リンゴさんごめん
どうしてもほしくなってしまった古いフィルム一眼レフカメラをようやく手に入れた。
PENTAX MX
1976年発売の露出計内蔵の機械式カメラである。
機械式だから、電池が無くてもちゃんと撮影が出来る。
電池は露出計を作動させる為だけに使われる。
ジャンク品扱いのモノを破格で手に入れたのだが、モルトという遮光材がボロボロになっていて、そのままではあちこちからフィルム室内に光が漏れて使えない状態だった。
ネットで調べてモルトを購入、自分でなんとか修理をした。
引き出しに放ってあった、おそらく5年ほど前に消費期限の切れたコニカのネガ400(なんと、今は亡き、コニカです)をMXに装填し試し撮りをしてみた。
ペンタックスMX&50mmf1.2レンズ&コニカフィルム
どうだろう?
デジタルカメラにはないこの感じ。
ISO感度が400だから、ざらついた感じは仕方が無いというか、それがまた良かったりして。
てか、まず、5年前に消費期限が切れたフィルムで普通に撮れるのが驚きである。
でも、この色、風合い、撮った端から懐かしい感じがする。
ああ、フィルムカメラってこんな感じだったよな。
デジタル画像を見慣れた目にはやけに新鮮で、どこかリアリティーが欠如していて、新しい写真なのにあたかも時を超えてきたような、そんな印象がフィルムにはある。
最近、二つの写真展を見に行った。
一つは、新穂高ロープウェイの鍋平ビジターセンターでの「小池潜山岳写真展」
もう一つは松本風雅での「横内勝司ガラス乾板写真展」
そのどちらもが、びっくりするほど素晴らしいものであった。
小池さんの山岳写真は、大判カメラで撮った大迫力の作品群。その大きさと深い描写に僕は圧倒された。
横内勝司さんのそれはなんと昭和初期のもので、最近になって、大量のガラス乾板写真が発見されたのだ。
重いガラス乾板を山に持ち込み、あるいは、当時の農村の暮らしを優しい視線で切り取ったスナップ写真といえる作品群。
逆光を多用したその写真には必ず自然に写り込む人物がいて、子供達の屈託の無い笑顔は、現代に暮らす我々の心を打つ。
昭和初期にこんな感覚で写真を撮っていた人が居たことに本当にびっくりした。
26歳から亡くなる33歳までのわずかな間に撮影された、暖かく実にモダンな写真展だった。
写真て解像度だけじゃないんだなと思う今日この頃なのだ。
フィルムもまた撮っていこうかなと思う。
クラリネット
スミレ
名も知らぬ花
海ノ口駅
バカの発芽
楽譜を書く人
メキシコの魔除け
満ちる香り
黄昏のギター
君はこの小屋三代目
70’GUITARS
揺れる大麦