山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

下北沢「lown」にて再びライブやります

2014年02月27日 | 音楽

 テント泊の霞沢岳と、BSTBS「日本の名峰 絶景探訪シリーズ西穂高岳リベンジ」6日間ぶっ続けの山行が一段落。僕はへとへとである。だけど、きつくやりがいのある仕事は、僕に活力を与えてくれる。二日間は一応休みだが蕎麦を打たなければならない。そして、鳳凰地蔵岳テント泊山行、そして下北沢と松本にてライブ二本と、僕の怒濤の12日間はまだ時半ばである。ブログも書きたいのだけれどなかなか思うようにはいかない。

 さて、と言うわけで3月3日(月)に下北沢「LOWN(ラウン)」にてライブをやります。1月に東欧系ジプシーミュージックを奏でる「カツラマズルカ」と我がバンド「プレイトーンズ&つや」で一緒に行ったライブの第2弾。出演者は同じ。新曲もやります。翌4日は松本「GIVE ME LITTLE MORE」でもプレトンは参加させてもらいます。是非、お出かけ下さい。

「カツラマズルカ&プレイトーンズwithつや ひな祭りライブ」

1月に引き続き下北沢 lown さんにてライブやらせて頂きます。
東欧ジプシーミュージックを奏でるカツラ、プレトンは三線娘つやを迎えて
プレトンは新曲も沢山やるらしいですよ(笑)
春だしね~~~。
近隣の皆様是非是非お出かけ下さい。

3月3日(月) 
open18:30 start19:30 charge ¥2500.-(1Drink込み)

lown(ラウン) http://lown.jp/
世田谷区北沢2-34-8北沢KM ビル3階
電話 03-6407-1919
吉田携帯 090-7018-0660


大雪

2014年02月18日 | 安曇野の暮らし

 実に良く降った。2月8日の大雪も、結構なものだったが今回14日から降り始めた雪は記録的な大雪となった。太平洋側を北上する低気圧が、北からの寒気を受けて急速に発達しながら東日本から東北、北海道にかけて大量の雪を降らせたのだ。こういうタイプの雪を長野県では上雪と呼ぶ。低気圧に近い南部のほうが雪が沢山降る。僕が住む長野県安曇野市でも朝方から降り始めた雪は次第に強くなり、瞬く間にその量を増やした。長野オリンピックの年も凄かったが、僕の記憶の中ではそれを上回る積雪量となった。

 ぼくは朝、雪が10センチ程積もった時点で庭の雪掻きを始めた。一通り掻き終わるともう最初の方は数センチ積もっている。それでも未だ僕は余裕でいたのだ。また10センチぐらい積もったので、再び雪を掻く。また初めの所には雪が積もってしまう。さあエンドレスの始まりだ。2時間おきぐらいに雪を掻く。ため込みすぎると大変になるから、こまめにやる。雪もそんなに重くなかったので、快調に何度かの雪掻きをこなしていた僕だが、夕方頃から僕の心の中には大きな不安が広がり始めた。雪は、一向に降り止まず、その勢いを増してくる。天気予報でも回復の見込みは相当先の事になりそうだ。

「これは、大変な事になるぞ、多分80センチクラスだな」

 再び雪掻きに出る僕の体と気持ちは次第に重くなる。既に脇にどけた雪の山は高さ150センチ程になる。最初は横にどけるだけで良かった雪もはその度うずたかくなっていくので、さらに上に放り上げないとならなくなる。雪はますます激しく降りしきる。ばさばさと音が聞こえるほどだ。夕方まで5回をこなしたが、僕の体が悲鳴を上げる。夕食を済ませ諦めて就寝するまでにさらに2回。都合7回の雪掻きをして僕は疲れ果て撃沈した。

 翌朝起きて絶望的な気持ちで外を見やると、雪は未だ降り続いていた。外にはこの世のものとは思えない光景が広がっていた。新たな雪は40センチ程、降り始めからの積雪は多分80センチ程にもなる。我が家の華奢な納屋の屋根に乗った雪が多すぎてなんともアンバランスで不安を誘う。今にも潰されそうだ。庭に置いてある車はすっぽり雪が被り雪の山にしか見えない。朝食を済ませたがなかなか腰が上がらない。雪は昨日の夜半から重く湿った雪に変わっていた。今回は半端な事では済まない。やらなきゃ、やらなきゃと自分に言い聞かせるのだが、とうとう僕はめげてしまって、雪が降り止むのを待つ事にした。ここまで車が入る様に雪を掻いてきたのだが、もう人が通れる程にしか掻くことは出来ないだろう。もうその程度でいいやと、僕はあっさり白旗を揚げたのだ。

 午前10時頃、突然救世主は現れた。近所の林さんという友人が、除雪機を軽トラックに積んで我が家に来てくれたのだ。彼は早速にエンジンを始動し、事も無げに除雪を始めた。ロータリーが雪を掻き込み、上に伸びたシュートから勢いよく雪を遠くに放り上げてくれる。素晴らしい機械だ。絶望が次第に希望に変わって行った。お先真っ暗(真っ白だね)だった僕の未来は、突然薔薇色の人生に生まれ変わったのだ。

 30分ほどで画期的に除雪は終わり、林さんは軽トラックの窓からヒョイと右手を挙げて颯爽と帰って行った。格好いいぞ!男の中の男だのお。雪はようやくその勢いを失って来たが、この日夕方まで完全に止むことはなかった。

 テレビでは今回の雪が災害クラスであることを報じている。各地で過去最高の積雪を記録した。東日本の高速道路は全て通行止めとなり、国道18号、19号、20号では何百台もの車が立ち往生して18日まで閉じ込められる事になる。中央線の特急あずさは今日現在未だ運行できていない。当然のことだが、催行が決定していた赤沼ツアー乗鞍岳は中止となった。コンビニにやスーパーには未だに食料品が品薄だ。関東の人達を笑えないほど、僕ら信州中南部人は雪に対して無防備なのだと思い知った今回の雪であった。

 それどころではなかったのでずっと待たせていたのだが、夕方になって愛犬ハナの散歩に出かけた。道路の除雪は全く間に合っていない。待ちかねたハナは、引き綱を咥えてグイグイと僕を引っ張っていく。散歩を待ちわびていたのだ。田んぼ地帯でその呪縛を解いてあげると、彼女は嬉しそうにジャンプしては雪の原を走り回る。ハナの姿が雪の原に潜っては現れる。

  ♪犬は喜び 庭駆け回る 猫はこたつで丸くなる♪

これは本当の話。それはまるで水泳選手のバタフライを見ているかの様だった。

 


ビオパーク劇場二八蕎麦の会

2014年02月14日 | 蕎麦の販売

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI 

 二月八日(土)「二八蕎麦の会」と称して、松本市のビオパーク劇場で蕎麦会を催した。折しもこの日はあの大雪の日、松本市内で50センチの大雪が降った日だ。朝準備を始めながらも、果たして大丈夫なんだろうかと不安になって居たのだが、予約を受けていたお客さん達も殆どは、それぞれの家の雪かきはほったらかして来て下さったようだ。ありがたいことだ。

 ビオパーク劇場は松本市と言っても、旧四賀村地区の山里の、それも山を背負った場所にひっそりと佇む、松本サブカルチャーの拠点となっている劇場だ。そこには、少し風変わりな人達が集まるし、ビオパーク劇場はそんな人達の心の支えにもなっているのだ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 ここでの蕎麦会は初めての事だし、打ち手の梅ちゃんと僕、野点の滝澤さん、そしてオーナーのヒコちゃんとで何度か打ち合わせをして今日に至ったのだが、場所が変わると全ての事が違ってくるので、蕎麦打ちも大変だ。その時の気温や湿度、そして水、そんなものが微妙に影響して、いつも自分の仕事場でやっているのと勝手が違う。おまけに衆人に晒された状態で蕎麦を打つなんて、なんて緊張するんだろう。お客さんの視線が気になるのだ。

 梅ちゃんは僕の三十五年来の友人だ。僕が高校生の頃出入りしていた飲み屋(はあ?なんじゃそりゃ!)の常連さんで、家具職人である。彼は拘りの人だ。例えば、自ら作る家具に塗る漆は自ら山に取りに行く。今回使わせてもらった蕎麦捏ね鉢もその漆が塗られていた。蕎麦ザルも手作りである。蕎麦包丁でさえ、農家に放置されていた藁きり包丁を自分で仕立て直したものだ。もちろん、蕎麦は自家栽培、自家製粉の十割蕎麦だ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 彼の蕎麦打ち技術は繊細だ。十割蕎麦は、打ったことがある人なら解るのだが、そう簡単に繋げる事は出来ない。二八蕎麦に比べ粘りや保湿力に劣るので、それを、細く長く打ち上げるには、大胆でいて繊細な技術が必要だ。僕も時々挑戦するのだが、全く思った通りには出来ていない。だが梅ちゃんはその扱いをよく知っている。僕も十割蕎麦の危うさがよく解るから、ひやひやしつつ、感心しつつ彼の腕前を見させて頂いた。僕も速くそんな風になりたいものだ。

PHOTO BY TAKIZAWA TEIJI

 外では、激しい雪が降っている。朝から降り始めた雪がみるみるその嵩をまして行く。こんな降り方をするのは、長野オリンピックの時以来かも知れない。あの時は、80センチ降った。安曇野辺りに降る雪としては僕の記憶の中ではそれが一番の大雪だ。今回はそれに匹敵する降り方である。蕎麦茹で場は都合で外である。一応軒はあるが、降りしきる雪の中蕎麦をシメる。水は冷たく、手が痛むが、蕎麦は最高のシメ上がりだ。ザルに盛った蕎麦には雪が降りかかり、あっという間に凍り始めようとするから、急いで室内に運んで皆さんに食べていただいた。蕎麦の後は滝澤さんの御抹茶。茶道具も自作の茶杓、地元作家の茶碗を使って。和服で決めた滝澤さんが、気軽な感じでたてるお茶も大好評であった。そんな本気で遊ぶ大人達の集い、いいでしょ?・・・・・・・皆さんの笑顔がありがたかった。

 蕎麦会が終わる頃、駐車場の積雪は40センチ程に達していた。みなさん家に帰ってから雪かきに追われたことであろう。ありがとうございました。


木崎湖辺りへちょっと寄り道

2014年02月07日 | スキー

 

一月の中頃からスキーに行き始めて、もう何回ぐらい通っただろうか。二日に一回ぐらいのペースでスキーをしている。やり始めると毎回その時の課題が出来て、何とかそれを体現したくてついつい足を運んでしまう。スキーは半日もやれば沢山だ。と言うか僕がひとりでゲレンデに行く時はレジャーとして行くわけではなくて、練習する気持ちで行くから途中で休んだりしないし、ましてやビールなんて絶対飲まない。滑り初めて三時間もやると足はパンパンになり、押さえが効かなくなってくる。そうすると怪我も心配になるし、さっさと帰ることにしている。

 

 ゲレンデに向かおうと、未だ明けやらぬ中を大町辺りまで車を走らせると、一足早く鹿島槍辺りに陽がさし始めていた。大町市街地は鷹狩山が陰になってまだ薄暗いままだ。山にいても里で暮らしていても朝日はなんてドラマチックなんだろう。いつも僕はドキドキしてしまう。僕の家の正面にはいったい何万回見あげたのか解らない有明山が聳えているのだが、それも決して僕を飽きさせる事は無い。 

 木崎湖にさしかかると、多分今年初めてだとは思うが湖面が結氷し始めていた。凍っていない水面からは朝靄が立ち登り、僕は心を鷲掴みされてしまった。昨日雪が降ったはずだから、ゲレンデへとはやる気持ちもあるのだが、写真もその時しか撮れない場面がそこには有って、さて、どちらを優先させるのかと考える事は実に悩ましく、運転をしながら僕は喜びと興奮に身もだえるのだ。今日は朝靄を透かして黄金に輝く斜光があまりにも美しくて木崎湖畔へとハンドルを切った。

 西側の木崎湖畔をぐるりと回って撮影をした。この湖畔南側にはちょっとした街があって、かつては旅館やら土産物店やらが建ち並び夏には湖水浴場にもなって、それなりの賑わいを見せていたはずなのだが、今ではやっているのかいないのか解らない宿が多く、数件の貸しボート屋と釣り具店が商売をしているだけになっている。だが、そんな鄙びた佇まいも僕は好きだ。それはまるで数十年間も時が止まっているかのようだ。昭和がそこにはある。湖畔の道を行き交った人々の賑わいや笑い声さえ封印されたままだ。

 

 水鳥たちがのんびり浮かんでいる。潜ったりしているのはバンだろうか。こいつら冷たくないのかね?立ちこめる朝靄、岬の先に集うアオサギの群れ、対岸を通ったボートの挽き波が音も無くこちら側に押し寄せてくる。逆光に浮かぶ湖面の光と影、雪原を歩いて湖畔に近づく、誰も居ない湖面で見る贅沢な朝の光景。

 

 陽が高くなって僕は八方尾根スキー場に向かった。深雪を目指していたのだが、降ったはずの雪はそれほどでもなくて、圧雪していない斜面はガリガリの氷の上に新雪がわずかに乗っている程度だった。金具が吹っ飛ぶんじゃないかと思うほどスキー板はバタバタと暴れ、ターンすれば引っかかり、よほど快適とはほど遠いコンディションだ。転んだら酷い目に会う。こんな時は頭を切り替えて圧雪斜面を楽しむ。今日は、スピードを出さず、抑制的にじっくり深く回る。でもそれは、決していい加減な滑りではダメだ。力をしっかりと板に伝え、雪面からの答えを足の裏に受け止める。大切に大切に一つ一つのターンをこなす。イメージはそんな滑りだ。

 スキーは難しい、だからこそ面白い。滑っても滑っても逃げ水のように新たな課題がその先に見えてくる。それは歳をとったからもう遅いとか、そんな類のものではない。体力に任せてかっ飛ばすそう言う乱暴な技術でもない。それは、もっと数学的で、物理学的な技術だ。落下する肉体と雪面との対話を試みるものだ。ほんとは様々な公式や計算式が必要なはずのその技術が、ストンと理屈抜きで体に入り込むまで僕はスキーを辞められない。自由自在を手に入れるまでね。そしてそれはきっと完璧に美しいはずだ。 

 帰り道、再び通った木崎湖畔で、僕はふとそんな事を頭に思い浮かべるのだった。

木崎湖辺りへちょっと寄り道

 

 

 


冬 飯縄山 戸隠蕎麦はやはり冬 

2014年02月03日 | ツアー日記

 やたら寒かった今年の冬だが、雪と言えば少雪傾向で、一月の後半からは途端に暖かくなって、雨が降ることも何度かあった。やはり冬と言うのは寒くなくちゃいけないと僕は常日頃思っているので、雨が降ったりするととても不安な気持ちになる。地球温暖化?果たして僕ら人間の存在は悪なのか?僕らのすることなす事はとても罪深く・・・・・・・・なんて、余計な事まで頭の中をよぎっていく。だけど、そのほんとの理由は、僕の大好きな冬が過ぎていく事への寂寞感だったりする。僕は冬が大好きなのだ。

 僕が子供だった頃、僕が通った旧有明小学校には校庭が二つあって、そのひとつを潰して水が張られてスケートリンクとなっていた。冬の遊びと言えばスケート意外にはなんにもなくて、体育はスケートで、放課後もスケートという日々。みんな足の指を霜焼けにして、ほっぺを真っ赤にしてスケートをした。だが、小学校高学年になる頃からまともな氷が張らなくなって、それからスケートからはすっかり遠ざかってしまった。それからずっと、冬は暖かい。寒かったあの頃の冬を思うととても懐かしいし、それは今となっては、梅雨時日が暮れて蛍が乱舞するあぜ道を歩いたのと同じぐらい夢の様な光景に感じるのだ。やっぱり冬は寒くないと。

瑪瑙山 背後に高妻山と戸隠山

 冒頭から話がそれてしまっているが、2月1日(土)「戸隠、飯縄ツアー」のこの日も暖かな一日だった。翌日天気が崩れて雨が降ると言う予報だったので、昼からではあるが急遽初日に飯縄山を登ることにした。戸隠スキー場からリフトを二本乗り継いで瑪瑙山(めのうやま)に登る。そこから飯縄山へは一旦コルへ下り、300メートル程を登り上げる。ここに来るまでに通りすがった一の鳥居ルート駐車場には沢山の車があったのだが、こちらからは数人の山スキーヤーのシュプールがあるだけで、トレースは無かった。スノーシューを履いて少しクラストした雪をサクサクと踏んでいった。ぼんやりとはしているが、周りの山もぐるりと見渡せて、風も無くなんて暖かいのだろう。

 ジンワリと汗をかいて飯縄山頂にたどり着くと、広い山頂には一の鳥居ルートからの登山者の踏み跡が沢山残っていた。朝一番で皆さん登ってきたのだろうから、もうすっかり下山したあとだ。春霞がかかったように辺りはぼんやりとしてはいるものの、遠く北アルプスも見える。東側の足下には飯縄スキー場が見えるが、土曜日だと言うのに滑っている人がぽつりぽつりとしか見えなくて人ごとながら心配になる。その向こうには善光寺平が広がる。静かな山頂を満喫して中社ルートへ下山した。

瑪瑙山と背後には戸隠、高妻山

 此処も今年はやはり雪が少なめである。この時期は、パフパフの新雪を踏んでグイグイと下れるはずなのだが、クラストして堅めの雪に難儀させられる。スノーシューというのは、深雪であれば絶大な力を発揮するが、堅い雪の急斜面はからっきしである。踵を雪に蹴り込めないので膝が前へ無理矢理押し出される感じになって結構恐いのだ。ご愛敬だが時々ずるずる滑って転ぶ。この飯縄山なら良いのだが、日本の複雑な地形の雪山をこれで一つで歩き回るのは不可能だ。

パイプライン

 中社ルートを下山してそのまま戸隠の定宿「横倉」に滑り込む。いつもながら、手の込んだ美しい料理を出してくれる宿だ。翌日は雨予報なのでどうしようかとお客さんと相談したのだが、久しぶりにスキーをやってみようかと言う話になる。お二人ともスキーは久しぶりなのだそうだ。約10年ぶりともうひと方はなんと30年ぶり?一旦遠ざかってしまうと、道具やら何やらも大変だし、滑り方も変わっているの?なんて、どことなく億劫になってしまうのがスキーだが、この際良いタイミングかも知れない。いいね、いいね、やりましょう。

 翌日は、それほどの天気の崩れもなくぽつぽつと降る雨のなかスキーを楽しんだ。先ずは初心者コースからだが、ボーゲンスタイルでお二人とも無難に滑り降りる。流石昔取った杵柄。スキーは自転車と似ていて、何年も滑らなくても完全に滑れなくなってしまう事は無い。二本目、三本目と次第に調子を上げるお客さん。最後は、「あたし、またハマっちゃいそうだわーー」だって。やっぱり楽しいでしょ?スキーは。みなさんもこの際、もう一度スキーにチャレンジしてみては如何だろう?スキーは心底打ち込める生涯スポーツだ。登山が出来なくなってもスキーなら大丈夫とも言う。そして、何より冬が待ち遠しく楽しくなる。僕の行く冬を惜しむ寂寞感も少しは解っていただけるかも知れない。

随分待たされたので写真を撮る前に一口食べてしまった僕であった。崩れたボッチ盛り(笑)

人気店「蕎麦の実」の蕎麦打ち場、夢の様な仕事場だ。