年末のこの四日間で蕎麦を500人前ほど打っただろうか。腕はパンパン、背中はバキバキだ。そもそもなんで蕎麦の販売を思いついたかというと、いつも我が家の玄ソバ(ソバの実)を買ってくれていた蕎麦屋さんが、
「今年は引き取れない」
と言うもんだから、あちこち売り先を当たってはみたのだが、蕎麦屋さんはみんなきまった仕入れ先があって、俄にやってくる商談など相手にしてくれないのである。では、農家の味方の農協さんへ行ってみると、
「今年はソバが大暴落で一袋3,000円だね。選別がすぐ始まるからすぐ持ってきて。」
と今度は言うのである。今まで取引のある蕎麦屋さんは一袋22,5kgを10,000円で買ってくれていたので(ここは呑気な蕎麦屋さんで、これは今考えれば破格の値段、相場とはかけ離れた値段だったようだ)、先ずはその値段の安さに唖然とする。20袋500kgを出したとして7万円程にしかならない。これだと刈り取り賃も危ない。近所の製粉屋さんが、そこそこの値段で買ってくれて225kgはなんとかはけたのだが、未だゴミを取り除いてない蕎麦の山はどう見てもまだ400キロはあるのだった。ざっと見積もって4,000人前のソバだ。そんな綺麗にしてる暇ないし、3,000円じゃやる気でないし。
ぼくは頭を抱えた。その取引相手の蕎麦屋さんは、とても美味い蕎麦を出す。ぼくが一番尊敬する蕎麦屋なのだ。そしてうちの玄ソバがあの素晴らしい蕎麦に変身することを少なからず誇りに思っていた。それが今、農家の味方の農協さんに3,000円で売り渡されて、ぞんざいな扱いを受けて(農協さん失礼)、どこか解らない遠い所に行ってしまうという現実に直面してぼくは途方に暮れた。それは崖っぷちに立たされたようなものだ。でもだからと言ってどうしても3,000円で売り渡す気にならなかったのだ。
「ならば、自分で蕎麦を売ってしまおう!」
それから蕎麦の商品化が始まった。大町の木崎湖畔で日本一奇妙なコンビニを経営する友人Yちゃんに相談したら
「通販したら?私も応援する」
となって、背中を押されるように商品化が始まった。プラスティックパックや汁の入れ物をアレコレ物色したり、ビニール袋詰めしたものを熱溶着するシーラーも買った。205リットルの冷凍庫を新たに購入したり。ラベルも作った。上手な蕎麦の茹で方も蕎麦粉のレシピも書いた。打ってパックしたものを毎日Yちゃんに届けて食べてもらったのだが、Yちゃんの小学生になる息子君には「また蕎麦?」と言われる始末。実はそんな事が前もあって、ぼくが蕎麦を打ち始めた頃、しょっちゅううちの子供達に粗末な蕎麦を食べさせていたのだが、そのせいでうちの子供達は蕎麦が嫌いになってしまった。
新しいことと言うのは全てが未知の世界だから、次々と現れる難題を一つ一つやっつけて行かなくてはならない。それはジグソーパズルを組み合わせて行くのとよく似ていて、次なる一手がパチンと決まるまで、寝ても覚めてもそれが気になって落ち着かないのだ。白馬界隈では良い雪が降ってパフパフのスキーシーズンに入っているというのに、薪割りもしたかったし、年賀状も何も手をつけてなくて、正月飾りもまだ飾り付けられぬままだ。暇な時期に東京にも行きたかったのだ。12月にやろうと思っていたあれこれは全ておじゃんで、この一ヶ月ぼくは蕎麦の製品化に追われた。そして27日からは連日打った蕎麦は約500人前、夜中の11時まで打ったし、蕎麦つゆは36リットル仕込んだ。その忙しいさなかに、餅つきもやったし。それで、腕はパンパン、背中はバキバキなのだ。
しかし、こんな風に自分の育てた(育てたなんておこがましい、ソバは勝手に実ってくれました)ソバの実が、手打ち蕎麦となってみなさんに買って頂けるというのは、農家としてのぼくの理想がひとつ実現したことになる。ある意味自給自足が成立している訳だから。食べるものは、自分で収穫して裁いて、調理して口に入れるのが良い。ダイレクトなほど良いとぼくは思うのだ。
今年、ソバは出荷段階で大暴落をしても、蕎麦屋の値段はおそらくビタ一文下がらない。玄ソバが粉となって農家から蕎麦屋に渡るまでに、いろんな人が手を突っ込んで「濡れ手に粟」ならぬ「濡れ手にソバ」となって、途中で儲けを出す人達が沢山いるのだ。余談だが福島第一原発の作業員は第6次下請けまでいるという。東電は作業員ひとりにつき相当な金額を出していて、それを無責任な輩達がみんな手を突っ込んで儲けを抜いているのだ。作業員は易い賃金で働かされる。そして多額の費用負担は全て消費者へ転嫁される。割を喰うのはいつも現場の人間と決まっている。
話は戻るが、ものが動く時はおそらくこんなもんなのだ。自分の意志とは裏腹に、それは突然成り行き任せに始まったりする。でも今回の蕎麦の販売は、何処かで何となくイメージしていた事でもあるのだが、多分面倒くさがってこんな事でも無ければ、何事も起きずに過ぎ去ってしまった事なのだと思う。でも、窮地に追い込まれ、そこで閃いて、後押しをしてくれる友人がいて今回事が始まった。
そう、ぼくはずっとそう思ってやって来たのかも知れない。イメージすればそれは実現する。心にピンッと来るものに寄り添って導かれていけば大丈夫だと。金がなくなれば、仕事が舞いこんだり、新しいアイディアが産まれたり、人生は不思議なものだ。まるで何かに弄ばれているかのようなものだが、そんなやり方はとてもエキサイティングで大きな喜びをぼくに返してくれる。これからもずっと、なんとかなるさとぼくは思っている。
今回蕎麦を注文して下さった方々ありがとうございます。そして良い年をお迎え下さい。
※まだまだ「安曇野赤沼家の蕎麦」の販売は続きます。
あたしはやっぱ退屈なのよ