山岳ガイド赤沼千史のブログ

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「買ってはいけない!」のかも知れない

2014年03月30日 | 登山道具考

 冬山の必需品、ワカンである。かつては芦峅寺カンジキに代表される様に籐製のものが主流であったが、最近はアルミ製のものが殆どである。同じような機能をを持つ道具としてスノーシューがあるが、日本の冬山を自在に歩くには不向きで、どうしても軍配はワカンに上がる。スノーシューは大きく、急斜面やトラバース、堅い雪面ではからっきし役に立たなくて、結局その重いお荷物をただずっと持ち歩かなくてはならなかったりする。道具は使い様だから、これから自分がすることに対応してその日の道具を賢くチョイスしなくてはならない。僕の場合登山は全てワカン、スノーシューは雪の日帰りハイキング用と考えている。

 ところでそのワカンについて。上の写真は左が EXP OF JAPAN製、右は MAGIC MOUNTAIN製だ。そのEXP OF JAPAN製、これが問題だ。登山ショップでもよく見かけるこれ、というか、これしか置いてなかったりもする。僕はレンタル用にこれを4台所有している。購入してから5年ほどである。ほぼレンタル用だから使用頻度はさほどではないのだが、ふと気がつくとその全てがガタガタたになっているではないか。見ると前後の輪っぱを繋ぐカシメの頭が吹っ飛んで何本かなくなってしまっている。前後の輪っぱを繋ぐパーツはこのカシメのみだから、最も大事な部分だが、その強度がなさ過ぎるのが原因だ。4枚目の写真はMAGIC MOUNTAIN製だが、見るからにカシメの質が違うことがお解りかと思う。仕方が無いので見合ったボルトナットを取り付けて余分なボルトを金ノコで切断し、その頭を金槌で叩いてナットが緩まないように自分でカシメて修理をした(3枚目)。

 この EXP OF JAPAN製を使っている友人ガイドがいるが20年近く使っていると言うことだが、全く問題ないという。だから、その全てがダメな製品とは言い切れない。僕がこれらをまとめて購入した時期の製品が特別粗悪なものなのかも知れないが、ご購入に当たってはよくそのカシメ部分に注目して頂きたいと思うのだ。 

あまりにも貧弱すぎるカシメ

この後ボルトの余分を切断し頭を金槌で叩いてカシメて仕上げる

MAGIC MOUNTAIN製のカシメ、しっかりしている。全体の重量はこちらの方が重い。

 


大阪毎日ツアー赤岳と硫黄岳

2014年03月29日 | ツアー日記

 日本海側では、再び大雪となったのだけれど、一夜明けてみれば素晴らしい快晴の朝になっていた。やはり3月にもなれば冬型の気圧配置は長続きしない。放射冷却できりりと冷えた日の空は格別で、空気は限りなく澄んで、自分の目が良くなったような気がする程に、全てのものがクッキリと見えた。八ヶ岳は内陸に位置するからもともと晴天率は高い。だが、その中でも特別な1日というものがある。この日こそ、まさにその1日だったのだと思う。

 3月の三連休、好天に恵まれて八ヶ岳赤岳周辺は賑わった。テントは赤岳鉱泉と行者小屋を合わせて、100張り以上も有ったと思う。カラフルなテント場は華やいだ雰囲気で、赤岳、阿弥陀岳、バリエーションルート、アイスクライミングなど、それぞれの目的に向かってみな出発していく。

 僕らが泊まった赤岳鉱泉も満室状態だった。部屋は暖かく、食事はバツグンに豪勢で美味しい。ここに泊まった二日間1日目は豚しゃぶに巨大なサンマの塩焼き。二日目はなんと霜降りステーキだった。まだ冬なのに、こんなに人が来て、八ヶ岳って凄いところだね。いや冬だからこそこんなに賑わっているところなのだ。雪は少なめでアプローチは簡単、好天率高く、小屋の設備も充実、アイスクライミングや冬のルートにも事欠かない。全てを持っているそんな場所なのだ。

 前日降った雪が八ヶ岳の岩壁に吹き付けて、全山エビの尻尾に覆われていた。そのエビの尻尾が光を拡散させ宇宙が透けて見える程の青空に映えて眩しい。赤岳に一番登りやすいと思われる文三郎道は数珠つなぎの状態で、ロープを使うもの使わないものが交錯して赤岳を目指す。雪面は堅く締まっていて滑落したらひとたまりもないから、ロープは使うべきルートだと思うのだが。

 この時、赤岳鉱泉で出会ったばかりの野田賢君(31)が27日鹿島槍ヶ岳で滑落死した。夏は岳沢小屋、冬は赤岳鉱泉で働きながら先鋭的登山を試みていたクライマーだ。昨年アジアの優れた登山家に送られる「ピオレドール・アジア」も受賞している。そンな彼がなんで?心がざわついてならない。登山をするものの傍らにはいつも死が寄り添っているのだと思い知る。・・・・・・・合掌。

 


使えるゴム手袋「テムレス」

2014年03月27日 | 登山道具考

 

 登山道具考と言うカテゴリーを開きながら、まともな登山用具についてあまり語る事はないのだが、今回もそんなサブカルチャー的登山道具をご御紹介。

 先日行ったBSTBSのロケの仕事で同行してもらった加島ガイドに勧められ、この間の白馬岳雪洞ツアーで使用してみたこのゴム手袋「テムレス」という。その名の示すとおり、「手蒸れがレス」なゴム手袋。ホームセンターに売っているなんの変哲もないゴム手袋である。

 ただ、こいつは凄い。ゴム手袋のくせに、3時間に及ぶ雪洞堀でもその中は殆ど蒸れることなく世紀の大工事をやり遂げた。この手の手袋は今回のような雪洞堀りや、冬の水造り等の時に必要なので必ず持って行く。だが、どうしてもその中は湿気で蒸れて、終いにはものすごく冷たくなってしまうものだが、こいつはへっちゃらなのだ。雪洞堀りと言えば、相当な体力を使うし、手の発汗量もハンパないと思うのだが、何となくしっとりしてるかなあ?程度ですんでしまった。

 これからやってくる湿った雪や冷たい雨の季節、これがあれば心強い味方になる。おそらく夏だって手を濡らさずに行動できるのではないか?これは画期的なのではないかと思うのだ。ほんとすごいから是非使って見て頂きたい。ホームセンターの作業用衣料品コーナーで500円ぐらい。ゴム手袋としたら破格に高いのだが、価値あります。

PS:これを出してるメーカーはもったいないなあと思うのだ。少し格好いいデザインにして山用品とか、スポーツ関係で売れば5倍ぐらいの値段で売れると思うのだが。でもこんなのが日本の職人魂の産物だとも思う。


青い夜明け 雲上の世界3月18,19日

2014年03月24日 | ツアー日記

 未明に雪洞を抜け出して栂池自然園の雪原を行く。昨日降り続いた霰はようやく止んで風もおさまったが、辺りは深い霧に包まれていた。だが時々すっと霧は晴れて、西に沈もうとしている月が小蓮華岳辺りの稜線を照らしているのが見える。幻想の夜明け。ホワイトアウトした広い雪原を時々見える月を頼りに進むと、次第に夜が明け始めた。上空は晴れているに違いない。最高の1日になる予感がした。

 雪は締まっていてワカンなしでも歩くことが出来た。全山がアイスバーンか堅いクラストの状態だ。昨日の霰は強い風に吹き飛ばされみんな何処かへ行ってしまったようだ。快適に雪原を行く。楠川の源頭を左に見る頃には朝日が辺りの山を照らし始め金色に輝き始める。その美しさは言葉にすることが出来ない。こんな夜明けは今までも何度も見たはずだが、今日は何故か特別な夜明けのように感じる。それは毎回の事かも知れないが、この高鳴る気持ちはいったいなんなのだろう。何度目だろうと、そしてこれからもずっと、こんな朝に僕ら登山者は興奮するのだろう。みんな廻りをキョロキョロ見回しながら、ぽっかり空いた霧の間から垣間見える朝の光に歓声を上げる。

 船越の頭への尾根を緩やかに登っていくと、僕らはなにひとつ遮るものもない晴れの領域に入って行った。ふり返ればそこは遙かまで雲海に埋め尽くされていた。朝日が雲海の表を眩しく照らしている。夕べ泊まった雪原はその雲海の端っこで、今まで僕らはその波打ち際にいたのだ。なんて素晴らしい光景だろう。言葉を失ってしまう。

 適当な斜面を登っていく。どこを歩こうが自由だ。道はない。道は自分たちが道と決めたところが道になる。あの尾根も、この谷も、自分で行けると思えばそこが僕らの道になる。雪山は限りなく自由で、僕らの想像力を際限なくかき立ててくれる。これが、雪山の醍醐味なのだ。

 下界では天気予報通り午前中は曇りなのだろう。この一面の雲海では、晴れ間など何処にもないぐらいにどんよりとしているのかもしれない。ところがそれを突き抜けたここは全くの別世界。何度見てもため息が出るほどの素晴らしい雲海に、山々が島のように浮かんでいる。これぞまさしく雲の海だ。

 船越の頭への最後の急登を登り切って、稜線に飛び出す。いきなり雪倉岳や朝日岳が見えて胸のすくような気持ちだ。風は若干強いが、さらに進んで、僕らは小蓮華岳に到着した。夕べの雪洞泊を悪天候で上部に上げられなかった為今回はここまでとする。白馬岳はもうすぐそこに見えるし、もったいないぐらいの好天だが、お客さんも満足げだった。

 船越の頭から下降する頃には雪が腐り始めていてアイゼンに特大の雪団子がつく。傾斜も急だが、雪団子でアイゼンの爪が効かない事の方が余程恐い。一歩ごとにカツンッ、カツンッとピッケルで雪を払わなくてはならないほどだ。失敗したら数百メートルは滑落してしまうだろう。5ピッチほどロープを使い支点をとりながら慎重に降りる。傾斜も落ち着いたら後は大シリセード大会だ。

「おら!いけーーーーーーーー!」

数百メートルを一気にお尻で滑る。沸き上がる歓声。やっぱ雪山は楽しいね。

14白馬岳雪洞

 

 

 

 


雪洞を掘る

2014年03月21日 | ツアー日記

 予報が悪い。寒冷前線が通過するのだ。午前9時30分に白馬駅で待ち合わせる頃には既に雨が降り始めていた。歩いた後に雪洞を堀り上げ、そこに泊まり翌日白馬岳を登頂する予定の今回のツアーだが、栂池ロープウェイを降りて自然園付近で直ぐに雪洞堀り作業に取りかかった。今日はお客さんとガイド合わせて7名が泊まる巨大雪洞を掘らなくてはならない。適当な吹きだまりを見つけてスコップを突き刺す。

 今年は雪の絞まり方が早いのか、雪は堅く手強い。だがそれは最初だけで、奥に行けば大概柔らかく掘りやすくなるものだ。掘っては投げる。また掘っては投げる。二人がスコップを使えば後の人間はそれをコンロ台にしてるアルミ盆で遠くへ追いやる。お客さん達も楽しそうにこの建築作業に従事してくれた。なかなか頼りになる面々。

 しかし問題のその雪の堅さだが、一向に柔らかくなってこないのだ。登山用のスコップはアルミ製で、大した打撃力もないのでこの雪の堅さには難儀する。サクサクっと4隅にスコップを入れ、ごそっとブロックを掘り出せれば仕事はどんどん進むのだが、渾身の力で打ち込んでも、欠片が剥離する程度しか取れないので、息は上がり、手首は腱鞘炎にでもなりそうだ。だが、何がなんでも掘り上げなくてはならない。途中からは全員が意地になってきた。次々交代をして力を合わせてひたすら・・・・・・・

掘る、投げる、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る投げる、掘る、掘る、投げる、送る、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、投げる、掘る、掘る、掘る、投げる、掘る、送る、投げる、送る、送る、送る、掘る、掘る投げる、、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、投げる、送る、掘る、掘る、投げる、掘る、掘る、投げる、送る、投げる、送る、送る、送る・・・・・・・。

降りしきる霰、轟く雷鳴の中の作業

掘る、投げる、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る投げる、掘る、掘る、投げる、送る、送る、送る、投げる、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、投げる、掘る、掘る、掘る、投げる、掘る、送る、投げる、送る、送る、送る、掘る、掘る投げる、、掘る、掘る、投げる、送る、送る、投げる、送る、送る、掘る、掘る、掘る、掘る、送る、投げる、送る、送る、投げる、投げる、送る、掘る、掘る、投げる、掘る、掘る、投げる、送る、投げる、送る、送る、送る・・・・・・・。 

 こうして僕らは3時間余りを費やして四畳ほどの空間を作り上げた。高さは1,5メートルほどだ。ここからは拘りの仕上げ作業だ。四隅までカチッと角を出し、ほぼ完璧な箱形にする。天井は仕上げが悪いとコンロの熱や湿気で次第に水を含み水滴が垂れる様になるから、丁寧にデコボコを削り取り奥から入り口にかけて微妙な傾斜をつける。壁には靴や小物を収納できる棚を三つと、これも欠かせないローソクのための小さな棚を二つ設けた。最後に作業のために広く開けた入り口を掘り出したブロックで半分程塞いで、ツエルトを垂らせば完成である。寒冷前線の通過でここ栂池自然園では霰が降り、時折雷鳴までが轟く中、僕らの白いホテルはついに竣工したのである。

拘りの仕上げ作業に没頭する赤田ガイド(別名 南極1号)

 うーん、広くて快適。雪の堅さが幸いして背中でもたれ掛かっても崩れたりないし床も見事に平らだ。蝋燭の炎が美しく掘り上げられた壁をゆらゆらと照らす。外では依然として霰が降っていて風もあるが、ここは完全な静寂の世界・・・・・・・・・お客さん以外はネ。

うっとりする蝋燭の炎

 雪洞の中は暖かいのかと言えばそうでもない。では寒いのかと言われればそうでもない。だが水は決して凍ることはない。湿気は多い。あれ?これはなんか知ってるぞ・・・・・・そう、それは冷蔵庫のチルド室みたいなものだ。刺身の気持ちがよく解るってもんだ。テントの中ではコンロを焚けば厳冬期でも即座に室温は上がるが、雪洞では室温は決して上がることはない。だが、この中は吹雪とは無縁だし、シュラフに入れば朝まで快適に眠れるのも雪洞の素晴らしさ。全員が雪洞初体験で、皆さん楽しそうだった。この日も早朝の出発に備えて三時半に起床するまで、実に暖かく静かな夜だった。

 一晩だけではもったいない程の完璧な雪洞ホテル。栂池ロープウェイ自然園駅から徒歩5分、最高の物件である。良かったらどうぞ。

蝋燭に照らされる美しい壁面。横に何本か見える筋のようなものは雪の年輪だ、この時天気が良くて融けた部分は氷の層となり光を通しやすくする

 


BSTBS西穂高岳リベンジロケその2

2014年03月20日 | テレビ出演

前回の1月、そして今回と悪天候に悩まされた撮影隊もラスト一日に勝負を賭ける。2月26日未明の出発だ。空には星が輝く、風は微風、「よーしやってやろうじゃないの!」

厳冬期の西穂高岳稜線にテレビ局カメラが入るのは10数年ぶりだそうです。都合4回目のアタック・・・・・是非ご覧ください。

 

BSTBS日本の名峰絶景探訪シリーズ 西穂高岳再挑戦版放映

3月22日(土)21:00 放送
#37 「岩と氷の殿堂 西穂高岳 再挑戦」

長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる標高2,909mの飛騨山脈南部の山、西穂高岳。

丸山、独標、ピラミッドピーク、そして山頂へのルート。独標までは、多くの登山者が訪れる。だが、その先はアルピニストだけの世界。冬の西穂高岳登頂は、雪稜、雪壁、岩稜の登下降、トラバース、雪山の総合力が問われる。めまぐるしく天候がかわる雪山は、登山者を容赦なくせめてくる。

前回、果せなかった山頂を求め、海洋冒険家・白石康次郎が再び挑む。

【 ロケ日: 2月24日~26日 】

 

BSTBS西穂ロケ

 


全身筋肉痛 地獄のラッセル冬甲斐駒ヶ岳

2014年03月16日 | ツアー日記

強くなった陽射しが射し色を増す尾白川 

 朝目覚めてみると体が鉛のように重い。何とか体を起こし立ち上がろうとしのだが、足がハンパ無く痛い。腕や背中や肩までもバキバキである。跪いてそれからようやく立ち上がる。階段を降りる時など苦痛に顔を歪めずにはいられない。誰かの介助かせめて杖でも僕に与えてくれないだろうか?

 原因は酷い筋肉痛である。昨日予定を一日早めて甲斐駒ヶ岳黒戸尾根にある七丈小屋から下山してきた。もともと、2泊3日の予定で甲斐駒ヶ岳を目指したのだが、予想外のラッセルに苦しめられた僕らは、11時間半を費やしてようやく七丈小屋にたどり着いた。通常なら7時間ほどの行程である。

何かの鳥の巣が落下していた。右側が下地で左のは多分お布団だ。愛の巣。

 2月15日には甲府地方で113センチの観測史上最高の積雪を記録した。ひと月がたってもその影響は未だにあって、甲府盆地からグルリ見渡す山々の様子はいつもの年とは全く違って見える。富士山や八ヶ岳などは斜面全部が真っ白な状態で、樹林の低山などにも雪が目立つ。

 黒戸尾根の登山口である竹宇神社から尾白川を吊り橋で渡って反対側の斜面はすっかり雪に覆われていた。例年なら、2~3時間ほど登り詰めないと雪は現れない。雪も堅いので迷わずアイゼンを装着する。だがこれがこの地獄の一日の始まりであった。

いちいち踏み込まなくてはならない雪質

 黒戸尾根は駒ヶ岳までの標高差は2,200メートル。途中の登り返しまで含めると2,300メートルを越す日本屈指の急登である。今夜宿泊予定の七丈小屋まででも1,600メートルの標高差を一気に登らなくてはならない。しかも、今年は初っぱなからアイゼン行動だ。最初のうちこそなんと言うこともなく僕らは登って行ったのだが、このアイゼン歩行がボディーブロウの様に次第に僕らの体力を奪って行く。 

 始め薄かった雪は徐々にその厚さを増していった。前日は平地では大雨であったが、標高の高いところでは湿った積雪となっていて、それが朝方の冷え込みで冷やされてバリバリのクラストになっていた。いわゆる最中雪である。上に乗れたり落っこちたり、不安定な足場は何とももどかし。途中で単独の若い男性登山者が僕らを追い抜いたが、結局ラッセルがきつくて直ぐまた僕らが追いつき、先頭を交代しながら登って行くことになる。いつもより大分時間が掛かっている。半ばを過ぎた辺りから僕は常に最終到着時間を計算していた。何とか日没までに七丈小屋に到着したいが、もしかしたら引き返した方が良いのかも知れないなどと考えていたのだ。

アイゼンワカン、ベルトをしっかり締めないとワカンのベルトを傷めてしまう

 八丁坂でアイゼンの上にワカンを履く。この日のように雪が堅かったり柔らかかったりする時に使うやり方だ。通常なら雪など何もない刃渡りは立派な雪稜になっていた。それでも、男性登山者という力強い相棒を得て、僕らは虫のように標高を上げていく。彼がいなかったら、おそらく撤退していたかも知れない。彼はもうぼくらのパーティーの一員となっていた。同じ目的を持つ同志だ。どこに行ってもラッセルとはそういうものだ。ラッセル出来る奴がパーティー関係無く踏む。グルグル交代しながらキャタピラーの様に踏んで前へ進むのだが、着かず離れず後を着いてくるような小賢しい登山者も稀に存在する。

桟橋を渡る、墜ちたら谷底までまっしぐら

 五合目小屋跡まで来ればもう引き返す気は無くなる。だがここからが大変だった。小屋まではコースタイムで1時間半ほどのところだ。ここからはロープを装着する。横殴りの雪の中、梯子、鎖場、桟橋、屏風岩の岩場、そして深い最中雪の超急坂ラッセル、滑落は許されない難所が続く。腕で崩し、膝蹴りを食らわし、足でガンガン踏んで足場を作る。コースタイムの3倍もかけて、ようやく七丈小屋にたどり着く頃には辺りは殆ど暗くなっていた。所要時間11時間30分、みんなバテバテでの到着だった。

屏風岩をロープで

 本当ならメシも喰わずに、ビールなど煽って寝てしまいたいところだが、食事を作る。ジンギスカン、麻婆春雨。一緒に頑張った彼、品川さんにも振る舞って無理矢理食べる。そうじゃないと明日の活力は絶対生まれない。小屋の大将によると、2月の大雪の後ひと月も経つが登ってきたのは10人ほど。小屋から上部、甲斐駒ヶ岳までは誰ひとり行っていないとのこと。一日かけても頂上にたどり着けないだろうと言う。それは僕らでも簡単に予想できた。と言うか、明日の朝から再び猛烈なラッセルをする気力はもう誰にも残っていなかった。なんとなく明日は帰ろうねみたいな話になって、言葉少なく夕食を済ませ全員撃沈。

月光の七丈小屋

甲府盆地の夜景

 と言うわけで翌日快晴の黒戸尾根を僕らは迷わず下った。土曜日だから15名ほどの上山者にすれ違った。昨日僕らが踏んで来たから、楽ちんそうだった。いいなあ。来年は日曜日スタートにしようなどと小賢しいことを考える僕であった。

快晴の駒ヶ岳を後にする、頑張ったから未練はないのだ

 

 


BSTBS 日本の名峰シリーズ西穂高岳 再放送

2014年03月13日 | テレビ出演

 

 僕が同行させて頂いた「BSTBS 日本の名峰シリーズ 氷雪の鎧を纏う峰 西穂高岳」の再放送とその再挑戦版が2週続けての放送となります。言うなれば冬の西穂ウィークというわけです。海洋冒険家白石康次郎氏とスタッフ、ガイド達の奮闘ぶりをご覧ください。

リベンジロケ記事に関しては「・・・・・・・つづく」としておきながら、ほったらかしている僕ですが、続きは本編放送をご覧頂ければと思います。迫力の映像満載のはずです。ああ、僕も楽しみ!

 

BSTBS 日本の名峰シリーズ 西穂高岳

再放送   3月15日(土)21:00~

リベンジ編 3月22日(土)21:00~

 

BSTBS日本の名峰絶景探訪シリーズ西穂高岳ロケ同行ブログ


 


涙が止まらないのです、再

2014年03月12日 | 石巻、三陸、福島

 あの日僕はスキーに出かけていた。前日には良い雪が降ってパウダー滑りにとコルチナスキー場に出かけたのだ。現場で会ったガイド仲間とひとしきり滑って疲れ始めた頃だった。ブナの森を縫うように滑っていた僕は誤って木に激突してしまった。板は外れず、僕はそのまま二本の木の間に逆さまにひっかかってしまった。おまけに猛烈に背中が痛む。ひとりもがけど苦しめど脱出できない。仲間は気づかず先に下ってしまった。痛みに耐え渾身の力を振り絞ってようやく脱出するのに10分程かかっただろう。体勢を整えて板を履くが、背中が痛くてまともに滑ることが出来ない。駐車場へたどり着くまでどれほど長く感じたろう。車に乗り込んで家に帰ろうとしたが、座っていることさえままならない。途中何度も休みながらようやく僕は家に帰りついた。

「やっちまったな、こりゃ」

腰から脊椎にかけて半端な壊れ方ではないような気がした。絶望的な気持ちで横たわっていたその時、我が家が大きく揺れ始めた。その震動は通常の地震とは全く違う激しい横揺れ。ミッシミッシと我が家の古い軸組がきしんだ。その揺れは2分ほども続いたように思う。

 揺れが収まってテレビを点けた。それからは、それぞれ皆さんが体験したそれである。忘れもしないあの一日。あれから3年が過ぎ僕はいったい何をしたのだろう?

 

 友人のガイドでもあり岳沢ヒュッテ支配人の坂本龍志君が僕が以前にシェアした動画をこの時期にシェアくれたので、僕ももう一度ここに掲載させて頂きます。前にも「涙が止まらないのです」として紹介したのですが、これは僕の生涯の中で最も衝撃的な画像なのです。

 

阪本龍志君のブログはこちら

 

 

   (かなり衝撃的な動画です、閲覧には覚悟をもって臨んでください)

 

14冬期西穂高岳3月8~9日

2014年03月11日 | ツアー日記

明け行くピラミッドと西穂、奥穂

 2月末に訪れた西穂高岳に再び訪れた。この冬4回目の西穂である。前回まではBSTBSのロケだったが今回は僕の企画するツアーだ。3月にしては強い寒気の流入が始まって、しばらく冬型の気圧配置が続くという予報である。風がそこそこで青空が顔を出してくれれば、力強さを増した太陽がぼくらの体を温めてくれるはずだが、そうでなければ依然厳冬期の稜線で有ることは間違いない。僕らは不安を半分抱いて西穂山荘に到着した。

 西穂山荘の支配人である粟澤さんは気象予報士の資格を持っている。テレビのロケの時も悩ましい天候の中、非常に詳細で緻密な予報をして頂いた。山の天気は通常我々がテレビなどで見る天気予報が当てはまらないことがよくある。下界は曇ったりしとしと雨が降っていても、山の上は雲海の上で快晴だったりすることさえもある。風の動きも低層、中層、高層ではまた違うらしくて、それらを立体的に捉えないと、山の天気の予報は難しいのだそうだ。ロケの時は粟澤さんの予報は見事的中した。2日目の登頂日は風雪強く、午後は更に風が強くなると言うように、数時間単位で予報されていた事がほぼその通りに現実のものとなった。

 今回も粟澤予報士に全てをゆだねる。それによると明日は風はあるものの若干冬型は緩んで晴れ間も見えそうで、明後日は再び風雪が強まり、もしかしたらロープウェイが運休するかも知れないとのこと。僕の考えでは明明後日に天候は回復すると言う予報だったので、三日目の登頂の方が有利なのではないかと思っていたのだが、そうではないと言うことだ。それではと言うことで朝食を朝弁当に替えて未明に出発することにした。明日は3時半には起床しなくてはいけないのだが、折しもこの日大阪毎日旅行のご一行様がこの山荘にやって来ていた為に、馴染みの添乗員やガイド達と少し飲み過ぎてしまった僕だった。

 午前三時半に起床して先ず外に出てみると空には星が輝いていた。風も大したことはなさそうだ。「よし!行こう。」朝食を済ませアイゼン、ピッケル、ハーネス、ヘルメットのフル装備で未だ明けやらぬ山荘を出発する。この時間に出かけたのは僕らだけだった。僕はよくこんな事をする。この朝の1時間、2時間の早立ちが心に余裕を持たせてくれるから。テント泊でも大概ヘッドランプで出発する。夏の事ではあるが、夕方まで歩いている人をよく見かける。まだ明るいんだから良いじゃないかと彼らは言うのだ。暗くなって山小屋に到着する人も。だが、それは大きな間違いだと皆さんはお解りいただけるだろうか?

 前日までのトレースは殆ど消えていて、時々ウロウロ彷徨いながら独標基部にたどり着く頃ようやく明神岳辺りから太陽が昇ってきた。ロープを装着し独標に取り付いた。雪は堅く蹴り込むアイゼンに力を込める。ピッケルもかなり強く打ち込まないとしっかりと効いてはくれない。今日は少し手強いかも知れない。厳冬期が過ぎて時々暖かな日がやってくる頃になると、こんな山の上とは言え日の当たる場所では雪が融ける。その融けた雪が夜間の冷え込みで再凍結するものだから、雪は次第に氷へと変化してくるのだ。完全な青氷になってしまえば、アイゼンの爪など全く刃が立たない程になる。そうなると、登降の難易度は格段に上がることになる。今回はそこまでではないのだが、アイゼンを数回蹴り込まなくてはならぬ場所も頻繁にあった。おまけに新しく着いた雪がサラサラで固まらず、足下がグズグズでいやらしい場所も多い。足下が不安定というのはどうにも心許ないものだ。しっかりと足場をつくり、時に岩角や肩がらみでロープ確保しながら僕らは進んだ。登りはまだいいのだが下りは恐い。先日のロケの時と比べると明らかに難易度が高い。この間何でもなかったところが、やけに恐く感じる。見下ろす谷は同じはずなのに、まさに奈落の底のように見えるのだ。もし滑落したらどこまで行ってしまうのだろう等とあらぬ事が時々頭をよぎる。いやいや余計な事は考えない。いつもの通り体を立てて、アイゼンをしっかり蹴り込むだけだ。びびった奴が失敗する。風はこの時期にしてみればそよ風みたいなものだ。日向は暖かい。先人が誰もいない稜線を行くのは気分がいい。この緊張感をスパイスにして刺激的に登った。

 頂上直下のスラブ(一枚岩)に張り付いた雪は相当堅く、一回のケリ込みでは爪の先がわずかに入る程度だった。おまけにところどころ雪が薄いところがあって、下の岩に爪がカチンと当たったりするといやな感じがするものだ。慌ててはいけない。落ち着いて足場を作って突破するとようやく山頂だ。そして思わずやはりハイタッチ!!達成感は格別だった。

 この日の復路、少し恐い目にもあった。ロープと言うのは凄いものだなあと改めて思うのだった。下山して行くに従って僕の膝が悲鳴を上げ始めた。おそらくアイゼンを蹴り込みすぎたせいだ。長年酷使してきた僕の膝は 少しいたわってあげなければいけない時期に来ているのかも知れない。

巨大なエビの尻尾。幅30センチもある。風の方向に向かって発達するのだ。

14西穂高岳