6月22日、甲武信岳に突き上げる釜ノ沢ツアーを雨の為中止にせざるを得なくなった朝、ぼんやりしていたら僕の携帯電話が鳴った。
「大天井岳で女性が行方不明ですが、出動できますか?」
「オッケー、出られますよ」
救助隊は我々常念一ノ沢班と燕山荘班の2隊が22日に入山し、23日にもう一隊が中房から捜索に入ることになった。体勢を整えて僕らは午後1時、遭対協隊員2名、警察官2名で一ノ沢登山口から常念小屋へ向かった。雨は降っては居なかったが今にも降り出しそうな空模様だった。
その女性は6月20日に徳沢を出てその日は蝶ヶ岳ヒュッテに宿泊し、翌21日午前10半ごろ常念小屋を経由して燕岳方面へ向かったという。21日午後2時半ころ、大天井岳付近で4人組のパーティーとすれ違ったところまでが確認されて居る。その後女性は燕山荘には現れず捜索願が出された。いったい何処に行ってしまったのだろう?我々救助隊はその日常念小屋までとしたが、遭難女性はその日山中で雨の二晩目を迎えていることになる。
この時期は通常の登山道には未だに残雪が多く危険な箇所が沢山ある。大天井岳付近も夏道は斜面のトラバース道で、急傾斜の残雪が残り通行は大変危険だ。午後2時過ぎに大天井岳に居たとすれば、燕山荘へ向かうには時間が少し遅すぎる。もしかしたら、焦ってトラバース道を進み、滑落したのかも知れない。時間が足りないと諦めて常念阿小屋方面に戻って、道に迷ったのかも知れない。持っているはずの携帯電話が繋がらないと言うことは、電波の届かない場所に居るか、もしかしたら意識を失っているのかも知れない。そうなると生存の可能性は限りなく低い。反対側の燕山荘から入った救助隊は22日中に大天荘に到着したが、手がかりは見つけ出せず、トラバース道にも踏み跡や滑落跡は無かったとのことである。様々な事を話し合い考えた。天気が良ければ救助ヘリも飛ぶはずであるが、梅雨の空模様に保証などない。
翌朝、起きると快晴だった。槍穂高もよく見える。しかし、足下には雲海が安曇野側と上高地側にびっちり入っている。下界はどんよりとした曇り空のようだ。ヘリはすぐには飛べない状況と連絡が入る。早朝に小屋を出発し、大天井岳方面へ向かった。道を外れて間違えそうなところを覗きながら行く。かすかな痕跡が無いか、丹念に砂地を見たり、谷を覗き込んだりするが、痕跡は無い。
東天井岳を過ぎる頃、一機のヘリが我々の上空に飛来した。それは上高地から西岳ヒュッテへに荷揚げを行っている民間会社のヘリで、荷揚げの合間に捜索に当たってくれているようだった。東天井岳の南尾根を舐めるように飛び、東斜面も飛んでくれた。県警ヘリは未だに、松本空港を飛び立てない。稜線の天気は良いのになんともどかしい。
その直後だった。大天荘まであとわずかと言うところで、遭対無線に連絡が入った。
「遭難者は、自力で大天荘に到着、大きな怪我はなく、元気な模様」
やった!!思わず救助隊4名でガッツポーズ。全く希望を見いだせないで居たので、いきなりの状況好転に僕らは興奮した。大天荘に向かう足も逸る。
大天荘に到着すると遭難女性は玄関の奥にいて思いの外元気そうだった。若干手足が紫色に見えたが、意識もしっかりしていて笑顔もみえる。怪我もないという。警察官が事情聴取すると遭難から二日間の状況がだいたい解ってきた。状況はこうだ。
彼女は4人の登山者とすれ違ったあと、セオリー通り大天井岳の山頂から燕山荘方面に行こうとしたところで方向を間違え大天井ヒュッテ側の尾根を下り始めてしまった。そして、100メートル程下ったところで左側のガラ場に滑落し、そのままその先の雪渓を滑り落ちてしまったと言うことだった。途中岩の上を飛び越えたりもしたが、一向に止まらず、靴と指の爪を立てて滑落をコントロールしながら落ちていったが、最後はブッシュを掴んで止まったという。止まった後登り返しを試みたが、更に二度滑落し、観念して樹林の中で休んだ。レスキューシートを被り、あり合わせの乾いた衣服に着替え、わずかな食料で雨の第1日目の夜を過ごした。水は雪渓の雪をペットボトルに詰め、懐に入れて溶かして飲んだ。天気の悪かった昨日はじっとして動かず、もう一晩をそこで過ごした。そして、天気が回復した今朝、3時間を掛けてここまで登り返してきた。
と言うことだった。俄に信じがたいことである。状況を聞いて判断すると、彼女は標高2,800メートルから2,400メートルのところまで滑落している。それは、最初のガラ場から推察すると400メートルを滑落したことになる。水を引く黒いホースを見たというから、彼女が二日間を過ごした場所は、大天井ヒュッテの水場の沢で、彼女はそこへ至る狭い支沢を大した怪我もなく400メートルも滑落したことになる。普通だったら、脇のガラ場に突っ込んでそれきりだ。これはどう考えても奇跡である。そして、慌てずじっとしていたことも、幸いしたのかも知れない。そう、レスキューシート(銀紙のシート)を持っていたこと、これも非常に大きい。常識的に考えれば、この時期に雨合羽だけで雨の二晩を過ごしたら低体温症になっても全く不思議でない。僕なら多分そうなっていたかもと・・・・・・と思う、それほど過酷な状況なのだ。しかも彼女はその最中、眠ることが出来たと言っていた。一同唖然・・・・・・・・女性は凄い!・・・・・・・どえらい幸運の持ち主だ。
午前10時頃、ようやく開いた雲の切れ間をついて県警のやまびこ1号が飛来した。女性は無事松本の病院へと搬送されていった。その後、次第に雲が沸き、ヘリの飛行も難しくなる状況だったから、これも幸いした。しかし、かの遭難女性は当初、我々と一緒に歩いて下ると言っていたのだ。まさしく奇跡のような出来事だった。
帰る我々の足取りも軽い。
PS 病院に搬送された女性は検査の結果打撲程度で入院もせずに済んだとのことです。良かったね。