山岳ガイド赤沼千史のブログ

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13六合石室泊鋸岳縦走7月25,26日

2013年07月29日 | ツアー日記

 今土砂降りの笠ヶ岳から帰ってきてこのブログを 書き始める前にテレビをつけたら、中央アルプスで韓国人が11人遭難していると大騒ぎになっている。中央アルプスでも今日は雨が降ったりやんだりだっただろうから、体を濡らして、風に吹かれていたとすれば、それはかなり過酷な状況だろう。無事であることを祈る。

 一昨年、今回と同じ鋸岳へ向かおうと朝一番の南アルプス林道バスに乗って、北沢峠に着いたとき、一人の関西弁の男性に声を掛けられた。

「鋸ですか?同じやね。今日はぼくも六合石室に行きますから」

「そうですか、では後ほど」

 そして僕らはそのまま甲斐駒ヶ岳を越え石室には午後1時半頃入った。水場に行って来てから午後4時頃から食事をしたのだが、関西おじさんはやってこない。諦めたんだなあと思っていたところ、午後5時半頃その関西おじさんが憔悴しきってやって来た。これから水場に行くのも大変そうなので水を分けてあげて、鋸は長いから明日は行かない方が良いですよと話したのだが、その関西おじさんは自分は大丈夫だと言う。それ以上は何も言わなかったのだが、翌日我々の後を歩いて来るのは最初確認できていたが、そのうち見えなくなってしまった。僕らは余り気にもせず角兵衛沢を下山したのだが、後日この男性が鹿窓ルンゼ付近で滑落死したのを新聞で知った。止めた方が良いと行ったのに。

 今回の中央アルプスの遭難の詳細はまだわからないが、この二つの遭難の根底にあるものは、無知と過信であろう。高い山のない韓国の人達に、日本の3,000メートル級の稜線の過酷さは分からないだろうし、折角海を越えてやって来たと言う気持ちもあるだろう。山での強さではなくて、己を知ることがベテランであると僕は思うのだが、そういう意味ではこの二つの遭難の当事者達はまったくの初心者なんだと思う。そして彼らは、もう二度と来られないと言うような切迫感をどこか持っている登山者だ。今回はそんな鋸岳縦走である。

クリンソウ

タカネバラ

よじ登る

甲斐駒ヶ岳

鋸岳

 甲斐駒ヶ岳を越えるとグッと踏み後は細くなり、生々しい靴跡が殆ど見あたらないので今シーズンはまだそれほど多くの人が歩いていないだろうと思われる。鋸岳への縦走路は僕らの他には誰もいなくて静かで快適だ。道は若干不明瞭だが、ルートファインディングをするのも楽しい。午後1時半に六号石室に到着した。五、六年前までこの石室は穴だらけのトタン屋根でテントが必要だったが今はしっかりとした屋根が着けられ、床も張られたから快適だ。

六合石室

ガイドのお宿

 朝4時半に出発して鋸岳を目指した。雲は若干多めながら少しずつ良い方向へ向かっている感じがある。最初は樹林が絡んだ縦走路、所々崩壊地の縁を通るが難しい所はない。中ノ川乗越を過ぎると、ここからがいよいよ鋸岳の領域になる。第二高点へはガラガラの広いルンゼを摘め上がる。道を外すと全てが不安定なガラ場だ。高度を上げふり返れば甲斐駒ヶ岳が堂々たる風格でせまる。

 第二高点からは鋸岳が直ぐ近くに見えるのだが、ここからがいよいよ岩稜帯の始まりで、ロープを使いながらの登降だから時間が掛かる。腹ごしらえをして、ヘルメットにハーネスを装着。ハーネスを絞めるとグッと気も引き締まる。

 稜線上はこの先に大ギャップがあり通れないので道はいったん大ギャップ沢へ下り、それに合流してくる鹿窓ルンゼを登ることになる。とにかく、不安定な岩質なので慎重に足を進める。やたらなところを触るとボロッと岩が剥がれ落ちるからやっかいだ。鹿窓ルンゼから鹿窓へはロープの出番だ。

鹿窓ルンゼと鹿窓(あの穴を通るのだ)

凛々しき面々 いざ鹿窓へ

 鹿窓直下には一応鎖があるのだが、傾斜が強いので当然ロープを使うべきだろう。しかも、岩がボロボロなので落石を避けて一人ずつ登らざるを得ない。時間は掛かるが、確実に安全を確保して鹿窓を越えた。この鹿窓は稜線直下にぽっかり空いた穴で、スーパー林道からもよく見えて、バスのドライバーさんがそのバスの運行中必ず説明をしてくれるほどの名物である。ルートはここを抜ける様になっているので、なんともドラマチックだ。

鹿窓

 鹿窓を越えると次は小ギャップだ。小ギャップへの下りはスラブ(一枚岩)なのだがやはり岩は脆く、反対の登りは垂壁である。ここも迷わずロープを使う。ロープがあれば、思い切った登りも出来るし、スリルを存分に味わえるから笑顔もこぼれる。天気も良いし、最高だね。ここで、初めて二人の対向者に出会った。

小ギャップ

ここを抜ければ難しい所は終わりだ。しかし第二高点から2時間以上がかかっただろうか。しばらくのんびりしてパノラマを楽しんだ。

 しかし、実はここからが本当に大変なのである。ここまでは楽しいばっかりなのだが、この先大概みんなバテバテになる。それは角兵衛沢の長い下りと、戸台川の灼熱地獄の河原歩きだ。角兵衛沢はハンパ無いガラ場で、踏み後を一歩でも外すと、いきなりそこら辺の石がガラガラ崩れ落ちるような場所だ。一歩一歩、足を置く場所を吟味しなくてはいけない。つい先日毎日ツアーではここを往復した。出来れば、んーーーーお勧めしない(笑)

 この沢の中間地点には大岩小屋があって大岸壁の下部がえぐれたルーフになっていてテントを張ることが出来る。水が滴り落ちているが水を採るにはかなり苦労するだろう。ここは岩ツバメの大営巣地で、多くの岩ツバメが鳴き交わしながら空中戦をやっている。きっとそれは秋の渡りに向けての雛たちのトレーニングなのだろう。自由自在に飛ぶその姿が羨ましい。

悪名高き角兵衛沢

コオニユリ

ハナバチ

オオハナウド(蕾)

 角兵衛沢の下部は普通の樹林の道だが、その下りにうんざりする頃戸台川に到着する。ポンポンと飛び石で渡って、あとはひたすら灼熱の河原を歩く。この日はまだ、風があって日が陰ったりもしていたのでまだましであったが、後半は風が止んでそこは、まるで砂漠のようであった。シナノナデシコが灼熱の河原に映える。なんで、こんな過酷な環境をわざわざ好んで暮らすのだろう?彼らは。今年は冬にもここを歩いているが、その印象はまるで違う。その時の事を思い出しながら砂漠を行く。

砂漠の民 キャラバンは続く

 仙流荘にて入浴、伊那名物「ローメン」を今回のお客さんに拒否され(皆さん経験者なのだが、理解不能な微妙な食べも物なので)僕のツアーとしては珍しくチェーン店の「丸亀製麺」にて讃岐うどんを頂き伊那市駅解散。やっぱり、バテバテだわ。

 

 

 

 

 

 


ヘッドランプ

2013年07月26日 | 登山道具考

このヘッドランプ、GENTOS GTRは我々の近しいガイド仲間の間では定番商品である。高輝度LEDを一つだけ備え、ハイ、ロー、点滅の切り替えがつく。電池は単三一本のみなので、代え電池は一本だけ持てばいい。三本電池のものは三本持たなくてはいけないから、都合六本を持ち歩くことになる。

LEDが一つと言うことは、昔のマメ球ランプと同じ感覚で、陰影がわかりやすく、夜間の微妙な道探しにも断然優れている。LEDが沢山ついてるやつはなんか豪華で高級そうだが、比べれば陰影がぼやけとても見づらいことに気づくだろう。

とにかく明るいので頼りになる一台だね。欠点はと言えば、テントの中で明るすぎること。笑

こいつは登山ショップに行っても売っていない。ホームセンターに売っている。しかも、1,500円程。こんな良いことはない。


ジャンダルム撤退

2013年07月24日 | ツアー日記

 西穂山荘に泊まって朝4時半にジャンダルムに向けて出発はしたものの雨は止まない。独標までたどり着いて風も強まり撤退を決めた。岩は滑りやすいし、日本海に梅雨前線が停滞し何より気温が低い。この状態で3,000メートルの稜線縦走はとても無理だ。何かトラブルがあれば、低体温症などの死の危険が待っている。明日、明後日と回復の期待も薄い。まあこんなこともあるさ。

 だが、雨の日は緑が綺麗だ。ドロドロの下山道の脇で写真を撮る。僕は雨の上高地が大好きだ。家が近いから、以前はわざわざ雨の日に出かけたりした。川霧にけむる梓川はなんとも落ち着くし、水は音もなく流れる。

キヌガサソウ 凛としてゴージャス

蝋細工のようなサンカヨウ

エンレイソウ

梓川

 上高地からの帰りに稲核にある蕎麦屋「わたなべ」に立ち寄った。お客さんと帰る場合はいつもここへ寄る。婆ちゃんがやっている。盛りそばの大盛りを注文し、お客さんが蕎麦掻きを2つ頼むというので、量が多いから一つで充分だと伝え蕎麦を待つと、いつものことだが、頼みもしない物がどんどん出てくる。つる菜のお浸し、サニーレタスのサラダ大盛り、黄色い唐辛子の煮付け、稲核菜のつけもの、それともう一つなんだっけかなあ。笑。夏は野菜が採れすぎるので特にその傾向が酷い。酷いってうれしい悲鳴なのだけど、以前ここら辺の蕎麦屋はこんなところが多かったが今は希少。絶滅危惧店である。僕的には蕎麦つゆが薄めで若干気に入らないが、蕎麦は粗挽きでうまい。しかも、盛りそば450円である。お客さんはぶったまげて大概ハイになる。わかり辛いところにある迷店である。是非探してたどり着いて頂きたい。

 


最近見た山の花

2013年07月23日 | 蝶よ花よ獣たちよ

ヤマオダマキ

コオニユリ(クリマユリではない)

シロバナノヘビイチゴ(これは美味、ノウゴウイチゴよりゴージャスな香りがある)

サラシナショウマの蕾に食らいつく甲虫

ウチョウランその1(環境省絶滅危惧Ⅱ類 僕は始めて見た。非常に目立つところにあったのだ)

ウチョウランその2

イチヨウランその1(紫の文様がないタイプ、長野県準絶滅危惧)

イチヨウランその2(文様があるタイプ)

キソチドリ

コフタバラン

コイチヨウラン(花は4ミリ程だ)

不思議なコイワカガミ?(なんと開いている、始めて見た)

タカネグンナイフウロ(北アルプス種は白いが、南ア、中アは美しい紫色だ)

イワベンケイその1

イワベンケイその2

ミヤマオダマキその1

ミヤマオダマキその2

シコタンソウ(花びらの赤と黄色の点々が美しい)

コカラマツ

ミヤマシオガマ

ヒメイワショウブ

マルバダケブキの怪しげな蕾(様々なタイプが個性豊か)

マルバダケブキ 母の愛

マルバダケブキ 隠れてるつもりの小悪魔(おーい、見えてるよーーー!)

ヒヨドリソウとアサギマダラ(沖縄などから渡ってくる渡り蝶だ、海面にぺたっと張り付いて休むと言う)

バイケイソウ(通常は緑色の花が殆どだが、これは白くて花らしい)

サルナシ(キウイフルーツの仲間)

トダイハハコ(南アルプス特産種)

 

 

 

 

 

 


13内緒沢 社員旅行7月18、19日

2013年07月20日 | ツアー日記

 昨日からの雨で川は濁りが入り15センチ程増水もしていた。

「どうする?」なんて言いながらも僕らの気持ちは決まっていた。最初の渡渉は股下ぐらいまでなので何とか行けるだろう。だけどこれ以上降ったら後はどうなるかわからない。いざとなったら藪を漕いでの高巻きで逃げればいいやと、三人全員が思っていた。ここまでやって来て、そこには、我々を待っている岩魚たちがいて、そう簡単に逃げ帰るわけにはいかない。濁った増水の沢に入るなんてよい子の皆さんはマネしないでね。

 雨は断続的に降り続くが、川の水は次第に澄み始めて水位も下がりつつあった。この沢の下部は日帰り釣り師が入るから殆どつれないので、2時間ほど歩いて上流を目指す。そこから竿をだして、荷物も背負ったままつり上がる。早速に僕の毛鉤に岩魚が食らいついた。 未だ時間が早いので、リリース(逃がしてあげる事)をしながら沢を登る。

 今回のメンバーは、下條、小林、そして僕だ。と言うか基本いつもこのメンバーで沢に入る。僕ら間にはある種の分業が出来上がっていて、装備もに関しては何も打ち合わせをしなくてもそれぞれが、必要な物を過不足なく持ち寄って遡行が成立する。例えば、鋸とか、火吹き竹とか、竹串とか、まな板とか、タープとかそんなだ。沢登りを、楽しむためには僕らなりの特殊な装備があってそれを、各自が担当をわきまえていると言うことだ。キャンプサイトについても、タープを張る者、薪を集める者、火を焚く者など自然と自分の役回りを果たし、さっさとやっつけて、ひたすら夕まずめ(夕方の釣れる時間帯)に備える。

 下條は僕より一回り近く先輩だが、おっとりしていて、一切酒は飲まず、物静かな人だが、内に秘めたヤンチャ魂に溢れる人。火炊きの名人だ。どんな雨の中でも火を焚く。山の斜面の濡れた枯れ葉をひっくり返して、乾いた焚き付けを見つけ出し、根気よく火をつける。「餌釣り師」

 小林は僕より三つ上の大酒飲みだが、こいつと居れば大丈夫、何とかなると人に思わせる雰囲気を持つ。釣りは餌釣りも毛鉤釣りも両方やる無節操男。ちょと、そそっかしいと言うか、僕に負けまいと焦っているのか、いつも絡んでしまった仕掛けを直している印象がある。毎度のことだが今回も竿を一本折った。餌、毛鉤なんだったらルアーも引く「せっそうな師」

 そして、ぼくを含めた三人であるが、歳の差など全く意に介せずタメ口を利き、常にお互いをからかい、ジャブを食らわしつつ、冗談しか言わないと言うのが我々なのだ。気持ちが折れた者が負けになる。そうでなければ雨降る沢でずぶ濡れになりながら釣りを続けるなんて出来るわけがないのだ。典型的な遊び人三人衆であり、それぞれが達人である。お互いが掛けがえのない友でありライバルだ。因みに全員血液型は0型である。

下條「餌師」大物釣りはまかせとけ

小林 「せっそうな師」 だが頼りになる男だ。

 さて、この沢であるが、場所は口が裂けても言えない。僕らは毎年ここにやってきては、夏山シーズン前の命の洗濯をする。素晴らしい溢れんばかりの自然の恵みを味わって鋭気を養う、謂わば僕らの社員旅行みたいなもんだ。今回は二日間で70匹ぐらいは釣っただろう。もちろん食べられる分以外は他の奴には釣られるなよーーとリリースだ。

一投入魂 気配を悟られぬよう静かに近づき竿を振る。こういう大釜の白泡の裏に大岩魚が息づく

抵抗する岩魚

美しい天然岩魚 ピンシャンといってヒレが大きく張っている。旅館の塩焼きはみんな丸くて小さいヒレなんですよね。

 目的のテントサイトに到着しテントを設営し、薪を集めその他諸々をこなして僕らは、夕まずめに出かけた。雨は降ったりやんだりを繰り返し、上流部の黒雲がかなり気になるが僕らは釣りを続ける。雨が濁りの入った激流をたたくが、魚はちゃんと出てくれるので楽しくて仕方が無い。

 僕は毛鉤釣りだ。虫に似せて釣り鉤に鳥や獣の毛を巻く。糸の先につけた毛鉤をポイント(魚が居そうな場所)にピンポイントで放り込むと、すかさず岩魚がスーッと浮上してきてバシャッと毛鉤を咥えて反転する。その瞬間竿をたてて、毛鉤を奴の口に食い込ませる。これを「アワセ」という。餌釣りと違って、魚が見えるので興奮度は相当なものだ。釣り師が穏やかで落ち着いた心境で釣り糸を垂れていると思ったら大間違いで、心拍数は上がりっぱなしで、アドレナリンが出まくりなのが実態なのだ。行動は常に次の淵しか見ないので、今まで何度も怪我をした。足指の骨折3回、肋骨骨折2回。有名な三俣蓮華小屋の「おにサ」は鉄砲撃ちで、常に熊を探しながら歩いていたので足はいつも怪我だらけだったと聞くが、僕らもそんなもんだ。岩魚に心奪われ足下を見ていないのだ。危ないねえ。

必殺毛鉤

 毛鉤は全て自分で巻く。市販の物は値段が高いし、貧弱な物が多くて、浮力がなく激流の中では役に立たない。毛鉤釣りは見て釣る釣りなので毛鉤が自分から見えて岩魚から見えるのが重要で、そのためには浮力が必要だから空気を沢山ため込むようなフワッとした毛鉤が僕は好きだ。オレンジの目印もたっぷりつける。毛鉤を変えず、これでより沢山のポイントを当たるのが僕の釣りだ。足で釣るのだ。

今回唯一の極太尺岩魚(30センチ)なんとこの後網に入れようとした瞬間暴れたこいつに逃げられてしまった

 本日のおかずがそろたっところで沢を下りテント場に戻った。相変わらず雨は止まない。僕らは全身濡れ鼠。普通なら気分も沈みがちだが、ぼくらは魚をさばき、タープの下で火を焚き、着替えもせず宴会に突入する。火は僕らを暖め、次第に衣服を乾かしてくれる。焚き火の力はハンパではない。熱燗を飲みながら次第に気分が高揚する。川魚は生臭いといったい誰が言ったのだろう。ここの源流岩魚は全く生臭くはなく、小林は鯛より美味いという。三枚におろした後のアラはフキと一緒にお汁にしたが、油が非常に上品で甘く、確かに鯛汁真っ青である。塩焼きも最高の出来。

本日の岩魚ちゃん、大きなもので27センチぐらい 逃がした尺岩魚が悔しい

タープを張ってその下で焚き火 根性で火を焚く 

本日の食材、岩魚、きゃらフキ、そして天然クレソン

岩魚の皮はこのように剥く。皮が薄く切れやすいのでこれが一番、ワイルドだろ? 実はまだ生きている。残酷?知るか!

岩魚の塩焼き 串で軽く焼いた後、網で寝かして焼き上げる、肉汁を逃がさずふっくらジューシーに香ばしく焼き上がる、これまた絶品

酢〆岩魚の刺身とアボガドの和え物 天然クレソンと一緒に頂く、絶品!ほんと美味いから

熱燗はビールの缶でつける、文字通り熱缶だ。あーー染みこむんだなこれが

 結局眠りにつくまで雨は止まずも、僕らは沢の音に負けない様にでかい声で冗談を言い、笑い、沢を語り合った。ずぶ濡れの衣類はいつしか乾いてしまった。したたか飲んでシュラフに潜り込んでも雨がフライシートを叩いていたようだが、いつの間にか沢の音の中に自分の存在は消え、気を失うように僕らは眠りについた。

焚き火の脇で一晩経った「焼き枯らし」燻製だから保存が利く。これがまた旨かった。少し残った日本酒で朝からいっぱい、バカ!

 翌朝、端から源流へ抜けようと言う気のない僕らはキャッチ&リリースをしながら、時間の許す限り上流を目指した。天気は回復し、明るい沢は実に気持ちが良い。流れも完全に澄んで楽しいのなんの。思い通りに毛鉤を打ち込んで、狙い通りに岩魚がすっと現れ毛鉤を咥える、この気持ちよさ。美しい大淵に竿を振る自分のなんと格好良く美しい事よ!誰か写真撮ってーーー。だが、今回カメラを持つのは僕だけだった。気の利かないオヤジ達だ。

回復の朝の美しい淵

コヨウラクツツジ

10メートルの滝と大釜 差し渡しは20メートル、深さはおそらく5メートル以上 大岩魚がきっと潜んでいるが、そいつらはなかなか出てこない。

サンカヨウその1

サンカヨウその2 少し苦くて渋いが食べられる

チョウチョの図鑑買わなきゃなあ さっぱりわからん

蝶とオオハナウド もう少し花ビラが開くと高級レースのようで大変美しい

 仕事柄、そう何回も沢登りは出来ないのだが、8月には黒部川上廊下(これはもう15年以上通う僕らのライフワークだ)、9月にはどこか違うとこに行きたい。それともう一本ぐらい。

 沢登りという日本独特の登山スタイル、是非皆さんお試しを。尚、この沢の詳細については絶対に言うことが出来ないので、一切のお問い合わせを受け付けません。悪しからず。



 


13雨飾山転進空木岳

2013年07月15日 | ツアー日記

 信濃大町駅で集合して目的の天狗原山を目指して白馬まで来たのだが、梅雨の戻りの雨はとうとう本降りになり、天気予報でも良い兆しは一つも見えず、僕たちは南下することを決断した。さあて、どこに行くかしばし考え、全員が行ったことがないと言うことで、中央アルプスの空木岳、池山尾根をテント泊で登ることにした。駒ヶ根まで車を飛ばして、池山林道に入ると、林道と登山道が交わる辺りから、林道脇にやたらに車が駐車してあるの。その少し先の駐車場も満杯。ここ数年通行止めであった林道はゲートが開かれ、さらに先に進めて、終点の駐車場まで行くことが出来た。ここも満車で、幸運にもたまたま下山する方がいたので駐車することが出来た。考えてみれば今日は海の日の連休初日なのだ。だけど、池山尾根のここがこんなにも車で溢れているのは今までないことだ。この終点駐車場から朝早くの出発であれば、空木岳日帰り登山も十分可能だ。

オカトラノオ

 腹ごしらえをして出発する。池山小屋までは、古い林道を利用した遊歩道になっていて、傾斜は揺るやかだが、唐松などの人工林が目立ち植生は単純で登山道としてはあまり楽しくない。

コアジサイ(清々しくて可憐なあじさい、北アルプスでは見ない)

センジュガンピ(ナデシコ科)小沢など水の気配があるところを好む

1時間半ほどで池山小屋に到着した。ここは、広々して清潔な避難小屋で、目の前には水場がありとても快適そうだが、未だ時間が早いので水を補給して上に行くことにする。

池山避難小屋

 さらに1時間ほど登って登山道から少し離れた笹の尾根上にテントを設営した。多少ブヨがいるが快適な所だ。テントの中でゆっくりしていると、雨が降り始めた。梅雨は空けたはずなのに、どうもそうではなくて、前線が南下し、北陸から東北にかけて雨が降っているようだ。

黄色の御殿、向こうはガイドが泊まる黄色の掘っ立て小屋(ツェルト)

 夜中にも時々雨が降っていた。風もあるので、僕のツェルトはばたばたと揺れ結露が顔に降り注ぐ。でも、かまわず体を丸めた。起き上がって対策を施して目を覚ましてしまう事の方がいやなのだ。降り注ぐ結露もうつろいの中で受け入れる。

 午前5時に出発して池山尾根を登る。ここには大地獄、小地獄という鬼門があって、それは樹林の中の岩場なのだが、以前からやたらに事故が起きる場所がある。そのためか近年鎖や梯子がしっかりと整備され、今は不安な感じはしない。

ゴゼンタチバナ

 標高が上がり、空木平への道を分け森林限界を突破すると、ここの尾根の名物「駒石」だ。巨大な花崗岩のひと塊なのだが、石積み職人が意図的に積み上げたように見える。

駒石 堂々たる石積み 高さは10メートル程か

 崩壊花崗岩のザラ道を辿って空木岳に到着。それにしても、この道の崩壊、流失はかなりひどい。僕はここへ20年近く通っていると思うが、懸命の整備にも関わらず砂礫の流失は止まらないようだ。人が歩く、微妙な斜面に窪みが出来る、雨が降る、表土が流失する。この繰り返しで、微妙なバランスを保っていた花崗岩の砂礫斜面はどんどん掘られてしまう。同じような問題は、湿原や火山性の山などで同様の事が起きているのだが、画期的な解決策はないように思う。人が歩かないことが一番か?

 

 駐車場がいっぱいだっただけのことはある。頂上は結構な賑わいで、風も強くガスが沸いてとても寒い頂上ではあったが華やいだ雰囲気だった。

 下山は空木平ルートをとる。空木岳を登る人は多くが木曽駒ヶ岳方面からの縦走者で、下山は駒石経由を選ぶ。空木平ルートは若干時間がかかる為敬遠されがちなのだが、実はここには素晴らしいお花畑が広がる。空木平避難小屋は整然として周りの雰囲気も明るく乾いていて、目の前には豊富な水がある。是非泊まってみたいなと思ったし、ここで見る星空はきっと素晴らしいにちがいない。

空木平避難小屋

コバイケイソウ 今年は久しぶりの大当たり年(ヤングコーンの様でうまそうだが有毒)

ハクサンチドリ

オオヒョウタンボク 二つの花に一ずつ実がなりやがて癒着して赤いヒョウタン型になる。実は実に旨そうだが毒草

イチヨウラン

 下山の途中深い栂の森の中でランを見つけた。その場では名前がわからなかったが、帰宅後フェイスブックで友人達に聞いたところイチヨウランであることが判明。根元に楕円形の葉を一枚だけつける。ちょっとよれている感じだったので、直ぐそれとはわからなかったが、貴重なランの一種だ。

ハリブキ(お前らに食われてたまるか!と凶器をその身にまとう、茎はさらに手のつけられないヤンチャぶり)

 テントを撤収して駐車場まで下山をする。登るときにつまらないと言った下部遊歩道は、傾斜の緩い快適な下山道だ。

 結果今回の転進は大正解だったと思う。こぶしの湯にて入浴、駒ヶ根の蕎麦名店「丸富」にて二八蕎麦「朝日」をたぐる。格調高い蕎麦だが若干高くない?(945円)岡谷駅解散。

 


本物の言葉

2013年07月11日 | 石巻、三陸、福島

 少し前、FACEBOOKで見つけた詩を紹介します。えぐるような本物の言葉の持つ迫力に圧倒されました。僕も安曇野で受け継いだ田を耕すものですから、故郷を追われた人達の気持ちは痛いほどわかるのです。

http://nonukesiga.exblog.jp/17457061/

  

拝啓関西電力様・・・・詩をご紹介します

 
12月15日、滋賀県の大津市で滋賀県の10団体が協賛する「願いはひとつ 原発のない社会へ」という南相馬市からの避難者と中嶌哲演さんの講演と意見交流を中心にした集会が開催されました。 
その集会で、講演者の青田さんの奥さんが朗読した詩がとっても素晴らしかったので、ご本人の了解を得てご紹介させていただきます。こんなものが役に立つなら、どんどん広めてくださいとのことです。相馬弁は味があんだ~。
ぜひ、一読して下さい。


『拝啓関西電力様』
     青田 恵子

エアコン止めで、耳の穴かっぽじって
よーぐ聞け。
福島には、「までい」っつう言葉があんだ。
までいっつうのは、ていねいで大事にする
大切にするっちゅう意昧があんだ。
そりゃあ、おらどこ東北のくらしは厳しかった。
米もあんまし穫んにぇがったし、
べこを飼い
おかいこ様を飼い
炭を焼き
自然のめぐみで、までいにまでいに今まで
暮らしてきた。
原発は いちどに何もかもを
奪っちまった。

原発さえなかったらと
壁さ チョークで遺書を残―して
べこ飼いは首を吊って死んだ。
一時帰宅者は、
水仙の花咲く自宅の庭で
自分さ火つけて死んだ。
放射能でひとりも死んでないだと……
この うそこきやろう 人殺し
原発は 田んぼも畑も海も
人の住む所も
ぜーんぶ(全部)かっぱらったんだ。
この 盗っ人 ドロボー
原発を止めれば
電気料金を二倍にするだと………
この 欲たかりの欲深ども
ヒットラーは毒ガスで人を殺した
原発は放射能で人を殺す
おめえらのやっていることは
ヒットラーと なんもかわんねぇ。
ヒットラーは自殺した

おめえらは誰ひとり
責任とって 詫びて死んだ者はない
んだけんちょもな、おめえらのような
人間につける薬がひとつだけあんだ。
福島には人が住まんにゃくなった家が
なんぼでもたんとある
そこをタダで貸してやっからよ
オッカアと子と孫つれて
住んでみだらよがっぺ
放射能をたっぷり浴びた牛は
そこらじゅう ウロウロいるし
セシウムで太った魚は
腹くっちくなるほど 太平洋さいる
いんのめぇには、梨もりんごも柿も取り放題だ。
ごんのさらえば
飯も炊けるし、風呂も沸く
マスクなんと うっつぁしくて かからしくて
するもんでねえ
そうして一年もしたら
少しは薬が効いてくっかもしんにぇな

ほしたら フクシマの子供らとおんなじく
鼻血が どどうっと出て
のどさ グリグリできっかもしんにぇな
ほうれ 言った通りだべよ
おめえらの言った 安全で安心な所だ。
 さあ、急げ!
荷物まどめて、フクシマさ引っ越しだ
これが おめえらさつける
たったひとつの薬かもしんにぇな。

【註】相馬弁の解説
①んだげんちょも…だけれども
②腹くっちく…腹いっぱい
③いんのめえ…家の前
④ごんの…焚き物にする小枝や落ち葉
⑤うっつぁし…うっとうしい
⑥かからし…わずらわしい

13剣岳点の記ルート撤退7月6,7日

2013年07月09日 | ツアー日記

 今回は剣岳初登頂のルート。長治郎谷を登り剣岳へ、そして残雪豊富な平蔵谷を下降すると言うものであったが、先ずは結果から言ってしまおう。撤退である。いくらもったいぶっても撤退は撤退である。このブログを読み進めるみなさんが「なんだよ。撤退かよ!」とがっかりしない為に最初に言ってしまおう。この日富山地方は梅雨末期の大雨となり、我々はとても登頂するどころではなく、日程を一日早め、すごすごと逃げ帰ってきたのだ。東京地方の友人達がFACE BOOK で「梅雨明けだ!」などと叫んでいるその日に。

 このルートは雪状態が一番良いこの時期に行くことにしている。5月は未だ至る所雪だらけであるし、残雪も不安定な時期だ。8月ともなると、雪渓はガチガチに締まってステップを切ることも大変になってくるし、ピッケルさえ打ち込めない。だから、梅雨のこの時期に長治郎を目指す。梅雨はずっと雨が降り続いているわけではないので、登頂の可能性はそれほど低くなくて、今までも8割方登頂できているはずだ。

 それにしてもアルペンルートには今までいったい何度乗ったことだろう。今回のお客さんもそれぞれベテランの方々だし、そもそも、一般の観光客と違ってアルペンルートの乗り物に乗ることが目的ではないので、

「アルペンルートってかったるいですよね」

「そうね、全然つまんないわ」

「なんの感動もないわ」

などと勝手なことをいいながら、文明の恩恵に大いに与り僕らは標高2,450mの立山室堂へ到着した。

 未だ雨は降っていなかったが時々体をあおられる程風が強く、ガスで周囲は何も見えないのだが、剣沢を目指して出発した。

 室堂の地獄谷では今異変が起きている。それは亜硫酸ガスの異常発生だ。地獄谷は通常でもガスが噴出し、湯がぐらぐらと沸くこの世の地獄だが、ここのガスが3.11以降異常な噴出を続けているのだ。地獄谷コースの道は閉鎖され、雷鳥荘を経由するルートを行かなくてはならないが、数百メール離れたこの道を歩いてでさえ、鼻や目に相当な刺激を感じる。強烈な硫黄臭に、鼻はツンツン、目にはピリピリとヤバイ感じが伝わってくる。雷鳥荘脇の谷間では、ハイマツは無残にも枯れ果て、赤茶けた姿になってしまっている。百年単位で成長してきたであろうハイマツが枯れると言うことは、ここ百年こんな事はなかったと言う事だ。ガンコウランもほぼ全滅。クロマメノキ(ブルーベリー)は亜硫酸に強く健在だ。焼岳でも、飛騨側の中腹から白い煙が上がってるし、地殻の下の方で今何かが起きているのだろうか。


 天気も悪いので今回は何度も雷鳥に出会った。歩いていると、道脇からパタパタと雷鳥が登山道に飛び出て来る。そして、我々を先導するかのように前を歩きしばらくすると、道からそれていく。しかも、その殆どはオスだ。多分いまメスは抱卵中でオスは見張りをしているのだろう。部外者が近づくと、自分がおとりとなって登山者の注意を引きつける。「こっちだよーー」とね。僕は彼に「おう、そうかそうか、そこに巣があるのか。わかっちゃったぞー。」なんて人間様らしく意地悪なことを言ってみたりする。風も次第に弱まって、別山乗越も無事越えられそうだ。

 乗越で支配人の坂本さんに会いに剣御前小屋に立ち寄ったのだが、受付の中を覗いてびっくり。

 そこにずらりとぶら下がる物、なんじゃ?これは????見ればそれは狐、狸、そしてテンの毛皮だ。テンを触らせてもらったが、極上のふわっふわっ。流石に珍重されるだけの事がある。

 坂本さんは山を下りる冬場、芦峅寺で猟師をしている。芦峅寺と言えば、立山ガイド達の郷であり、彼らは同時に雪山を自在に駆け巡る優秀なマタギでもあった。古くから立山ワカンや、鉄カンジキと呼ばれるアイゼンなど独自の装備をもち、スキーも駆使して猟をしていた。ところが今や高齢化によって後継者は少なく、その独特の技術は失われようとしている。坂本さんは芦峅寺の生まれではないのだが、今芦峅寺に住んでその伝統を受け継ごうとしているのだ。現在どこでも猟をたしなむ人が減り、各地の猟友会などは存亡の危機にある。鉄砲を撃つ者がいないので、天敵を失ったニホンジカが大繁殖をし、貴重な高山植物を食い尽くしている。鹿を撃つにも山を駆ける撃ち手がいないのだ。今年は長治郎谷でも鹿が目撃されたという。僕も、昨年春の毛勝山で鹿を見た。その生息域は思いの外急速に広がっている気がする。さて、この毛皮、可愛そうだとか、残酷だとかいろいろ意見もあるだろう。だが、これは文化なのだ。僕には少なからず憧れがあるし、そんな坂本さんを尊敬している。

 僕たちはホワイトアウト気味の剣沢を下って、剣沢小屋に入った。しばらくすると雨が降り始め、夕方頃からは土砂降りとなる。当初の天気予報ではこの三日間天気は良いはずだったのだが、梅雨前線が日本海に停滞している。外では風がピューピューうなりをあげている。

奥が佐伯新平若大将(寝癖で髪の毛が爆発しているがイケメンじゃ)

 夜中も断続的に強い雨が降り、朝になってもそれは降り止まなかった。天気予報も悪いので一日早い撤退を決意した。悪天の間隙をぬって、来た道をとぼとぼと帰る。こんな事もあるのだ山は。又来よう。雷鳥が時々先導してくれる、サンキュー。

剣沢小屋のお宝その1 植村直己の書(ベニヤ板にマジックペンつうのがレア、それにしてもセンスがいい)

剣沢小屋のお宝その2 若かりし頃の八千草薫(可愛い)右手前は佐伯文蔵氏


葡萄の葉

2013年07月08日 | 写真と短い言葉

 

友人の

   子の子を映す

        葡萄の葉

 少し前だが東京から、古い友人とその娘二人がそのまた娘を連れて遊びに来た。要するに友人の孫達だ。調度葡萄が実をつけ始める頃だ。この写真の女の子の親達とも彼女たちが小さい頃よく遊んだ。年頃になれば何処か空々しくなる子供達も多いのに、この友人の娘達は母親になった今でも人なつっこく「ちーくん、元気?」なんて言ってくれる可愛い子達だ。この幼子達と遊んでいるとその当時の事を思い出す。いつの間にかひと世代が過ぎ、僕は少し歳をとった。