山岳ガイド赤沼千史のブログ

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雨の夏

2014年08月27日 | 安曇野の暮らし

水車のある村

 お盆頃から時ならぬ秋雨前線が出現し、どうにもこうにも天気が悪い日が続く。山を歩く人達が極端に少ない気がする。例年なら、登山道でのすれ違いなどが結構大変で、山岳ガイドという職業はこの夏の間、交通整理の役目も果たす。登りの場合は下山する登山者に待って頂く事が多いが、大勢を引き連れている場合彼らに十分配慮しなくてはならない。礼を言ったり、時には先に下ってもらったり。だが、今年はそんな心配も殆どないのだ。上高地のバス待ちも無いに等しい。上高地の登山相談員のOさんは言う。

「オラあ、上高地に60年いるが、こんな夏は初めてダジ、今年の登山者は半分だ。」

 黒部川上廊下も水量多く撤退した。今回の槍ヶ岳北鎌尾根2回目も雨に見舞われ敢えなく撤退。雨の夏休み。ぽっかり空いた休日に僕は複雑な気持ちになる。稼ぎ時なのに、ぼんやり雨を見ている。気温は寒いぐらいで、ストーブを点けたい位だ。田圃の畦草も豊富な雨に異常に伸びるし、草も刈らなきゃと思う。だけど雨だからね。今日は休んどこう。あきらめが僕の心を癒す。

寒冷紗に覆われた山葵畑

 ならばと、ふと思い立って雨の写真を撮りに出かけた。どこに行こうか考えながら車を走らせた。その頭に浮かんだのは安曇野観光の定番中の定番「大王ワサビ農場」。

 日本一の規模を誇るこのワサビ農場がある一帯は、梓川、高瀬川、穂高川、万水川(ヨロズイカワ)など、松本盆地の全ての水が集まるところで、ここから川は犀川となって長野盆地へと流れ下って行く。周辺には北アルプスからの湧水が沸き、ゆったりと流れる清流に水鳥が浮かぶ。黒澤明監督の「夢・・・・・・水車のある村」の撮影地もまさしくここなのだ。その水車小屋のセットは保存され、今でも静かに万水河畔に佇んでいる。

 久しぶりに訪れた水の郷を観光客に紛れてぐるっと回った。再び万水川に戻ると、上流から一艘のラフティングボートがやって来た。見れば友人の「ワンダーエッグ吉沢さん」だった。

「おーい、吉沢さーん。」

「あれ?赤沼さん?久しぶりーーー!じゃあね」

結構な雨が降る中、子供達を乗せた黄色いラフティングボートは歓声をあげながら果敢に増水気味の梓川本流へと流れ下って行った。元々が濡れてナンボの水遊びとは言え・・・・・・・・・・・・・ヤルね。

 ラフティング 「ワンダーエッグ」

雨の夏


南アルプス鋸岳縦走7月25、26日

2014年08月24日 | ツアー日記

ずっと怒っている岩とずっと怒られてる岩

鋸岳は南アルプスのほぼ北端に位置する岩稜の山だ。これより北側の山は標高も下がって樹林の山となり入笠山へ達している。甲斐駒ヶ岳を出て本日の宿泊予定地の六合石室に向かう。南アルプスでは珍しい花崗岩の稜線を北上する。北沢峠からのきつかった登りを思うと鼻歌交じりの快適な下りだ。だが、このルート、地図上の表記では破線の熟達者向きルートである。踏み後は所々いくつかに別れルートファインディングの要素もあるから、それが楽しさでもあり、気をつけなければいけない所だ。

 途中登山道脇に二羽のメス雷鳥を見かけた。普通なら雛を連れ立っている季節だが、何故かメス二羽で砂浴びをしていた。子育てに失敗したのか、はたまた雛たちを猛禽や獣にやられてしまったのだろう。いるのはメス二羽のみだった。砂浴び中の雷鳥はあまり逃げることをしない。めんどくさいから折角作った砂浴び場を放棄したくないのか、足と羽で掘った浴槽にじっとうずくまって、僕らを警戒しながらも時々バタバタ自分の体に砂を掛けていた。お陰で至近距離で撮影が出来た。

砂浴び中じゃましないでね。

 六合石室は現場で切り出された岩を使った結構立派な避難小屋だ。かつてはトタン屋根は穴だらけで、土間はいつもじくじく湿って、とてもじゃないがテントが無ければ泊まれない状態だったが、10年ほど前に屋根が新しく架けられ、雨漏りの心配は無くなった。土間の半分には床も張られ10人ぐらいなら床の上に泊まることが出来る。

 込んでいないことを祈って小屋に入ったが、先客は女性三人と男性ひとりのパーティーが居た。遅れて男性二人。その日の宿泊者は8人となった。他にも少し離れてテント泊が二張り。結構賑わったこの日の六合石室周辺だった。天気の心配が無かったのと、夜中に星空の撮影をしたかったので、僕は石室の一段上にあるいつもの岩屋でツェルトを被って寝た。夜中にふと目が醒めると天の川が滝のように仙丈ヶ岳に流れ落ちていた。寝る前にミニ三脚にセットしておいたカメラのシャッターを押す。まどろみの中30数えてシャッターを切ってまた寝た。

 僕らは空がようやく白んで来る頃、朝一番で出発した。狭い登山道の脇にある草には夜露が降りて僕らの足下を濡らす。ヘッドランプは直ぐに必要なくなって秩父辺りから朝日が昇って来ると、栂の樹林を斜光が真っ赤に染めた。7月の末は天候が安定するから、僕は毎年こんな日の出を味わって居るような気がするのだ。「ああ、もう一年経ってしまったんだな」などとふと思う。

シナノコザクラ

 あまりスッキリしない樹林の稜線を登ったり降りたりしていった。中ノ川乗越を越え、鋸岳第二高点まではガラガラのガラ場を登る。踏み後を外すと足下はグズグズと崩れ、とてもではないがまともには歩けない。慎重にぼくらは登った。

 第二高点からはいよいよ鋸岳のハイライトが始まる。ここから鋸岳までの稜線上は脆く急峻な岩稜帯である。まずは大ギャップを避けるように下り鹿窓ルンゼを登り上げる。粘土質の道に、ぼろぼろの小砂利が混じって緊張する道だ。見上げれば名所中の名所「鹿窓」がぽっかりと空を空かして居る。鹿窓ルンゼは岩が脆く歩く度にぱらぱらと小石が転がり落ちるほどで、鎖を頼りに登ること自体はさほど難しくないが、同行者に落石を落とさぬ事へ気を遣う。大勢で同時行動はとても出来ない場所だ。

鹿窓ルンゼ バラバラの岩場

 鋸岳はやはりこの鹿窓を通過することにひとつの意味があると思う。鹿窓は、稜線直下にぽっかり空いた岩の穴だ。なぜこんなものが出来上がったのか不思議であるが、それは南アルプス林道からもよく見えて、バスのドライバーさんも車を止めて説明をしてくれる。そんな珍しい岩穴に、しかも登山ルートが通っているというのも面白い。ここ以外、この稜線を通過出来る場所は無いのである。

ミヤマハンショウヅル

 鹿窓を通過して稜線に戻り、小さく岩峰を乗り越えて小ギャップへ下る。脆いスラブ斜面に、鎖がぶら下がっているが、脇の草付きにあるジグザグ道を通った方が圧倒的に安全である。いったい何のための鎖なのだろうかと不思議な感じだ。最後は小ギャップの垂壁をよじ登れば危険箇所は終わる。ほっとするこの一瞬。岩場の怖さというよりは、落石に気を遣う事から解放される感じが強いかも知れない。スッキリと晴れたこの日、鋸岳からの眺望はバツグンだった。

 実は、ここからが鋸岳の一番恐ろしいところが始まる。下山路は鋸岳をあとにして、角兵衛沢を下るのだが、ここは悪名高い、ガラガラのガレ場である。行き交う人が作った踏み後もあるにはあるが、この踏み後を忠実に辿ることは、未経験者には難しい。特に下りの場合は僕らでも直ぐ道を見失う。不安定な石に乗ると辺り一面の岩が不気味に崩れ、足下をすくわれる。転んだり、捻挫をしたり、そんな恐怖が1時間以上も続く。鋸岳までは余裕で歩いてきたぼくらも、この下り道でほとほと疲れ果てるのだ。果てしなく感じるこの下りが早く終わってほしくて仕方が無いのだ。はたしてこれは道と言えるのか?・・・・・何度通っても疑問である。それは怒りさえ込み上げる程で、角兵衛沢の中間にあるオアシス「大岩」を過ぎると道は普通の登山道になるが、そこまではひたすら我慢の下り道だった。

ギンロバイ

オアシス

 この日も、良い天気だった。朝の斜光もそうだが、戸台川を飛び石で渡って広大な河原を歩く時の灼熱地獄もこのルートのいつもの風景だ。水流はやがて伏流し、広大な河原はまるで砂漠のようである。陽炎が行く手を揺らす。吹き抜ける風は熱風となり、僕らの汗は瞬く間に乾かされて行くのが解る。手ぬぐいを頭から被ったり、傘を日傘代わりにしたり色々やるが、白砂の照り返しは容赦なく僕らの体力を奪うのだ。

「♪月の~、砂漠を~~はある~、ばると~~~~♪」

などと歌いながらこんな砂漠を2時間。鋸岳の天辺までは余裕だったはずなのに、戸台にたどり着く頃にはへとへとの僕らであった。

 仙流荘にて入浴、伊那名物のローメンは最近不評なので丸亀製麺でスッキリ讃岐うどんを頂く。伊那市駅解散。

鋸岳全容

砂漠に息絶えたカモシカ

 

 

 


「BSTBS日本の名峰絶景探訪シリーズ 劔岳」放送日変更のお知らせ

2014年08月19日 | テレビ出演

 8月初旬に同行させて頂いた「BSTBS日本の名峰絶景探訪 劔岳」の放送日が決定しました。演者は絶景探訪の重鎮、お馴染みの海洋冒険家白石康次郎氏。白石さんとのコンビも早一年を過ぎ、果たして何回目になるでしょうか?あちこち一緒に行きました。

 当初放送予定は8月30日と言うことでフェイスブックでも告知してしまったのですが、今回なんと10月に放送日をずらし、2週に渡っての前編、後編スペシャル放送となります。きっと、良い画が撮れたに違いありません。だって、大きな声では言えないけれど、難所「カニのタテバイ」は三回も登ったり降りたりしたのだもの。Kディレクターは追加取材にも出かける様です。なので、8月30日を楽しみにしていた方はごめんなさい。もうしばらくお待ち下さい。録画予約をされた方は変更をお願いします。 とは言え通常の放送は8月30日にも放送されますので、もちろんそちらも宜しくお願いします。

それにしても放送日が10月でしかも2週に渡ってなんて、勿体ぶっちゃってまったく

「早く見せろーーーーーー!」て感じですけど。

 

「BSTBS日本の名峰絶景探訪シリーズ 劔岳」

放送日 

前編 10月11日(土)21:00~21:54分

後編 10月18日(土)21:00~21:54分

 

 

 


14年”祭り”上廊下口元のタルゴルジュにて無念の撤退

2014年08月17日 | ツアー日記

嵐の前の静けさ

 今日は8月17日である。目が醒めると朝8時となっても空はドンヨリとして薄暗く、北アルプスでは地響きの如く断続的に雷鳴が轟いている。黒部川上廊下を悪天候で撤退してきた15日以降、16日17日と激しい雨が降ったり止んだり。北アルプスでは遭難や行方不明者が相次いでいるようだ。

沢靴とモモちゃん

平ノ小屋のアイドルモモちゃんのお見送り

 僕らが上廊下を遡行開始したのは13日であるが、この日は取り敢えず天候は安定していて、厳しいなりにも何とか遡行が可能だった。だが、平水であればスクラム渡渉(何人かでスクラムを組んで歩いて沢を渡りきる技術)でこなせる場所は、とてもではないが危険すぎてそれは叶わなかった。だから増水した川の弱点を見つけ、ひとりがロープを引いて激流に飛び込み泳ぎ渡り、他のメンバーを浮かせて引っ張ると言う方法を全ての渡渉で使った。

 時間は倍も掛かった。人を引くのは相当に体力を消耗する。もちろん体は全身ずぶ濡れだし、ザックは水を含んでずっしりと重くなる。大概の渡渉をスクラムでこなして時々泳ぎ渡渉というのがまともな上廊下の遡行述だから、今年の水量は半端でない事が解る。

泳ぎ渡渉 ぶっこ抜きの力業、だけどこれ一番安全(楽しくて仕方ないとお客さんは言う)・・・だよね。

 それでも僕らは先行の2パーティーを追い抜いて「口元のタル沢ゴルジュ」という差し渡し300メートルに及ぶ最大の難所を突破しようと試みた。ところが、ゴルジュ内の大淵は足が立たぬほど深く、30メートルを指一本だけ壁のクラックに引っかけて水中ヘツリで進んだものの、その先の激流の落ち込み付近では対岸に泳ぎ切る場所を見つけられず突破を諦めた。

 この場所は下手に飛び込むと岩の下に潜り込む水流に呑み込まれる。かつて激流の中を撤退した時ここに飛び込んで九死に一生を得た事がある。増水の川を撤退中ロープを引いてここに飛び込んだ僕はあっという間に水流に飲まれ、訳もわからず水中をもみくちゃにされたあげく、遙か先で水面にぽっかり浮かんだ事があるのだ。幸いにもそれだけだったが、もし何処かにロープがひっかかったり、グルグル回る水流につかまったら敢えなくお陀仏であったかもしれない。だから無理は利かない場所であることは解っていた。

 上廊下は毎年その姿を大きく変える。広大な集水域を上流に持つこの川は、ひとたび大増水となれば狭い川幅いっぱいに濁流が砂や砂利を押し流し、終いには直径数メートルの大岩までも転がし始めるのだ。濁流の水面には波に翻弄されながら巨木が流れ、河床では大岩が転がりお互いぶつかって地響きの如くゴトゴトと音を立てる。それが夜であれば水中に火花さえも見ることがあり、辺りにはきな臭い匂いが立ちこめるのだ。

 そんな大増水が収まれば河床の岩と砂の配置は全く違ったものになって、今までの淵が砂で埋まり、それまでの河原に大淵が出現したりするのだ。だから、上廊下の景色は毎年違って見えて「あれ?こんなところ有ったっけ?」と言うことになる。小さな沢の沢登り、普通の登山やクライミングでは、こんな風に毎年状況が変わるなんて事は先ず無い。これは上廊下ならではのことで、何回来ても初めて来るような感覚が決して僕らを飽きさせない。「さーて、ここをどう突破しようか」といつも考える。去年のやり方は通用しない。これが上廊下遡行の最大の魅力だと言って良い。

 僕らがその日の突破を諦めた頃、朝方追い抜いてきた後続パーティーが追いついてきた。見れば彼らは若い5人組で、その中のひとりの女性が僕の相棒の小林の友人の友人と言うこともあってゴルジュの状態を説明した。彼らは全員上廊下初遡行と言うことであったが、果敢にもゴルジュに入って行く。狭く深い大淵とそれらを繋ぐ激流の落ち込み。陽が入らない300メートルの大ゴルジュ帯は過酷な場所だ。突破する者も待つ者も寒さで歯の根が合わない程ガタガタと震える。普通なら見ただけで「無理っ!」と思う場所だ。その弱点を見つけ突破する。その方法は毎年変わる。

 僕らは少し戻った台地を今晩の宿と決め、テントを設営したり、薪を集めたりしながら彼らの遡行を見物していたのだが、1時間ほどして彼らも諦めて戻ってきた。この周辺には他には適当なビバークサイトは無いので僕らのすぐ脇にタープを張って彼らもビバークだ。幸いこの日は小雨がぱらつく程度で豊富な薪もあって暖かく快適なビバークとなった。ラジオで情報を収集し明日の作戦を立てる。翌日は曇り時々雨、翌々日は再び雨予報。思った程の減水はその日は無かった。立ち上る二つの焚き火の煙が夕暮れの上廊下を下流へと漂っていった。

上廊下にたなびく煙

釣る小林

口元のタルビバーク地、ぬくぬくの焚き火に笑顔

 朝の天気予報を確認して僕らは撤退を決めた。減水が進まぬ事と、翌日の天候が悪いこと、予備日が一日だけの僕らには、このまま遡行を続けることには大きなリスクがあった。山は連日の雨でたっぷりと水を含んで保水力は殆ど無くなっているだろう。広大な集水域に降った雨はそのまま黒部川に流れ込んで来るから、雨が降れば直ちに増水することになる。しかもハイライトの口元のタルゴルジュを突破出来ないのであれば、ここを危険な大高巻きで越えるしかないので、それも大きな問題だった。ひとたび増水すれば、そう簡単に減水しない現状では引き返す選択肢しかなかった。

 お隣の山岳会5人組は予備日が二日あるから高巻いて行くという。それなりの経験のある精悍な若者達?だったから多分大丈夫だろうと思った。

渋滞の下の黒ビンガ、ガタガタ震えて順番を待つ面々

 撤退の中、下の黒ビンガでは登りの3パーティーと僕らで渡渉待ちの渋滞ができた。こんな事は初めてだが、他のパーティーの渡渉法を見物するのも興味深かった。

 奥黒部ヒュッテで撤退の届けを出して平の渡しまで戻った。僕と西山は渡しに乗らず針の木谷へ、小林と下條はヌクイ谷へ釣りに出かける。最後の晩餐に使う岩魚をなんとしても捕って、傷心の僕ら自身を慰めたかったのだが、僕はひとつめの淵で糸鳴りがするほど引く35センチはあるだろうと思われる虹鱒を土壇場でバラしてしまった。その後は25センチの岩魚を一匹釣っただけで、針の木谷で一緒になった釣り師の金ちゃんに32センチを何故か頂いてなんとか形をつけることが出来たが、他のメンバーは大きな声では言えないが釣果ゼロ。お盆の釣りはそう甘くない。

平の渡し「白鳥号」 トローリング中につき超低速航行、見事岩魚を釣り上げていた

岩魚の宴

 最終日、日本列島に横たわるように秋雨前線が出現し、黒部の谷は再び土砂降りとなった。横切る沢は全て増水して白泡をたてて激しく流れ下って行く。上廊下も間違いなく再び増水しているに違いなかった。ダムまでを歩きながら我々とビバークを共にした5人組、下の黒ビンガで出会ったパーティーもみんな大丈夫だろうか?と考えたが、僕らの判断は正解であったと確信を持つのだった。

何故かトランプマジックを披露してくれた平の小屋主人 さとちゃん・・・・飲み過ぎちゃだめだよ~~!

再び増水する黒部(御山谷)

 その後北アルプスは悪天候続きである。今日17日現在、例の5人組も含め上廊下でのパーティーは全て撤退したという情報だが、同じ黒部の支流赤木沢で二人、槍ヶ岳の蒲田川右又ルートで3人、他にも奥穂や八ヶ岳で行方不明や遭難が相次いでいる。今日はドンヨリと低い雲、雷が山を揺らして、断続的に激しい雨が降っている。皆の無事を祈るしかない。

尺岩魚を釣り笑顔がこぼれる

尺岩魚刺身

ハナビラタケとタマゴタケの極上ソテー

岩魚の刺身を造る西山、不安げな小林・・・・まだまだだな



 

 


2014ジャンダルム7月22~24日

2014年08月10日 | ツアー日記

 夜明け前の西穂高山荘をヘッドランプで出発する。天気は心配なさそうだが、バリエーションや、難路に挑む場合は必要なことだ。難路では一般の道に比べてあらゆる意味でリスクが高まるわけで、それを少しでも少なくするには早めの出発を心がけて、時間的、精神的な余裕を持つ事が大切だと思う。また、岩場の渋滞を避ける為にも早立ちは絶大な効果をもたらす。追い抜くことの出来ない岩場で長時間待たされることは、心の疲弊に繋がる。そして焦る気もちは失敗を生み、長時間稜線に留まる事は天候の急変というリスクも高める。山で一番大切なことはそんなリスク管理をすると言うことだと思う。前日から様々な情報を得ること、これから先起こることを想像すること、その為に必要な事をきっちりやる事、やらなくても良いことはしない事・・・・・・・そんなリスク管理が大切だと思うのだ。

 明け行く稜線は実に清々しかった。混雑した山小屋を静かに抜け出して、稜線の風に当たると胸の空くような気持ちがする。山小屋は僕らを守ってくれるとてもありがたい存在だが、夏山の混雑は少し苦手だ。朝弁当で早く出てしまえば次第に明るくなる空に気持ちがみなぎるような思いがする。「よっしゃ!行こうぜっ!」とね。

乗鞍、焼岳、滝雲

 西穂独標を過ぎる頃、空は完全に明るくなって、焼岳方面には滝雲がかかり、空には秋のよう絹雲が光っている。風は乾いて快適だ。昨日西穂山荘の粟澤さんから今日の天候について話を聞いていたから、多少ガスが沸いても一日を通して天候が安定している確信もあった。粟澤さんは西穂山荘の支配人であり気象予報士でもある。毎日、翌日の天候について登山者に説明をしてくれている。山岳気象は通常の平地の天気予報では計り知れないところがあって、それは我々素人には想像出来ないことも覆い。梅雨の時期、里ではドンヨリした曇り空なのに、山の上では雲海を足下に、これ以上ないと言うほどのドピーカンなんて事もしばしばだ。達人の言葉は聞いておかなければ損である。

イワベンケイと笠ヶ岳

 西穂高岳からジャンダルム、そして奥穂高岳にかけては北アルプスでは第一級の岩稜ルートだ。地図上では破線で表されて、熟達者向きという表示がある。僕もここを案内する場合は、お客さんにはヘルメットと、ハーネスを着用してもらって、大きな岩場ではロープを使い安全を確保して歩く。だから岩場が混み合う時などは思った通りのガイディングが出来ないこともあり、朝早く出発したり、土日を避けて平日歩くようにしている。ここは、バリエーションルートやクライミングの現場ではないから、他の登山者をあまり待たせるべきではないし、待たされるのもいやだ。殆どの場合は声を掛ける言葉の力で何とかなるものだと思うのだ。ひとつひとつの岩場の状況を説明する。それを克服する気持ちや体の使い方を説明し理解してもらって、実際それをやって見せれば大概の場合は問題解決だ。

逆層スラブを攀じ登る

 西穂高岳から天狗のコルまでは岩が脆く、特に赤岩岳(間ノ岳)付近は浮き石だらけの場所もある。手元足下が全て信用ならなくて変な緊張を強いられるが、天狗のコルを過ぎて奥穂高岳の領域にさしかかると岩はカチッとして、僕らは快適に高度を稼いだ。岩は乾いていて涼しい風が後押ししてくれていた。

 ジャンダルムは、登山者にとっては特別なピークだ。登山を始めて、槍ヶ岳や穂高岳や剣岳を登ったとしても、奥穂高岳から見るこの岩峰は飛騨尾根を従えてその異様な形状もあって、それぞれの心に焼き付いてしまう。草木も生えぬドーム状の岩峰は見る物を圧倒し、憧れと畏敬の念を心の奥底に芽生えさせるのだ。どうしてもあそこに立ちたい、いつか縦走してそのピークを踏みたいとみんな考える所だと思う。奥穂の方が高かろうが、ジャンダルムは奥穂の衛兵という意味だろうが、やっぱジャンダルムはかっこいいのだ。この日のジャンダルムはどこまでも長閑なピークだった。

意外と薄っぺらなジャンダルムの横顔

  最後の難所馬ノ背を越える。両側はすっぱり切れ落ちた絶壁である。どちらに落ちてもただではすまない。だがこの日の馬ノ背は岩が乾いて小さなスタンスも良い感じで使うことが出来た。西穂高岳からずっと岩場をこなしてきた参加者にとってはひょひょいのひょいっと言ったところだろう。馬の背を過ぎれば、その先は岩礫の広い尾根となって程なく奥穂高岳に着いてしまう。憧れだったこの稜線ももうすぐ終わってしまう。楽しい事はいつか必ず終わってしまう。そんな寂寞感も入り交じって、達成感という単純な言葉では言い表せない気持ちが、それぞれの方の心に浮かんでいるのだろう。ここに至るまで自分の山を走馬燈のように思うのだ。今まで案内した何人かの方が、奥穂高岳の頂上で涙を浮かべているのを僕は見ている。そんな時こちらも釣られてグッと来てしまうのだ。だから、僕は断然、西穂から奥穂に向かうのが好きだ。

 この日も奥穂高岳の山頂でハイタッチ、そして握手。いいよね、やっぱ。

北アルプスきってのクールな山小屋穂高岳山荘

 最終日は雨の一日となる。朝から雨合羽に身を包んでザイテングラードから涸沢へ下り横尾へ、そして上高地まで下山する。雨に濡れた緑が美しいから、写真を撮りながら歩くのがとても楽しかった。「昨日がこんな天気だったら間違いなく縦走は無理だったですね。」とか話しながら、自分たちがあたかも選ばれし存在であるかのような錯覚を楽しめるのもこんな日だ。

 徳沢園ではちょいとした知り合いのウエヤマさんにお客さんの分までコーヒーをごちそうになってしまった。ゴチになりました。

カツラの葉

上高地の中学生達、山が好きになってくれたらなあ

キヌガサソウ

清水川

 


7月の滑落事故のこと

2014年08月06日 | ツアー日記

「きゃあーーーー!」

「止まれーーーー!」 

 僕らは登山口まであと少しという樹林帯の急斜面を横切っていた。悲鳴 が響き渡った。ふり返れば、隊列の中程にいたお客さんがその急斜面を転がって行くのが見えた。そしてそれはどんどん加速し、人車となってグルグル転がりながらあっという間に我々の視界から消えた。某社の聖岳から光岳ツアーの最終日、畑薙大橋登山口まであと少しという場所での事である。

 南アルプスの山体は釣り鐘状の場所が多く、登山口付近に急坂が存在する。ここもそんなところで斜度はおそらく35度ぐらい。樹林帯ではあるのだが南アルプスの樹林帯の林床には藪も笹もない場所が多い。ここもまさしくそんなところ。登山道を横切りながら、ずっと見通す谷底にゾクッとすることがよくある。だから、下山の時にはワンピッチ毎それを説明し、注意喚起をしている。特に最後のワンピッチは。

 滑落者は女性。同様気味のパーティーに取り敢えず落ち着いてもらって、添乗さんに後を頼む。もちろん救助要請も頼む。残念ながらここは携帯が通じない。

 そして僕は斜面を下って行った。足下は小砂利で、一足毎に足下が崩れる。木やわずかに生えている灌木に捕まって落石を落とさぬよう下った。彼女が滑落していったと思われるラインをはずしてその脇を下る。100メートル程下るとペットボトル、更にその先にザックカバー。本人はまだ見えない。わりと疎らな樹林の斜面だが、もちろん大きな木があるし、小砂利の斜面から岩盤も露出しているし、ゴロンとした石も無数にある。心の中には絶望しか無かった。転がり始めた時のスピードを思うと、とても助かる事故ではないと思った。早く見つけてあげたい、いや見つけたくないと言う気持ちが交錯した。

 大井川の河床が見えた。最後の斜面は完全な岩盤で斜度は更に急になって、大井川の河床に達していた。その岩盤を木に捕まってようやく河床に着く頃、ザックを背もたれに横たわった状態の彼女の姿が見えた。背中側が見えて、表情はわからない。

「おーい、大丈夫!」

反応は無い。だが、目をこらすと彼女はかすかに動いていた。

「大丈夫ですか?」何度か声を掛けるが、ふり返ってはくれない。だがどうやら彼女は、顔を拭いている様子だった。

 彼女は生きていたのだ。

「大丈夫ですか?よく頑張ったね」

ようやく彼女の所までたどり着いて声を掛けた。多少ぼんやりしているが、ちゃんと話すことが出来る。顔には額と頬に2箇所の大きな裂傷。顔はパンパンに腫れて傷が深い。血まみれだ。早速滅菌ガーゼと三角巾で圧迫止血する。止血をしながら、話しかけたり体を観察したりした。左手が痺れて動かない、胸が痛い、その他は大丈夫という。見るかぎり顔の裂傷以外は出血や骨折の様子も無かった。

 しきりに、僕を気遣い「ごめんなさいねえ、赤沼さん。もう少しで解放されたのにねえ。」と彼女は何度も言う。自分の名前はもちろんわかっているし、僕の名前さえ覚えていてくれた。こんな時よく記憶を失う人がいるが彼女の受け答えは明晰だった。踏み外した瞬間は覚えていないが、転がっている最中は覚えているという。出血よ止まれと念じつつ彼女の顔を手で圧迫止血した。幸い程なく出血は止まった。

 彼女が滑落してようやく止まったのは大井川の河床で、見ればすぐ脇に畑薙大吊り橋があるところ。参加者を引き連れた添乗が橋を渡っていく。

「大丈夫、生きてるよ!救助要請早くお願い!」他の参加者も心配そうにこちらをふり返っていた。考えてみれば彼女は斜度35度~40度の斜面を200メートル近く滑落し、その間、岩や立木に頭をぶつける事もなくここまで転がり落ちてきたことになる。何に対してではなく、僕は今目の前にある事全てに対して感謝した。傍らにある河原の石ころや流木にまで感謝した。

 それから、僕らはひたすら救助隊を待った。少しだけでも歩いてみますと彼女は言うのだが、結局一歩も動くことは出来なかった。手足の骨折は見えないにしろ体の内部はどうなっているのか解らない。一応、意識がちゃんとある事だけが救いだった。一刻も早くヘリが飛んできてほしかった。だが、ヘリは一向にやっては来ない。次第に空模様は不安定になり雷が轟いた。雨も降り始めたので、彼女をレスキューシートで覆い二人でツェルトを被る。

「お父さんに怒られちゃう、もう山に行かせてもらえなくなっちゃうわね。」

「そんな事ないよ、生きて帰ればお父さん絶対怒らないから大丈夫。絶対生きて帰るよ・・・ねっ!」ツェルト中でそんな会話を何度もした。

 対岸から橋を渡ってきた関係者に悪天候でヘリのフライトが無理で上流から救助隊が入ると告げられた。担架で搬送とのこと。対岸には大井川林道が有るのだが河床までは全て垂直に近い崖で、搬送可能な場所は上流に1キロほど行ったところしかない。滑落事故が起きたのが午前10時前。そして静岡市消防局の山岳救助隊が到着したのがおそらく午後1時頃。僕も夢中でこの時の時間の感覚がぶっ飛んでしまっている。ユニフォームに身を包んだ若い救助隊員達の到着がどれだけ心強かったことか。入念な身体チェックのあと救助隊6名で広大な大井川の河原を担架搬送する。連絡を終えた添乗員も合流した。雨が降り続いていた。

 河原を30分搬送し、大井川の本流を渡る。対岸の不安定なガラ場を必死に登りようやく救急車へ収容した。出発までには更に時間が掛かった。救急車の中はうかがい知ることは出来なかったが、おそらく命に別状は無いと言う判断で、緊急の手当をしていてくれたのだと思う。 

 救急車には添乗員が同行して、僕は離団を許され、警察車両で自家用車まで送ってもらった。道すがら救急車の他にも、レスキュー車や、警察車両など、沢山の関係者が見えて、頭を下げずにはいられなかった。沢山の人に迷惑を掛けて、お世話になった。申し訳ないと思う。

 山岳ガイドという職業、やればやるほど恐い仕事だと思う。一般の樹林帯をロープで繋いで歩くわけにも行かない。僕らが出来るのは、注意喚起をし続けるだけである。特に最後のワンピッチはここまで大きな事故でなくとも、怪我は良くあることなのだ。だから決まって最後「気合い入れていきましょうね。」と声を掛ける。だが、これは確率の問題でもある。事故がゼロになることは絶対にないのも事実だ。その確率を減らすように努力するのが僕らの仕事だ。

 登山口静岡市畑薙地区は静岡市内から車で3時間ほどかかる場所にある。通常、井川消防署の救急車は井川から静岡に向かい、途中静岡から来る救急車にリレー搬送される。ずっと曲がりくねった山道で重傷者を乗せた救急車はスピードを出す事は出来ない。搬送にはとんでもなく時間が掛かるのだ。僕が帰路についた後、某社の担当課長から連絡が入った。最終的には天候が回復してヘリにて静岡市内の病院に収容されたとのことであった。左腕、肋骨、骨盤が骨折。頭や内臓は無事であるとのことであった。命に別状は無し。事故から7時間以上を費やしての搬送であった。彼女は本当に頑張ってくれた。ありがとうございます。一刻も早い彼女の回復を祈る。

これは奇跡である。感謝!