日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

「体育」と「スポーツ」の違い

2022-03-10 17:53:28 | トピックス

「体育」は、知育・徳育とともに人格形成のために学校教育の一環として取り入れられたものです。

身体を鍛えることで、心身ともに強い人間になることが目的とされています。

「スポーツ」は何かのためというより純粋に運動そのものを楽しんだり、競技力を競いあうことを目的としています。

日本人の身体活動はもともと「体育」の考え方が中心でしたが、最近になって「スポーツ」の考え方が広まってきたといえるでしょう。

近年、スポーツ庁が創設され、日本体育協会が日本スポーツ協会になり、体育の日がスポーツの日になったことからも日本人の運動に対する考え方が変わってきたことがうかがえます。

私たちのクラブ活動は「学校体育」の一環として行っています。

「スポーツ」のように楽しみや競技力向上のみを考えた活動として行っているわけではありません。

日大豊山水泳部は「強く正しくおおらかに」の校訓のもと、水泳を通して「男子力」を高めることを目的としています。

クラブに取り組むことで人格を形成し、生涯続く豊かな人間関係を育む活動を行なっています。

チームとしての目標は、学校対抗のインターハイや全国中学で総合優勝することです。

学校対抗の全国大会が失われると、私たちのチームとしての目標も見失うことになります。

スイミングクラブから全国中学に出場することができるようになれば、学校の水泳部に所属する必要もないため、全国の多くの中学校で水泳部もなくなっていくことでしょう。

それと同時に「体育」という考え方もますます失われていくことが予想されます。

それが”時代の流れ”であったとしても「体育」には「スポーツ」にはない価値があることも忘れてはならないと考えています。

日本人はもともと物事を表面的にとらえるのではなく、そこに宿る精神性を大切にしてきました。

それは日本人の美意識を表す言葉に示されています。

例えば、「和」・「みやび」・「幽玄」・「わび」・「さび」・「いき」・「つう」などです。

茶道、武道なども同様で、茶はのどを潤すためだけに飲むものではなく、武は相手を倒すためだけの力ではありません。

もちろん「体育」といっても常に厳しいだけではなく時には楽しみもあり、「スポーツ」といっても楽しいだけでなく人間性や公正さが大切にされています。

要はバランスであって、日本人の「体育」と欧米人の「スポーツ」の価値観をうまく取り入れることが大切であると考えています。

しかし価値観は言葉が失われていくこととともに失われていくものです。

今後、国民体育大会が国民スポーツ大会となり、学校の体育科がスポーツ科になる日が来たとき、日本に「体育」の価値観が残っているのかどうか心配になる今日この頃です。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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全国中学に民間クラブ参加容認

2022-03-10 08:44:06 | ニュース

昨日の新聞に取り上げられていた記事の見出しです。

日本中学校体育連盟が2023年度から全国中学校大会(全中)の参加資格を変更し、民間スポーツクラブ所属の個人や団体でも大会に参加できるよう要件緩和の方針を決定したというものです。

競泳にあてはめると、スイミングクラブで練習している選手はスイミングクラブの所属として全中に参加することになります。

これはスポーツ庁が推進していた改革で、近年問題となっている運動部活動の在り方に対応したものです。

競泳の場合、ほぼすべての選手がスイミングクラブで練習していますから、学校の教員は引率する必要がなくなり、日頃指導しているスイミングクラブのコーチが全中に帯同することになるのでしょう。

スイミングクラブが出場するとなると、「学校対抗」はなくなり、ジュニアオリンピックと同じような大会になることが予想されます。

名称も「全国中学校体育大会」ではなくなるのではないでしょうか。

日大豊山中学水泳部は高校と同じ環境で「学校水泳」を中心として活動しており、高校と同じく全中での総合優勝を目指しています。

コロナ禍では例外的なこともありますが、基本的に学校で練習している4人の選手でリレーを組んで大会に出場してきました。

このような中学校は全国的にみてもかなり珍しいもので、学校の教員が指導をして全中に出場している学校はほとんどないのではないかと思われます。

つまり日大豊山中学水泳部は、全国的にみても絶滅危惧種であり、それだけ貴重な存在であるともいえます。

今回の改革に関する新聞記事を見て感じたことは、”時代の流れ”です。

昭和の時代は学校の先生方がクラブ活動を熱心に指導していたため、全国中学校大会が成り立っていたわけです。

新聞記事の内容の通りに実施されれば、「学校対抗」としての全中は2022年度で終わりを告げることになります。

いずれこのような改革が高校レベルにも同様になされた場合、全国の高等学校対抗である「インターハイ」も失われることになるのでしょうか。

私の好きな作家のひとりが庄野潤三で、『プールサイド小景』という短編小説があります。

作品のなかで学校のプールでインターハイを目指して泳ぐ学生が描かれていますが、そのような情景も小説のなかだけに残るものになるのかもしれません。

いつまで「学校水泳」としてのクラブ活動が続けていけるか、”時代の流れ”のなかで試されていると感じています。

 

竹村知洋

 

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