最近読んだ本が池上彰氏の『なぜ、いま思考力が必要なのか?』(講談社+α新書)です。
色々な物事に対して、よく考えることの大切さを伝えている本です。
その中で「自分の生き方や常識を見直す「問い」の立て方」という1節があり、「若者の意識調査の裏に「過保護な親」問題が」という項目があります。
要約すると、日本人は欧米と比較して子どもが大人になりきれておらず、その原因が「親の過保護」にあるということです。
池上氏によると、子どもが自分でものを考える力が育たないのは、親が口を出しすぎるからだ、ということです。
池上氏は大学の入学式に親が来るということに驚いていますが、今や大学どころか会社の入社式にも来る親がいるそうです。
過保護な親のもとで、強い子どもが育つはずがありません。
今の日本では18歳には成人になりますから、親は保護者ではなくなります。
少なくとも高校3年生になるまでに、子どもが自立するような強さを身につけてあげることが必要です。
私にも子どもがいますので実感しているところですが、子どもが親の希望通りに育つことはほとんどありません。
特に男は、年齢とともに親から離れていくのが普通です。
親だからといって、子どものことを何でもわかっていると思うのは危険であると考えます。
教員をやっていて感じることは、親が見ている子どもの姿と教員が見ている姿が違うことがよくあるということです。
学校は「公」の場ですから、家庭の「私」の場で見せている姿とは違うのです。
「親」という字は、木のうえに立ってみると書きますが、語源を調べるとどうやらそういう意味ではありません。
「親」は「辛」と「木」と「見」を組み合わせた形で、先に亡くなった父母の位牌を拝むことを示した文字だということです。
親は子どもより先立つものであり、そのあとに子どもは社会の荒波のなかで強く生きていかなければなりません。
水泳部のHPの「55の教え」の最後に「あの言葉この言葉」シリーズがあり、番外編として「なぜ一番にならない」があります。
https://www.buzan.hs.nihon-u.ac.jp/seitokai/club_org/swim/pdf/words_sup.pdf
このなかに登場する「山地元治」の母親のような厳しさは現代的ではありませんが、親が子どもにこれぐらい厳しければ、子どもはとても強く育ち、将来社会人として立派に生きていくことは間違いありません。
「考える作業」というのは、とても疲れるものです。
大抵の人は単純に答えが出ることを好み、自分で責任を取るのは嫌なものです。
大人になるということは自由が増える分、自分の頭で考えて、自分で責任を取ることを意味します。
池上氏が示唆していることは、子どもが自分でものを考えられないのは親の過保護の影響かもしれないということを、親自身が考えるべきだということです。
竹村知洋