山岳ガイド赤沼千史のブログ

山岳ガイドのかたわら、自家栽培の完全手打ち蕎麦の通販もやっています。
薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

13晩秋の光城山と美しヶ原 そして新蕎麦

2013年11月26日 | ツアー日記

 光城山は安曇野の東側に連なる、里山にある900メートル程の山だ。松本駅から車で20分程の場所で1時間足らずで登ることが出来る。登山道にはずっと桜が植えられ、春には花見客でも賑わう。毎日登ってるような人もいて、天辺で小宴会なども楽しい山だ。ちょっとした気分転換に登るには手頃な山で、この季節は木の葉も落ちて展望が良くなる。

 登山道にはドウダンツツジが美しく、クヌギの紅葉も黄金色で斜めに差す晩秋の光が透けて、辺りの空気まで染まって見える。久しぶりに快晴のこの日、安曇野越しに見える北アルプスが登るにつれて屏風のように立ち上がり、白銀の連なりはまるでヒマラヤの山々のように見える。冬はいつもそんな風に思うのだ。特に鹿島槍のあたり、堪らないのだ。

ドウダンツツジのトンネル 空気まで赤く染まっている

 小一時間で頂上に到着し、景色の良い所でコーヒータイムとする。おやつは、僕の友人がやってるケーキ屋さん「NOJIRI」のアップルパイだ。このアップルパイは、地元のリンゴしか使わないので、冬限定のメニューだ。バターの薫り高く、甘さ控えめ、さくさくのアップルパイは皆さんにも大好評。買って帰れないだろうかと言う方もいたが、時間的な都合でそれは叶わぬ事だった。まあ、またここに来て食べて頂きたい。昔の人が言った、

「食は四里四方に求めよ」

僕もそう思うのだ。そこで食べるものは間違いなく新鮮で、安全で、そして本物なのだ。最近の食品偽装問題も、複雑怪奇な現代の流通システムの中で起こることだし、消費者だって本物が何かなんて殆どの人は解ってはいない。だから、あんなインチキが堂々とまかり通るのだ。そんなもの食べなくてもいいから、目の前からひっこ抜いた大根とか、ネギとか、蕎麦とか、米とかそんなものを食べていたいと僕は思う。だけど、僕の生活と来たら、山で食べるのは、インスタントラーメンに、アルファ米、山小屋の冷凍食品に、PM2,5入りの生水。しかもそんなフェイクな食べ物に結構詳しくなってしまった。

「NOJIRI」のアップルパイ、このケーキ屋さんは何でも美味しい。

はーい、コーヒーですよ

まるでヒマラヤ?

晩秋の斜光が林床を照らす。

黄金の道

唐松が落ちればいよいよ冬だね、 

 お客さんを温泉に案内して、その間に僕は蕎麦を打つ。今年始めて新蕎麦を打った。なるべく水分を少なめに、手早く練り上げ打ち上げる。水分が多い方が伸びが良くて、楽で打ちやすい事は確かだが、堅めに打ち上げた蕎麦は、コシがつよく切った時に角が立って喉越しが断然良くなる。今日はそんな風に出来ただろうか?納得出来る蕎麦はなかなか打てないのだ。

 今日のおかずは、赤沼ツアー名物のネギコロすき焼きだ。寒くなって甘みを増した長ネギを畑から引っこ抜いて鍋一面に敷き詰めてその上に肉をのっけてすき焼き風に煮る。他の食材、椎茸とか白滝とか焼き豆腐とか入れてもいいが、ない方が僕は断然好きだ。すき焼きは基本的に肉と、長ネギさえあれば成立するので、その他は何か誤魔化されている様な気がしてならないのだ。それほど冬ネギのネギコロすき焼きはうまい。そいえばこの日はもしかしたらその誤魔化し鍋であったな。(笑)

さて、今年の新蕎麦の出来は如何に?・・・・・・・うんまい!!

 翌日も見事なまでの快晴だった。気温は思ったほど寒くなくて、身軽な格好で三城牧場から登り始める。美しヶ原は、深田久弥が選んだ「日本百名山」の一つだが、大概の方は台上まで車で上がって、30分程のお散歩で王ヶ頭という頂上に立っている。

「それで登ったと言える?」

僕は意地悪にもことある毎にお客さんに言ってきた。乗鞍岳もそのひとつ。他の山はよく知らないが、そんなのは他にもあるだろうといぶかっている。そこで、考えたのがこのツアーだ。三城から木船ルートを登って約3時間、眼下に松本平が広がってくると王ヶ鼻に到着した。王ヶ鼻は最高点ではないが、松本から見える頂上らしきものはこの王ヶ鼻であり、景色もこちらの方が楽しめる。最高点の王ヶ頭はそれから車道を30分歩いた所にあって、頂上にはテレビ局の電波塔が林立し、ちょっと殺伐とした雰囲気の中にあるのだ。電波塔を建てるには最高の場所だから、まあ、仕方がないのか。

この人は天狗か南蛮人か?後のひとはどこか宣教師っぽい。

 王ヶ頭

 美ヶ原台上を歩いて塩くれば、そして茶臼山までを歩く。風は穏やかで積雪も5センチぐらいだろうか。雪が30センチも積もっている時もあったし、全くない時もある。北アルプス立山では既に積雪は2メートルを越えるという。そんな時でも、少し内陸に入れば、少雪傾向だったり、雪の予想はなかなか難しい。僕は山スキーをするから、雪の降り方が常に気になって、山を眺めては、その雪質と降る量を想像するのが冬の日課となって居る。その時の一番良い雪は何処なのだろうかなどといつも考えているのだ。またそんなシーズンが訪れた。僕の大好きな冬。

八ヶ岳遠望

美ヶ原ハイランドロッジ・・・・・・・廃屋だ。

鹿の足跡

これは狸か狐だろう

ウサギ(かかとの部分に先ず前足を着き、その前に後ろ足を出すんだよ)

ボタンヅル

 今年は11月も半ばから日本列島に寒気の流入が続いている。山にはずっと雪雲がかかり、連日風が強い日が続いていた。松本駅でお客さんと集合して僕らが光城山を歩いた11月23日(土)、安曇野越しに見える北アルプスは眩いばかりに輝いてた。この時移動中のラジオの中で、今朝起きた立山真砂岳の雪崩遭難事故のニュースが報じられていた。七人が生き埋めとなったとのこと。うち四人は既に掘り出されたが、心肺停止の状態という。あの白銀の北アルプスで、この青い空の下で、悲惨な事故が起こっていたのだ。今年は雪がたっぷりと降って、立山周辺は山スキーには最高のシーズンと聞いていたから、僕も時間さえあれば出かけていたかもしれないと思うと、人ごとではなくて切なくなる。何人かの友人が立山に入山していたし、それは、僕にとって、とても身近な所で起きた事故だったのだ。僕ら山スキーをやるもの達は、いつもそんな危険を背中に背負っている。少し大げさかも知れないが、いつ死んでもおかしくないと言う状況がそこにはあって、僕らはそれを見ないように、考えないようにしているだけなのかも知れない。だが、山を滑ると言う衝動は抑えきれない。今年も僕は滑るのだ。青空が痛かった。

 扉温泉にて入浴、松本駅解散。

 


BS TBS 日本の名峰シリーズロケハン同行甲武信岳

2013年11月25日 | テレビ出演

 

 笛吹川上流西沢渓谷は紅葉シーズンもすっかり終わって訪れる人もまばらで、駐車場には数台の車があるのみだった。最近何故かお世話になっている「BSTBS日本の名峰シリーズ」ロケハンのため、甲武信岳へ登った。メンバーはいつもの川原ディレクター、村川AD、それと新人ADの三角(ミスミ)君と僕だ。

 三角君は愛媛出身で芝居をやるために二年間韓国暮らしをしていたと言う異色の経歴の持ち主。徳ちゃん新道を上山しつつ、歩きながらの会話は新人歓迎会のようなものになった。あだ名はいきなりサンカクとなり、何故韓国に行ったのかとか(女か?)とか、彼女は出来たんか?(また女)とか、韓国料理は美味いがあの鉄の箸は頂けないとか、竹島問題とか、済州島虐殺事件とかいろんな話をした。見た目も韓国っぽいサンカクADが韓国寄りの発言をすると、川原Dがすかさずいじる。それは、日本人だけの日韓友好討論会みたいなものだったが、隣同士の国なのに我々は意外と朝鮮半島の事を知らないのだとも感じて、サクッと韓国にでも行ってみたくなった。久しぶりに何処か行ってこようかなあ、などと思う。

 徳ちゃん新道も最初は日だまりの道だったが、高度を上げていくと気温がどんどん低下してくるのを感じる。立山に大雪を降らせた寒気がまだ居座っているためか、道には霜柱が目立つ。今朝中央道を走りながら見た甲斐駒ヶ岳は、大分下の方まで真っ白になっていたから寒いはずだ。だが、川原Dも村川ADも、新人のサンカクADも歩きは快調で、これからのこの名峰シリーズのグレードアップが実に楽しみになる。なんせ、川原Dは最初の笠ヶ岳ロケハンの時はバテバテで、最後はたまたま居合わせたたパトカーに乗せてもらうと言う伝説を作った男だ。そんな男が急成長し、来年は劔岳を撮ると言う。実に頼もしい。

「いいもんだろ?日本・・・・・・もっと見せてもらおうじゃないか」

 この日甲武信小屋に友人の北爪支配人は不在だった。西沢渓谷を出発前に北爪君に電話をしたら、

「あれ?赤沼さん来るんだった?」

「そうだよ、これから登って来なよ」

「イヤです~~~~~~。」

と言う事であった。まあ、そりゃそうだわな。

 彼と知り合ったのはそんなに古いことではないのだが、ギターが縁で仲良くなって、甲武信小屋に行けば一緒にギターを弾き、今年の三月には東京四谷と石巻でライブをやったりもした。僕はガイドとして山を歩きはするものの、里には必ず降りるから、そんな時にライブを企画したり、招いてもらったりして、ここの所コンスタントに演奏活動をしている。北爪君は山に籠もりっぱなしだから、それはなかなか叶わず、僕のブログなんかを見て悶々としている様な気配が感じられるので、時々会ってドヤ顔をするのが僕の楽しみなのだが今回は不在とは、ああつまんないなあ。(笑)

 甲武信岳小屋ではオーナーの徳さんが迎えてくれた。薪ストーブの上の巨大な南部鉄瓶から、白い湯気が景気よく立ち上っている。小屋の中は雑然とし、しかしいつもと変わらぬこの小屋の雰囲気は僕をほっとさせる。最新のカチッとした山小屋は快適ではあるが、何処でもかしこでもくつろいで良いとは行かないらしく、どこか登山者が背筋を伸ばして事に当たらないといけないような雰囲気を醸し出したりしてる。僕はそんな雰囲気が少し苦手なのだ。対して甲武信小屋みたいなところは、こんな風に人もまばらな時期になると、みんなでキャンプしてる様な雰囲気があって、お酒を回したり、つまみを回したり、ストーブを囲んで楽しい一時がある。この日も川原D一押しの高級缶詰(一缶400円也)や、徳さんが出してくれた銚子沖鰯の缶詰が薪ストーブ上でフツフツと煮えて、芋焼酎がグビグビ進んだ。こんなこと最新の山小屋でやってたら、「臭うからやめて下さい!」なんて言われますから。

 夕食はいつもの継ぎ足しカレーを頂いて、徳さんの話を聞く。自分がこの小屋を経営するに至った経緯や、徳ちゃん新道の苦労話。この山域のいろんな歴史など、興味深い話は尽きなかった。今回の「名峰シリーズ 甲武信岳」は徳さんがメインみたいなものかも知れない。山に暮らす男のドラマだ・・・・・・・きっと。あとは内緒、請うご期待。

さあ、アンドロメダはどれでしょう?

 酔っぱらってるとは言え僕らロケハン隊はちゃんと仕事をする。徳さんとの話はインタビューだし、消灯前には極寒の外に出て星空やら、夜景やらのチェックをしに行く。本番では可能な限り様々な撮影をするので、それをロケハンで見つけておくのだ。朝日はここ、夕日はここ、夜景はこことね。

 僕のカメラを何となく天空に向けて撮影したのだが、なんとそこにはアンドロメダ座大星雲(M31)が映り込んでいた。全く期待していなかったので、僕は興奮してしまって何枚もシャッターを切った。239万光年の彼方にある、銀河がこうして簡単にカメラに映るのだから、デジカメって凄いなと思う。感度をいっぱいに上げて、わずか15秒ほどの露出で映るんだから(もちろん三脚は使います)。フォトチャンネルで大きくしてご覧下さい。

拡大したアンドロメダ大星雲

関東平野から登る月 でかくて感動的だった

 早朝、昨日のうちにリサーチしておいた朝日ポイントに出かけた。関東平野の向こう、おそらく房総半島の山端が次第に白んで色づき始めた。漆黒の闇から浮かび上がる見事なグラデーションがやがて富士山を照らし始めた。なんて美しい山なのだろう。他にも見るべきものは沢山あるというのに、富士山はその一点に僕らの目を向けさせる。あくまでも静かに。もの言わずとも、主役はあたしでしょ?と語っているかの様だ。この日の空は実にクリアーで、色づきは今ひとつだったのかも知れないが素晴らしい夜明けであった。めちゃ寒かったけど。

葉を丸めて冬に備えるシャクナゲ

 下山は戸渡尾根から近丸新道を選んだ。この道はかつて鉱山があってトロッコが走り、硅石(ガラスの材料)を産出していたのだという。辺り一面に白い硅石が散らばって、とても不思議な感覚を覚える。道はその軌道跡を辿るのだが、所々レールが置き去りにされて居て、往時の様子を忍ばせてくれる。僕はこんな暮らしの痕跡とか、廃屋とか、畑の隅に放置され朽ち果てた古い車とか、そんなものが昔から好きだ。ちょっとしたタイムスリップが味わえるから。

 ここはかつてトロッコが走っていたなんて、俄に想像しがたいぐらい山の中なのだが、人は様々なものを求めて山の中を彷徨い開発をした。時には命を賭けて。パソコンをパチパチっと操作すれば、海外から安く色んな物が手に入る時代とは随分違っていたのだ。全てがオートメーションなこの時代。自分の足で歩いたり、手を動かしたり、考えたりして何かを作り出したりすることが当たり前だったはずなのだが、日本人はお金を出して、便利さを享受することに慣れすぎてしまった。現代の日本人には本来の日本人には似合わない暮らしをしているのではないかと僕は思っている。日本はもう少し貧乏でも良いと思うのだ。その方が僕らの暮らしはきっとエキサイティングになる。

 下るにつれ体は温まり日だまりの中を下山した。全員スタスタと快調だった。いつもの隼温泉にて入浴、解散。

本編放映をこうご期待!!!

追って日時ご連絡申し上げます。

 BSTBSロケハン甲武信岳

 


13表妙義縦走11月19,20日

2013年11月24日 | ツアー日記

信州は唐松が萌える

 唐松の紅葉が始まれば季節は晩秋へと向かう。長野県は概ね標高が高いので寒冷で、唐松の紅葉も次第に終わりつつあるのだが、碓氷峠を下って松井田辺りまで来ると、長野県とは全く違った空気感を感じるのだ。出がけの我が家の辺りは、この時期としては異常に強い冬型の気圧配置となっていて、北アルプスには雪雲がかかり、風花が(雪雲から千切れ飛来するはらはらと舞う雪)今にも舞いそうな雰囲気だったのに、ここ松井田は関東平野を伸び伸びと臨んで、雲のかけらも無い。キリッとした空気、抜ける様な青空が実に爽やかでいい。そんな日だまりの季節、妙義山は紅葉真っ盛りとなっていた。

 今回は難路、表妙義を縦走する。朝6時に妙義神社から入山した。辺りはまだほの暗かったので、写真を撮ることが出来無かったが、妙義神社は実に素晴らしい神社だ。岩山を背に急傾斜地に祀られたこの神社は、美しい石段と名刺一枚差し込めない程緻密に組まれた石垣が見事で、そこに朱に似られた建物が整然と配置されて居る。華麗ではあるが過剰に華美ではない。俗界とは一線を画すその神秘的な雰囲気は、我々を静かな気持ちにさせてくれるのだ。またゆっくりと佇んで見たいなと思うのだ。

 神社の一番奥まったところから入山すると、ようやく差し始めた朝日が森を通り抜け、まだほの暗い地面をぽっかりと茜に照らしていた。長野県は周りをぐるりと山に取り囲まれているので、朝日や夕日が赤く染まることがない。太陽は黄色いまま登り、黄色いまま山端に沈んでいく。だから関東平野のその先から登る朝日は僕をびっくりさせるのだ。夕日もまた然り、それは厚いスモッグの層を通り過ぎて来た光なのかも知れないが、東京で見る夕日はトマトのように赤く、僕はそれについ見とれてしまう。近代的なビル群に反射する夕日も僕の心をざわつかせるのだ。

 急傾斜を登っていく。奥の院ではロープを使う。見晴らしからは、稜線縦走となるが、ビビリ岩、玉石、大覗き、次々と岩場が現れ緊張とそれを繋ぐ登山道での日だまりウォークが真逆な雰囲気で楽しい。稜線は紅葉も終わって木の葉が落ちているから、視線を遮るものはなく見晴らしはすこぶる良い。関東平野を見下ろしながら楽しい登降だ。表妙義の南面は数百メートルの岸壁が屹立して、蒼い空を垂直に切り取っていた。

 表妙義は東側を天狗岳や相馬岳と言った小ピークを総称して白雲山と言い、茨尾根を隔てて西側は東岳、中之岳、西岳などで構成されていて金洞山と呼ばれる。茨尾根辺りは、難しくはないが、粘土質の道が不安定で、そこに落ち葉が降り積もり、足でかき分けながら進む。まるで落ち葉のラッセルだ。

垂壁

相馬岳より目指す金洞山 一番手前の岩峰直下が鷹戻し

イワヒバ 盆栽などに珍重される。乾燥するとくるっと丸まって雨を待つ

 茨尾根の岸壁をトラバースしていた時ふと見上げたら妙なものを発見した。キノコ?蜂の巣?んーーーーーなんだろ?平たい巨大なキノコの様なものが重なるように整然と並んでいる。

 その場では解らなかったが、帰ってから写真を拡大してみて、それが蜂の巣であることに驚いた。一枚一枚の表面にはハニカム構造が見えて、これが明らかに蜂の巣である事が解る。通常このような岩場に巣を掛ける蜂は、キイロスズメバチやトックリバチなどで丸い外殻を作り風雨からその巣を守る。それに対してクロスズメバチや、オオスズメバチなどは外殻を作らず地面の穴や木の洞に巣を掛ける。だからこの巣はおそらくそんな外殻を作らないタイプの蜂で、それは何かと色々考えたが、その色から多分これはミツバチなのでは無いかと思うに至った。岩壁の途中に出来た屋根状の岩窪があたかも洞を感じさせ、ここなら大丈夫、ここにしようとなったのだろう。そして、間違って????ここに巣を掛けてしまったのだ、きっと。とにかくこんなもの見るのは初めてだ。みなさん、見たことあります?関係無いかも知れないが、道すがらにはミツバツツジも狂い咲いていた。

狂い咲いたミツバツツジ

鷹戻し

 女坂のルートを分けしばらく行くと、いよいよ核心部の鷹戻しを登る。垂直の岩稜を鎖を頼りによじ登る。雨の日には絶対に行かない方がいいところだと思う。この日の下山後、中之岳神社駐車場にある土産物屋のおばさんが、先週ここで滑落した女性が居ることを教えてくれた。四人パーティーの一人が、力尽きて100メートル滑落死したのだそうだ。ロープなしだったとのこと。腕力の無い方はまごついている間に力尽きる。絶対ロープを使うべき場所。この日数人の単独登山者とすれ違った。これも何処かでひとり滑落してしまえば行方不明となってしまうわけで、慎むべき行動だと思う。金洞山周辺には鷹戻しを初めとして三カ所のややこしい岩場がある。鎖はついてはいるものの失敗は許されない。

鷹戻しを登り切る

垂直の壁を下る、下部7メートルはマジに垂直だ。

遠く浅間山

背後に関東平野

 中之岳を越え岩場を一つ下ると、星穴岳へのルートを分け、後は中之岳神社まで穏やかな下りとなる。第四石門への道を遭わせると、ルートは遊歩道という感じになり、観光客の人達がのんびり歩いている。僕らの心も緊張から解放され、達成感で満たされている。程なく中之岳神社にゴールした。

この実はなに?見た目も味もリンゴである。だが猛烈に渋い。口が曲がる。北アルプスでは見かけないこのリンゴのようなもの、なんだろ?

 冒頭、妙義神社の奥ゆかしさ、荘厳さについて書いたが、下山した中之岳神社は、それに対向するかのようなインチキ臭さが魅力だ。先ずはなんと言ってもこの大黒様。日本一の大黒様なんだそうだが、僕はこれを見る度に笑いをこらえるのに苦労する。荘厳さとは無縁なお土産物屋や神主の住居とおぼしき建物が建ち並ぶその背後に、金色っぽい(これポイントね)巨大な大黒様が鎮座なさっていて、それはおそらくFRP製である。また、その顔つきがなんか「一発当てたるぜ!」と言ってるようにも見える。これはお客さん全員一致の感想だ。「日本一の大黒様」と書かれた黄色い登り旗が何本も境内にひらめいてそれが陳腐さに拍車をかける。バカにしている訳じゃ無くて、ここまで来るとその不可思議さとセンスに僕は衝撃を受けるのだ。この世には様々な感覚の人達がいると言う事に。

 神社入り口周辺には、福田赳夫元総理と中曽根康弘総理の書を刻んだ石碑もあった。それぞれは立派なものであるが、中曽根さんのは、表面をグラインダーが何かでガリガリ削った跡があって、多分これはペンキか何かをぶかっけられたのではないかと想像をかき立てられる。うさん臭くて実に面白い神社だ。皆さん、妙義にお出でになった時は両神社セットでの御参拝をお勧めします。

表妙義の写真

 


秋のクライミング講習会大町人工壁

2013年11月18日 | ツアー日記

 年に二回6月と11月に行っているクライミング講習会を11月13日14日で開いた。場所は大町人工壁。この日は12日から冬型の気圧配置が強まり、真冬並みの寒気団が日本列島を覆っていたためとても寒く少し大変だったが、皆さん頑張ってロープワークを勉強する。

 先ずはなんと言ってもロープの結び方。八の字結び、プルージック、この二つをしっかりやって頂く。ロープを結ぶと言うことはさして難しい事では無いのだが、間違いは命取りとなるので、確実に出来る様にならないといけない。一度出来たからと言ってそれは出来る様になったとは言えなくて、現場でそれが躊躇無く出来て始めて自分のものになったと言える。そのためには、何度でも反復練習しかない。解った様なつもりでも、現場でパニックになればそれが全く出来なくなったりするものだから。今回のお客さんも参加は二回目、三回目の方もいらっしゃった。

八の字は、ハーネスにロープを縛り付ける為の結び。現在もっとも確実な結びとされる。作るのは簡単だし、その形を確認することで間違えも少ない。

プルージックは、固定されたロープに縛り付けて登降する為の結び。大変便利だが、リスクもある。

これはアッセンダーというもの。登り方向には動くが下り方向ではロックする。要するに滑落しない。

別なアッセンダー「ロープマン」こんな簡単なものでも充分に効く。

 ロープの結びが出来る様になったところで、実際の岩場に登ってみる。最初は上部に作った支点でロープを折り返しその一方の末端に登攀者がつき、反対側を確保者が制動器で確保する。この練習の目的は、登ることにもあるのだが、下りの際にロープにぶら下がる事になるので、明日の懸垂下降に向けての体の使い方が体感できる。

 7~8メートル程、70度ぐらいの傾斜の壁を登っては降りる。それを何度か繰り返し、ロープとの信頼関係が出来上がったところで1日目は終了した。

 この日はガイド宅泊。寒くなってようやく美味しくなった長ネギを使ってのねぎ鍋を食べて頂いた。三センチぐらいに切った長ネギを立ててすき焼き鍋の底一面に敷き詰め、その上に豚バラ肉をそのネギが見えなくなるぐらいに同じく敷き詰め割り下で煮る。要するに葱と肉だけのすき焼きみたいなもんだが、これがネギの甘みが際だってすこぶる美味い。立てて並べたネギの中を沸き上がった煮汁が、また鍋の底に戻って行く。フツフツ、フツフツと。シメは手打ち蕎麦。日本酒が実に旨い。いい季節だね。

 さて二日目、大町は晴天の朝となった。もう一度結び方のおさらいをして、今度は実際に懸垂下降に挑戦だ。八の字結びを確実にすること、そして登りセルフビレーを取ること、エイト環ををセットし、セルフビレーを解除して懸垂に入る。この順番を間違えないこと。今自分がしていることを理解し、手順を間違えないようにこなしていけば、墜落の要素は無くなるのだ。

 慣れてきたら高さを上げる。人工壁の天辺まで登り、懸垂下降で下る。上部は完全な垂壁だが皆さん上手いことロープとの信頼関係が出来上がった為か、怖がらずに一連の動きをこなしていく。実に頼もしい。

 最後はテラスのある壁から離れ、完全な垂壁を登り下降する。恐怖心を乗り越えれば笑っちゃうぐらい楽しい世界が待っているのだ。皆さん終始ニコニコであった。

 最後は確保も自分たちでやって頂いた。パートナーの安全の為に、確実にするべき事をして、責任を持つこと。それが出来ればその先にはきっと新しい世界が広がっている。

 わっぱら屋にて盛りそばを頂く。夕べも食べたのに、また蕎麦を食べるお客様。そんなに蕎麦っていいものなんだね。もし信州で食べ物屋をするとしたら、蕎麦屋に限ると言うわけだね。

 

 


初冬霞沢岳遭難捜索

2013年11月17日 | 雑感

 15日午前11時、僕の携帯が鳴った。それは遭難対策協議会からのもので、上高地霞沢岳へ向かった登山者が帰らないと言うものであった。13日「雪があって滑って下れないから、ビバークする」と携帯電話から家族に連絡があったらしい。

その登山者は77歳男性、13日に単独で霞沢岳へ行きたいと言う事だけを家族に言い残していた。本人のマイカーが上高地へのマイカー乗り継ぎ地点の沢渡駐車場で発見され、上高地行きのバスに乗ったところまでは確認されて居る。大切な登山届けは未提出。よって、この登山者が本当に霞沢岳へ向かったのかどうかは不明だ。

 まず、この時期は霞沢岳への登山ベースとなる徳本峠小屋は、既に冬期休業に入っており宿泊は出来ない。霞沢岳は77歳という年齢の人が、が上高地から日帰り出来るほど簡単な山ではない。夏季でさえ大概の人は徳本峠小屋へ泊まり、霞沢岳を往復して下山する。

 12日夜から北アルプス周辺は真冬並みの寒気が降りてきて冬型の気圧配置となり雪が降った。13日は終日雪。その後14日は若干回復したとは言え、ぽかぽか陽気とはほど遠く、14日夜から15日昼にかけて高い山では再び雪となった。果たして、そんな天候の中77歳男性がろくな装備も無しに深い山に入るものなのだろうか?未だに消息が不明と言うことは、その登山者は既に2日間厳寒の山中で過ごしていることになる。

 15日午後一時に島々派出所に集合して、僕ら4名の救助隊は島々谷へ捜索に入った。翌日には上高地側の明神からと、八右衛門沢からも捜索隊がはいる予定だ。ようやく雨は上がっていたが、沢沿いの道は暗く寒い。降り積もった落ち葉を踏みしめながら、僕らは岩魚止小屋を目指した。辺りを見回しても、それらしき姿は一向に見あたらない。遭難者は携帯電話で連絡したと言うことだから、おそらくそれは上高地側である。島々谷では携帯電話は通じない。だから、この谷に居る確率は非常に小さいのだが、僕ら救助隊は全ての可能性を潰していかなければならないわけだ。

 岩魚止め小屋前にテント泊して、16日早朝に徳本峠を目指す。快晴。標高を上げていくと広葉樹はすっかりその葉を落とし、雪が現れた。徳本峠付近では、25センチ程の積雪があった。雪に残る踏み跡は全く見あたらない。遭難者はここへ来ていないのか、はたまた、その後降った雪が踏み跡を全て埋めつくしてしまったのか?

 全く手がかりも手応えもないまま、上高地から捜索してきた明神班(2名)と合流して霞沢岳方面へ捜索に入った。行けども行けども、本人どころか踏み跡らしいものさえ全く見つからない。午前9時からは県警のヘリコプターによる捜索も行われた。快晴だから、ヘリ捜索にとって森林限界を超えたところの捜索にはもってこいの天候だったが、発見には至らず岳沢や西穂方面も捜索をしたのち帰って行った。あとは地上班が、森の中を丹念に探すしかない。

 ジャンクションピークを越えたあたりで、1カ所だけ踏み跡らしいものを発見する。これは明らかに踏み跡である。捜索隊はにわかに色めきだった。周辺に続く踏み跡を丹念に探した。しかし発見には至らず。その後この踏み跡は14日に入った上高地美化財団の職員のものであることが判明した。その職員によると、明神から徳本峠までの間に往復した踏み跡があったものの、その先には踏み跡らしいものは全くなかったとの事である。断片的に入る情報をつなぎ合わせて見るが、目撃報告も乏しく登山届けもない状態では、この山域にいるという確証が全く持てない。僕らはただただラッセルし霞沢岳を目指した。

登山者の踏み跡、おそらく遭難者のものではない。

 ジャンクションピークを越えP2に至るが、八右衛門班(4名)が既に霞沢岳に到達し徳本峠までの登山道を捜索するということで、島々班と明神班は引き返すことにした。午後1時半のことだ。そろそろ下山しないと真っ暗になってしまう。美化財団職員が踏み跡を見た徳本峠から明神間を明るいうちに捜索しながら下山した。上高地臨時派出所到着は午後5時前だった。今日も冷え込みが激しく、道の水たまりは終日融ける事は無かったようだ。なんの手がかりもないまま二日間が過ぎてしまったのだ。

 最近は高齢者の単独登山者をよく見かける。それは夏だけではなくて、こんな初冬の北アルプスでもだ。インターネットであらゆるシーズンの登山情報が手に入る時代。自分にとって都合のいい情報のみを登山者はつなぎ合わせ、下調べは完了したと多くの単独登山者は思っているのだろう。77歳という年齢からすれば、ツアー登山でも彼が参加する為の椅子は殆ど無いのかも知れない。未完成のまま野に放たれた高齢登山者は、肉体は衰えても、その精神力は衰えず、むしろその年齢がもたらす切迫感からかその意志の力は頑なになり、結果的に彼らをひとり山に向かわせる。そこにあるのは何か生きている手応えを感じたくての事なのかも知れない。やり残した何かを自分にはやり遂げられると確信しているのかも知れない。しかしそこには大きな落とし穴がある。それは単独と言う事であり、そんな日頃の登山に同行し、それを客観的に評価してくれる人が周りに誰もいないのだから、彼ら高齢単独登山者はどうしても独善的になりがちだ。実はそこには1ミリの余裕も無いのに、自分は大丈夫だと確信しているのだ。そして自分自身を過大に評価し、無謀な登山に自分自身を向かわせる。

この山域にはここ十年の間だけでも数人の行方不明者がいる。僕の記憶が間違いなければ、そのほとんどが中高年の単独登山者だ。僕らは何度もその捜索に入っている。今年の8月には蝶ヶ岳で単独の女性が行方不明となったばかりだ。これは奇跡的に発見されたが、既に死亡していた。山で居なくなってしまった人を見つけると言うことは、実に大変な事だ。間違えそうなところを全て当たっても、あらゆる獣道を探ってもそこには遭難者は居ない。遭難者と言うものは、あたかも神隠しにでもあったかのように忽然と姿を消すのだ。まともな人間が考え得る場所になんか彼らは居なくて、後日それはとんでもないところで発見される。なんで?どうしてこんな状況で?理解をこえた現場がそこにはある。今回の遭難、気の毒な気もするのだが。なんで?という疑問が頭から離れない。

 こうした単独登山者はおそらくその出発以前に既に遭難しているのだ。自分への評価を誤り過信し、いろんな危険を知らせるサインを見落として遭難に至る。戒めとしたい。 

 


使える携帯ラジオ

2013年11月13日 | 登山道具考

ソニーの携帯ラジオである。このシリーズには、山ラジオと言うものまである(どうも周波数のプリセットが、日本全国の山を飛び回る方々に向いているらしい)。それが本当に役に立つかどうかは解らない。

 同じようなものにパナソニック製があるのだが、その機種を過去に二台ほど使ってみたが、性能はソニー製に叶わない。まず、アンテナの性能が断然違う。北アルプスの山中で、谷間に入った場合の感度が全く違うのだ。本当は、昔ながらのビヨーんと伸びるアンテナが装備されていればもっといいのだが、このラジオは基本的に、サラリーマンなどが通勤の途中などに胸ポケットに入れて情報収集するためのものだから、ビヨーんと伸びるアンテナはどうも頂けないようだ。スーツの胸元からアンテナが飛び出ているのは見た目イカンと言う事なのだろう。

 それともう一つ、ソニー製の方が音がでかい。スペックでは、両者とも40mwで同じなのだが、明らかに音量がソニーの方がでかい。例えば、テントの中でガスコンロに点火した状態で、パナソニックは全く何を言ってるのか解らない時でも、ソニーは聞こえるのだ。イヤホンならどちらも平気だが、スピーカーから音を鳴らして、みんなで情報を共有することは大切な事だと思う。

 さて、北アルプスの谷間でいったい何処に周波数を合わせるかと言う問題がある。長野局なのか、富山局なのか、はたまた岐阜局なのか?ダイヤルをグルグル回して探すのもなかなか大変なのだが、結論を言えば、NHK AMの594MHが一番であると思う。594MHは、東京第一放送からの周波数だ。この周波数は、関東一円をカバーしているので、発信側の出力が大きく、それが谷間であっても何とか聞き取ることが出来るわけだ。長野とか、富山の地方局は稜線上であれば結構聞こえるが、谷間では全くダメな事が多い。地方局は、その地域にだけ聞こえれば良いわけで、あまり遠くまで聞こえてしまうと何かと不都合があるのだろう。たぶん、東京から半径300Km以内であれば、594MHが一番信頼出来る周波数だと思う。それ以上遠くに関しては経験があまりないので解らない。

 僕は、このラジオを一年に一台ぐらい買っている。お値段は結構して、一万円ぐらいするのだが、壊れてしまうから仕方が無い。パナソニックは若干安い。

 携帯ラジオは大切な情報源だ。何より天気の悪いときこそ大活躍だ。NHKは朝から天気予報を頻繁にやってくれるので、気象予報士の一言一句を聞き漏らさず聞かなくてはならない。予報士が言う微妙なニュアンスを感じ取って、天候判断に役立てるのだ。そんなわけで、ラジオは天気の悪い時こそ大活躍だから、それは雨合羽のポケットに入れられ雨の中を歩きながら使われる。そして結局結露や蒸れであっけなく壊れてしまうのが常なのだ。防水で、コンパクトで、感度のいいラジオがあればいいのだが、理想のラジオには未だに出会っていない。以前であれば各社様々な製品を意地でも作って張り合っていたはずだが、今は選択の余地がない。日立やら東芝やら三菱なんかにも頑張ってもらいたいのだが、どう考えても儲かりそうもない製品だし、日本の元気の無さがこんなところにも現れている様な気がする。

 ラジオは、僕にとって単なる情報源を越えて友人のようなものだ。これを持ち忘れるとどうもソワソワとして不安で仕方が無い。山深くに一人でいる時、なんだかんだ言って人の声が聞こえるというのはほっとするものだ。音楽は時に余計寂しくなったりするしね。だから、ラジオはケチらない。一番いいものを買うことにしている。

 


安曇野は霧の季節

2013年11月11日 | 安曇野の暮らし

 

霧にかすむ有明山


 安曇野の11月は霧のシーズンだ。雨が降った翌日、朝冷え込んだりすると霧は発生しやすいのだが、ここ安曇野、特に僕の家のある有明や明科辺りはこの時期川霧が良く発生するの。それが深いときは太陽の光を遮ってしまうほどで、朝は寒く暗い。午前10時頃になって昇った太陽が霧の表を暖める頃にならないとなかなか晴れては来ないのだ。

 明科は、安曇野や松本平の水が全て集まるところだ。奈良井川を集めた梓川、槍ヶ岳や木崎湖から来る高瀬川、北アルプスの前山の水を集める穂高川、その三河が合流する。合流した後は、犀川となって安曇野を離れ、やがて川中島で千曲川に注いでいる。そんな明科を中心に川霧が発生するのが11月だ。この時期、川の水は冷たいとは言えまだ夏の余韻をわずか残して、外気温よりかなり温かい状態にある。それが朝方の冷え込みによって冷やされ霧が発生するのだ。今朝はどんよりとして暗く、天気が悪いのだとばかり思っていると、実はそれはそうではなく、霧が晴れてみれば快晴の一日だったりするのだ。周辺の山に登ればそれは雲海となる。安曇野全体に雲海が入り、山々は島のように浮かぶ。そんな霧の朝を散歩する。その晴れ行く様は実に美しくすがすががしいものだ。

 

夜露に濡れて


大きくなるよ ↓

   

 

 犬の散歩に出かけた時のこと。愛犬に導かれるままにあぜ道を行くと、何故か刈り取られないままの田んぼに出くわした。見れば立ち枯れた稲の穂にはあちこち何かキラキラ光るものが見える。よく見ればそれは赤とんぼだった。何匹もの赤とんぼが、稲の穂にしがみついている。その翼はびっしりと夜露に濡れ、それが水玉となって淡くなってきた霧の向こうから差す朝日に輝いていた。こんなになっても彼らは必死に夜を耐えているんだなあと感動してしまった。見れば、その羽は破れてボロボロになっていたり。だが、陽の光がその翼を乾かせば、彼らはまた恋を求めて結構元気に田園地帯を彷徨うのだ。


 

 

 


BS TBS「日本の名峰 絶景探訪シリーズ」2時間スペシャル放映

2013年11月08日 | テレビ出演

BS TBS「日本の名峰 絶景探訪シリーズ」2時間スペシャル放映です。

今回は八ヶ岳をめぐる2時間特番です。始めての登山に挑む住吉美紀さんが見物です。加えて男気永井大は格好いいですよ、ほんと。どんな番組になっているのかぼくも楽しみです。多くは申しません。是非ご覧ください。

11月10日(日)午後7時~

番組ホームページは以下URLをコピーして貼り付けてください。

http://www.bs-tbs.co.jp/meihou/archive/20131110sp.shtml

カメラマン達

硫黄岳

夏沢峠と硫黄岳爆裂火口

住吉さん

硫黄岳山荘にて夕食

永井さん対松崎くん 本気の組み手

執念の黄金の朝日

ベストショットを求めて彷徨うカメラマン

来たー!

徹底的にこだわる

 

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13安曇野スタイル赤沼家キムG一家の一撃舞踏公演

2013年11月07日 | 安曇野スタイル

 山の方々を少し驚かせてしまっただろうか?

 これは安曇野スタイル「赤沼家」最終日に行われた「キムG一家の一撃」舞踏公演の模様である。舞踏は土方巽を中心として発展してきた日本独特の前衛的ダンススタイルだ。いわゆるダンスというものの概念からは、完全にはみ出した形式の踊りだから、これを目の当たりにした人達は、先ず、少なからず恐怖感の様なものを感じ、そしてしばし混乱をする。

 それは突然はじまる。何も知らず、赤沼家を訪れたお客さんの流れの中で唐突にその舞が始まる。なんの心の準備も無いままに、人々はそれを見ることになるのだ。腰を低く落とし、関節を異様な角度に曲げ、顔は無表情であったり苦痛に歪んでいたり、時には狂人の様な笑みを浮かべたり。なんなんだいったいこれは?いったい何を意味するのか?

 しかし、そこで感じる恐怖感は目を完全に背けるにはいたらず、我々は心の扉を少しだけあけて、それをのぞき見るのだ。なにか見てはいけないものを見ているような、見てはいけないものだからこそ覗きみたいような、そんな不思議な感覚が心の中に沸き上がる。醜くも美しく、華麗なステップなど微塵も踏まないその様式は、西洋の技巧的なステップに対しての日本の土着的情念の舞なのだ。ひとたび、心奪われるとそこから目を背けることが出来なくなって、それを無視することは不可能になる。気になって仕方が無くなるのだ。この日は公演直前まで不安定な空模様だった。雨が降ったりやんだり、時には青空が広がってみたり。そうそれはまさしく「狐の嫁入り」その日だったのかも知れない。雨上がりの軟らかく濡れた土が次第に彼らを汚していった。

 この日、僕はこの公演を見るに着け実はかなり感動をしてしまった。最後には涙腺がゆるみっぱなしになって困るほどであった。そしてその涙をカメラで隠しながら撮影をした。実は僕も若かりし頃これを少しやっていたことがあって、今は亡くなってしまったその師匠の事を思い出したのかも知れない。そしてそれは庭の緑に緋色の衣装が美しすぎたのかも知れない。大勢の方が訪れてくれたこの4日間の祭りが終わる、その寂寞感なのかもしれない。とにかく、僕はただこの舞踏というものをずっと見てきた。そして、僕はこのようなものに感動し、涙を流したり、笑ったりする人間なのだと言う事を改めて感じるのだ。

理解など無用だ。そう、ただただそれを少し開けた扉からのぞき見ればいいのだ。

かにえあきのり 

 キムG

 

 

 

 

 

しもG 

 熊坂義人

 

館 友希江 

キムG 

 安藤則男 & マサ

 古屋みすず

 

 

 

 

ほうすけさん 

すぱん子

大きくなります ↓ 

      

 


13安曇野スタイル赤沼家企画ライブ2本

2013年11月06日 | 安曇野スタイル

 安曇野スタイルの期間中、二回のライブイベントと、舞踏公演が行われた。先ずは、11月2日の笹久保伸と青木大輔による「ギターとサンポーニャによるアンデス音楽」。場所は我が家の近くの石窯焼きピザ屋さんのラノッキオ。ギターはどなたでも解ると思うが、サンポーニャは葦の筒を束ねたもので、一本一本の長さを変えて調律されていて、そこに息を吹き込んで音を出すというものだ。ペルー音楽を思い浮かべれば何となく「あああれか」と思い当たる方もいらっしゃるだろう。僕もこのサンポーニャと言う楽器は知ってはいたのだが、実際の演奏を聴くのは初めてだった。

 その音色は衝撃的だった。笛というよりはそれは汽笛の音に近く、強く吹いたときの炸裂音には土肝を抜かれてしまった。柔らかく吹けば、郷愁を誘う柔らかな音を奏で、少し角度を変えたり、遠くから吹き込んだり様々な奏法がある様だ。そして、びっくりするのはその演奏の早さで、青木の動きはまるでコマ送りの様に見える。今目の前で起こっていることが現実の人間の動きとはにわかに信じがたい程の高速演奏を彼はやってのけるのだ。しかも情感たっぷりに。その青木のサンポーニャを笹久保伸の流麗なギターがしかっり支え、時に煽り時に優しく寄り添う。

 笹久保は現代音楽とアンデス音楽を中心に演奏するギタリストだ。数年間をペルーで過ごし、ヨーロッパ各地でも演奏活動を行ってきた。現在は秩父に住み、芸術活動「秩父前衛派」の活動も精力的に行っている。彼の演奏は伝統的アンデス音楽と言えども普通ではなく、そのアプローチはまさに現代音楽的で創造性に溢れている。しかもクラシック系のギタリストでありながら彼の髪はドレッドヘアーだ。

 「コンドルは飛んでいく」を初めとして、馴染みの曲もほんとに楽しくて、会場いっぱいのお客さんもノリノリだった。少しシャイな感じであまり得意ではないというおしゃべりもチャーミングで良い感じ。会場の「ラノッキオ」の本格ピッツアも色いろ楽しめて無国籍世界旅行的お洒落なライブだった。お客様は47名様、満員御礼、感謝!

サンポーニャと舞台美術を担当してくれた染織家園原弘美

青木大輔

笹久保伸 

 翌11月3日は恒例「赤沼家投げ銭ライブ」。このライブは我が家の土間をステージとして行われる。今年で何回やっただろうか。期間中二回やったこともある。クラシックコンサートを開いたこともあった。築120年の古民家にイブニングドレスのオペラ歌手を招いたこともあった。ミスマッチ感が半端じゃなくてそれも面白かった。このライブで演奏してくれるミュージシャン達は全て遠路はるばる手弁当で来てくれて、ギャラはお客さんが投げてくれる投げ銭のみというものだ。それを頭割りで平等に分ける。

 今年は、「プレイ・トーンズ」とアイリッシュダンスバンド「ウーラ」。「プレイトーンズ」は僕のバンドで、相方は安藤則男という。彼は喜多朗やジョニー大蔵などと演奏してきた熟練のエキセントリック(不思議ちゃん)ギタリストだ。

 安藤は30年前から松本界隈に住んでいる。時々ライブ会場などで会っていたし、お互いギターを弾いていることももちろん知っていたのだが、なかなか演奏する機会が無かった。ところが二年ほど前に何故か「セッションしようか?」ということになり、それきり二人で頻繁にゴジョゴジョ音を出すようになった。それはまるで恋に落ちたようなものだ。

 安藤の演奏は、実に風変わりだ。通常で”使わない音”を意識的に使い、音を外しまくって最終的につじつまを合わせて来るという演奏をする。それがしっかりしたテクニックと経験、そして理論の裏打ちがあって行われているのである。ジャズピアニストのセロニアス・モンクの様なと言えば少し解って頂けるだろうか?僕は彼と演奏をするようになって、いろいろなことを学ばせてもらった。時に彼は根気よくバックに徹してくれるから、それに僕は反応し、自由に遊び回らせてもらったり。安藤との演奏は実に楽しいのだ。

 今回は、三曲だけ沖縄三線(サンシン)の「つや」をゲストに迎えた。彼女は十代の頃沖縄に住んでいて三線を覚えた。僕と二人で何回か演奏活動もしたことがあったのだが、突然歌うのを辞めてしまった。

「三線弾きなよ」と言っても

「やらへん」ゆって、ずっと三線はケースの中で眠っていたのだ。それが最近、目をキラキラさせて

「音楽やりたい!」「私出来ると思うねん!」と言うようになった。

つやは、丁寧に情感込めて歌う。それは天性のものだ。少しハスキーな声は何とも切なくて僕は大好きだ。これからどんどん声が出てくるのだと思うと楽しみで仕方が無い。「白雲節」「安曇節」「童神」三曲言い声で歌ってくれた。

 さて僕らの演奏は?それは当事者であるが故に語ることは出来ない。と言うか、そもそも音楽を言葉で語るのは実にむずかしい。

 そして最後は長野から招いたアイリッシュトラディショナルダンスミュージックバンド「ウーラ」。映画「タイタニック」で使われていたアイルランド音楽と言えばお解りだろうか?船倉で繰り広げられるアイリッシュパーティーのシーンのあれだ。彼らは昨年に引き続きの出演だ。時に軽快にそして切なく響くアイルランド音楽は、アメリカ民謡の大きなルーツでもあるし、それはカントリーとかジャズなどに育っていく。使われる楽器が変わっていて、ティンホイッスル(リコーダーに似た笛)やコンサティーナ(シンプルなアコーディオンみたいな楽器)などの独特なものを使う。これがまた、独特の音色でうっとりしてしまうのだ。

 その旋律は日本人の郷愁感とよく似ていて誰でも楽しめる音楽だが、その表現はトリッキーで超絶技巧的な演奏で場を盛り上げていくのだ。この日も会場いっぱいのお客さんは、手拍子をし、えいや!をし、子供達は躍りまくって実に楽しい演奏だった。お客様は97人。開びゃく以来の満員御礼。床が抜けるかと思った。いったい今年はどうなってるんだ?

ウーラ

ティンホイッスル

コンサティーナ

エイヤ!!

笹久保さん、青木さん、ウーラの面々、安藤さん、つや、薗原さん、アニメーションのんきさん、音響の榎本君、お客さん、そして、支えてくれた全ての方々本当にありがとう。心から感謝致します。