「甲斐駒ヶ岳六合石室のガイドのお宿」でふと夜中目が醒めると流石の天の川が滝の如く流れ落ちていた。
まどろみなが、寝る前にミニ三脚にセットしておいたカメラのリモコンスイッチを押す。
目をつむったまま、三十秒数えてリモコンを切る。
そしてまた寝た。
いい宿だ。
「甲斐駒ヶ岳六合石室のガイドのお宿」でふと夜中目が醒めると流石の天の川が滝の如く流れ落ちていた。
まどろみなが、寝る前にミニ三脚にセットしておいたカメラのリモコンスイッチを押す。
目をつむったまま、三十秒数えてリモコンを切る。
そしてまた寝た。
いい宿だ。
劔沢小屋のおかあさん 里子さん いつも笑顔で迎えてくれる
台風8号が列島を通り過ぎて台風一過の北アルプスは素晴らしい夕焼けとなった。この美しさは言葉に言い表せない。ただただ感動するばかりである。
今や、ここ劔沢でも携帯電話の電波を拾えるようになって、SNSも繋がるから、北アルプス周辺に住む僕の友人達の投稿でそれが劔沢だけのものでは無く、北アルプス一帯が真っ赤に焼けていると言うことがわかる。安曇野でも、白馬でも今年一番の夕焼けだったのだ。
予感がして外に出てその時が来るのを待つ。夕焼けの一番良いところはほんの数分のものだ。次第に高まる気持ち。意外と焼けなくてハイ終わり!なんてこともよくある。だが、この日の劔沢は違っていた。台風の置き土産、高く漂う高層の雲に残照が当たり、雲に反射された光は優しく僕らの世界を照らした。
ゆっくり眺めていたい気持ちもあるのだが、カメラを持つ僕の心の中はまったく穏やかではなかった。パニックにも近い心理状態・・・・・ここに集うみんな・・・・それはまさしく興奮のるつぼだった。
「明日は良くなるぞ」・・・・・・そんな予感しかしない夕暮れ時だった。
「僕は子供の頃、コロラドの山に住んで居たんです。ずっと離れていたけれど、やっぱり僕の心は山にあるってき気づきました。」
ジョナサンは言った。遠ざかっていた山に久しぶりに登るにあたって、最初は不安でいっぱいだったのだそうだ。だが登るにつれ彼の心は故郷を思い出すかのように高揚して、その足はグングン快調になった。
深い霧、決して良くないコンディションの中、常念岳登頂まで一気に登り上げた。
なにも見えない常念岳山頂、翌日への期待感は限りなくゼロ。それでもスタッフ達は最善の映像を撮ろうと努力し、その中にドラマを見いだそうと苦悩していた。
さて、翌午前2時45分。目が醒めるとまず覗いた寝室の窓から見えたものは煌めく星空だった。
「ディレクター!!満天の星だよ!!」
「マジすか!?」
スタッフの誰もがこの奇跡のような朝に、静かに興奮したに違いない。
他のお客さんの迷惑にならぬよう、無言で準備をしヘッドランプで横通岳へ向かう。奇跡のような星空が次第に白んで来る・・・・・・・僕らの気も足も逸った。
常念岳と乗越を隔てて反対側の横通岳山頂に登り上げると、そこには見事な雲海が足下を埋め尽くしていた。
「この雲の海はアメリカまで続いている様な気がします」と、ジョナサンは言った。
日本に住んで20年が過ぎた彼が語る言葉には、日本人ではない独特の感性がにじみ出る。
しかし彼は深く日本を理解し愛しているように思えた。
日本語はとても上手い・・・・・・だがそこには、完璧でないもののチャーミングさがある。
なんというのだろう、彼が日本の自然を語るその言葉は、僕にとってもとても新鮮で、僕は日本の山を再認識するのだった。
「これは後半戦アディショナルタイム同点ゴールってもんだね」
「いや、奇跡の逆転ゴールでしょ?」川原ディレクターは言った。
梅雨時でも時々こういう事が起こる。里はドンヨリとした曇り空。お山は快晴。
その激変ぶりも、どうぞご覧ください。
BSTBS日本の名峰 絶景探訪シリーズ #49 「安曇野の里を抱く山 常念岳」
BSTBS 7月12日(土)午後9時~
夕べ、寝しなに恐ろしい程の雷雨。
雨トイが呑み込めない雨水が溢れて滝のようにバチャバチャ言っていた。
いくら台風が来てるって、こんなんアリ?
まだ遠いのに。
我が家の愛犬ハナは、雷がちょー苦手なんだからね。
梅雨ってこんな不安定だったかなあ。
かと思えば今朝はこんな青空、
おまけにブラジルが7−1で負けてやがる。
一見さわやかな高原の池に見えるが、これはただの水たまり
六月は里山が楽しい。緑はいよいよ勢いを増し、野も山も谷も尾根も、ありとあらゆるところで自分の居場所を見つけようと、その枝を伸ばす。その戦略は他に先んじて芽を出し早めに事を済ませるモノ、横に広がり陣地を占領するモノ、ゆっくりスタートして上へ茎を伸ばし高さでその場を確保するモノと様々だ。そんな植物たちが作る緑の立体パズルの中を、様々な虫や鳥や獣たちがゴールを目指して飛びまわり歩き回ると、受粉は完了し次なる世代へ命は受け継がれていくのだ。
僕ら人間も本来はそんな立体パズルの中を歩き回る一員のはずだったのだが、何時の日からか自然とは切り離された環境でしか生きていられなくなってしまった。だが時々こうやって森を歩き、緑のパズルを解きに来なくては気持ちの置き所が無くなってしまう様になってしまった人間達がいる。それが登山者というものだ。
取り立てて勉強などをしてこなくても、緑の中をずっと何年も・・・・・・それは同じ所だってかまわない、むしろ同じ所を何度も歩く方が良いのかも知れない・・・・・・歩き回っていると、ふとそのパズルの仕組みに気づく事がある。
「あれ?こいつ、こんなことしてるんだ、すごいな。」
そんな風に感じるにはむしろ里山が良いのかも知れない。まだまだ、ぼくは何も知らないのだと思っている。だが、何となく脈絡無く散らばるそんな気づきの欠片が、いつか繋がると良いなとも思っている。ジグソーパズルの最後の一片をパチンとはめ込めたらいいなと思うのだ。
岩殿山は我々安曇野に住むものからは「東山」と呼ばれる、筑摩丘陵の一角にある標高1,000メートルほどの岩山だ。筑摩丘陵は松本盆地、長野盆地、上田盆地に挟まれた丘陵地で1,000メートル程の山といくつかの村で成り立つ地域だ。岩殿山と沢をひとつ隔てて兄弟のように京ヶ倉という岩山が連なり、どちらに登ってもその兄弟の存在が気になって、次はあっち登ろうと思わせてくれるのも面白い。
別所ルートから登って紅葉イチゴをつまみながら登る。美しい宝石のような果実は爽やかな甘さで実に旨い。実が柔らかくて、摘んで帰る頃にはぐずぐずになってしまって、持ち帰りは難しい。ましてや、栽培し、流通などには向かないだろう。湿った梅雨の空気に山の香りが漂っていた。
見事に削り込まれた石階段
登山道には拝み所や石仏が配置されて居る。結構大きな石碑もある。これらをいったいどうやって設置したのだろうか?と感心する。ここは里にある岩殿寺(がんでんじ)の奥の院という位置づけで、別所から岩殿山、そして奥の院を巡り岩殿寺へ至るひとつの伽藍を形作っている。歩けば現れる奇岩が実に楽しく非日常的で、そこには何かの力が備わっていると、岩殿山の開祖開祖慈覚大師円仁も感じたのだろう。彼はこの山に出会い、きっと夢中になってここを開いた。この伽藍の核心である奥の院には、庇のように大きく張りだした砂岩の洞がある。その高さは20メートルにもなるだろうか。岩肌には泡だったような穴がボコボコと空いて、不可思議と神秘と畏敬の念が沸き上がるようだ。その成り立ちを想像するのは困難だ。円仁もきっとこの岩洞に驚愕したに違いない。そして、この山を開く事にのめり込んでいった。ぼくの勝手な想像である。
兄弟 京ヶ倉が見える
翌日は「西山」へ向かう。西山とは安曇野から見て西側の山、つまり北アルプスの事だが、その前山である白沢天狗岳へ。この山はわりと最近登山道が整備され登りやすくなった。それ以前は残雪期に登る人が多く、ぼくも山スキーで登ったことがあった。里山と言うには若干標高が高く、それなりに頑張らなくてはならない山だ。
爺ヶ岳スキー場から登り始める。夜中に降った雨が止んで陽が差し始めると一気に気温が上がり始め、湿った空気が肌にまとわりつく。でも日帰りだから濡れようが汗だくだろうが平気だ。登山道はその殆どが自然林でとても気持ちが良い。春ゼミが辺り一面で鳴き耳が痛いほどだ。遠い昔を思い出させるようなその鳴き声がぼくは好きだ。
取り立て難しい所は無いが、道は次第に急になり最後は梯子を登って稜線に出る。そこにはまだ雪をまとった爺ヶ岳があった。尾根を左に辿ると岩峰がひとつあって、それを回り込むように梯子やロープを伝って越える。稜線の冷たい風の中シャクナゲが満開だった。青空の領域が次第に広がってきて大町から安曇野までずっと見渡せる。胸のすくような思いだ。ひと登りで山頂だ。山頂の木立が若干切り払われ、展望が良くなっていた。爺ヶ岳を初めとして、餓鬼岳や野口五郎岳、鹿島槍など、北アルプスの山を間近に望める良い展望台だ。足下の安曇野の眺めも伸びやかだ。
深いピンクが印象的なシャクナゲだった
春ゼミの声満ちる森
山毛欅
この山には新しい標柱が何本もあるのだが、それはことごとく何者かによって引き裂かれ、無残なモノになってしまっている。それは、他の山でもよく見かけるものだが、その原因は熊の仕業に因るものだ。熊はなんとガソリンや有機溶剤の匂いが大好きで、新たに設置されたペンキ塗り立ての道標は、彼らにとってとても魅力的な匂いを放っているのだ。その愛しい匂いがたまらなくて、道標をペロペロやりに来る。だが、それは一応乾いたペンキだから、思うようにはそれを味わえず終いにはカンシャクを起こして、それをその爪で引き裂いてしまうのだ。この爪で顔を叩かれたら、ひとたまりもない事はすぐ想像出来る。山で出会わないことを祈るばかりだ。幸運にも熊にも会わずに、すたこら下山。大町温泉郷薬師の湯にて入浴、信濃大町駅解散。
ある日の赤沼家のおもてなし
梅雨の安曇野の庭先で