BSTBSのロケハンから帰った翌日、安曇野の我が家は田植えであった。快晴の朝、さあ始めようという時に僕の携帯が鳴った。出てみるとそれは遭対協(山岳救助隊)からのものだった。
「今、大天井岳で行方不明が出てるんで待機しといてもらえますか?」
「了解」
と言うことで、僕は出動要請を待つ事になった。待つと言っても田植えはしないわけに行かないので、そのまま仕事は始めたのだが、午前9時頃、我が家の上空を長野県警のヘリが山の方から東へ向かい、北穂高(これは里の地名)のヘリポート辺りに着陸するのが見えた。多分それは遭難者を収容して飛来したものに違いなかった。
「助かっていれば良いけどな」
と僕は思った。だがそのまま僕は忙しく夕方まで田植えを続けたのだが、遭対協からの出動要請は結局来なかった。
翌日新聞を開いてやはりあれは、その遭難者を収容したものであることが解った。結果は死亡。遺体での収容だった。その登山者は上高地から入山し、蝶ヶ岳から常念岳を経て三日目に、それはおそらく、僕等BSTBSロケハン隊が立山で雷と吹雪に見舞われていたその時に大天井岳付近で力尽きたものであろう。年齢はなんと79歳だ。昨年の11月に僕等が雪の霞沢岳に捜索に入った遭難者は77歳。いづれも単独高齢者である。
雪山に、しかも単独で入るにはあまりにも危険な年齢ではないのか?人それぞれの体力は違うのだろうが、どう考えてもおかしな遭難事故である。夏山と違って、冬山を歩くには、体力と時間の余裕が絶対に必要だ。そして、自分の限界を知る判断力・・・・これこそが重要で、その判断ミスが生死を分ける。それを、この遭難者達は果たして持っていたのだろうか?いっぱいいっぱいで、吹雪の稜線を彷徨っていたのではないだろうか?何とも理解に苦しむ遭難なのだ。
歳をとると人は頑固になると言う。人の言うことを聞かない男が、歳を取って頑なになり、自分の中の欲求を満たすために、妄信的に山を彷徨っている。そんな図式が頭に浮かぶ。
現代は情報の時代だ。インターネットを開けばありとあらゆる情報が手に入る。そしてそれらを発信する側も、良いとこだけをつなぎ合わせて情報を作る。読み手はもちろん自分の都合の良いとこだけをつまんでプリントアウトし、それをガイド代わりに山に出かけるのだ。かつては本格的な山岳会にでも入らなければ手に入らなかった冬山の情報も、全部ネットの世界で自由に見ることが出来る。それは高齢者に限ったことは無い。若い単独初心者の無茶な行動も目立つ。
「あんたには無理だよ」
と諭してくれる先輩も友もいない。もう二度と来られないからと、追い詰められた気持ちで自分の何かを成し遂げようと人は無茶な登山に出かけていく。そして、運悪く・・・・・・・死に至る。いや違う、長野県遭対協講師の丸山晴弘さんの言葉を借りれば、彼らはもはや家を出る時から遭難しているのだ。
現代では79歳の登山者を無条件で冬山へ案内するガイドは居ない。そんな登山ツアーだってある訳がない。ガイドだったら大概、「辞めた方がいいですよ」と、まず言うだろう。そして身の丈に合った登山を一緒に考える。そして、いつも行動を共にしてくれて志向を共有する仲間も居なければ、彼らの高まる気持ちは完全に個の中ではち切れんばかりに充実し、そして実際の行動にそれを移してしまうのだ。
それをぼくは「登山難民」と呼ぼうと思う。
そして、その登山難民は、頑なで、独善的で、生真面目で、頑張り屋の人達が多いのでは無いだろうか。年齢だけの問題ではなく、元々が山ヤなんて変わり者のなるものだ。何処か屈折した部分をそれぞれが抱えているような気もするし、中には仲間を煩わしいと考える山ヤも大勢居る。それはある意味みんな登山難民であるのだと僕は思う。
僕等山岳救助隊は警察官ではない。
「ちょっとあなた、大丈夫ですか?ひとりで行くのは辞めた方がいいですよ、帰って下さい」
などとは言えないのが実際のところ。そう思う人は沢山いるのに。
「大きなお世話だよ」
と言われるのが関の山だ。高齢単独登山者を犯罪者扱いする訳では無いが、警察官だったら、街角で不審者を見かけたら、職務質問ををするだろう。だが、僕等にはそんな権限は何も無い。あれ、おかしいぞと思っても、他人のすることに口出しなど出来ないのだ。
僕が救助隊に入隊して25年ほどが経った。その中で北アルプス南部で未だに行方の解らない人が何人いるだろう?何度も捜索にも出た。それはとても10本の指では足りない。
ああ、どうしたら良いだろう?同業者の皆さん・・・・どう思います?
関連です。ご参考まで
初冬霞沢岳遭難捜索
13六合石室泊鋸岳縦走7月25,26日