車の運転をしながらぼんやりと父のことを考えていた。目頭が熱くなる。
これは何からくる涙なのだろう。
父は定年退職した翌年2007年に脳出血で倒れ、寝たきりになった。救急車で大学病院に運ばれ医師から聞いたのはもう歩けない、話せない、食べれない、だった。母に迷いは無く、生きるために気管切開と後に胃瘻を選択した。
最初の大学病院へは毎日仕事帰りに寄った。
最初は怖かった。
変わってしまった父に会うことも側にいることも。動く左手で私の腕を掴んで何かうったえているけど全然分からないし、どうしていいか。
風邪気味で寄れない日は少しほっとしている自分に気づいて自己嫌悪。
大学病院にしばらく入院し、リハビリ専門の病院に転院。会社とは反対方向で寄れなくなってからは週に一度必ず月曜日に通うようになった。常に母と姉が付き添っていたし、私も家族として貢献しなくちゃと気合を入れていた。
気丈な姉と深く考えない母。父が話せないから、この2人の解釈が全てだ。とてもポジティブな解釈で私も前向きになった。
それから5年後2012年春に父は他界した。
2013年の春、一周忌。
何だか父をテーマに振り返ることになった。
ただ大変な5年を過ごしたけれど、
やっぱり父は幸せだったと思う。
だって、妻に娘2人のスキンシップをめちゃくちゃ受けたからね(^^)
それと、あのときこうすれば良かったという後悔がない(^^) 私も幸せだった。
父さん、ありがとう。
感謝の涙か。
cocchiy
病名も病状も全く異なるんですけど
延命措置をするかどうかを
先に考えておくようにとドクター言われて
長いこと家族で話し合いをしました
感情もその時々に様々ゆれ動き 意見も分かれました
苦しかったです。。。
最終的にその局面を迎えることなく急変して母は亡くなりましたけれど
後悔がないことはcocchiyさんにとっても
お父様にとっても幸せなことだと私も思います
そうですか、延命措置の選択は苦しいですよね。大切な人の生き死にを委ねられることは辛いですよね。
私たち家族がした選択について心ないことを言われたこともあります。でも誰にも決められたくないな、と思いました。私たちが決めたことなのでそれがベスト。後悔がないのは母と姉のおかげであの人たちのスーパーポジティブ発言で笑いが絶えなかったのです(^^)
ありがとうございます。