山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

カツラマズルカCDリリース長野ツアー

2013年09月27日 | 音楽

 9月23日から26日まで4日間、僕は音楽浸けになった。東京から「カツラマズルカ」というプロバンドを招いて、僕のバンド「プレイ・トーンズ」と穂高、上田、松本、そして、「ダルゥ」というバンドと長野での連日公演を行った。会場は、カフェだったり、パン屋さんだったり、すべて小さな場所。しかし、僕らがやっているような音楽にはむしろ、こんな場所のほうがが似合っているのだと思う。生活の場にあるような音楽、大げさではなく手の届くところにある音楽、楽器の音そのものを楽しんでもらう様な音楽、そんなものが僕らには似合っている。

簡単な打ち合わせで、初めて演奏する曲が出来上がる、それは魔法のようなもの

長野 日和りカフェにて

長野日和りカフェ

 僕は、中学生の時にギターを始めて、未だにそれを弾いている。考えてみればもう相当弾いているんだなと改めて思うのだが、ちっとも上手くならないのが悩ましいところだ。だけど、継続は力なりというか、段々凄い人達と知り合えて、一緒に演奏させてもらう機会が少しずつ増えてきた。

 カツラマズルカは東欧系のジプシー音楽をベースにオリジナルを中心に演奏する三人編成のバンドだ。軽やかなアランのアコーディオン、重厚な岩原アブさんのチューバ、上り詰め飛び回る多田さんのサックス、ひとたび聞けば僕らの心はヨーロッパの街角に旅をする。三人とも素晴らしいプレーヤーだ。数年前から友達になって、今年の三月には、僕の家の自作スタジオでCDを録音してくれた。今回はそのCDの発売記念信州ツアーなのだ。是非、皆さんにも聞いて頂けたらと思う。

 

気鋭の女性サックスプレイヤー 多田葉子

カツラマズルカ(カツラは頭に載せるアレ、マズルカは踊りのこと)踊るカツラ?

僕はずっと音楽を辞めないのだと思う。いや、実はそれを生活の中心にしたいなどと心の片隅で未だ思っている。うつけ者め。

岩原”アブ”智

変な日本語がとてもキュートな アランパトンと恐い顔の赤ちゃん人形 ボブ錦 彼が作り出すのはヨーロ寓話の世界。

穂高ひつじ屋

別所温泉駅

上田ルヴァン

ノリノリ 多田葉子

ルヴァンの番頭はんとたまたま同じ「雨にも負けずTシャツ」でパチリ

そうそう、今回の3バンドで、東北ツアーをやろう!なんて話がちらほら出ている。ワクワクするなあ、音楽は旅なのだ。

潤んだひとみの説得力(ルヴァン店内)


中秋の名月 剣岳北方稜線9月18~20日

2013年09月22日 | ツアー日記

りんどう池付近

 立山室堂から雷鳥沢に向けて歩いていくと、みくりが池のところで地獄谷へのルートを分ける。しかし、ここは震災後、異常な火山性ガスの噴出が続いているため現在立ち入り禁止となっている。分岐には新たに鉄製の頑丈なゲートが設けられ、事の重大さが見て取れるのだ。みくりが池山荘の先へ進むとりんどう池にいたる。ここは、まさしく死の谷と化していた。今年の7月訪れたときは、まだ命を繋いでいたはずのハイマツや、ミヤマハンノキやチングルマがことごとく死滅して、かろうじて、ガンコウランとか、クロマメノキが生きながらえている。この谷は、地獄谷からの噴気が西風に煽られて、最も濃度高く入り込むところだ。この日は、風が室堂駅方面に流れていたのでよかったが、いつもなら、鼻はツンツン、目はシバシバとして、息を吸い込むこともはばかられる様な強い亜硫酸臭がする。

 100年来起きなかったことが今この足下で起きている。長い宇宙の営みの中で、僕ら人間がその目に出来る事がらは、ほんの塵の一粒にも満たないものなのだろうと思う。だが、そんな小さな出来事にさえ僕らは翻弄され、恐れ、終いには畏敬の念を抱かざるを得なくなる。おそらく、薄氷一枚程の微妙な環境の上に僕らの命は繋がれている。そしてそれは、まさしくこの世が奇跡の場所なのだということだと思う。

枯れたハイマツそして地獄谷の噴気

剣岳

 佐伯友邦さんだ。言わずと知れた剣の主だ。誰がなんと言おうと。僕はここ剣岳に訪れる場合、友邦さんが経営する剣沢小屋を利用している。ここに顔を出さずに、剣沢を通過すると言うことは出来ない。と言ってもそれは、決して威圧的なものではなくて、友邦さんの物静かな優しい笑顔に引きつけられるといったものだ。

 僕がまだ若かりし頃、友邦さんに少しぶっきらぼうな富山弁で声を掛けられた。

「あんた、なんで声を掛けていかんが?あんた、ガイドやっちゃ?」

剣沢雪渓は、毎年その状況が大きく変わる。それは日々変わっていると友邦さんは言う。知ったかぶりをして、お客さんを連れ雪渓を下ろうとしていた僕は、己を恥じた。そうなのだ、非常に不安定な雪渓だから、それを知る人の話は聞いていくべきなのだ。実際10年ほど前になるが、ツアー登山のガイドが、雪渓を踏み抜いて未だに行方不明となっている。秋に向けて雪渓は次第に薄くなり崩壊していく。それは、毎年同じものではない。

 友邦さんと息子さんの新平君は、日々ここを通過する登山者に道の状況を説明している。手書きの地図をコピーしたルート図に赤ペンで書き込みながら、一人一人に丁寧に説明してくれいるのだ。そのために数日おきに現場を見に行ったりもしている。それは、実に大変な事だ。ここ剣岳を知り尽くしているからこそ、その情熱は失われないし、この親子の誠意に守られて僕らは安全な登山が出来ているのだと思う。頭が下がる思いだ。

佐伯友邦氏

 この一見ホームレスのおじさんみたいな人は国際ガイドの多賀谷治氏だ。(多賀谷さんごめんなさい!)よく見れば、サングラスもかっこよし、タオルのかぶり方だって普通じゃない。(少しもちあげて)そんじょそこらのホームレスとは訳が違う、正真正銘の剣沢のホームレスなのだ。(またまたごめんなさい))しかもあの長谷川恒夫の弟子なのだ。少し体調を崩してしまい、その体調管理のためテント暮らしをしているのだという。

2008年7月初旬、別山乗越を越え室堂に下山しようとしていた僕に、多賀谷さんが声を掛けてくれた。

「あんた、ちょと手伝ってくれんかのお?」

折しもその時そこには、「剣岳 点の記」の撮影隊が居たわけで、撮影は佳境を迎えていた。多賀谷さんはそのガイド統括をしていて、ガイドが足りないと言う事だった。それであちこちで見かける僕に、とっさに声を掛けてくれたらしいが、お陰で僕は翌日から「点の記」の撮影隊に混ぜてもらう事になった。

 浅野忠信、香川照之、松田龍平、仲村トオルなどなど、蒼々たる人気俳優さん達と大がかりな撮影隊、ガイドを含めた総勢は50人を越していただろう。その撮影隊が、寝食を共にして移動しフィルムを回していく。木村大作監督の現場主義が貫かれ、わざわざその場に行って撮影が行われた。天気が悪ければ停滞。山小屋がいっぱいの時は、テントにも泊まる。僕が関わらせてもらったのは、ほんのわずかな間だったが、始めて体験する貴重な経験だった。

 久しぶりにお目に掛かったし、体をこわしている事も聞いていたので思わず僕は彼にハグをしてしまった。そのからだは少し痩せたようだが、その明るく力強く、そして少し悪戯っぽい笑顔は健在だった。多賀谷さん、感謝してますよっ!、頑張ってね。

多賀谷治氏

鹿島槍

 二日目、剣岳の岩場の渋滞を避けて、僕らは早朝に出発した。天気は雲一つない快晴。夜が明けると、うっすらとたなびく朝靄に太陽の光が透けて、レンブラント光線が美しい。朝焼けがそれほどでなくても、これだけのクリアーな光を浴びて、岩稜を行くのはとても気持ちがいい。心の底に吹きだまった、訳の分からないもやもやした糸くずみたいなものが次第にほどけて、風に飛ばされていく。そんな感じだ。この日は終日晴れ。僕らは剣岳頂上を越えて快適に北方稜線を北へ向かう。

剣御前 遠く薬師岳

レンブラント光線

我らの影 前剣の門付近

八つ峰のクライマー

氷河小窓雪渓

 池ノ谷ガリーを下り三ノ窓、そして小窓の王を巻くと小窓の領域に入る。小窓雪渓は、近年それが氷河であることが証明された。要するに、この雪は時と共に下流へと動いているのだ。通常の雪渓は動くことはない。氷河と思うとそれだけで、なんかドキドキするのだが、その姿は昔と変わらない小窓雪渓だ。傾斜は緩く、敢えてアイゼンなど必要ないが、あった方が快適かも知れない。

 小窓雪渓から鉱山道に入る。結構緊張するトラバーズ道だ。この鉱山というのは、大正から昭和に掛けてあった、池ノ平モリブデン鉱山の事で、池ノ平小屋の菊地さんによると、採掘のピークは3回あって大正、太平洋戦争中、そして朝鮮戦争のころだという。特に、大正期は世界一のモリブデン鉱山であったという。小屋周辺にはいくつかの坑道があって、そこから掘り出した原石を砕いて、モリブデンを剥離させ集めて、背負い降ろしていたらしい。モリブデンは鋼材に混ぜると、耐熱性があがり、エンジンのピストンや回転部分、銃身などに使われた。ここで採掘されたモリブデン鉱が、零戦へとつながり、やがて、知覧へ、そして、朝鮮半島分断へと続いているのだ。

モリブデン原石

バッタくん

ルリボシヤンマ

十五夜の月に八っ峰

 池ノ平から、本日の宿仙人池ヒュッテへ。ご覧になっている写真は幻でもトリックでもない。そのまんまだ。僕は、この裏剣の景観は、日本屈指の絶景であると思っている。では、他は何処かと聞かれたら、どこと答える事は出来ないのだが、ここだけは絶対外せないと思うのだ。裏剣の大岸壁が、鏡のような仙人池に映る。朝な、夕な、夕焼けや朝焼け、雲や星を背景に、この世のものとは思えぬ光景が僕らを魅了する。これはもしかして、幻ではないのかと疑念を持つほどである。でも、ここに数日間滞在する常連さんのカメラマンは、ここのところ天気が良すぎてまったくつまらんという。毎日同じだと。こんな、素晴らしいのにね。そう、彼らが待っているのは、本当に全てが完璧に仕組まれた、奇跡の一瞬なのだろう。健闘を祈る。

朝日を浴びる裏劔

完璧な鏡面そしてシンメトリー

 最終日、僕らは仙人新道を下って二股から剣沢をしばらく登り、梯子谷乗越を越えた。下ればそこは、黒部の隠れ里、蔵之介平だ。年々道が悪くなって、若しかしたら、北方稜線よりも緊張する道を下って黒部川へ出会う。水平道を遡れば黒四ダムだ。人の行き来も稀な静かな山道からいきなり、観光客でごった返すトロリーバスの駅舎に入ると、いつも僕の心の中には小さな混乱が生まれる。果たして、どちらが本物の世界なんだろうかと。

紅葉?・・・・・・オオカメノキ

 

 

 

 

 

 

 


BS TBS笠ヶ岳撮影隊同行9月12~14日

2013年09月22日 | テレビ出演

 前回の6月の甲斐駒ヶ岳撮影同行に続いて、今回笠ヶ岳に同行させて頂いた。演者はあの「荻原次晴」氏。世界の荻原は意外と小柄だった。聞けば身長170センチとのこと。だが、やはり、体が違う。全身モンチュラで固めたその体からは、一目でだた者ではないと言う事が伝わってくる。決して太くはないのだが、締まっていて、いかにもバネのあるような感じ。現役時代は、ハンパ無かったのだろうなあ。実はこの日の夜、笠ヶ岳山荘で、彼の上裸(上半身裸のことね)を見ることになるのだが、僕は思わず恋に落ちそうになったのだ。・・・・・・・・・・ウソウソ、その気はございません。

 次晴さんは、結構砕けたところがあって、僕らガイド二名はそこにいなかったのだが、一行が夜行バスで新穂高の駐車場に到着したとき、いきなり、彼の思い出話が始まったのだそうだ。そうそれは、彼の青春の淡い思い出。皆さん聞きたい?・・・・・・・・教えなーーーーーい。

 歩きながらオリンピックのこと、スキーのこと、兄健司氏のことなどなど他にもいろいろ聞かせて頂いて、男同士かなりぶっちゃけた感じで歩けたので楽しかった。そこにいたのは、遠い存在であるスターとしての荻原次晴氏ではなくて、一人の人間としての荻原次晴君という感じだった。

 しかし、やっぱり、慣れているというかなんというか、ディレクターの要望に応えて、即座にコメントを考えカメラが回るとよどみなく語る様は、流石としか言いようがない。今回僕なんか噛みまくりで、あれで大丈夫なんかなあと、今更ながら心配だし、未だに変な汗がにじみ出てくる。こういうの、やはり僕は向いてないと思う。

 撮影隊は、前回とプロデューサーの山本さんとカメラマンが一人同じだけで、後は全員総入れ替え。次晴さん、プロデューサー、ディレクター、カメラマン二人、音声さん一人、ディレクター、ADさん、撮影補助、ガイド二名、総勢10名の撮影隊だ。

 心配していた天候はどうも芳しく無くて、杓子平手前では雨も降り始めて、精密機械を扱う撮影には過酷な状況となる。しかし、カメラマンは丁寧に様々なカットを切り取っていく。大変である。僕などはこんな時、カメラを取り出すのも不安でいやだと思うのに。実際僕はこの日、殆ど写真を撮らなかった。

 なんの展望もない中撮影隊はつづき、笠ヶ岳山荘到着は17時頃となった。そんな状況でもスタッフは最善を尽くし、いい絵を撮ろうとしていた。あの、状況でどのような番組を作り上げるのか、楽しみである。

 さて、今回の報告はここまでとしよう。後は放映をご覧頂きたいと思う。放送は

10月12日(土)21時

BS TBS「日本の名峰、絶景探訪」笠ヶ岳

http://www.bs-tbs.co.jp/meihou/

荻原次晴氏 凛々しく ちょっとかっこつけ

カメラさん、音声さん

ディレクター、ADちゃん(そのピースサイン、それ今時の若いこでしょ?)

沖縄のおばあに写真送るんだぞ

チングルマと槍ヶ岳

山には色んな人の深い思いがある、合掌。

ベニバナイチゴ

ツルリンドウ

オオカメノキ

ミヤマガマズミ

 


ついにみっけ、コウタケ

2013年09月21日 | 安曇野の暮らし

 ついに見つけた!憧れのキノコだ。僕は小躍りした。

その場所は・・・・・・・・・・・なんと、大町温泉郷薬師の湯の玄関先の直売所で。残念ながら、自分で採ったものではない。1パック1,500円也。風呂に入る前に3パックあるのを見ていたが、湯船に浸かっていると、先に誰かに買われてしまったらと不安になり、さっさと出てきて購入したのだった。
 名を「こうたけ」(香茸)或いは「シシタケ」(イノシシに似るから)
その名の通り、独特の香りを持つ。陰干しにして、炊き込みご飯にするさらに香りが増すという。大きなものは笠の直径20センチ、軸は4センチぐらいある。

 とりあえず、一本を天ぷらにしてみたが、とにかくうまい。マイタケをもっと、濃厚にした感じと言えばいいか。食感もしゃきしゃきして楽しいし、文句なく一級品のキノコ。これはもうこの世の神秘を頂くような雰囲気なのだ。

ああ、自分で採りたい。いつか必ず、絶対採ってやる。


松原幸子 ガラス展 「Dへの手紙」

2013年09月18日 | 安曇野スタイル

9月7日(土)~9月29日(日)  松原幸子 ガラス展 「Dへの手紙」
松原幸子さん渾身の個展です。是非お出かけ下さい。

シュタイネは安曇野の森の中にあるとっても素敵なギャラリーです。

http://steine.jp/


 少し時間が出来たので、安曇野スタイル赤沼家の運営をズッとやってくれている、松原さんの個展を見に行った。安曇野の森の中に佇む、ギャラリーシュタイネはオーナーのセンスの良さが感じられるとてもおしゃれなギャラリー。

 松原さんの作り出す緻密な作品群は、見るものを圧倒する。地味な作業の繰り返しが、美しいものを作り出すには重要なことだと感じる。

ものを作れる人が羨ましい。

是非お出かけを。



http://steine.jp/
 


北穂高岳東稜と前穂高岳北尾根登攀9月9~11日

2013年09月17日 | ツアー日記

 快晴の中僕らは北穂高岳東稜に取り付いた。メンバーはお客さんお二人と、前日涸沢小屋で一緒になった西穂山荘常務の粟澤さんと僕だ。前日僕らが涸沢小屋のテラスについたとき粟澤さんが、お供の従業員君といっぱいやっていた。

「あれーー!粟澤さん、なにやってんの?山荘は?」

聞けば、今朝、西穂高山荘を出てジャンダルムを越えここに着いたという。明日はどうするの?と聞いたら、仲間とここで待ち合わせて北穂の東稜へ行こうと思っていたのだけれど、のっぴきならない事情でキャンセルになったから帰ると言う。じゃあ、僕らが明日行くから行きましょうよ、ということで、即席チームのできあがりとなったわけだ。

 北穂東稜と前穂北尾根はよくセットで登られる、バリエーションの大人気ルートだ。東陵は「ゴジラの背」があまりにも有名な快適ルート。乾いてしっかりした凝灰岩は、ざらっとした感触で、フリクション(摩擦)がよく効いてとても気持ちいい。クイクイッと登る感じ。

 ゴジラの背では、後から登ってきたとてもキュートな女性ガイド「れいな」ちゃんご一行様と別の二人組が一緒になってプチ渋滞が発生、僕らは先に行かせてもらった。ゴジラの背は両側がすっぱり切れ落ちた岩稜だから、ここだけは、しっかりとロープをフィックスして確実に越える。最後いったん小さなコルに下るのだがここもロープを使ってクライムダウンし、核心部はおわった。あとは北穂の小屋目指して岩稜を登っていくと北穂の小屋だ。ここで松本へ下山する粟澤さんと別れ、時間もあるし、奥穂の小屋まで縦走して涸沢小屋に戻った。

高度感バツグン

 ゴジラの背

すっくと立つ凛々しき雷鳥

グラスの底には涸沢テント場、すすむんだなあこれが

 翌朝は朝弁当でヘッドランプで出発した。昨日の渋滞を考えると、一番乗りが得策と思ったからだ。ちょっと見回しただけでも4パーティーは確実だし、核心の三峰辺りで待つのは辛いから。お陰で、素晴らしいモルゲンロートに出会う。常念山脈から未だ登り切らない太陽が、穂高の岩峰を真っ赤に染めて、お猿の顔も真っ赤っかだ。

 五六のコルで先行の二人を追い抜いていよいよ北尾根の登攀にかかった。五峰は難なく越えるが、四峰は少しややこしい。ルート取りによっては難易度が高まるし、抜けそうな岩が沢山あって変な緊張感を感じる上りだ。通過方法は全く人それぞれ、ガイドによってもみんな違っているのかも知れない。

 四峰に立つといよいよ三峰がそそり立っているのが見える。ここが北尾根の核心部だ。ワンピッチいっぱいの(ロープの長さ50メートル)下部岸壁と、上部はいくつかのチムニーで構成され、クライミング要素が強いしその高度感はバツグンだ。こんなところ登れるの?と感じさせる威圧感がある。

 少し休んでから気合いを入れて岩に取り付く。後続は未だやってこない。先行も居ないし、追われる事もない。空は深く蒼く風はそよぐ程度だし、カリカリに乾いた岩はフリクション(摩擦)が効いてすこぶる気持ちがよい。三峰岸壁の狭いバンドを斜上すると、奥又白側はすっぱりと切れ落ち凄い高度感が味わえる。天下のディズニーランドにだって、こんなアトラクションはあり得ないし、これは山をやる人間が精進の末に味わうことの出来る特別な体験なのだ。上部で支点をとってお客さんを迎え入れる。確保点からは登ってくるお客さんは全く見えないが、落ち着いて登ってくれているようだ。僕が引くロープが順調に上がってくるのが解る。顔が見える、お客さんはニコニコだ。ほっと一安心、ガイドって良い仕事だなあと思う瞬間だ。

 上部チムニー群は短いピッチの連続なので、お互いが見えるし安心感がある。ワザワザ難しそうなところを登ったりして楽しんで登る。何もかも、全てが岩だらけだ。

 三峰を越えるとそこは直ぐ二峰だ。一二のコルへクライムダウンで慎重に下れば、後は一峰に登るだけ。頂上は目と鼻の先だが、ここで安心してはいけない。以前のことだが、この一峰へ登る時のこと、お客さんと未だロープを繋ぎあったままの状態で僕らはリラックスして一峰へ登っていた。その時、僕がなにげに手を掛けた小錦関ほどの岩が、ゆっくりと、まるでそれはスローモーションの如く動き出したのだ。

「逃げろ!」

 僕は叫んだ。その大岩はやがて転がり始めお客さんの直ぐ脇をかすめて奥又白側にすさまじい音を立てて落ちて行った。血の気が引いた。震えが止まらなかった。幸いにも、大事には至らなかったが、繋いだロープごと引きずり込まれる可能性もあった。大きな岩だからといって、全てがそこにデンと構えているわけではなくて、微妙なバランスの上ににかろうじてそこに座っているものがあるの。岩登りと言う行為のリスクには、そう言ったどうしようもない要素もあるのは事実だ。自分の技量とは別に、これは運みたいなものなのかも知れないが、そういったものに出会ってしまう事がある。しかし実はそれが、僕らが山に惹かれる最大の理由なのかも知れない。要するに「ハイリスク、ハイリターン」ってこと。安全ばかりを考えるなら、山なんかやらない方がいい。でしょ?

垂壁、おしっこチビリそう!

 慎重に登って前穂の天辺に到達した。ガッツポーズ、そして、握手。一般道から登ってきた登山者の方にシャッターを押してもらう。最高の気分だね。心の底からほっとするこの瞬間、僕はこの瞬間が大好きだ。

 秋の気配を感じさせる蒼い空の下、岳沢へ下る。甘く見ているわけではないが、一般道ってなんて楽なんだろうと思う。すいすい、ぴょんぴよん、イケナイいけない、調子に乗ってはいけません。

秋の気配が

 岳沢では、支配人の坂本君は水場に出かけていると言う事で会えなかったが、キベリタテハ(黄縁立羽)が僕らを迎えてくれた。蝶は大概近づくと逃げる。だが、彼らには何か目的があって、そこへ来たくて仕方が無いことがある。以前に撮った、カラスアゲハはどうしても水たまりの水を飲みたかった。そして今回この子の目的は、僕のザックの汗を吸いたくてウロチョロしているようだった。僕はザックの脇でモノになりきってしばらく待つことしたが、案の定彼はやって来て肩紐にとまってちゅうちゅうやり始めた。でも、未だ我慢する。しばらくして、カメラを向けたが、もう彼は僕のことなんかさほど気にしていない様子だった。何枚か撮影して満足した僕は、ちょっと悪戯心が沸き上がった。そーっと彼の触覚に触る、彼は逃げない。羽の先に触れてみる、まだ全然大丈夫。閉じた羽を押して、彼が横倒しになるぐらい押してみる、が、これも平気。一心不乱に、僕のザックの汗を長い吸い口を出して吸っている。よほど僕の汗が美味しいのか、恍惚の表情を浮かべて(実際解りませんが)汗を吸うキベリタテハ。かわいさを通り越して、愛おしささえ感じる。なんか悪い気はしない。キベリちゃん、その後、下痢しなかったかい?

ミヤマシシウド 高級なレースのようだ

 今回は、翌日からのBS TBSの撮影の関係で一日日程を早めての催行だった。結果、最高の天気での登攀が出来たのはラッキーだった。翌日は雨模様。Sさん、Fさんありがとうございました。

風呂に入り松本駅解散。あーー満足。

 

 


上高地から横尾へ その道すがら

2013年09月16日 | 雑感

 9月に入って秋雨前線が日本列島を行ったり来たりするようになって、山では雷が轟いたりバケツをひっくり返した様な雨が降ったりの日々が続いているが、晴れた日はすこぶる気持ちが良い。ひとめ涼しくなった上高地の風はさらさらで、じんわりとかいた汗を何処かに持ち去ってくれる。

 上高地から横尾へと向かうこの林道を、僕はいったい何回往復しただろう。一年間に10回やそこらは歩いているから山を始めて三十年を越すと考えると、300回は歩いた計算になる。片道11キロ、締めて3,300キロ。よく歩いたものだ。いまでは、そのカーブの一つ一つ、或いは、上り下りの様子まで、だいたいわかってしまっている。解ってしまっているというのは悲しいもので、新鮮さに欠けると言う事であり、ドキドキしないことである。全てが見たことのある日常のものであり、つい最近再びカメラを持ち歩く様になるまでは、僕は下ばかりを見つめながら歩いてた。だが、カメラを片手に歩くと、いつもの日常の風景が違う見え方をしてくる。一つ一つの花とか葉とか水の流れや、蝶や虫たちにも感心が向いて、キョロキョロ見回しながら歩くのはとても楽しい。美しいものとは何も新しいものを見た時だけ感じるものではなくて、元々美しいものは美しいのだ。

 毛繕いをするキジバトのペアを見た。手のひらを広げるように羽を広げては、首を曲げてくいくいっとやって、顔を上げる度に見つめ合ったりしている。その動きは規則的でまるでダンスをしている様に見える。こんな事も僕は始めて見たのだ。300回も通って、キジバトのこんな毛繕いダンスを始めて見たのだ。キジバトなんてどこにでもいる、つまんない鳩だと思っていた。でも、その動きは美しく、リラックスしたその姿からはお互いを信頼しあっていると言うのが伝わってくる。多分始めて僕はそれを見たのではない、僕はそれを見ようとしていなかっただけなのだ。

 横尾から本谷橋へ向かう途中、大阪毎日の河村君に出会った。山を歩いて知人に出会うのは珍しくないことだが、もう20年以上付き合いのある奴だからやっぱりうれしい。いい顔してやがる、思わずハイタッチ。彼は昨年山の帰りに家に遊びに来てくれた。夜中まで二人で酒を飲んでギターをかき鳴らして歌を歌って、うちの長男に

「うるさーい!」

と怒られた。未だに山を歩き続けている男、音楽と酒を愛する男、この世というものが分からなくて何処かフワフワとした感覚を持つ男。僕はそんなものに興味を持つし、惹かれるのは全てそんな人々だ。でもそれは、きっと僕自身がそんなものなのだからだ。

 

めーっけ!・・・・・・誰かのいたづら かわいいね 

 

 


北穂東稜の雷鳥親子

2013年09月16日 | 蝶よ花よ獣たちよ

 先日のツアーで北穂高岳東稜で雷鳥の親子に出会った。一般ルートに比べて行き交う人も少ないルートだけに、落ち着いた雰囲気の雷鳥親子だった。最初に見つけたのは母親で、僕らの右側の岩にすっくと立って、常念岳辺りを見つめている。そして「クウッ、クウッ」と雛たちを呼んでいる。3メートルぐらいの至近距離で、岩の上に立ち込んでくれて、その向こうには遠い山肌。最高のロケーションで撮影が出来た。その姿は凛々しく気高く美しい。表現しがたいが、野生の持つ力強さと言うようなものがにじみ出ている。しかもスタイル良しのかなりのベッピンさんだ。夢中でシャッターを切った。雷鳥を見る機会は結構ある。毎日見ていると言っても過言ではない。だけど、この雷鳥はちょっと違って見えた。

 そうこうしていると、後から「ピヨピヨ」言いながら、五羽の雛がやって来て、母親とは反対側、つまり、僕らが親子を隔てる様な形になってしまった。雛たちは僕らのことなんか全く気にしていない。そこら辺の草をクチバシでつまんで「ピヨピヨ」鳴いている。少し慌てた母親は、雛のところにやって来て、立ちはだかる様に僕らをキッと見据えて胸を張った。

「私の子供達に手を出さないで」

毅然とした態度で僕らを見つめる。しかしそれは、睨み付けると言うようなものではなく、とても穏やかなものだった。

 あと半月もすると、雛たちは親鳥と同じような体格まで成長する。どちらが親なのか、一見では殆ど解らない。しかしそれでも尚、雛たちは「ピヨピヨ」鳴いている。9月も後半になると、3000メートルの稜線では雪も降り始める季節だ。しかし、彼らは初めての北アルプスの冬をしかっりと乗り越えるのだ。そして大人になる。


諏訪湖新作花火発表会

2013年09月09日 | 雑感

 聖岳、光岳ツアーからの帰り中央道を走っていると、ラジオが今日は諏訪湖の新作花火大会だと言っている。8月行われる諏訪湖花火大会も有名だが、今回は全国の煙火師が、新しい発想でつくりあげた自慢の花火を打ち上げるコンテストである。疲れているし諏訪インター直前だったので、どうしようか迷ったあげく、来れも何かの縁だと思い、僕はハンドルを左に切った。夕方6時を過ぎていたが、諏訪湖までの道は意外に空いていて、スルスルッと南側の湖畔に着くことができた。路駐してカメラと三脚を持って撮影ポイントを確保した。早くから、シートを置いたり、キャンプ椅子を置いたりして場所取りをしている人もいたが、意外とガラガラでどこからでも見えそうな感じだった。湖面を隔てて対岸に豪華絢爛の新作花火が・・・・・・と思っていたら!なんと午後7時から始まった花火は諏訪湖方面ではなく、全く思い描いた方向とは違う、陸地方向から上がり始めた。どうもここは、お上りさんが集まる素人ポイントだったようだ。どおりで空いていたはずだ。みんな、ぞろぞろ花火の方向へ移動する。

 半分意気消沈して延々歩く気もしないから、僕は近くのトレーニングジムの駐車場の植え込みの隙間から花火を見る羽目に。一人だし、シャッターを押すリモコンもないし、三脚はインチキなふにゃふにゃなやつだし、シャッターを押す度確認するが、まともなものが一向に撮れない。途方に暮れていると、今度はヤブ蚊に教われ足は痒いし、帰りの大渋滞も心配になってきて、もういやになってさっさと帰る事にした。

 でもこんなに早く帰る事になったそのほんとの原因は・・・・・・・それは多分、僕がもはや人が打ち上げる花火を楽しめない人間になってしまったと言う事だろう。いろんな条件が悪かったのかも知れないが、僕は人が作り出した花火を楽しんでいない。絢爛豪華な新作花火大会になにか醒めたものを感じてしまう。

 だが、今年8月、カナダからやって来たニコとみつよ親子と近所で買ってきた花火をみんなでやった時はとても楽しかった。ロケット花火20本にバーナーで一気に火をつけた。狂ったようにでたらめな方向へキーーーーンっと飛びさるロケット花火はほんと、たのしかった。とても危ないけど大笑いして、エキサイティングで楽しかった。そんなのが、ここにはないんだよね。

 諏訪湖畔に勤める友人が言っていた。諏訪では、花火大会以外の日でも夏は毎日花火が上がるのだそうだ。それは疑いもなく観光のためであることは間違いない。諏訪湖の花火大会は何十万人も集客する巨大イベントだ。ロケーションの良い宿をとるのなんて至難の業だし、町に入るのも大渋滞で大変なのだ。だから、それを見られない観光客のためにすこしでも雰囲気を味わってもらいたいと言うことでやっているのだろう。

 でも、毎日打ち上げられる花火を、地元の人は実は誰も見ていない・・・・・・らしいのだ。うるさいねとも思うって。チラ見もしないって。

 ええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

 純粋さを失ってしまった僕は少しほっとするのである。


毎日聖岳と光岳

2013年09月08日 | 毎日ツアー

美しい草原と木道、だが、ことごとく鹿に食い尽くされている

 南アルプス南部、聖岳と光岳(てかりだけ)は趣有る静かな山域だ。北アルプスで育った僕にとっては、かなりの異次元感覚があって、山域を構成する地質や植生が大分違うからいつも新鮮な感じがする。ダケカンバのよじれ方や、お花畑や草付きの雰囲気もまるで違うし、深い深い森もまるで違っている。今回は数年ブリにやって来たので、それは、まるで初めて見るもの達のようで実に楽しい。

 初日は椹島にとまり、翌日聖平小屋へ。途中も時々弱い雨に降られたが聖平に到着してしばらくしすると雨が強まってきた。予報通り、それはかなり激しい雨で夜中には雷を伴っての暴風雨となった。8月末の大槍ヒュッテと同じだ。「またか」と思う。

 三日目、聖岳を登頂の予定だが朝になっても雨は止まず、しばらく様子を見ることに。時々雨は強まり、お客さんも殆ど諦めがちではあったが、ふとした瞬間に僕と小室添乗員の意見が一致した。

「行きましょう」

「はい、そうですね」

 もちろんラジオや、テレビの天気予報も参考にして居るのだが、ずっと山に来ていると、雲の流れやちょっとした空気感みたいなもので、「これはいけるな}みたいな感覚を持つことがある。僕が最終的に決断を迫られた時、一番当てにしてるのはこの自分の山カンである。小室さん、そして、同宿の水越ガイドも同じ瞬間にそれを感じたのはまったく不思議だが、よくあることでもある。その地域の独特の気象は、その地域に長く住んで初めて解ることだと思う。今回は結果全員が登頂できて、ものすごくお客さんに喜ばれた。

ミヤマコゴメグサ

ベニヒカゲとタカネンマツムシソウ、タカネナデシコ

ガンコウランと極小ハクサンフウロ(直径2センチぐらい)

茶臼小屋 

 茶臼小屋へ移動して四日目は光岳への往復である。茶臼岳から仁田岳に掛けては草原とダケカンバの美しい道だ。しかし、ここでものすごく気になることがあった。それは、花が異常に少ないこと。以前はもっと豊かな植生であったと思うのだが、ぽつぽつしか花は見あたらず種類も少ない。よく見ると、草原を形成するイネ科の草の先端がことごとくちぎれていて、ハクサンフウロも、草丈が極端に短く花も小さいのだ。コバイケイソウは花だけが綺麗さっぱりなくなっている。その原因は、もうみなさんお解りの通りだが鹿の食害だ。鹿は夜な夜な現れては、そこら辺の草を食べまくってしまう。毒草で有るはずのコバイケイソウも、その花がよほど美味しいのだろう、一本残らず食べてあるのは驚きだ。ハクサンフウロは一度食べられたあとの二番芽なのだと思う。花たちも必死で命を繋ごうとしている。しかし以前こぼれた種が何年かにわたって発芽をするだろうから、早く対策が施されれば、植生は復活するはずだか、このままでは、お花畑の喪失は避けられない事の様に感じる。以前は居ないとされていた北アルプスでも鹿の目撃例が増えている。上高地でも。僕は最北部の毛勝山でもニホンジカを見かけた。何とか対策を考えなければ、この世界は失われてしまうのだ。遠くで男鹿が切ない声で鳴いている。 

富士に日の出

亀甲状土、上河内、光岳周辺 http://www.city.shizuoka.jp/deps/seiryuu/tisitu0831.html

イカす標柱(一辺が30センチぐらいだから、かなりの気合いの入れよう)

 これは鹿とは関係ないが、今年の山にはいつもと違う現象が起きている。コバイケイソウの大発生は以前にも書いたが、これは7年ぶりの当たり年。それに対して、ガンコウランは実が一つもついていない、完全な裏年である。お客さんに聞いても、他の山域でもそれは一緒であるという。もう一つ、ハイマツの実が殆どついていないこと。因って、この時期集団で忙しくハイマツの実を取っては食べているはずのホシガラスが殆ど見あたらない。今回もいくつか見かけたが、彼らは今低い樹林帯で、不本意ながらシラビソの実を食べている。

 ホシガラスとハイマツは共生関係を築いているのはご存じだろうか?ハイマツは大きな群落を作る。斜面一面に領域を広げるのだが、その松ぼっくりはその場に落ちてしまえば陽が当たらず、発芽は困難になってしまう。そこで、ホシガラスが仕事をする。彼らは、松ぼっくりをそのクチバシでくりくりねじってもぎ取ると、ひとっ飛びしてハイマツ帯の脇へ運び、裸地でそれをつついて食べるのだ。だが、その食べ方は実にいい加減で、食い散らかすというのが当たっている。その実は必ず残るのである。これがやがて陽を浴びて発芽する。この世は上手くできている。

不明

不明

不明 もしかしてキナメツムタケ?

フシグロセンノウ

シャラ つるつるの木肌、不思議な木だ

 五日目、疲れも相当なものになる。体力的にも精神的にも。しかし、今回のお客さん達はよく歩いてくれた。誰一人遅れることもなく、最終日の厳しく危険な下りをこなして、大きな怪我もなく、完璧な毎日ツアーだった。雷雨をやり過ごして縦走を成し遂げた喜びは大きい。素晴らしい。

皆さん大変お疲れ様でした。

コアジサイ

ヤマブドウ、うまかった。 サルナシもあったがまだ早くて渋くえぐい

オトコエシ

畑薙大吊り橋 181.7メートル(こわいよ)