山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

安曇野かね春の蕎麦発売中

2022年06月23日 | 蕎麦の販売

山岳ガイドの赤沼千史です。

自家製手打ち蕎麦を販売する蕎麦専門製麺業を開業しました。

信州安曇野は北アルプスの麓、寒暖差の大きなこの地はとても蕎麦栽培に適した場所です。

そんな安曇野で自家栽培し石臼挽きした物のみを使って打った蕎麦を販売させて頂いています。

完全自家栽培の手打ち蕎麦であるため、その年の蕎麦を使い切った時点で販売は終了致します。

蕎麦は一玉ずつ手打ちしたものを急速冷凍し、冷凍便にてお届け致します。

「え?冷凍蕎麦?」

と思われる方も多いでしょう。

そんな方に是非「安曇野かね春の蕎麦」をお試し頂きたい。

その風味、喉越し、そして汁の味も、なま蕎麦となんら変わらぬおいしさと便利さです。

蕎麦はへ「細引き」と「粗挽き」の二種。

その他、平打ちや茶そばなどのアレンジも可能ですのでご相談下さい。

・細挽き蕎麦 300g(二人前)特製つゆ付き・・・・1,100円(税込み)

・粗挽き蕎麦 300g(二人前)特製つゆ付き・・・・1,400円(税込み)

・送料は別途承りますが、15パックまで全国一律1,300円です。

※ 一例ですが細挽き3パック(6人前)で送料込み4,600円です。

ご注文はこのブログのメッセージからご連絡頂くか、以下の携帯電話へのショートメール、或いはメールアドレスまでお願い致します。蕎麦以外の生業が山岳ガイドのため山中にいる場合があります。ショートメールが一番連絡がつきやすいかも知れません。

cwstudio@sea.plala.or.jp

090-8003-6038 かね春製麺赤沼までショートメール

このページの左の方の「メーセージを送る」からご連絡でもオケです。


ビオパーク劇場二八蕎麦の会

2014年02月14日 | 蕎麦の販売

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI 

 二月八日(土)「二八蕎麦の会」と称して、松本市のビオパーク劇場で蕎麦会を催した。折しもこの日はあの大雪の日、松本市内で50センチの大雪が降った日だ。朝準備を始めながらも、果たして大丈夫なんだろうかと不安になって居たのだが、予約を受けていたお客さん達も殆どは、それぞれの家の雪かきはほったらかして来て下さったようだ。ありがたいことだ。

 ビオパーク劇場は松本市と言っても、旧四賀村地区の山里の、それも山を背負った場所にひっそりと佇む、松本サブカルチャーの拠点となっている劇場だ。そこには、少し風変わりな人達が集まるし、ビオパーク劇場はそんな人達の心の支えにもなっているのだ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 ここでの蕎麦会は初めての事だし、打ち手の梅ちゃんと僕、野点の滝澤さん、そしてオーナーのヒコちゃんとで何度か打ち合わせをして今日に至ったのだが、場所が変わると全ての事が違ってくるので、蕎麦打ちも大変だ。その時の気温や湿度、そして水、そんなものが微妙に影響して、いつも自分の仕事場でやっているのと勝手が違う。おまけに衆人に晒された状態で蕎麦を打つなんて、なんて緊張するんだろう。お客さんの視線が気になるのだ。

 梅ちゃんは僕の三十五年来の友人だ。僕が高校生の頃出入りしていた飲み屋(はあ?なんじゃそりゃ!)の常連さんで、家具職人である。彼は拘りの人だ。例えば、自ら作る家具に塗る漆は自ら山に取りに行く。今回使わせてもらった蕎麦捏ね鉢もその漆が塗られていた。蕎麦ザルも手作りである。蕎麦包丁でさえ、農家に放置されていた藁きり包丁を自分で仕立て直したものだ。もちろん、蕎麦は自家栽培、自家製粉の十割蕎麦だ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 彼の蕎麦打ち技術は繊細だ。十割蕎麦は、打ったことがある人なら解るのだが、そう簡単に繋げる事は出来ない。二八蕎麦に比べ粘りや保湿力に劣るので、それを、細く長く打ち上げるには、大胆でいて繊細な技術が必要だ。僕も時々挑戦するのだが、全く思った通りには出来ていない。だが梅ちゃんはその扱いをよく知っている。僕も十割蕎麦の危うさがよく解るから、ひやひやしつつ、感心しつつ彼の腕前を見させて頂いた。僕も速くそんな風になりたいものだ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 外では、激しい雪が降っている。朝から降り始めた雪がみるみるその嵩をまして行く。こんな降り方をするのは、長野オリンピックの時以来かも知れない。あの時は、80センチ降った。安曇野辺りに降る雪としては僕の記憶の中ではそれが一番の大雪だ。今回はそれに匹敵する降り方である。蕎麦茹で場は都合で外である。一応軒はあるが、降りしきる雪の中蕎麦をシメる。水は冷たく、手が痛むが、蕎麦は最高のシメ上がりだ。ザルに盛った蕎麦には雪が降りかかり、あっという間に凍り始めようとするから、急いで室内に運んで皆さんに食べていただいた。蕎麦の後は滝澤さんの御抹茶。茶道具も自作の茶杓、地元作家の茶碗を使って。和服で決めた滝澤さんが、気軽な感じでたてるお茶も大好評であった。そんな本気で遊ぶ大人達の集い、いいでしょ?・・・・・・・皆さんの笑顔がありがたかった。

 蕎麦会が終わる頃、駐車場の積雪は40センチ程に達していた。みなさん家に帰ってから雪かきに追われたことであろう。ありがとうございました。


粉挽きジサマ

2014年01月17日 | 蕎麦の販売

 ようやく暇が出来て、今シーズン初のスキーに行こうかと、朝靄に煙る木崎湖辺りをいそいそと軽トラックで走っていると、突然僕の携帯が鳴った。誰かと出てみれば、それはある人物からのものであった。 

 

ジサマと大石臼

 このジサマ、名を「原拓」さんという。・・・・・・「はらひらく」・・・・・・「腹開く」・・・・・・冗談のようだが、紛れもない本名だ。このジサマの正体は、蕎麦粉の製粉屋だ。要するに我が家で収穫した玄蕎麦を、巨大な石臼で蕎麦粉にしてくれる名人なのだ。御歳、八十九才。未だ蕎麦に対する情熱は衰えず、頼めば

「わかったデ、持ってきまショ」

といつも粉挽きを引き受けてくれる。

 ところが昨日、製粉を頼みに行ったらジサマは

「オラ忙しいデ、そうセ、一週間ぐらいかかるジ、それでもいいかい?」

と連れない返事だった。仕方が無いので、なるべく早くにって事で玄蕎麦を置いて、そのまま帰って来たからあまり期待はしていなかったのだが、流石このジサマ、蕎麦を打ちたい時に打てない蕎麦職人の気持ちがよく解る御人で、翌朝になって

「にいさん、これからやるデ、手伝いにきまショ」

と、電話をかけてきてくれたのだ。もうすぐ白馬と言うところで、僕は軽トラをUターンさせ、ジサマのささやかな粉挽き工場へ向かった。

 着いてみれば、さっきは手伝えと言いながら、最初にヨッコラショと玄蕎麦を石貫き機に入れる時だけ手伝わせただけで、その後は一切手を出させてくれない。僕としては、粉挽きには並々ならぬ興味があるし、全行程を自分でやってみたいのだが、それは叶わぬ事なのだ。

 ただただ、僕はこの八十九才のジサマのぶっ飛んだ会話の聞き役となって、粉が挽けるまでの2時間を過ごした。工場はさほど広くはないプレハブ小屋なのだが、電気ストーブが一つだけ点いているだけで他に暖房器具は何もない。コンクリートの土間からはしんしんと冷気が伝わって来る。2時間体を動かさずに、ジサマの話を聞くのもなかなか大変で、これなら先日行った厳冬の西穂高岳の稜線の方がまだマシかも知れないと思う(笑)。だが、こんな寒い工場で一人で元気に働けるジサマは、普通の人間とは少し違う。蕎麦挽きに対する情熱と、拘りは並々ならぬものがあって、それがこのジサマの原動力になっているのは確かだ。

 このジサマは画を描いたりする。俳句をひねったりもする。絵や骨董を集めたりもする。投網で魚を獲ったり、友人とセスナを飛ばしたりもしたそうだ。若い頃には数々の浮き名も流したのだろう。いわゆる遊び人なのだ。工場の壁には、広告の裏にマジックペンで書かれたジサマの言葉が、無造作に画鋲で貼り付けられていた。それにはこうある。

「幸せとは生涯を貫く仕事を持つことだ」

うーん、納得。自分の好きな事をやり続ける事が幸せなのだと言うのだ。確かにこのジサマ、現在は八十九才で、話すことと言えば殆ど以前に聞いたことがある話だし、太平洋戦争の話から、いきなり目の前の梅の木の剪定の話に瞬間移動したりするし、入れ歯も時々飛び出しそうになったりしているのだが、その仕事は確実で一切手を抜かず、薫り高い蕎麦粉を挽いてくれる。

 このジサマ、昨年体を壊し手術をした。手術のあと、粉挽きの量をかなり減らした様だが、こうやって見事に復活し元気に粉を挽いている。すごいエネルギーだなあと思うのだ。僕がこのジサマの歳になるまでには後35年ほどの月日が必要になるのだが、果たして僕は、何かに対してこんな情熱を持ち続けていることが出来るだろうか?全く自信がない。

 蕎麦の味や風情というものは、粉の仕立てに寄るところがとても大きい。僕の蕎麦の味はこのジサマの粉挽きにかかっているのだ。このジサマが粉を挽いてくれるからこその僕の蕎麦なのだ。呼ばれれば僕はまたジサマの話を聞きに行くだろう。そして、そのうち少しぐらい手を出させてくれるかも知れない。よーし、それまで、しっかり付き合ってやろうじゃないの。だから少しでも長くこの蕎麦粉を挽いてほしいと思うのだ。

安曇野赤沼家の蕎麦の販売

 

 

 

 


今年はありがとうございました、来年もよろしく

2013年12月31日 | 蕎麦の販売

 年末のこの四日間で蕎麦を500人前ほど打っただろうか。腕はパンパン、背中はバキバキだ。そもそもなんで蕎麦の販売を思いついたかというと、いつも我が家の玄ソバ(ソバの実)を買ってくれていた蕎麦屋さんが、

「今年は引き取れない」

と言うもんだから、あちこち売り先を当たってはみたのだが、蕎麦屋さんはみんなきまった仕入れ先があって、俄にやってくる商談など相手にしてくれないのである。では、農家の味方の農協さんへ行ってみると、

「今年はソバが大暴落で一袋3,000円だね。選別がすぐ始まるからすぐ持ってきて。」

と今度は言うのである。今まで取引のある蕎麦屋さんは一袋22,5kgを10,000円で買ってくれていたので(ここは呑気な蕎麦屋さんで、これは今考えれば破格の値段、相場とはかけ離れた値段だったようだ)、先ずはその値段の安さに唖然とする。20袋500kgを出したとして7万円程にしかならない。これだと刈り取り賃も危ない。近所の製粉屋さんが、そこそこの値段で買ってくれて225kgはなんとかはけたのだが、未だゴミを取り除いてない蕎麦の山はどう見てもまだ400キロはあるのだった。ざっと見積もって4,000人前のソバだ。そんな綺麗にしてる暇ないし、3,000円じゃやる気でないし。

 ぼくは頭を抱えた。その取引相手の蕎麦屋さんは、とても美味い蕎麦を出す。ぼくが一番尊敬する蕎麦屋なのだ。そしてうちの玄ソバがあの素晴らしい蕎麦に変身することを少なからず誇りに思っていた。それが今、農家の味方の農協さんに3,000円で売り渡されて、ぞんざいな扱いを受けて(農協さん失礼)、どこか解らない遠い所に行ってしまうという現実に直面してぼくは途方に暮れた。それは崖っぷちに立たされたようなものだ。でもだからと言ってどうしても3,000円で売り渡す気にならなかったのだ。

「ならば、自分で蕎麦を売ってしまおう!」

 それから蕎麦の商品化が始まった。大町の木崎湖畔で日本一奇妙なコンビニを経営する友人Yちゃんに相談したら

「通販したら?私も応援する」

となって、背中を押されるように商品化が始まった。プラスティックパックや汁の入れ物をアレコレ物色したり、ビニール袋詰めしたものを熱溶着するシーラーも買った。205リットルの冷凍庫を新たに購入したり。ラベルも作った。上手な蕎麦の茹で方も蕎麦粉のレシピも書いた。打ってパックしたものを毎日Yちゃんに届けて食べてもらったのだが、Yちゃんの小学生になる息子君には「また蕎麦?」と言われる始末。実はそんな事が前もあって、ぼくが蕎麦を打ち始めた頃、しょっちゅううちの子供達に粗末な蕎麦を食べさせていたのだが、そのせいでうちの子供達は蕎麦が嫌いになってしまった。 

 新しいことと言うのは全てが未知の世界だから、次々と現れる難題を一つ一つやっつけて行かなくてはならない。それはジグソーパズルを組み合わせて行くのとよく似ていて、次なる一手がパチンと決まるまで、寝ても覚めてもそれが気になって落ち着かないのだ。白馬界隈では良い雪が降ってパフパフのスキーシーズンに入っているというのに、薪割りもしたかったし、年賀状も何も手をつけてなくて、正月飾りもまだ飾り付けられぬままだ。暇な時期に東京にも行きたかったのだ。12月にやろうと思っていたあれこれは全ておじゃんで、この一ヶ月ぼくは蕎麦の製品化に追われた。そして27日からは連日打った蕎麦は約500人前、夜中の11時まで打ったし、蕎麦つゆは36リットル仕込んだ。その忙しいさなかに、餅つきもやったし。それで、腕はパンパン、背中はバキバキなのだ。

 しかし、こんな風に自分の育てた(育てたなんておこがましい、ソバは勝手に実ってくれました)ソバの実が、手打ち蕎麦となってみなさんに買って頂けるというのは、農家としてのぼくの理想がひとつ実現したことになる。ある意味自給自足が成立している訳だから。食べるものは、自分で収穫して裁いて、調理して口に入れるのが良い。ダイレクトなほど良いとぼくは思うのだ。

 今年、ソバは出荷段階で大暴落をしても、蕎麦屋の値段はおそらくビタ一文下がらない。玄ソバが粉となって農家から蕎麦屋に渡るまでに、いろんな人が手を突っ込んで「濡れ手に粟」ならぬ「濡れ手にソバ」となって、途中で儲けを出す人達が沢山いるのだ。余談だが福島第一原発の作業員は第6次下請けまでいるという。東電は作業員ひとりにつき相当な金額を出していて、それを無責任な輩達がみんな手を突っ込んで儲けを抜いているのだ。作業員は易い賃金で働かされる。そして多額の費用負担は全て消費者へ転嫁される。割を喰うのはいつも現場の人間と決まっている。

 話は戻るが、ものが動く時はおそらくこんなもんなのだ。自分の意志とは裏腹に、それは突然成り行き任せに始まったりする。でも今回の蕎麦の販売は、何処かで何となくイメージしていた事でもあるのだが、多分面倒くさがってこんな事でも無ければ、何事も起きずに過ぎ去ってしまった事なのだと思う。でも、窮地に追い込まれ、そこで閃いて、後押しをしてくれる友人がいて今回事が始まった。

 そう、ぼくはずっとそう思ってやって来たのかも知れない。イメージすればそれは実現する。心にピンッと来るものに寄り添って導かれていけば大丈夫だと。金がなくなれば、仕事が舞いこんだり、新しいアイディアが産まれたり、人生は不思議なものだ。まるで何かに弄ばれているかのようなものだが、そんなやり方はとてもエキサイティングで大きな喜びをぼくに返してくれる。これからもずっと、なんとかなるさとぼくは思っている。

今回蕎麦を注文して下さった方々ありがとうございます。そして良い年をお迎え下さい。

 

※まだまだ「安曇野赤沼家の蕎麦」の販売は続きます。

あたしはやっぱ退屈なのよ