山岳ガイド赤沼千史のブログ

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マルタイラーメンの勧め

2014年04月26日 | 登山道具考

「マルタイ棒ラーメン」ご存じだろうか?福岡市に本社を持つ即席ラーメンメーカーである。通常のインスタントラーメンは大概縮れ麺だが、マルタイラーメンの基本は長浜ラーメンだから、麺は細くストレートなのである。そのパッケージはまるで素麺の様だ。このコンパクトなパッケージが山の食料として重宝がられ、昔から山ヤのラーメンはマルタイと相場が決まっていた。大定番である。大手が作る通常の縮れ麺の袋麺はザックに詰め込まれると、それを食べるころにはすっかりバラバラになってしまう。出来上がったものはもはやラーメンではなくて、限りなく雑炊に近い食べ物になってしまう訳だ。そこへ行くとマルタイはコンパクトに纏まったパッケージだから壊れにくく、過酷なザック内環境を耐え抜き、結果僕等はラーメンをラーメンとして食べることが出来る。

 味は現在の濃厚豚骨系長浜ラーメンとは違って透明スープでとてもあっさりとしている。もしかしたら初期の長浜ラーメンはこんな味だったのではないだろうかと思わせる。麺はノンフライだからアルデンテで仕上げると小麦の風味が香ってとても美味しい。大手の旨味調味料たっぷりの物に比べて、インスタントラーメンだけれど、とても自然な食べ物の様に感じるのは僕だけだろうか。罪悪感が少ないと言うか、後味が変な物を食べたような感じがしないのだ。

 山での作り方は少し難しくて、多めの水と火力は全開でと言うのが基本中の基本だ。山の上では沸点が90度位にしかならないので、少し表面がどろっとした感じになってしまうが、それは仕方が無い。へたすると、スープを全部吸っちゃって世にも恐ろしいラーメン団子になってしまうから要注意。時々失敗するそれも、ずっと慣れ親しんだマルタイの味だ。

 ところがこのマルタイラーメンが今経営の危機に瀕しているという。もしかしたらマルタイ棒ラーメンが店頭から消える?最近カップヌードルリフィルに浮気をしていたとは言え、マルタイが無くなってしまうとしたら、僕は黙っていられないのだ。

 実は、この「マルタイ棒ラーメン」という存在について、僕は以前から不思議に思っていた。山ヤの食料としては大定番ではあるが、これを日常で食べる人がいると言うことに少なからぬ違和感を感じていた。結構そこら辺のスーパーの袋麺コーナーの一番端っこ置いてあったりして、見かける度に少し安心するのと、いったい誰が買うのだろう?という疑念の気持ちが入り交じって、いつも僕はそれを見つめていた。「もしかしたら、九州から転勤などでやって来ている人が意外と大勢いるのかなあ?」とか。そこら辺の謎は未だに謎のままだが、近所のスーパーの店頭から消えてしまうのは困るし、会社が倒産してしまうのも困る。だから、せっせと購入しようと思うのだ。知らなかったが長崎ちゃー麺とか、チャンポンとか冷やし中華とかいろんなバージョンもある様だ(知らんかった、ワクワク)。山ヤの間では箱買い運動も広がって居るようだ。皆さんも箱買い如何でしょう?場所とりませんよ。

追伸:友人からの情報、もつ鍋のシメに入れるとバツグンに美味いと言うことですよ(やっぱね)。今度やってみよう。

詳しくは以下をご覧ください。

Jキャストニュースマルタイラーメン

マルタイラーメンHP


鳥たちの恋の季節は

2014年04月19日 | 安曇野の暮らし

 ちょっと生々しくて鳥が苦手な方には申し訳ない。冬が去って、我が家の廻りでは鳥たちが恋の季節を迎えている。燕も南海からやって来て、巣を何処に掛けようかと物件を物色中だ。燕は我が家の軒下や玄関の中などに巣を作るのだが、最近この辺ではハクビシンが野生化して燕の巣が狙われる。鋭い爪で柱や板壁を登ってその巣を襲うハクビシンは燕にとっては驚異だ。軒下だとどうしてもやられてしまう確率が高くなる。これを知っている燕たちは、愛犬のハナちゃんが陣取る我が家の玄関の中に巣を架けようとする。だが、彼らの糞の問題とか、夜明けと共にチッピチッピ騒いで、早く扉を開けろとせがまれるのも大変だから、この時期玄関の戸は常に「閉」の状態を心がける。ところが燕たちは何処かからしっかり見ていて、油断するとすかさず夫婦でやって来て家の中へ入りこんでは、嬉しそうに会話をするのだ。

夫「チピチピーッツ、ツピチピチツーッ!」 (なあお前、ここはどうだい?)

妻「ピチチ、ツピチチピッツ、ピーツピーツ、ツピチピーツッ!」(あら素敵!ここなら安心して子供達を育てられるわ)

なんてやっている。入った燕を追い出そうと追いかけると彼らは最終的に吹き抜けの部屋に追い詰められて、今度は自力で外に出ることさえも出来なくなってしまうので、入らないように扉を開けないことが一番罪が無いのだ。しばらく気をつけていると諦めて軒下なんかで営巣を始める。そうすると2回目の子育ての時期までしばらくは落ち着くのだ。

 我が家を狙っているのは燕だけでは無い。そう、写真の椋鳥だ。彼らは我が家の軒下の隙間に入り込んで瓦の裏なんかに巣を作る。それだけならば放っておくのだが、困るのは春になって火の落ちた薪ストーブの煙突に入り込んでしまう事だ。椋鳥にとってはそれはとても魅力的な穴に見えるらしく、偵察に入り込んで来る。男の甲斐性を見せるためにも彼らは頑張るのだ。ところが煙突はホーロー葺きのトタン製だから内部はとても滑りやすい。横引き部分を奥へ進むうちに一旦縦引きに入ってしまうともう逃げ出すのは不可能で、カチャカチャもがきながら結局薪ストーブのところまで落ちてきてしまう。そこまで待って僕は煙突を外し薪ストーブの中の椋鳥をむんずと掴む。そして恐怖で怯え、ススでまっ黒の椋鳥に僕は話しかけるのだ。

「お前、もう来ちゃだめだよ。お友達にもあそこはヤバイッ!って言っときなよ。」

と、さんざん言い含めて逃がしてやる。椋鳥はギャッ、ギャアッーッ!と、解放された喜びの声を小さく上げて飛び去っていく。今年はこんな事が三回だ。まさか同じやつが入り込んだわけではないだろう。そこから推察すると、当の椋鳥は自分の恐怖体験をあれこれ話しているに違いないが、他の椋鳥たちは友人の忠告を一切聞かないのだと思う。だってあいつ等はいつもギャアギャアと小競り合いに明け暮れている様に思うのだ。

柔らかく握っておりますので 、悪しからず

 


芝生の子

2014年04月18日 | 安曇野の暮らし

 山ならまだしも、いくら外は希望に満ちた朝がやって来ているとしても、朝早く起きることは難しい。「春眠暁を覚えず」とはこのことだろう。もっとも僕の場合一年中なのかも知れないが。

 そこで夕方、良い気配を感じるとカメラを持ってちょっとだけ出かけてみたりする。ここは家の近所の乳房川の岸辺である。餓鬼岳から流れでる乳川と燕岳を基点とする中房川が一緒になって双方の名をとり乳房川と名を変える。子供の頃から慣れ親しんだこの川の名だから何とも思っていないのだが、乳房川なんて狙ってつけた名前なのか、たまたまなのか、随分思い切った名前を付けたものだ。その流程は二つの川の合流から、常念岳を源とする烏川と合流して穂高川と名を変えるまでのわずか数キロメートル程でしかない。

 この川の周辺には、ワサビ田や鱒の養魚場があって、これらを繋ぐ小さな川には鱒池から逃げ出した虹鱒や山女魚などが住んで居た。小さい頃この周辺で網ですくって遊んだものだ。梅花藻が揺れるそんな小川はゆったりと流れ、何処かイギリスの片田舎の小川を思わせる。行ったことはありませんが(笑)。

 上流は風化花崗岩の山だから、それを押し流すこの川の河原の砂は白く砂浜のように柔らかい。この川が作り出した扇状地である有明と松川地区はとても水はけがよく、一帯は野芝がよく発達して、それがこの流域の風情を醸し出しているのだと思う。堤防道路や古い田んぼの畦道は野芝の道だ。夕暮れ時、僕はそんな道を選んで愛犬のハナと散歩するのが大好きだ。

 そう言えば僕が通った旧有明小学校の文集の題名が「芝生の子」だった。古い木造校舎の西側には、結構広い赤松林が広がり、東と北には贅沢にも2面の校庭を持っていた。そして周辺のあらゆるところを野芝が覆っていた。そう、僕等は芝生の子だったのだ。

春の里

 


味噌を炊く

2014年04月17日 | 安曇野の暮らし

 

 この凛々しき機械は「発動機」という。ヤンマーF4。ディーゼルエンジンだ。男二人がかりでようやく移動ができる程重い。おそらく100㎏以上あると思う。僕がもの心ついた時には既に在ったから、50年以上前のものだろう。以前は稲の脱穀やら、藁切りやらいろんな農作業に活躍していたはずだが、現在は味噌の仕込み専用となっている。高級感溢れるグリーンメタリック塗装からもわかるが、かつてはこれは農家の過酷な仕事をこなしてくれる、家宝のようなものだったに違いない。何故こんなやっかいな物を未だに使っているかといるかと言えば、「動くから」としか言いようがないが、その存在感は堂々たるもので、捨ててしまうとかはあり得ない。我が家に来たのは多分僕より先輩の、友達の様な機械なのだ。

 我が家ではずっと自家製味噌を仕込んでいる。無農薬で大豆から育て、一年に一回これを仕込む。合わせる麹ももちろん自家製の米を近所の麹屋さんに作ってもらったものだ。「手前味噌」と言う言葉がある。自分の家の味噌が一番旨いと思うその気持ちが転じて、自惚れる様を表す言葉だが、実際自家製味噌を食べ続けていると、市販の味噌が実に物足りなく感じるのは確かだ。自家製味噌は生きている。その味や風味は時と共に変化し、豆と麹だけでない複雑な旨味が出てくる2年目以降の味噌が僕は好きだ。市販の味噌は実に単調で素っ気ない味にしか感じない。

 「発動機」のフライホイールにはベルトが掛けられその先にはミンサーが取り付けられている。このセッティングにはちょっとコツがいる。へたするとベルトが外れてしまうから、微妙な位置調整をして杭を打ち大地に固定するのだ。大釜では30キロの豆がぐらぐら炊かれている。

 渾身の力を振り絞ってクランク棒をぐるぐる回しデコンプを放すと、スッ、 トン、  トン、 トン、ストッ、トンッ、ストットンットンットンットットットットットトトトトトト・・・・・・と、発動機は力強く回り始めた。半端な奴には始動は不可能だ。この音は実にスタジオジブリっぽくて、まるで生きているかの様な、頑張ってる感があるのだ。この機械は機械であって機械でないそんな愛着が僕にはある。その小気味よい音を聞きながら味噌を仕込むのが我が家の春の恒例行事だ。こんな物を未だに使っている家は多分もうないのかも知れない?おそらく皆モーター式なのだと思う

 2時間ほどかけて大釜の中でふっくら炊けた大豆をミンサーに入れると、出口からドンドコと潰されたミンチ大豆が押し出されて来る。アッチッチのこれをつまみ食いする。これがまた美味しいのだ。そして、この日の晩のおかずは大豆コロッケと言うのも我が家の決まりなのだ。これがまた美味しい。日常的に食べても良いと思う程美味しいのだが、何故か世の中では見かけた事は無い。

大豆、米麹、塩を混ぜる

 潰された大豆は塩と麹と混ぜられ檜タルに漬け込めば、はい終わり。これから静かな2年間の眠りにつく。味噌は醤油と違って実に簡単だ。何軒かの友人宅と共同で今日は60キロの大豆を仕込んだ。この味噌樽を開ける2年後、僕は何をしているのだろう?

桜も良いが柳の芽吹きが僕は大好きだ。


最後のパウダー、熟練の滑り屋達

2014年04月11日 | スキー

 skier Yukiyas Matsuzawa           Photo by Makoto Kroda 

 季節外れの大雪になった初雪山から帰って泥の様に眠った翌朝6時半、白馬の松原君から電話が入った。「滑りに行きませんか?、今年最後のパウダーかもですよ。」体は鉛の様に重い。だが、最後のパウダーと言う言葉に反応して、一気に僕の体から疲れが抜けた。そして謂われのない力がみなぎってくる。

 採るものも取り敢えず、スキー道具を車に放り込んで白馬に向かった。頭の中はちょっとしたパニックになっているので、車を走らせながら忘れ物のチェックをする。スキー板、ブーツ、ストック、ゴーグル、ビーコン、ゾンデ、スコップ・・・・・・etc。滑りに出かける時はいつもこんなだ。一刻も早く現場へと心ははやり、内心は尋常ではない。

 僕は登山道具を整理しておくことが苦手で、時々大きな忘れ物をする。昨年も、登山靴を忘れたり、雨合羽を忘れたり、そんな事を時々やる。だから、最近は登山道具は車に積みっぱなしが基本になっている。悪いのはわかっている。車の中はいつも陽が当たるし、高温だったり低温だったり、登山道具の為には良くない環境であることは。全てを合わせるとかなりの重量にもなるだろうから、車の燃費にも影響するし、しいては地球環境の悪化にも僕は一役も二役もかってしまっていることも。だけど、忘れ物という重大な失態を演じてしまうよりマシと思っている。流石にスキー道具は積みっぱなしだと嵩張って邪魔なので、その度車から降ろすが、次回出かける時には忘れ物が大きな問題になる。特にこの日だけは、そんなつまらないミスで一日を台無しにしたくはなかった。

Shinichiro Matsubara 

Makko 

 そんな朝の混乱が少し落ち着く頃栂池に到着した。ゴンドラとロープウェイを乗り継いで栂池自然園まで行き、少し戻る感じで鵯峰にシールで登る。本日のメンバーは滑りには腕に覚えの有る人物ばかりだ。板を自分で作る人M氏、ガイドでカメラマンの人K氏、初めてお会いする人A氏、まっこちゃん。皆熟練のライダーだ。少し遅れて鵯峰に到着したのは元デモンストレーターの人M氏、登山ショップのオーナーの人M氏。この二人は40歳台後半にも関わらず、昨日行われた全日本山岳耐久スキーレースで4位と9位という輝かしい成績を納め、そのまま地獄の打ち上げを経てここに来たというからびっくりだ。だが、「最後のパウダー」というものを、放ってはおけないのはみな同じ。

Yukiyasu Matsuzawa

Yukiyasu Matsuzawa

Abesan

 もう4月である、雪の状態は決して最高ではない。雪崩の心配もぬぐい去れない状況ではある。ビーコンをチェックし滑り込んだ。若干湿りぎみの新雪、その下にはガリガリの斜面があったりはするけれど、最後のパウダーとしては上々だ。滑り屋達は思いっきりかっ飛ばして行く。地形と雪面の陰影を見てなるべく陽射しの弱いラインを選んで滑る。雪の状態がいいからだ。派手に雪煙をあげて滑る様のなんと美しい事だろう。ハンパ無い遊び人達の味のある個性的な滑りの妙。それぞれの熟練の滑りを堪能させてもらってあっという間に親沢に滑り込んだ。

 ここから一旦尾根を登り返して北斜面を黒川沢へ滑り込む。流石に標高が下がると雪は重く、足下から流れ出した雪が巨大なバームクーヘン状になってごろごろ転がっていく。白馬乗鞍スキー場が近づくと、猛烈なストップ雪に悩まされた。日影で良く滑る雪は日向では途端にブレーキがかかって、堪えきれないと前につんのめってしまうほどである。これへの対処で足がパンパンになる。営業が終わった白馬乗鞍スキー場を喘ぐように漕いでパーキングに帰りつくころ、僕等の顔は苦痛に歪んでいたのかも知れない。しかし込み上げるよう満足感もまたにじみ出ていたに違いない。新雪滑り・・・・・・それは楽しさや爽快感を越えて、もはや快楽である。上々の最後のパウダー滑り、ごちそうさまでした。

Abesan

 


板舎(バンヤ)クラフトの板

2014年04月10日 | スキー

超オシャレ

 スキー板である。だがこれらはただのスキー板ではない。全て手作りのフルオーダー品である。これを制作しているのは白馬「板舎クラフト」(バンヤクラフト)の松原慎一郎君だ。フルオーダーでその人の要望に合った板を制作してくれる。驚くのはこれを作り上げるための工作機械まで自作で作ってしまうと言うことだ。僕はスキー板は完全な工業製品であり、自分に合ったものをチョイスして使うものだと思っていた。彼のスキーと初めて出会ったのは、八方尾根スキー場のリフトでたまたま一緒のリフトに乗り合わせた人が履いていた奇妙なスキー板を見た時だった。それはなんと真四角の真っ赤な板だった。スキー板は常識的には先端は丸いか流線型をしているが、その先端とテールは共に真四角なのである。聞けば、深雪滑りにはそれで良いのだと言う。

 それからガイドでもある彼と一緒に仕事をする機会もあって、最近時々一緒に滑ったりするようになった。先日の鍋倉山スキーツアーも一緒だったのだが、総勢12名のメンバー中、彼も含めて三人が板舎クラフトの板を履いていた。表面にはアジアやアフリカの布が張られ、今までのスキーのデザインとは大分違った雰囲気で超個性的。基本的に山を滑るための板だから、幅広く作られたファットスキーだが、驚くほど軽く仕上げられていて、これなら歩くのも軽快で楽しいに違いない。

スプリットスノーボード(滑走時は二枚を合わせ一枚のスノボードとして滑走できる)

 僕が住む北アルプス山麓には、物作りをする人が沢山暮らしている。ガラス、陶芸、家具、織物、木彫、絵やデザイン、様々な作り手達が居る。そしておそらくその作り手達は毎日山を眺め、無意識にそれを感じて自分の作品を生み出しているのだと思う。きっと山と作品は無縁では無いのだ。そんな人達の作り出すものを使ったり、身の回りにちょっと置くことで僕らの生活は豊かに彩られる。手で触ったり、眺めたり、それは飽きることのない楽しい時間だ。

板舎クラフトの松原慎一郎とmakkoちゃん

 山を滑る道具であるスキー板がそんなハンドメイドなものであるというのは、究極の贅沢の一つである。山や滑ることだけがスキーではなくて、常に山を感じ雪を思ってそれを味わい尽くそうとする、その姿勢の極まるところがこのスキー板なのかも知れない。

「来シーズンに向けて、一台たのんじゃおうかな」

などと考えている。さて、どんな板にしようかな?・・・・僕の思う板とはいったいどんなものなのだろう?・・・・・そして僕はどんな滑りがしたいのだろうか?・・・・デザインはどうしよう?・・・・・完成を思い描く日々・・・・・もう来期のスキーシーズンは始まっているのだ。自分の為にオーダーされた板で思うとおりの美しいラインを描く・・・・なんて素敵なのだろう。

黒田誠クロネコちゃん仕様(これはテールではなくてトップです、やっぱ耳がなくっちゃ)

板舎クラフトHP


ホタルイカ、大人の朝飯

2014年04月04日 | 雑感

 4月の最初の新月の日、富山県に住むスズちゃんから連絡が入り、ホタルイカをすくいに来ないかとお誘いを受けた。直ぐ隣の県に住みながら、僕は今までホタルイカ漁の経験がなかった。よっしゃ行こう!白馬界隈のガイド達と誘い合わせて午後9時過ぎに富山県へ向かった。ホタルイカは日本海側の若狭湾やなどでもこの時期沸くらしいのであるが、なんと言っても富山湾が有名だ。ホタルイカは今が旬、日本海の春の風物詩なのだ。

 長野県人もホタルイカは大好きで、この時期富山や新潟へ夜を徹してすくいに行く。ただ、長野県人のやる事は遠くからわざわざ行く為なのか、小型の発電機と投光器をしつらえ、岩壁からこうこうとそのライトを照らし、ホタルイカをおびき寄せると言うスタイルが多い。なんか大げさで、ずるいような気もして僕は今まで何度かの誘いを断ってきた。でも富山人のスタイルはヘッドランプいっちょに、すくい網だけというやり方だという。食べる分だけすくえばいいやと言うところだろう。それなら、いいと僕は思うのだ。

 北陸道を飛ばして午後11時過ぎにスズちゃんの家に到着した。暗くてよく解らないのだが、そこは、富山平野からトンネルを一つ抜けた谷間の小さな集落のようだった。彼女の家は、黒々した富山瓦を乗せた立派な古民家で、家の中は見事に整えられ、見るもの全てが彼女のセンスと生き方を感じさせる、そんな落ち着いた雰囲気を持つ家だった。何とも落ち着くのだ。

 彼女が用意してくれた肴で一杯やる。蕗味噌、漬け物、鮭とば・・・・・etc。全て自家製である。、そして大根熟れ寿司。ちょっとこれにはびっくりした。一年近く寝かせた熟れ寿司は米の形は無くなり、まったりしたヨーグルトの様な旨味を持つ。気の利いた肴に日本酒・・・・・・・言うこと無いでしょ?なんか気持ちよくなっちゃって、ホタルイカなんかどうでも良くなってしまった僕であった。

 それでも少し仮眠をして、午前3時頃に出漁した。玉砂利の浜は穏やかで既に何人かの人々がホタルイカをすくい始めていた。ヘッドランプとバケツ、そしてすくい網だけ。波打ち際に目をこらすと、ぽつぽつとホタルイカが青白い光を放っていた。そこへ網を差し入れるともうホタルイカはそこには居なくて少し横に移動している。最初は慣れずに何処をすくっていいのやらさっぱりだったが、視野を広く採ればそれは段々見えてきていくらでも捕る事が出来た。波打ち際にも打ち上げられて、光を放つ。産卵の為の相方を捜して居るのか、我々を幻惑してその身を守る為なのか、光っては消えるホタルイカは儚く美しい。だが次第にそんなセンチメンタルはどうでも良くなって、僕の目は完全にホタルイカ捕獲モードになっていた。バケツに次第に溜まっていくホタルイカ。東の空が白んで沸きが収まるまでの1時間あまり、僕等は夢中になってホタルイカをすくった。

 再びスズちゃんの家に戻ってホタルイカを湯がいて一杯やる。朝一番で頂くホタルイカと酒の旨いこと、旨いこと。シメは僕が持参した手打ち蕎麦と土鍋で炊いた御飯。何とも浮世離れした朝飯。八人が小さな炬燵に足を突っ込んで頂く贅沢な朝飯。海で少し冷えた体と心がほんわかほぐれていった。

 明るくなってみればスズちゃんの家はやはり谷間の集落にあった。小さな尾根をトンネルで抜ければそこは富山平野だというのに、たいして広くもないこの谷に寄り添うように人々は暮らしている。僕の母の実家が、こんな山を背負った集落の一角にあったから、何となく懐かしい感じがする場所だった。山から流れ出る小川が家の脇を流れ下り、その先には集落の下の段へ続く路地が延びている。思わず歩いて行きたくなるような、そんな小径だ。何故かは知らないが僕はこんな傾斜地の集落が大好きだ。こんなところに暮らして見たいと今でもそう思う。

 歳をとると言うことは悪くない。それぞれが様々な技を身につけ、それを自然に誰かの為に使おうとする。例えばそれを持ち寄って、ふとこんな素晴らしい朝飯が出来上がる。もちろんそれは自分の為にしていることなのだが、そんな技や深い思いはやがて人の心を動かし癒す様になる。スズちゃんが振るまってくれた保存食の妙や、今の時期だから頂ける海の贈り物に、僕はすっかりやられてしまったのだ。僕らが若かった頃には絶対に出来なかった贅沢な朝飯が、何気なくこの谷間の朝にはあった。


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平日女子スキー部合宿 IN 鍋倉山、3月31日

2014年04月01日 | スキー

 飯山を訪れるのはいったい何年ぶりだろう。おそらく20年ぶりぐらいかもしれない。同じ長野県とは言え、僕の住む安曇野と飯山は遠く離れている。長野県は県歌「信濃の国」にも謳われているように、松本、伊那、佐久、善光寺の四つの大きな盆地があって、それぞれは山間地によって隔てられている。隣の盆地に行くとその景色も風土も文化も随分違って感じるものだ。ましてや久しぶりに訪れた善光寺盆地の北の端にある飯山地方は、僕からすれば全く違う土地に来たような気がした。そんな異文化の地を一つに繋ぐのが県歌「信濃の国」であると言う説がある。確かにそうなのかも知れない。

 北へ走る車の窓から見える飯山の景色は伸びやかで、僕の住む安曇野から見る急峻な北アルプスの荒々しさとはは似ても似つかぬ姿がそこにあった。昨日降った大雨を集めた信濃川が、その川幅いっぱいに蕩々と流れていく様には大河の風格が漂っていた。今日登る鍋倉山は戸狩温泉スキー場の北側にある一山という集落が基点となる。信濃川から離れ県道95号線を西側の山へ向かって登っていくと、みるみる雪の量が増えてきた。この山の向こうは豪雪の新潟県なのだ。

 僕と同行の松原ガイドは一山集落で本体である「平日女子スキー部」を待つ。ここから先は除雪もまだで、どん詰まりに車を止めてここからシール登降の始まりとなるのだ。シールとはスキー板の裏に貼り付けるもので、かつてはアザラシの毛皮で出来ていたという。短く密な毛が一方向に揃っているため、雪に食い込んで斜面を登ることが出来るようになる。山スキーの金具は踵が上がるようになっているから、この組み合わせで普通に歩くのと全く変わらず雪山に踏み込める。そのバツグンの浮力はワカンやスノーシューなど問題にしない。ふかふかの新雪でも、鼻歌交じりでスピーディーに登れて、しかも最後には滑りという、一番のごちそうまで用意されているのが山スキーだ。 

「平日女子スキー部」がやって来た。この時まで知らなかったのだが本日はなんと女子9名。そこに黒一点永井ガイドが混じる。彼女たちは昨日から野沢温泉に乗り込んでスキー合宿をしていて、永井ガイドは唯一男子としてそこに参加していたのだ。凄い人だ。

 この「平日女子スキー部」は、北アルプス北部界隈山岳関係者重鎮女子たちによる緩いスキー部で、そのメンバーはいちいち説明は差し控えるが、泣く子も黙る姉御達の集団である。彼女たちの到着と同時に、どんよりと垂れ込めた雲間から光が差したかのような錯覚を覚えた。なんか、ドキドキする。早くもそのパワーに圧倒され気味だ。

 総勢12名、軽く挨拶をしてガイド役の戸隠ガイドの酒井敬子さんを先頭に出発した。民家の裏山がいきなりブナの原生林である。ちょっとそのシチュエーションにびっくりする。ブナの森は森がいろんな植生を経て最終的に到達する形なのだと言う。と言うことは原生林としての歴史が長く古いと言うことだ。だから、ブナの森は特別な森なのである。周辺の地域がどんどんとスキー場開発でブナ林を伐採した時にもこの一山周辺の人達は動かず、この貴重なブナの森を守ったのだという。自分の家の裏山にこんな森を感じつつ生活をするというのはどんな気分なのだろう。そっと目をつむるだけで、深く静かな瞑想の世界へ誘われてしまうのだろうか。

要注意 所々にトラップ有り

狸のタメグソ

 ゆるゆると、そして賑やかに一行は進んだ。穏やかな斜面は登りやすく、ブナの森は樹間が疎らだから何処でも自由自在にルートを選べる。一列になってみたり、それぞれが気になるブナの巨木まで足を伸ばしてみたり、心からリラックスして登っていく。森に癒されるというのは、葉を茂らせた夏の森だけが持つという力ではないと言うことに気づく。冗談を交わしながら、自然とみんな笑顔になっている。写真をとればその全てがどこを切っても笑顔の金太郎飴である。

気ままに登る

何処でもどうぞ

奇跡の一枚 (昨年の葉は全て雪の下のはずだか、何故か一枚だけ雪の上に)

 登るにつれさっきまでどんより垂れ込めていた雲も消え、青空が次第に広がって来た。標高が上がるとブナの枝いっぱいに雨氷が花を咲かせている。氷温に近い雨が、風で吹き付けられながら枝先で氷化したものだ。霧氷に似ているが、透明な氷なのでキラキラと光を透かしてダイヤモンドの花のようである。ここら辺で桜が咲くのはまだ大分先のことだろうが、一足先にブナの花見が出来るとは。

 樹高が低くなれば広く開放的な鍋倉山頂だ。一気に広がるのその視界の先には上越方面の平野と日本海が見える。心と体が空に融ける瞬間だ。長野県の山からはなかなか見ることが出来ないこの海まで伸びやかに広がる大展望はたまらない。こんな優しい山も良いなあと思うのだ。これから始まる大滑降への期待を胸に、うららかな春の風の中で賑やかに昼食。何を話してもケタケタ笑うお年頃の女子達の声がそこだけ異次元の空間を作り出していた。

十一仏を従えて「ゆかり千手観音」降臨

 さて、いよいよお楽しみの始まりだ。メインイベントはこれからだ。シールを外し、ブーツ、ウェアーの絞めるところを絞め、手袋、ゴーグルを装着、ソワソワと滑走の準備をした。山スキーの時はいつもそうだが、この滑走前の緊張感と期待感は、普通の登山には無いものだ。僕は競走馬になったことは無いが、ゲートインした馬たちはきっとこんな気分なのでは無いだろうか。

ひゃっほー!

 思い思いにシュプールを描く。日当たりが悪いところはバリバリクラストしていたり、日向はねっとりした雪だったり、堅かったり、柔らかかったり、その全てが快適というわけではない、それが自然の雪だ。自分が培ってきたスキー技術を総動員して勇気をもって滑る。足の裏に瞬間瞬間訪れる雪質を感じて最大限雪を楽しむのだ。ブナの巨木をすり抜け、一つ一つのターンを味わう。藪もないブナの樹間は疎らで絶妙、楽しいったらありゃしない。やっぱ、山スキーは最高である。

天然のハーフパイプを攻める makko

スズママ

八ヶ岳美樹ガイド

MIHOCHAN

BOSS松原ガイド(板屋クラフトCEO)自作の板で滑る、板屋クラフトについてはまた後日

森太郎(推定樹齢300年以上)

 登ったルートとは別なルートを滑り、途中巨木「森太郎」サンにご挨拶してあっという間に僕らは駐車場に滑り着いた。ほんとにあっという間である。スキーゲレンデで滑るのと比べれば、格段に滑る距離は少ないのだが、その一本の滑走だけで山スキーヤーは満足なのだ。スピーディーに登りを楽しんで、滑りという最高のおまけが付いてくる山スキーは、出来る人ならやらない手はないのだ。

 戸狩スキー場前の「暁の湯」にて入浴、そのまま白馬八方へ転進し、風車の様な餃子、すり鉢ラーメン、ホルモン焼きを平らげて、体育会系「平日女子スキー部 IN 鍋倉山」合宿はようやくお開きとなったのである。因みに、この中には鍋倉から自宅とは真逆の八方へわざわざ餃子を食べに来て、そのまま所沢に帰ると言う猛者もいたのだ。恐るべし「平日女子スキー部」。

乾杯 いや 完敗。

平日女子スキー部 IN 鍋倉山