僕が小さい頃僕が住む長野県の内陸部では新鮮な魚など滅多に手に入らなかった。
魚を食べるとなったら干物や塩漬けが一般的で、そんなものを水で戻したり塩抜きをしたりして母が食卓に出してくれていた。
干鱈、塩サンマ、塩漬けマス、めざしに鯖の文化干し。
特に極めつけは塩丸イカというものがあって、これはイカのワタを取り除いたところにゲソを突っ込んで丸ごと煮てから死ぬほどしょっぱい塩漬けにしたもので、これは未だにそこら辺のスーパーに売っている。
いくら流通がよくなって新鮮なモノが手に入る世の中になっても、人はずっと食べてきたものを食べたくなるものだ。
殆ど塩の塊としか言いようのない塩丸イカを時間をかけて塩抜きしてキュウリと和えて食べたりする。
そして身欠きニシン。
昔は北海道で沢山獲れたらしいニシン。
なかにし礼作詞浜圭介作曲、北原ミレイが歌う「石狩挽歌」は、ニシンが来なくなり始めた頃のニシン漁師達を歌った歌だ。
なかにし礼さんのお兄さんが博打的なニシン漁に手を出し、家族が一家離散に追い込まれたという実話に基づく歌だと聞いたことがある。
僕が生まれる少し前はこんな世界があったのだと思うと不思議な気持ちになる。
その頃って今となっては殆どファンタジーみたいだなあって。
ちなみに「石狩挽歌」は僕のカラオケレパートリーだ、笑
小さい頃、我が家の食卓にはこの身欠きニシンがよく登場した。
調理法はバカのひとつ覚えのようにニシンと昆布を煮付けにしたものだったので
「また、ニシンかよ!」
と僕は母によく文句を言った。
身欠きニシン独特のクセのある香りがどうしても好きじゃなかったのだ。
はっきり言って子供向けの食い物じゃないよな。
そんな僕も今となっては何となく懐かしくて、スーパーで見かけると時々買ってきては自分で煮付けるようになった。
昔は安かったのだろうけど今は結構高い。
昨日煮付けた身欠きニシンがあったので蕎麦を打ってニシン蕎麦を作ってみた。
安曇野には蕎麦屋は多いけど、鰊蕎麦は見たことがないし食べたこともない。
江戸時代から北前船が運んだニシン、京都辺りではよく食べられているのかな?
甘露煮に近い強めの味で煮付けたニシンに、白髪ネギと京都原了郭の黒七味をぱらっと振りかけて。
独特のニシンのクセも何故か蕎麦にはよくあって、僕も少し大人になったのかなあと思う昼飯だった。
おまけのニシン丼(甘辛いタレが御飯にからんでたまらんす)