。
俳優も歌手も今のように多く無く、共通の話題を提供してくれたように思います。
昭和時代の終焉。
そんな気がします。
生きてきた 時代の仲間 次々と 旅立ってゆく あの世とやらへ
by ぶたころ
あの世なら また会える日も きっとある それもひとつの 生きる糧とし
by ぶたころ
昨日は基礎検査で不明の鉄筋の謎を解き正しく修正を指示しました。
鉄筋の検査はパズルのようで面白いです。
検査の中でも好きな検査です。
余計なところに余計な鉄筋・・・・?
どこか必要なところのものを間違っているのか、あるいは余計に入れているのか、というところから推理が始まります。
ん~~~、おや! ここの主筋がおかしい、この余計に入れているものはここに来て、これが追加されると正しくなる!
そんな解決をすると充実感です。
そんな日でした。
今日はメーカーさんの定休日なので検査が入りませんでした。
水曜日が休みになると大変休まります。
若い頃休日も夜も無く働いていたのがうそのよう。
もっともそんなスタミナはとっくにありませんが。
健さんが亡くなりましたね。
僕らが学生の頃でしたか、あのころは、東映の任侠物の映画がヒットしていましたね。健さんの「網走番外地」「唐獅子牡丹」藤純子(現富司純子)さんの「緋牡丹博徒」・・・・・・・・
学校は、学園紛争の真っ最中。
東大の学園祭では、「止めてくれるなおっかさん 背中のイチョウが泣いている 男東大どこへ行く」というキャッチコピー流行りました。
僕は、映研に入っていましたが、見るのはいつも「東映」の任侠物。健さんが出てくると拍手が起こっていました。
健さんは、福岡県の出身でお父さんは、先の朝ドラ「アンと花子」で登場する伊藤伝衛エ門さんの炭鉱で働いていたそうです。健さんも子供のころ、父親を訪ねこの炭鉱を訪れていたそうです。
先日、テレビで「あなたへ」を見たばっかりだったのですが・・・・・・・(そのあとロケ地平戸に行きました)
本当に惜しい人を亡くしましたね。
おはようざんす。
今、ラジオで健さんが「 駅 」 でM65フィールドジャケットを着ていたと言うので、(これ、ベトナム戦の頃の米軍のジャケットなのですけど)買おうかなと思いましたけど、なにしろ体型が違いすぎ!
映画研究会時代のよくんしゃんなのでたくさん見ているでしょうね。
観終わったら映画館を出る時には健さんになっていた事でしょう。
実際にも気配り、礼儀正しい人だったようですね。
ひと時代が終わったと言う感じがします。
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よっくんしゃんのあたりでも道路工事多いですか?
このあたりはのきなみ片側通行規制の工事が多くて移動にすごく支障が出ています。
景気対策は公共工事しか能がないのでしょうかね。