山岳ガイド赤沼千史のブログ

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最後のパウダー、熟練の滑り屋達

2014年04月11日 | スキー

 skier Yukiyas Matsuzawa           Photo by Makoto Kroda 

 季節外れの大雪になった初雪山から帰って泥の様に眠った翌朝6時半、白馬の松原君から電話が入った。「滑りに行きませんか?、今年最後のパウダーかもですよ。」体は鉛の様に重い。だが、最後のパウダーと言う言葉に反応して、一気に僕の体から疲れが抜けた。そして謂われのない力がみなぎってくる。

 採るものも取り敢えず、スキー道具を車に放り込んで白馬に向かった。頭の中はちょっとしたパニックになっているので、車を走らせながら忘れ物のチェックをする。スキー板、ブーツ、ストック、ゴーグル、ビーコン、ゾンデ、スコップ・・・・・・etc。滑りに出かける時はいつもこんなだ。一刻も早く現場へと心ははやり、内心は尋常ではない。

 僕は登山道具を整理しておくことが苦手で、時々大きな忘れ物をする。昨年も、登山靴を忘れたり、雨合羽を忘れたり、そんな事を時々やる。だから、最近は登山道具は車に積みっぱなしが基本になっている。悪いのはわかっている。車の中はいつも陽が当たるし、高温だったり低温だったり、登山道具の為には良くない環境であることは。全てを合わせるとかなりの重量にもなるだろうから、車の燃費にも影響するし、しいては地球環境の悪化にも僕は一役も二役もかってしまっていることも。だけど、忘れ物という重大な失態を演じてしまうよりマシと思っている。流石にスキー道具は積みっぱなしだと嵩張って邪魔なので、その度車から降ろすが、次回出かける時には忘れ物が大きな問題になる。特にこの日だけは、そんなつまらないミスで一日を台無しにしたくはなかった。

Shinichiro Matsubara 

Makko 

 そんな朝の混乱が少し落ち着く頃栂池に到着した。ゴンドラとロープウェイを乗り継いで栂池自然園まで行き、少し戻る感じで鵯峰にシールで登る。本日のメンバーは滑りには腕に覚えの有る人物ばかりだ。板を自分で作る人M氏、ガイドでカメラマンの人K氏、初めてお会いする人A氏、まっこちゃん。皆熟練のライダーだ。少し遅れて鵯峰に到着したのは元デモンストレーターの人M氏、登山ショップのオーナーの人M氏。この二人は40歳台後半にも関わらず、昨日行われた全日本山岳耐久スキーレースで4位と9位という輝かしい成績を納め、そのまま地獄の打ち上げを経てここに来たというからびっくりだ。だが、「最後のパウダー」というものを、放ってはおけないのはみな同じ。

Yukiyasu Matsuzawa

Yukiyasu Matsuzawa

Abesan

 もう4月である、雪の状態は決して最高ではない。雪崩の心配もぬぐい去れない状況ではある。ビーコンをチェックし滑り込んだ。若干湿りぎみの新雪、その下にはガリガリの斜面があったりはするけれど、最後のパウダーとしては上々だ。滑り屋達は思いっきりかっ飛ばして行く。地形と雪面の陰影を見てなるべく陽射しの弱いラインを選んで滑る。雪の状態がいいからだ。派手に雪煙をあげて滑る様のなんと美しい事だろう。ハンパ無い遊び人達の味のある個性的な滑りの妙。それぞれの熟練の滑りを堪能させてもらってあっという間に親沢に滑り込んだ。

 ここから一旦尾根を登り返して北斜面を黒川沢へ滑り込む。流石に標高が下がると雪は重く、足下から流れ出した雪が巨大なバームクーヘン状になってごろごろ転がっていく。白馬乗鞍スキー場が近づくと、猛烈なストップ雪に悩まされた。日影で良く滑る雪は日向では途端にブレーキがかかって、堪えきれないと前につんのめってしまうほどである。これへの対処で足がパンパンになる。営業が終わった白馬乗鞍スキー場を喘ぐように漕いでパーキングに帰りつくころ、僕等の顔は苦痛に歪んでいたのかも知れない。しかし込み上げるよう満足感もまたにじみ出ていたに違いない。新雪滑り・・・・・・それは楽しさや爽快感を越えて、もはや快楽である。上々の最後のパウダー滑り、ごちそうさまでした。

Abesan

 


板舎(バンヤ)クラフトの板

2014年04月10日 | スキー

超オシャレ

 スキー板である。だがこれらはただのスキー板ではない。全て手作りのフルオーダー品である。これを制作しているのは白馬「板舎クラフト」(バンヤクラフト)の松原慎一郎君だ。フルオーダーでその人の要望に合った板を制作してくれる。驚くのはこれを作り上げるための工作機械まで自作で作ってしまうと言うことだ。僕はスキー板は完全な工業製品であり、自分に合ったものをチョイスして使うものだと思っていた。彼のスキーと初めて出会ったのは、八方尾根スキー場のリフトでたまたま一緒のリフトに乗り合わせた人が履いていた奇妙なスキー板を見た時だった。それはなんと真四角の真っ赤な板だった。スキー板は常識的には先端は丸いか流線型をしているが、その先端とテールは共に真四角なのである。聞けば、深雪滑りにはそれで良いのだと言う。

 それからガイドでもある彼と一緒に仕事をする機会もあって、最近時々一緒に滑ったりするようになった。先日の鍋倉山スキーツアーも一緒だったのだが、総勢12名のメンバー中、彼も含めて三人が板舎クラフトの板を履いていた。表面にはアジアやアフリカの布が張られ、今までのスキーのデザインとは大分違った雰囲気で超個性的。基本的に山を滑るための板だから、幅広く作られたファットスキーだが、驚くほど軽く仕上げられていて、これなら歩くのも軽快で楽しいに違いない。

スプリットスノーボード(滑走時は二枚を合わせ一枚のスノボードとして滑走できる)

 僕が住む北アルプス山麓には、物作りをする人が沢山暮らしている。ガラス、陶芸、家具、織物、木彫、絵やデザイン、様々な作り手達が居る。そしておそらくその作り手達は毎日山を眺め、無意識にそれを感じて自分の作品を生み出しているのだと思う。きっと山と作品は無縁では無いのだ。そんな人達の作り出すものを使ったり、身の回りにちょっと置くことで僕らの生活は豊かに彩られる。手で触ったり、眺めたり、それは飽きることのない楽しい時間だ。

板舎クラフトの松原慎一郎とmakkoちゃん

 山を滑る道具であるスキー板がそんなハンドメイドなものであるというのは、究極の贅沢の一つである。山や滑ることだけがスキーではなくて、常に山を感じ雪を思ってそれを味わい尽くそうとする、その姿勢の極まるところがこのスキー板なのかも知れない。

「来シーズンに向けて、一台たのんじゃおうかな」

などと考えている。さて、どんな板にしようかな?・・・・僕の思う板とはいったいどんなものなのだろう?・・・・・そして僕はどんな滑りがしたいのだろうか?・・・・デザインはどうしよう?・・・・・完成を思い描く日々・・・・・もう来期のスキーシーズンは始まっているのだ。自分の為にオーダーされた板で思うとおりの美しいラインを描く・・・・なんて素敵なのだろう。

黒田誠クロネコちゃん仕様(これはテールではなくてトップです、やっぱ耳がなくっちゃ)

板舎クラフトHP


平日女子スキー部合宿 IN 鍋倉山、3月31日

2014年04月01日 | スキー

 飯山を訪れるのはいったい何年ぶりだろう。おそらく20年ぶりぐらいかもしれない。同じ長野県とは言え、僕の住む安曇野と飯山は遠く離れている。長野県は県歌「信濃の国」にも謳われているように、松本、伊那、佐久、善光寺の四つの大きな盆地があって、それぞれは山間地によって隔てられている。隣の盆地に行くとその景色も風土も文化も随分違って感じるものだ。ましてや久しぶりに訪れた善光寺盆地の北の端にある飯山地方は、僕からすれば全く違う土地に来たような気がした。そんな異文化の地を一つに繋ぐのが県歌「信濃の国」であると言う説がある。確かにそうなのかも知れない。

 北へ走る車の窓から見える飯山の景色は伸びやかで、僕の住む安曇野から見る急峻な北アルプスの荒々しさとはは似ても似つかぬ姿がそこにあった。昨日降った大雨を集めた信濃川が、その川幅いっぱいに蕩々と流れていく様には大河の風格が漂っていた。今日登る鍋倉山は戸狩温泉スキー場の北側にある一山という集落が基点となる。信濃川から離れ県道95号線を西側の山へ向かって登っていくと、みるみる雪の量が増えてきた。この山の向こうは豪雪の新潟県なのだ。

 僕と同行の松原ガイドは一山集落で本体である「平日女子スキー部」を待つ。ここから先は除雪もまだで、どん詰まりに車を止めてここからシール登降の始まりとなるのだ。シールとはスキー板の裏に貼り付けるもので、かつてはアザラシの毛皮で出来ていたという。短く密な毛が一方向に揃っているため、雪に食い込んで斜面を登ることが出来るようになる。山スキーの金具は踵が上がるようになっているから、この組み合わせで普通に歩くのと全く変わらず雪山に踏み込める。そのバツグンの浮力はワカンやスノーシューなど問題にしない。ふかふかの新雪でも、鼻歌交じりでスピーディーに登れて、しかも最後には滑りという、一番のごちそうまで用意されているのが山スキーだ。 

「平日女子スキー部」がやって来た。この時まで知らなかったのだが本日はなんと女子9名。そこに黒一点永井ガイドが混じる。彼女たちは昨日から野沢温泉に乗り込んでスキー合宿をしていて、永井ガイドは唯一男子としてそこに参加していたのだ。凄い人だ。

 この「平日女子スキー部」は、北アルプス北部界隈山岳関係者重鎮女子たちによる緩いスキー部で、そのメンバーはいちいち説明は差し控えるが、泣く子も黙る姉御達の集団である。彼女たちの到着と同時に、どんよりと垂れ込めた雲間から光が差したかのような錯覚を覚えた。なんか、ドキドキする。早くもそのパワーに圧倒され気味だ。

 総勢12名、軽く挨拶をしてガイド役の戸隠ガイドの酒井敬子さんを先頭に出発した。民家の裏山がいきなりブナの原生林である。ちょっとそのシチュエーションにびっくりする。ブナの森は森がいろんな植生を経て最終的に到達する形なのだと言う。と言うことは原生林としての歴史が長く古いと言うことだ。だから、ブナの森は特別な森なのである。周辺の地域がどんどんとスキー場開発でブナ林を伐採した時にもこの一山周辺の人達は動かず、この貴重なブナの森を守ったのだという。自分の家の裏山にこんな森を感じつつ生活をするというのはどんな気分なのだろう。そっと目をつむるだけで、深く静かな瞑想の世界へ誘われてしまうのだろうか。

要注意 所々にトラップ有り

狸のタメグソ

 ゆるゆると、そして賑やかに一行は進んだ。穏やかな斜面は登りやすく、ブナの森は樹間が疎らだから何処でも自由自在にルートを選べる。一列になってみたり、それぞれが気になるブナの巨木まで足を伸ばしてみたり、心からリラックスして登っていく。森に癒されるというのは、葉を茂らせた夏の森だけが持つという力ではないと言うことに気づく。冗談を交わしながら、自然とみんな笑顔になっている。写真をとればその全てがどこを切っても笑顔の金太郎飴である。

気ままに登る

何処でもどうぞ

奇跡の一枚 (昨年の葉は全て雪の下のはずだか、何故か一枚だけ雪の上に)

 登るにつれさっきまでどんより垂れ込めていた雲も消え、青空が次第に広がって来た。標高が上がるとブナの枝いっぱいに雨氷が花を咲かせている。氷温に近い雨が、風で吹き付けられながら枝先で氷化したものだ。霧氷に似ているが、透明な氷なのでキラキラと光を透かしてダイヤモンドの花のようである。ここら辺で桜が咲くのはまだ大分先のことだろうが、一足先にブナの花見が出来るとは。

 樹高が低くなれば広く開放的な鍋倉山頂だ。一気に広がるのその視界の先には上越方面の平野と日本海が見える。心と体が空に融ける瞬間だ。長野県の山からはなかなか見ることが出来ないこの海まで伸びやかに広がる大展望はたまらない。こんな優しい山も良いなあと思うのだ。これから始まる大滑降への期待を胸に、うららかな春の風の中で賑やかに昼食。何を話してもケタケタ笑うお年頃の女子達の声がそこだけ異次元の空間を作り出していた。

十一仏を従えて「ゆかり千手観音」降臨

 さて、いよいよお楽しみの始まりだ。メインイベントはこれからだ。シールを外し、ブーツ、ウェアーの絞めるところを絞め、手袋、ゴーグルを装着、ソワソワと滑走の準備をした。山スキーの時はいつもそうだが、この滑走前の緊張感と期待感は、普通の登山には無いものだ。僕は競走馬になったことは無いが、ゲートインした馬たちはきっとこんな気分なのでは無いだろうか。

ひゃっほー!

 思い思いにシュプールを描く。日当たりが悪いところはバリバリクラストしていたり、日向はねっとりした雪だったり、堅かったり、柔らかかったり、その全てが快適というわけではない、それが自然の雪だ。自分が培ってきたスキー技術を総動員して勇気をもって滑る。足の裏に瞬間瞬間訪れる雪質を感じて最大限雪を楽しむのだ。ブナの巨木をすり抜け、一つ一つのターンを味わう。藪もないブナの樹間は疎らで絶妙、楽しいったらありゃしない。やっぱ、山スキーは最高である。

天然のハーフパイプを攻める makko

スズママ

八ヶ岳美樹ガイド

MIHOCHAN

BOSS松原ガイド(板屋クラフトCEO)自作の板で滑る、板屋クラフトについてはまた後日

森太郎(推定樹齢300年以上)

 登ったルートとは別なルートを滑り、途中巨木「森太郎」サンにご挨拶してあっという間に僕らは駐車場に滑り着いた。ほんとにあっという間である。スキーゲレンデで滑るのと比べれば、格段に滑る距離は少ないのだが、その一本の滑走だけで山スキーヤーは満足なのだ。スピーディーに登りを楽しんで、滑りという最高のおまけが付いてくる山スキーは、出来る人ならやらない手はないのだ。

 戸狩スキー場前の「暁の湯」にて入浴、そのまま白馬八方へ転進し、風車の様な餃子、すり鉢ラーメン、ホルモン焼きを平らげて、体育会系「平日女子スキー部 IN 鍋倉山」合宿はようやくお開きとなったのである。因みに、この中には鍋倉から自宅とは真逆の八方へわざわざ餃子を食べに来て、そのまま所沢に帰ると言う猛者もいたのだ。恐るべし「平日女子スキー部」。

乾杯 いや 完敗。

平日女子スキー部 IN 鍋倉山

 


木崎湖辺りへちょっと寄り道

2014年02月07日 | スキー

 

一月の中頃からスキーに行き始めて、もう何回ぐらい通っただろうか。二日に一回ぐらいのペースでスキーをしている。やり始めると毎回その時の課題が出来て、何とかそれを体現したくてついつい足を運んでしまう。スキーは半日もやれば沢山だ。と言うか僕がひとりでゲレンデに行く時はレジャーとして行くわけではなくて、練習する気持ちで行くから途中で休んだりしないし、ましてやビールなんて絶対飲まない。滑り初めて三時間もやると足はパンパンになり、押さえが効かなくなってくる。そうすると怪我も心配になるし、さっさと帰ることにしている。

 

 ゲレンデに向かおうと、未だ明けやらぬ中を大町辺りまで車を走らせると、一足早く鹿島槍辺りに陽がさし始めていた。大町市街地は鷹狩山が陰になってまだ薄暗いままだ。山にいても里で暮らしていても朝日はなんてドラマチックなんだろう。いつも僕はドキドキしてしまう。僕の家の正面にはいったい何万回見あげたのか解らない有明山が聳えているのだが、それも決して僕を飽きさせる事は無い。 

 木崎湖にさしかかると、多分今年初めてだとは思うが湖面が結氷し始めていた。凍っていない水面からは朝靄が立ち登り、僕は心を鷲掴みされてしまった。昨日雪が降ったはずだから、ゲレンデへとはやる気持ちもあるのだが、写真もその時しか撮れない場面がそこには有って、さて、どちらを優先させるのかと考える事は実に悩ましく、運転をしながら僕は喜びと興奮に身もだえるのだ。今日は朝靄を透かして黄金に輝く斜光があまりにも美しくて木崎湖畔へとハンドルを切った。

 西側の木崎湖畔をぐるりと回って撮影をした。この湖畔南側にはちょっとした街があって、かつては旅館やら土産物店やらが建ち並び夏には湖水浴場にもなって、それなりの賑わいを見せていたはずなのだが、今ではやっているのかいないのか解らない宿が多く、数件の貸しボート屋と釣り具店が商売をしているだけになっている。だが、そんな鄙びた佇まいも僕は好きだ。それはまるで数十年間も時が止まっているかのようだ。昭和がそこにはある。湖畔の道を行き交った人々の賑わいや笑い声さえ封印されたままだ。

 

 水鳥たちがのんびり浮かんでいる。潜ったりしているのはバンだろうか。こいつら冷たくないのかね?立ちこめる朝靄、岬の先に集うアオサギの群れ、対岸を通ったボートの挽き波が音も無くこちら側に押し寄せてくる。逆光に浮かぶ湖面の光と影、雪原を歩いて湖畔に近づく、誰も居ない湖面で見る贅沢な朝の光景。

 

 陽が高くなって僕は八方尾根スキー場に向かった。深雪を目指していたのだが、降ったはずの雪はそれほどでもなくて、圧雪していない斜面はガリガリの氷の上に新雪がわずかに乗っている程度だった。金具が吹っ飛ぶんじゃないかと思うほどスキー板はバタバタと暴れ、ターンすれば引っかかり、よほど快適とはほど遠いコンディションだ。転んだら酷い目に会う。こんな時は頭を切り替えて圧雪斜面を楽しむ。今日は、スピードを出さず、抑制的にじっくり深く回る。でもそれは、決していい加減な滑りではダメだ。力をしっかりと板に伝え、雪面からの答えを足の裏に受け止める。大切に大切に一つ一つのターンをこなす。イメージはそんな滑りだ。

 スキーは難しい、だからこそ面白い。滑っても滑っても逃げ水のように新たな課題がその先に見えてくる。それは歳をとったからもう遅いとか、そんな類のものではない。体力に任せてかっ飛ばすそう言う乱暴な技術でもない。それは、もっと数学的で、物理学的な技術だ。落下する肉体と雪面との対話を試みるものだ。ほんとは様々な公式や計算式が必要なはずのその技術が、ストンと理屈抜きで体に入り込むまで僕はスキーを辞められない。自由自在を手に入れるまでね。そしてそれはきっと完璧に美しいはずだ。 

 帰り道、再び通った木崎湖畔で、僕はふとそんな事を頭に思い浮かべるのだった。

木崎湖辺りへちょっと寄り道

 

 

 


女子山岳スキー部部活参加

2014年01月28日 | スキー

サンピラー(太陽柱)現象、大気中の水蒸気が凍り付き太陽光を反射屈折させる

 白馬へ向かう道は完全に凍りつき、黒光りするR148号線はまるでスケートリンクの様であった。木崎湖辺りでは正面衝突事故を見かけ、急ぐ気持ちにブレーキをかける。一台は横を向き、もう一台は完全に法面に乗り上げている。この週末は一気に寒さが緩んで雨となって、その後の再び冷え込んだのがその原因だ。今日は晴天の予報。多くは無いが新雪も降ったはずだ。

凍てつく道、ツルツルです

 雪国の晴れ間というのは、とても明るい。それは、降り注ぐ太陽が雪に反射して、目を細めるほどに眩しいと言うそれだけのことではない。ひとたび冬型の気圧配置になると、それは何日も続いて、太陽は一向に顔を見せない事もあるから、その合間の晴れ間は、そこに住む人達の心の中まで明るく晴れやかに照らしてくれるのだ。この一日を存分に楽しもうと思う。

macco ohshima

 前にも書いたが、明日は良いぞと確信すると、スキーの連れを求めて僕はあちらこちらに電話をする。最近新たに望遠レンズを手に入れたもんだから、それを使いたくて仕方がないと言うこともあった。白馬に住むガイド仲間の松原君に連絡をしたら、「明日はダメですね」との事であった。そしたら程なくフェイスブックに連絡が入った。それは松原君の彼女maccoちゃんからのものであった。

「あす女子スキー部の部活に行きますよ、八方です」

何人かの人の名がそこには有って、それはあだ名だったりするのでそれが誰なのかよく解らなかったのだが、「女子スキー部の部活」と言うことに惹かれ写真も撮れることだし参加させてもらう事になった。勝手にそこら辺のスキーヤーを撮影しても良いのだが、それをいぶかる人もいるからそれは気が引けるしね。

 講師 永井ガイド

 翌朝八方名木山ゲレンデに集合した蒼々たるメンバーに、僕は腰を抜かしそうになった。講師役は友人の永井ガイド、朝日小屋の清水ゆかりさん、富山の登山ショップチロルの奥様佐伯侑子さん、富山の山岳アイドル、スズままこと山本さとみさん、八ヶ岳の女性ガイド加藤美樹さん、そして白馬のアイドルmaccoちゃん。ここら辺の山関係者で、この人達を知らない人はいない。重鎮大集合。いわば、北アルプス北部の姉御達である。聞けば、毎週月曜日、部活と称してあちこち荒らし回っているらしい。この木曜日はシャルマン火打スキー場なのだそうだ。そのうち野沢温泉にも行くらしい。maccoちゃんもそうだが、あちらと思えばまたこちら、女性の行動力は凄いと思う。

ゆかりさん「赤沼さん、最近なんで来てくれんが?」(と言うような富山弁)

僕「はは、行きたいとこだけどね、集客がねえ、すんません」(タジタジ)

などと冷や汗ものの会話をしつつ、リフトに乗り込んだ。

清水ゆかりさん

 最初こそ少しばかりガスが巻き付いていた八方だったが次第に気持ちよく晴れて、この日は絶好のスキー日和となった。気温は低い。リフトが長いと寒くて早く滑りたくなる。至る所に広く開けた斜面を持つ八方は、未圧雪バーンも多く、山スキーの練習には格好の場所だ。永井Gの後を追いかけて、皆さん果敢にパウダーに突っ込む。この日、新たに降った雪はわずかで、前日の荒れた斜面をすっかり隠すほどにはならなかったから、斜面はボコボコとして荒れていて結構滑りにくいのだが、流石山の姉御達である。楽しそうに滑っている。僕は先行させてもらって撮影させてもらった。

 お茶を飲んでも、まあ、賑やかだ。山の女達はスカッとしてて、会話もポンポン弾み気持ちが良い。感情表現も上手な人が多いと思う。そんな人達と、冬の晴れ間こんな風にスキーをして、遊ばせてもらってとても楽しかったし、富山弁も可愛らしかった。また機会があれば、混ぜて頂こうと思うのだった

スキーは楽し

 

 


スキーは楽し 

2014年01月24日 | スキー

 年が明けて、優先順位が上位にある生活のためのあれやこれやがようやく片づいて、一月中旬から三回スキーに出かけた。僕は大概前日にスキーに行くことを決めるので、それからあちこち電話をしてパートナーを見つける。

「明日、山滑りに行かない?」

「明日かあ、だめだよ、無理!」

まあ、そりゃそうだわな。そうそうホイヨッ!と付き合ってくれる奴なんかいない。大概みんな予定があって、スキー場の仕事やら、バックカントリーツアーやらやっていて、結構計画的に日程をこなしているのだ。僕の場合、冬のアルバイトは(アルバイトと言えるかどうか、僕は高速道路の除雪隊を25年もやっている)全くお天気相手なので、天気が良い時は結構暇ができる。事前に新雪が降って天気が回復すれば、すわ山スキー!と言うことになる。

 ゲレンデスキーならば一人でどこへでも行けば良いのだが、山スキーとなると、雪崩や激突や骨折や諸々の心配があるので一人では出かけにくい。だから、今年行ったのは全てゲレンデスキーか、人の気配を感じるその周辺ばかりだ。それにしても、僕はとにかく圧雪していない深雪滑りが大好きなので、ゲレンデの脇や、少し歩いて新しい雪を見つけて滑ったりする。

 ゲレンデは、夜中に圧雪車で綺麗にならされ、朝一番には見事な一枚バーンとなる。デコボコがないからとても滑りやすく、潜ることもないし思い切りかっ飛ばす事だって出来る。しかし、山に降る自然のままの雪はそうはいかない。当たり前だが、雪面は柔らかく、大雪の時は足の裏に堅い感触を感じないから、スキーは前後左右に不安定だし、刻々と変わる雪質にも対応して滑らなくてはならない。でもそれを滑り切る事が喜びであり、そのフワフワとした感触が実に楽しいのだ。その感覚はサーフィンに近いのかも知れない。

 そんなわけで、今日はひとり、白馬コルチナスキー場に出かけた。このスキー場は小谷村最北に位置し雪が多い事で有名だ。白馬辺りと比べても、感覚的には二倍降る。だから、雪が頻繁に更新されるのが魅力だ。おまけに、ごく早い時期に最近流行のバックカントリースキーに対応して、ゲレンデの中の樹林帯までを自己責任で滑走可能とした。要するに、リフトを使ってどこを滑っても良い訳だ。

 そんなところに深雪スキーヤーが集まらないわけない。ひとたび新たな雪が降ると、このスキー場のリフトには朝早くから、深雪スキーヤー達が(ボーダーも)並ぶ、その数ざっと二百人。そのうち半分以上が外国人。そしてその全員がバージンスノーを滑ろうと集まっているのだ。ニセコなどもそんな状態らしいが、白馬界隈も相当なものだ。

 オーストラリア、ロシア、スウェーデン、アメリカ、「おいおい、お前ら日本なんか来てる場合じゃないだろ?」と思うのだが、聞けば、日本の雪が最高なのだそうだ。とにかく降る量が多いから、常に雪がリセットされて、かなりの確率でパフパフ滑りを楽しめるから。カナダや、アメリカやヨーロッパは降る時は降るが、降らないとなったら何日も降らないのでそうで、短い滞在でパウダーに当たればラッキーらしい。そんな理由で、現在日本の雪は世界一と言われている。世界的に見ても、こんなに雪が降る場所は珍しく、カナダの西海岸や、パタゴニア辺りぐらいのものだと聞く。へえ、僕らは最高の場所に住んでいるんだね。

 前置きがやたら長くなってしまったが、今日のコルチナスキースキー場は天気は最高で、ここのところ降っていなかったので、クレイジーなスキーヤーも居なくてゆったりと快適だった。クレイジーな連中が集まる日には、僕も同じくクレイジーになって、幅広の板を履いて我先にと新雪を貪り回る。人より先に滑らないとあっという間に美味しいところは、ズタズタにされてしまう。滑り屋同士のその駆け引きもエキサイティングで面白いのだがそれも少々疲れるのだ。だが、今日はそんな心配は無用で、僕は落ち穂拾いをするように、わずかに残された新雪を探しては滑った。ひとつ丘を登れば手つかずの新雪バーンがそこにある。その為の道具をご紹介しよう。

 これは、ディナフィット社製のTLT金具を付けた超軽量板。このTLTはヨーロッパの山岳遭難救助や、山岳耐久レース用に開発された超軽量金具で、板も軽くブーツも非常に軽い。救助や山岳耐久レースは歩くことがとても重要だから、軽いことは圧倒的に有利になる。滑る時は踵は固定されるが、歩く時はフリーになって歩くことが可能になる。

 そして、通常山スキーは歩く場合はスキー板の裏にシールというものを貼り付ける。シールとはナイロン製の一方向に毛並みがそろった毛皮のようなものだが、昔はアザラシの毛皮で出来ていた。だが僕が今日使っていたのは、ウロコ板と言われるもので、使い古しのスキー板に、友人のバン屋クラフトの松原さんにウロコを刻んでもらった。急斜面はシールの様には登れないが、緩斜面なら大丈夫。シールを付けたり外したりの手間がないので、歩いて滑って、また滑って歩くという、登ったり降りたりのルートにはとても具合が良い。ほんの三十メートル、ちょっとそこまで登るのに、シールを着けるのは大変面倒臭い。だから、大きな山を登らない時はこの板を使うことが多い。滑りは若干抵抗がかかるが、それはこの際目をつむる。とても軽快で、自由自在に雪山をうろつき廻れるのだ。深雪など気にせずあっと言う間に、あの山の上へ行けてしまう。僕のような天の邪鬼山スキーヤーには最高のパートナーだ。

 もっとこの素晴らしさを伝えたい所だが、とても一回や二回で語り尽くすことが出来ないので続きはまた後日。