山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

麻倉アンデパンダン展 一本の線から始まるストーリー

2014年09月28日 | 安曇野の暮らし

27日大町麻倉「アンデパンダン展・一本の線から始まるストーリー」に行ってきた。
講師は誠に怪しい「小池アミイゴ先生」。
このワークショップ、アミーゴ先生は意味不明の言葉を連発しつつ参加者20名程に、先ずは画用紙に一本の横線を引かせることからはじまった。
次は、それぞれの「大切な誰かの為に花の種を蒔く」と言うお題を持って、一本の線を引かせる。
そうすっと、そこには色んな線が生まれ始めた。
上だったり、下だったり、真ん中だったり、短かったり、歪んでいたり。
種を蒔くのは、小さな庭だったり、広い畑だったり、海や地球にだったり。
そんなストーリーが生まれ始めた。
アミイゴ先生はそれぞれの作者の話を聞きながら、いい加減なタッチで一つ一つの線にそのストーリーを描いていく。
そんな話をフンフン聞きながら、「そーか、絵とはそういうものなんだ」と参加者は何となく思い始めたはずだ。

次は紙を代えて、「大町を元気にするために何処かに花の種を蒔く」というお題をもらって、それぞれがそれをより具体的に言葉にして紙に書く。
大町の・何処に・何の花の種を・蒔くのかを具体的に言葉にするのだ。
そこで、それを仕上げて行くのかと思いきや・・・・ここで画用紙をシャッフル。
他の人が書いたその言葉が今度は自分のお題になって、それを線で引くのだ。
そんでそれに色を着けるのかと思いきや、またしても作品はここでシャッフルされて、二人の手を渡ってきた絵に僕らは勝手な色を着ける事になったのだ。
絵の具なんて何十年ぶりかで絞り出して、いったいドンだけ絞り出したらいいかも解らない状態の僕。水だってドンだけ加えれば良い感じになるのかもわからない。
久しぶりに嗅ぐ水彩絵の具の匂い、ワクワクとドキドキしながら、でっかい筆で僕は青をいい加減に塗った。
それは木崎湖で、森と、湖を縁取る青い花。
どうして良いのかさっぱりだったが、取り敢えず塗っていく。

そこへアミイゴ先生
「いいね、いいね、この辺、いいね」なんて言いやがる。
「はあ?」
そうか・・・・・・良いのかぁ?・・・・・・・?????。
右上に残った白紙の領域をさて塗るべきか、塗らぬべきか、真剣に訳のわからない直感的思索をアミイゴ先生と張り巡らす。
どっちでも良かったが、僕は薄く滲む様に青を塗った。
廻りの、皆さん、夢中で色を塗っている。技巧的な人、勢いの人、丁寧な人、僕みたいにいい加減で彷徨っている人。
「何でもありだ!」とアミイゴ先生。

そんなこんなして作品達は次々と出来上がった。
みんなが塗り終えた作品を並べて鑑賞しようかと言う時、僕は突然腹が痛くなってしまった。
僕がトイレから戻ってみればアミイゴ先生がその中から4点を選び出していたのだが、なんとその中には僕のあまりにもいい加減な一枚が選び出されて居るではないか。
またしても「はあ?」となってしまった。
「意味わかんねえし」・・・・だよ、全く。
でも、気分はまんざらでもない。
そうか、良いのか・・・・・・・・・・・????
こうして、意味不明のままこのワークショップは終了した。

だけどね、なんかね、みんなそうだったと思うんだけど、心の中にはなんか清々しい風が吹いて居たように感じたのだ。
より仲良くなった様な気がするし。「絵ってなんかおもしれーな。」と思ったのだ。

さて、「麻倉アンデパンダン展」が始まります。「絵への評価は審査員が決めるのではなく、鑑賞者が決めるものだ」という趣旨の元、参加費を払えば誰でも展示できるアンデパンダン展。型にはまって無くて、振り幅大きくて、びっくりしたり、感心したり、上手いから引きつけられる訳でもなくて・・・・・力作が揃ってます、とっても楽しい展覧会です。是非お出かけ下さい。

好みの一枚がきっと見つかるはず。

麻倉アンデパンダン展FB      その2FB

ほーれ、何でも使え!

佇む家具的巨匠

 


赤沼家ブログを開設しました。

2014年09月25日 | 安曇野スタイル

もうすぐ安曇野スタイルの季節。

安曇野スタイル赤沼家ブログ開設しました。

こちらも宜しくお願いします。

今年の赤沼家のパンフレットは雑誌の袋とじ風。

印刷が上がってから参加者全員で切ったり張ったり大変でしたが、ようやく出来上がりました。 

 

 

 

ラトリエ・デサンスは 穂高ビールの醸造所に併設されたフレンチレストランです。

席に限りがありますので、ご入場には予約をお願いしています。

上記安藤あてお電話を頂くか下記メールアドレスをコピペしてご連絡お申し込み下さい。

カツラマズルカ ラトリエ・デサンスLIVE 予約

a_playtones@outlook.com

 

 


明神岳日帰り縦走

2014年09月12日 | ツアー日記

明神の岩峰群

9月3日、 午前3時に上高地西糸屋を出発して未だ明けやらぬ岳沢を登る。深い森は静まりかえっていた。風は無く、樹間からは、ちらちら星が見える。僕らの足音も、照らすヘッドランプの光もその深い闇に吸い込まれていくようだった。

 一般登山道から外れて、明神へのルートへ入ると道はいきなり急坂となる。ようやく白み始めた空の気配も、この深い栂の森に光を注ぐまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。ヘッドランプを振っては踏み後を外さぬよう慎重に登った。時に両手で木の根を掴み、時にクマザサをかき分けて闇を登る。

 ようやく明るくなる頃、ぼくらは明神南西尾根に登り上げた。ルートは相変わらず急坂のままだ。だが、ぐいぐい高度を稼ぐ感じが気持ちが良い。本日の行程は上高地を出て、明神岳を縦走し前穂へ登る。そしてそのまま岳沢に下降し上高地に戻ると言うものだ。日帰りの明神岳はそれなりに体力が充実しているメンバーでないと難しいルートだ。長丁場の上、不安定なルートへの配慮も常に要求される。二峰では懸垂下降も必至。更に前穂高岳への大きな登りが待つ。あせってもしかたが無いが、早めに高度を稼げる事は、少なからず僕らに心の余裕を与えてくれた。

 森林限界を超えると、ハイマツと岩の世界となった。それまでの一筋の道は不明瞭となり、これから迎える岩の稜線を行くにはしっかりとしたルートファインディングが必要になる。ここを訪れる多くの人が、それぞれに道を探し、最適と思うルートを歩く結果、踏み後は網の目のように存在して、果たしてどれが正しいのかと言うことは言えないだが、梓川側はすっぱりと切れ落ちた岩壁である。行き詰まれば岳沢側に活路を見つけながら僕らは進んだ。目の前に三峰、二峰、一峰の岩峰群が次第に迫って来る。

五峰にて登山者を導く古いピッケル

シコタンハコベ

二峰を懸垂下降で

 二峰の下降はすっぱり切れ落ちた岩壁である。ここは2ピッチの懸垂下降ポイントだが、ワンピッチ目は梓川側をクライムダウンし2ピッチ目を懸垂下降とした。もちろん滑落は許されないから、ロープ使用は必至である。奈落の底を見ながらの下降は恐ろしくもあり、また楽しくもありなのだ。しかし、わざわざこんな事をしたくて朝三時に歩き始めてここを訪れる。登山者とはかなり変わった人種であると今更ながら思うのだ。

 無事、一二峰間のコルに達するとカップルの対向者とすれ違った。後から知ったのだが、友人の先輩Kガイドとお客さんだった。コルから躊躇無くするするっと登り行くKガイド。まさに熟練の技である。

 コルからガラガラの急斜面を落石を落とさぬよう登り上げて明神岳主峰に到達した。快晴だった空にはガスが沸き、これから進む前穂高岳の姿を臨むことは出来ないが、ここまで来れば気分は大分楽になる。ルートファインディングさえ間違わなければそれほどの困難もなく前穂まで快適に歩くことが出来る。出発から7時間半、ようやくぼくらは前穂高岳に到着した。今回のお客さんは二人の女性だが、お一人は74歳の女性である。急坂を登り上げる頃から少し辛そうだったのだが、その緊張が一気に溶けて、思わず涙の山頂となった。74歳にしてこの自力と登降意欲、頭が下がる。こんな瞬間に出会う時、ガイドって良い仕事だなあと改めて僕は思うのだ。

二峰を登るKガイドパーティー

 暖かな山頂をゆっくり楽しんで重太郎新道を岳沢へ下山した。一般道とは言え決して侮れない道だ。実際今夏も事故が頻発している。この道を下山路として使う人が多いとは思うが、吊り尾根も含めてかなり難易度が高い縦走路であるのは事実だ。実はこの日も下山中、県警ヘリやまびこ号が飛来した。僕らが前穂山頂付近で出会った登山者の救助のためだが、通報から約4時間後のガス巻く稜線でのヘリ救助であった。一つ一つを確実にこなして岳沢まで下る。

イワキキョウ

 この日時間が遅ければ、岳沢ヒュッテに泊まろうと思っていたのだが、お二人のお客さんも快調だったので上高地まで一気に下ってしまった。所要時間13時間。体力に自信の無い方にはテント泊をお勧めする。


新屋公民館

2014年09月04日 | 安曇野の暮らし

 僕が暮らす安曇野市穂高有明の新屋地区にある「新屋公民館」。地元の人には密かに話題になっているのだが、この公民館、実は鉄道模型の規格であるNゲージのジオラマ用のプラモデル・・・・「公民館」のモデルになっている。鉄道模型を走らせる人達は、軌道の廻りに街や田や山やトンネルなどを作ってリアルな雰囲気を出そうとする。それをジオラマというのだが、その公民館がこれなのだ。

モデルというか、うれしくなっちゃうほどソックリそのまんま。切石で組まれた基礎の形状や、建具のデザイン、雨樋、電気メーターの位置に至まで忠実に再現されている。モデラーのこだわりが伝わってくる。

しかもこの公民館、数年前文化庁の有形文化財にも登録されたのだ。
だから「新屋公民館」は数多ある日本の公民館の中で「THE KOUMINKAN OF KOUMINKAN」と言うことになる。

15年ほど前にこれを壊して建て替えようと言う話が持ち上がったのだが、我ら新屋住民は無反応・・・・・・何故なら、負担金が大きいから。
「敬老会しか使わない建物に、何十万も出せるか!ボロのままでいいわ。」
と言うのがその理由で、結果、ジオラマに選ばれたし、有形文化財にもなったし愛でたし愛でたしというところ。

建設は昭和30年頃と思うが、板張りの外観は昔の木造校舎を思わせる造りで、ポーチには洋館の雰囲気があって、水色のペンキが塗られた建具もそこはかとなくモダンである。しかも建物内には立派な舞台と映写室もあるのだ。
村人がここに寄って映画会などもやってたんだろうなあ。
そう言えばそれは農繁期だったと思うが、僕が小さい頃ここにあった仮設託児所に預けられていた事を何となく覚えてる。

以前ここで音楽ライブをやったことがあったが、僕の天敵のジジイが乗り込んで来て
「お前、誰に断ってここでこんなことやってんだ!」
と言うことがあった。何とか会場外で追い返して事なきを得たが、そのジジイとは今でも天敵関係は続き、あやつが死んだら赤飯でも炊こうと半分マジで思っている。
公民館はどんどん使わなくちゃね。その為の映写室や舞台なのだから。

決して豪華な造りではない。椋鳥や雀が巣を掛けるようなそんな公民館だ。ここでまたライブもやってみたいし、「ニュー・シネマ・パラダイス」なんか上映したらハマリ過ぎだと思うのだ。大切にしたいと思う。

写真を交互に見比べてるとどっちがどっちか解らなくなる・・・・・・・んなわけねーか(笑)


14至福の岩稜 槍ヶ岳北鎌尾根

2014年09月02日 | ツアー日記

 鋭利な鋸刃状の岩稜を持つ槍ヶ岳の北鎌尾根は、あまりにも有名なバリエーションルートである。大正11年の学習院大と早稲田大の初登攀争いも興味深い日本山岳史である。そして稀代の単独行者加藤文太郎が目指した冬季初登攀・・・・そして彼の死。数々のドラマがそこにはある、それが北鎌尾根だ。

 北鎌尾根、このコースの性格は岩登りルートというよりはルートファインディングルートという性格が強い。様々存在するルートを自分自身で見極め、もっとも合理的でしかも満足の得られるルートを選んで登って行くのが、このルートの最大の楽しさだ。 

 十年ほど前になるが、このルートに忽然とペンキマークがつけられたことがあった。北鎌沢の出会いには巨大なケルンとカラフルな籏。北鎌沢のコルには「これからここにペンキマーク付けていきますね、途中でペンキ無くなってしまったらご免なさい、7月某日」の表示。唖然としたが、ここから先、岩という岩に無粋な赤ペンキが吹き付けられ、石ころには赤テープが巻かれて至る所マーキングだらけの状態になっていた。しかもその道はことごとく岩稜を巻く様に付けられ、僕に言わせれば間違ったルートに導かれていた。人は岩峰の前に立つと恐怖を感じ、ついつい巻き道を探す。しかしそんな道は急な斜面のトラバースであり、不安定極まりないルートである。そのマーキングはそんな危険な道に登山者を誘っていた。

 北鎌沢のコルで見かけたマーキングのその日付からすると、それはその時僕らが登った日の二日ほど前に付けられ、僕らがその第一発見者だったのかも知れない。それを槍ヶ岳山荘に通報してその後、この件がちょっとした問題となった。僕は読んでいないが山岳雑誌紙上でも話題となったらしい。

 果たして、ルートファインディングルートにペンキマークはすべきだったのか?

答えはNOに決まっている。自分でルートを見つける楽しさを奪うマーキングという行為は、先人達が通い見いだしてきたルートや、それを繋いでゆく楽しさを奪ってしまう行為だ。立ちはだかる岩峰を目の前にし、我々登山者は恐れおののきそして考える。必死にその弱点を見極めようとする。時にはガラガラのガレ場を巻き、時には勇敢に正面突破を試みる。その、全てを決定するのは自分たち自身であって、それを決めるのは、誰かの付けたペンキマークではないのだ。

 このペンキマークを施した登山者はその後特定された。警察から注意を受けたと言う話も聞いた。北岳バットレスや、前穂北尾根などにもマーキングしてた常習者だった。だが、これは犯罪行為とはならず注意ぐらいしか出来ないのが、現在の法的現状だと言うことだ。国立公園内にペンキマークを施すこと、それは厳密に言えば犯罪にあたる。だがしかし、一般の登山道にあるペンキマークも実は許可を得て施されているわけでもないというのが実際のところなのだ。よって、北鎌尾根にペンキマークを付けた人物を犯罪者とすれば、一般登山道にペンキマークを付けた者も犯罪者としなければならない。だれがそれを管理しているのかは解らないが、一般登山道に関しては行政は「大目に見ている」というのが現実なのだと思う。

 だがこの北鎌尾根の問題は、そこを登ろうとする者達の想像力や自由を奪う行為となるわけで、「マーキングをしない」という先人達の歴史の住み上げをぶち壊してしまう思慮を欠いた行為であったと思う。この後大天井ヒュッテのK池さんらが北鎌に通い、ハンマーで岩をこつこつ叩いてペンキマークを消してくれたのである。お陰で今ではその痕跡を見いだすことは殆ど無い。 

北鎌尾根独標

大豊作の予感 クロウスゴ

 第1日目は北鎌沢の出会いにテントを張り寝た。今年は、雨が多いから、普段は枯れてしまっているこの辺りの沢には水がじゃんじゃん流れている。何年もここに通っているが珍しいことだ。今年の夏は山全体が濡れている、そんな印象だ。ひとたび雨が降れば沢筋はあっという間に増水する。沢での行動は気をつけなければいけないなと考えた。

 急峻な北鎌沢右俣を登り上げると、猛烈なブヨのい攻撃にあった。ここはいつもそうだが、それは恐怖を感じるほどで我々の廻りにはひとりあたま数百匹~千匹のブヨが群がっている。払っても払ってもやってくる。虫除けスプレーをしこたま振りかけるが、殆ど効く気がしない。耳辺りが一番やられるので手ぬぐいを巻いて耳を隠し、とにかく、あまり立ち止まらないよう歩き続けるしかない。立ち止まる者は彼らの格好の餌食となる。

 コルから北鎌尾根をなぞる。天狗の腰掛け、独標、北鎌平への岩稜・・・・・ルートは様々ある。「ここは危ないよね」と思う所にも、はっきりとした踏み後があって、殆どの人がそっちに向かって居るようにも推察される。人は恐いと思うとつい巻き道を選択をすることが多い。その結果、更に恐い思いをし、独標の山頂にも登れず、終始北鎌尾根を巻いて終わると言う人も結構いるのだ。

 不安定な今年の夏ではあるが、この日は快適な登攀となった。テント泊をしているから時間に余裕もあるし、好天が僕らに心の余裕を与えてくれた。危険な場所はロープを使い万全を期して、一つ一つの岩場をこなしていく。人間ズレしていない北鎌の雷鳥にもじっくりと遊んでもらった。そしてそれを狙う猛禽の影。

「だめだよ、こんなところに居たんじゃ、早く隠れなよ」

 クゥクゥ心配そうな親鳥の声、ピヨピヨ呑気な雛たちは、意外と物怖じせずに至近距離まで僕のカメラが近づくことを許してくれた。

 北鎌平を過ぎると、そこは草木の一本も無い岩だらけの世界となる。累々と積み上げられた黒い岩の積み木。乾いた岩の感触はザラッとしてフリクションはバツグンだ。巨石の森を、もっとも合理的に歩こうと考え道を見極める。この何とも言えない楽しさ。時々、大きな岩が動いてゴトッと音を立てる。でもそれは崩れるようなものでは無い。それはゴーロ独特の音、その音が心地いい。

 槍ヶ岳山頂直下のチムニーをロープで登り、僕らは山頂に達した。思わずガッチリと固い握手。お客さんのその手には喜びの力が漲っていた。山頂には一般道から登ってきた10人ほどの登山者が居て「凄いですね、北鎌ですか?」「格好いい!!」と僕らを労ってくれた。そんな歓迎は北鎌尾根を登って来た怖さと苦労を溶かし、僕らに至福の時を与えてくれる。だから僕はこのルートはテント泊をする。夕方の誰も居ない山頂はドラマに欠けるからね。

 ずっと晴れない今年の北アルプスだが、この時ばかりは素晴らしい表情を見せてくれた。祝宴の後の夕日が僕らを再び高揚させた。翌日の下山日、上高地までの道すがら、湧水には目が痛くなるような青空が映る。そしてそれは森の中に深い影を作っていた。

ミヤマモジズリ

14至福の岩稜 槍ヶ岳北鎌尾根