今、オイラが見ている色が『赤』だとする。
今、あなたが見ている色は何色ですか?
今、オイラが見ている形が『四角』だとする。
今、あなたが見ている形はどんな形ですか?
今、オイラが触った物が『つるつるの楕円』だったとする。
今、あなたが触った物はどんな手触りでどんな形ですか?
二人して同じものを見たときに、そのものさえ知っていれば同じ答えにたどり着く。
例えば、竹林を見たとき、オイラは「緑」と答えるだろう。「それは丸くて節のある、竹だ」と答えるだろう。
そしてあなたも「竹の緑が綺麗だね」って答えるだろう。
でもそれって答えは同じだけれど、「あなた」と「私」が見た(触った)物がまったく同じであるって事にはならない。
光にはいろんな長さがあり、その長さによって、色が存在する。
長く伸びる光(長波光)は赤。
短い光(短波光)は青。
夕日は長い光が到達するから赤く見える。
昼間の空は短い光が到達するから青く見える。
赤いリンゴは、長い光を跳ね返すから赤く見える。
緑の葉っぱは、緑に見える光の長さを跳ね返すから緑に見える。
分析上、同じ数値の光を見ている訳だけど、
果たして、この時の色は同じだろうか。
物の形や手触りも然り。
オイラが見ている『赤』は、あなたが見ている『赤』と同じじゃないかもしれない。
オイラが見ている『ピラミッドの形』は、あなたが見ている『ピラミッドの形』とは同じじゃないかもしれない。
オイラの触った『柔らかいふわふわ』は、あなたが触った『柔らかいふわふわ』と同じじゃないかもしれない。
同じ言葉で表現されて、みんな同じ表現になっても・・・その感覚はまったく違うのかもしれない。
「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の目が見ているものを見ることは出来ない。
「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の感じている感触を感じることは出来ない。
「私」は「私」以外の感覚で物事を捉える事は出来ない。
同じだね、っていいながらも、まったく同じであるとは言い切れないんだなーなんて思うんですよ。
自分以外の『その人の目』『そのひとの手』で見たり触れたりしてみたら、そこには今まで「私」では見られなかったまったく違う世界が広がっているのかもしれない。
今、あなたが見ている色は何色ですか?
今、オイラが見ている形が『四角』だとする。
今、あなたが見ている形はどんな形ですか?
今、オイラが触った物が『つるつるの楕円』だったとする。
今、あなたが触った物はどんな手触りでどんな形ですか?
二人して同じものを見たときに、そのものさえ知っていれば同じ答えにたどり着く。
例えば、竹林を見たとき、オイラは「緑」と答えるだろう。「それは丸くて節のある、竹だ」と答えるだろう。
そしてあなたも「竹の緑が綺麗だね」って答えるだろう。
でもそれって答えは同じだけれど、「あなた」と「私」が見た(触った)物がまったく同じであるって事にはならない。
光にはいろんな長さがあり、その長さによって、色が存在する。
長く伸びる光(長波光)は赤。
短い光(短波光)は青。
夕日は長い光が到達するから赤く見える。
昼間の空は短い光が到達するから青く見える。
赤いリンゴは、長い光を跳ね返すから赤く見える。
緑の葉っぱは、緑に見える光の長さを跳ね返すから緑に見える。
分析上、同じ数値の光を見ている訳だけど、
果たして、この時の色は同じだろうか。
物の形や手触りも然り。
オイラが見ている『赤』は、あなたが見ている『赤』と同じじゃないかもしれない。
オイラが見ている『ピラミッドの形』は、あなたが見ている『ピラミッドの形』とは同じじゃないかもしれない。
オイラの触った『柔らかいふわふわ』は、あなたが触った『柔らかいふわふわ』と同じじゃないかもしれない。
同じ言葉で表現されて、みんな同じ表現になっても・・・その感覚はまったく違うのかもしれない。
「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の目が見ているものを見ることは出来ない。
「私」は「あなた」じゃないから、「あなた」の感じている感触を感じることは出来ない。
「私」は「私」以外の感覚で物事を捉える事は出来ない。
同じだね、っていいながらも、まったく同じであるとは言い切れないんだなーなんて思うんですよ。
自分以外の『その人の目』『そのひとの手』で見たり触れたりしてみたら、そこには今まで「私」では見られなかったまったく違う世界が広がっているのかもしれない。