強くなった陽射しが射し色を増す尾白川
朝目覚めてみると体が鉛のように重い。何とか体を起こし立ち上がろうとしのだが、足がハンパ無く痛い。腕や背中や肩までもバキバキである。跪いてそれからようやく立ち上がる。階段を降りる時など苦痛に顔を歪めずにはいられない。誰かの介助かせめて杖でも僕に与えてくれないだろうか?
原因は酷い筋肉痛である。昨日予定を一日早めて甲斐駒ヶ岳黒戸尾根にある七丈小屋から下山してきた。もともと、2泊3日の予定で甲斐駒ヶ岳を目指したのだが、予想外のラッセルに苦しめられた僕らは、11時間半を費やしてようやく七丈小屋にたどり着いた。通常なら7時間ほどの行程である。
何かの鳥の巣が落下していた。右側が下地で左のは多分お布団だ。愛の巣。
2月15日には甲府地方で113センチの観測史上最高の積雪を記録した。ひと月がたってもその影響は未だにあって、甲府盆地からグルリ見渡す山々の様子はいつもの年とは全く違って見える。富士山や八ヶ岳などは斜面全部が真っ白な状態で、樹林の低山などにも雪が目立つ。
黒戸尾根の登山口である竹宇神社から尾白川を吊り橋で渡って反対側の斜面はすっかり雪に覆われていた。例年なら、2~3時間ほど登り詰めないと雪は現れない。雪も堅いので迷わずアイゼンを装着する。だがこれがこの地獄の一日の始まりであった。
いちいち踏み込まなくてはならない雪質
黒戸尾根は駒ヶ岳までの標高差は2,200メートル。途中の登り返しまで含めると2,300メートルを越す日本屈指の急登である。今夜宿泊予定の七丈小屋まででも1,600メートルの標高差を一気に登らなくてはならない。しかも、今年は初っぱなからアイゼン行動だ。最初のうちこそなんと言うこともなく僕らは登って行ったのだが、このアイゼン歩行がボディーブロウの様に次第に僕らの体力を奪って行く。
始め薄かった雪は徐々にその厚さを増していった。前日は平地では大雨であったが、標高の高いところでは湿った積雪となっていて、それが朝方の冷え込みで冷やされてバリバリのクラストになっていた。いわゆる最中雪である。上に乗れたり落っこちたり、不安定な足場は何とももどかし。途中で単独の若い男性登山者が僕らを追い抜いたが、結局ラッセルがきつくて直ぐまた僕らが追いつき、先頭を交代しながら登って行くことになる。いつもより大分時間が掛かっている。半ばを過ぎた辺りから僕は常に最終到着時間を計算していた。何とか日没までに七丈小屋に到着したいが、もしかしたら引き返した方が良いのかも知れないなどと考えていたのだ。
アイゼンワカン、ベルトをしっかり締めないとワカンのベルトを傷めてしまう
八丁坂でアイゼンの上にワカンを履く。この日のように雪が堅かったり柔らかかったりする時に使うやり方だ。通常なら雪など何もない刃渡りは立派な雪稜になっていた。それでも、男性登山者という力強い相棒を得て、僕らは虫のように標高を上げていく。彼がいなかったら、おそらく撤退していたかも知れない。彼はもうぼくらのパーティーの一員となっていた。同じ目的を持つ同志だ。どこに行ってもラッセルとはそういうものだ。ラッセル出来る奴がパーティー関係無く踏む。グルグル交代しながらキャタピラーの様に踏んで前へ進むのだが、着かず離れず後を着いてくるような小賢しい登山者も稀に存在する。
桟橋を渡る、墜ちたら谷底までまっしぐら
五合目小屋跡まで来ればもう引き返す気は無くなる。だがここからが大変だった。小屋まではコースタイムで1時間半ほどのところだ。ここからはロープを装着する。横殴りの雪の中、梯子、鎖場、桟橋、屏風岩の岩場、そして深い最中雪の超急坂ラッセル、滑落は許されない難所が続く。腕で崩し、膝蹴りを食らわし、足でガンガン踏んで足場を作る。コースタイムの3倍もかけて、ようやく七丈小屋にたどり着く頃には辺りは殆ど暗くなっていた。所要時間11時間30分、みんなバテバテでの到着だった。
屏風岩をロープで
本当ならメシも喰わずに、ビールなど煽って寝てしまいたいところだが、食事を作る。ジンギスカン、麻婆春雨。一緒に頑張った彼、品川さんにも振る舞って無理矢理食べる。そうじゃないと明日の活力は絶対生まれない。小屋の大将によると、2月の大雪の後ひと月も経つが登ってきたのは10人ほど。小屋から上部、甲斐駒ヶ岳までは誰ひとり行っていないとのこと。一日かけても頂上にたどり着けないだろうと言う。それは僕らでも簡単に予想できた。と言うか、明日の朝から再び猛烈なラッセルをする気力はもう誰にも残っていなかった。なんとなく明日は帰ろうねみたいな話になって、言葉少なく夕食を済ませ全員撃沈。
月光の七丈小屋
甲府盆地の夜景
と言うわけで翌日快晴の黒戸尾根を僕らは迷わず下った。土曜日だから15名ほどの上山者にすれ違った。昨日僕らが踏んで来たから、楽ちんそうだった。いいなあ。来年は日曜日スタートにしようなどと小賢しいことを考える僕であった。
快晴の駒ヶ岳を後にする、頑張ったから未練はないのだ