昨日の靴洗い。
先日中国新聞に3人の子どもの靴洗いのことで掲載された文章は
3人が靴洗いを自分たちでするほほえましい情景を書いた文章だったけど
現実はあまくないんだよね。
昨日は「誰が洗う?」
というと
「たいぎい」
「洗いたくない」
といいだした。
(わたしゃうそつきにはなりたくないんだよ。)本音
投稿が掲載されてすぐ私が洗うのもしゃくなので
「早く洗わんと乾かんよ」
とせかしてみた。
すると
「仕方ない」
と言いながら長男が洗い始める。
「外靴は洗わないの?」
ついつい「お母さん洗おうか?」
というと
「自分で洗う」
子どもが洗いたくないと言う時に
負けてはいけない。
今回は投稿が掲載したからということがあって
少し強い意志が持てたような気がするなあ。
すぐ負けそうになるんだよね。
母として凛とした態度を取らないと。
子どもの投稿について
私が思うのは
小学生の子どもは投稿すると掲載されないことに傷つく。
いい文章でも掲載されないことはあるんだよ。
掲載されるのは旬があるから。
これは子どもにとっては分からないから
ついつい文章が掲載されなかったら
文章力がないと思いこんでしまう。
そこで掲載してもらいたいと思う子どもで自信をなくしかけているなら
お母さんも投稿してみるのもいいと思う。
「お母さんも何度も投稿しているけど
没になるんだよ。
一緒に頑張ろうね」
と言われるとどうでしょう。
お母さんも頑張っている姿を見せると子どもも書いてみようかなと思うと思います。
私は投稿する前に
子どもに読んで聞いてもらうんですよ。
今回の文章は
まず長女が読んだ時
「いい文章だね」と言ってくれましたよ。
そして
「ちょっと長いんだよね」というと
「この文章をはぶいた方がいいんじゃない?」
と初めて長女に言われちゃいました。
掲載された文章を読んだら
「ちょっと変わってるね」
と私の投稿より文章を変えてあるのも気づいたよ。
そうなんです。
新聞社の方が少し変えられるのです。
題名は一応自分でつけて投稿するのですが
いい題名に変えられてましたよ。
中国新聞の広場欄の題名は9文字です。
なかなか9文字でいい題名はつけられないもんです。
いつもすごいなあと感心してます。
先日中国新聞に3人の子どもの靴洗いのことで掲載された文章は
3人が靴洗いを自分たちでするほほえましい情景を書いた文章だったけど
現実はあまくないんだよね。
昨日は「誰が洗う?」
というと
「たいぎい」
「洗いたくない」
といいだした。
(わたしゃうそつきにはなりたくないんだよ。)本音
投稿が掲載されてすぐ私が洗うのもしゃくなので
「早く洗わんと乾かんよ」
とせかしてみた。
すると
「仕方ない」
と言いながら長男が洗い始める。
「外靴は洗わないの?」
ついつい「お母さん洗おうか?」
というと
「自分で洗う」
子どもが洗いたくないと言う時に
負けてはいけない。
今回は投稿が掲載したからということがあって
少し強い意志が持てたような気がするなあ。
すぐ負けそうになるんだよね。
母として凛とした態度を取らないと。
子どもの投稿について
私が思うのは
小学生の子どもは投稿すると掲載されないことに傷つく。
いい文章でも掲載されないことはあるんだよ。
掲載されるのは旬があるから。
これは子どもにとっては分からないから
ついつい文章が掲載されなかったら
文章力がないと思いこんでしまう。
そこで掲載してもらいたいと思う子どもで自信をなくしかけているなら
お母さんも投稿してみるのもいいと思う。
「お母さんも何度も投稿しているけど
没になるんだよ。
一緒に頑張ろうね」
と言われるとどうでしょう。
お母さんも頑張っている姿を見せると子どもも書いてみようかなと思うと思います。
私は投稿する前に
子どもに読んで聞いてもらうんですよ。
今回の文章は
まず長女が読んだ時
「いい文章だね」と言ってくれましたよ。
そして
「ちょっと長いんだよね」というと
「この文章をはぶいた方がいいんじゃない?」
と初めて長女に言われちゃいました。
掲載された文章を読んだら
「ちょっと変わってるね」
と私の投稿より文章を変えてあるのも気づいたよ。
そうなんです。
新聞社の方が少し変えられるのです。
題名は一応自分でつけて投稿するのですが
いい題名に変えられてましたよ。
中国新聞の広場欄の題名は9文字です。
なかなか9文字でいい題名はつけられないもんです。
いつもすごいなあと感心してます。