「音みる(音のみるふぃ~ゆ)」ブログ...♪

100名を超える音楽教室「音のみるふぃ~ゆ」のレッスンノート。また3人娘の子育て日記。

私の足跡...上達させることは全てじゃない#5

2025年01月08日 | 私の足跡…
記事を書くにあたり、過去のブログを振り返ってみたらこんな記事
辛抱する
を見つけました。

今思えば、この生徒さんとレッスンをしていた時、歳の差は一回りしか違わなかったのか、と気づく。
私は、彼女から、ピアノ講師って、上達させることが全てではない、ということを教わった。

それまで、毎回のレッスンごとに、必ず何かを理解して帰ってもらわないと!とやっぱり思っていたと思うのです。

2年経っても、なかなか上達していかない彼女に、にっちもさっちも行かなくなっていたのは紛れもない事実。

もうあまりにも昔のことなので書いてしまうと、実は、その子を受け持つきっかけは、
優秀な生徒さんばかりを育ててるベテランの先生から、「この子のレッスン、もうお手上げ」と
当時私が受け持っていた土曜日クラスに移ってきた、ということと、多感なお年頃の10歳で、
最初、移られた時は私も困惑した。。

音符読めない(読もうとしない)のも、今でこそ教える身としてはへっちゃらだが、当時は辛かった上に、
不器用だから、両手が違うことができない。。
何より、コミュニケーションが取れないという、、ひたすら私の一人芝居だったしね。
それでも辞めないのは、なぜなんだろう?と、当然思っていた。
その後のくだりは、読んでいただければよくわかると思うが、私に慣れるまで2年という時間をかけた彼女。
私がどんな人間か?探っていたのだなぁ、と思う。

心を許してくれた頃から、ゆっくりだが正確にものを言う、という点でも、その子のペースだったのだなと思う。

中学3年生になる頃に辞めたのは、受験のためだが、そのあとついた職業(救急救命病棟の看護師)にしても
軸がぶれなかった彼女らしい、というか。。

「ピアノに救われたんです」と言ってくださった言葉は、私の励みになっている。

今きっと、40歳くらいかな?
小学生から思春期の中学生にまたいで、私と一緒に過ごした時間が、今でも彼女の支えになっていたらいいのに。
...と思う。











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私の足跡...教える始まり#3〜

2025年01月05日 | 私の足跡…
見出しの写真は、25年前の看板です。。
お教室を持って、1年で30人の生徒さんが通ってくださるようになった、、
と2つ前のブログで書きましたが、なぜそうなったかというと。。

私、まるで先生っぽくなかったから

だと、今でも思ってる笑

練習してこない子には、叱るよりも
共感しかない

「・・・だよね〜」と、私の経験談を語っては、安心させていた。。

それを聞いて、やる気になったかは別として、それでも十分うまくなるんだ、という
安心感だけは与えてあげられていたってことなのかな・・と。

紹介が紹介を呼んで、30人になるのなんてあっという間だった。

もちろん、積極的にポスティングもしたりして、個人情報が漏れる恐怖とか、そっちのけ。
(まぁ、時代もそんなにうるさくなかったが)
若かったのだ。エネルギーに満ち溢れていた。。

断っておくと、私は「練習しなくていいよ〜」と言っていたわけではなく、
練習しろよ、とも言わないが、
私はいつもここを気にしていた↓↓

その子にとって適度に弾きやすく、適度に難しい、、
そんなちょうどいい教材を渡すこと。


なので、そんなに時間かけなくても1週間で弾けるようになるのだ。
練習するのが苦にならなかったはず。

なんでそんなことができたのか??
私が、音楽畑出身にも関わらず、ピアノよりも人間に興味があったから。

要するに、「対人」に関してピアノを弾くより一生懸命だった。
功を奏したその経験笑
生徒さんの性格やら、好みやら、を分析するのが楽しかったので、
それに合わせて渡していたのだと思う。

それから、私自身が、コンクール志向ではなく一つずつ段階を踏んでいく習い方だった、、
ということも大きいだろう。
40年前、大人顔負けの難易度の高い名曲を弾く小さな子はたくさんいた。
私は、それとは真反対の、その月齢の理解力に応じた課題を渡す先生に習っていたのだ。
ピアノ椅子によじ登るほどの小ささでコンクールに出して、小さな手に無理をさせてしまう・・
そんな先生がたくさんいた時代である。
(だからこそのコンプレックスもたくさんあったが、その話はまた今度)

上達しないのに、ダラダラと通わせる親はいないだろう。

練習量がそんなに多いわけでは無いのに、ちゃんと弾けるようになっていく

という、そこが、どうも生徒さんが集まった理由だったらしい。

当時通っていた生徒さんが、今では30代後半になるのだが、それを大人になってから教えてくれた。

30人に到達したその年に、私は結婚し、そして、すぐに子どもを持つのでした。
(前回の記事と話が前後してますね、ごめんなさい。)

かれこれ25年も前の話。。







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私の足跡...教える始まり#4〜段階を踏んでいく大切さ

2024年12月20日 | 日記
お教室を持って数年経ち、私は結婚して、子どももいました。
2歳差の姉妹、2005年の1月からこのブログを始めたので、遡っていくと、当時の記事を探せるわけですが、
当たり障りのない内容で始まっています。。

その当時の自分の日記を振り返ると、ブログとはまるで別人!
たくさんの悩みを抱えていました。

生徒さんは増えていく一方で、肝心の我が娘達が置き去りになっている事実。

母親なのに、何してるんだ?仕事ばかりで、これでいいのか?と自問自答を繰り返す日々。

芸事を身につけるには、10年かかる、と私は、生徒さん達に伝えているのに、
自分のことは棚に上げてる。
そう、実際のところ、私は焦っていました。

練習しない我が子。いや、そうじゃない、私が毎日、隣で練習に付き合ってあげられない現実。
上手くなるわけがない。。

なのに、私は、自分は4歳の時にこれができた、と自分の子どもの頃と娘を比較して、
イライラする、、。

腹が立ちました。もっと弾けるはず。もっとできるはず。
親としての欲も出ます。

一番決定的だったのは、生徒さんと一緒に受けた外の世界でのステージ。

我が子の成績は伸び悩み、生徒さんはいい成績を残す。

複雑でした。「ピアノに向いてないんじゃない、頑張らないのが良くない!」と
つい娘を責めてしまう。

娘を追い込みながら、私は自分を追い込んでました。

段階を踏む?そんなことよりも。
2歳で始めることこそ、英才教育でしょう!!と。

25歳で長女を産んだ私は、私自身がまだ子どもでした。
長女が無理なら、せめて次女で!

がんばれがんばれ!
と、私は勝手に次女に期待して、できないと責め立てる。

次女は、最初こそ、楽しそうに練習していましたが、
何度も繰り返させられるテクニック練習に、飽き飽きしてくる次女。
2人して、口ごたえをしてくる。そう、私たちは師弟関係を結べない親子でした。

これは、まずい。。2人揃って、潰してしまいかねない・・・。

初めて、人に任せようと、友人のピアノの先生にお願いをしたのもこの頃です。

友人は、私が2人に渡していた課題に驚き、
「あのさ、こんな難しいの無理、、じゃない??」と。

そう、私はかなり高度なことを、自分の娘達に押し付けていた。

「だって、あーた、自分の生徒さんにはそんな難しいこと、求めてないじゃん」と。
確かにそうだよね。。。と、初めて気づく私。

はっきり言ってくれた友人にも感謝。

そうだよ、段階を踏むって大事だと、生徒さんには言えるのに、なんでそうなっちゃったの?
その時初めて、自分の身勝手さに気づきました。

でも、この感情は難しくて、徐々に諦められましたが、
実はその後も、たまに繰り返され、その度に娘たちも、私も疲れ果て、ピアノの練習は戦場と化していく・・

だって、周りにうまく師弟関係を結べてる先生親子がいるわけですからね。
なぜ、我が家はできないんだ??と。つい、自分を責めるわけです。

ということで、この20年間も同じようなことで悩むお母さんは、めちゃくちゃ多いですが、
その思いは、
わかる!わかるよ〜、お母さん達!私も経験したよ!

って、一緒に考えられる。
でも、だから、コーチとなる先生、私たち、が居るんです。

そして、お母さん、そう思うことは当たり前なんです。
お母さんはいつだって、一生懸命ですから。

その思いに寄り添いたいな、といつも思います。
















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私の足跡...教える始まり#2〜1人の生徒さんから30人へ

2024年12月20日 | 私の足跡…
私の足あと〜教えるの始まり
の続き。。

初めての生徒さんのお宅にお邪魔した時に、あまりの豪邸に驚いた、、ということも、ともかく、
ある有名な方のお子様で、そのご自宅にはたくさんの方が出入りしている、という事実に、アワアワ・・・と
なりながらも、とても楽しくレッスンできたことを覚えています。

そして、レッスンを重ねていく中で思い出した子供の頃の記憶。

小さな頃にした、ごっこ遊び。
友達と遊んでる中で、私は張り切って「先生ごっこ」を提案したのだけど、誰も乗ってきてくれない。
私にとっては、楽しい「遊び」と思っていたけど、何が面白いの??という雰囲気に一瞬でなったのは、気まずかった。。
それからは、密かに1人でやっていた笑。

あ〜・・そうなんだ、、私、教えたりするの、好きだったのかぁ。
ってこと。

そこからは、不思議なもので、どんどんいろいろなことが思いついていく。
数年先を見越して、その子のためのオリジナルなレッスンの中身を組み立てるのも楽しかった。

私は、そのご自宅に出入りする大勢の大人が目の前にいる「仕事場」で、レッスンをして、
先生と呼ばれるのも気恥ずかしく。。
でも、今考えれば、教えた経験がない私のやり方を、同じ空間にピアノを置いていることで、
レッスン中もご両親にじっと観察されていた、ということになる。
なるほど、、先生としての力量をさぐられていた?のかも。

そのあと、それもまた不思議だが、ご紹介やら、音楽教室の講師の誘いやらが、なぜかその年に重なり、
結局、私は会社を辞めることになり、いつの間にやら、先生業だけになったのでした。

その、1人目の生徒さんのお母さんは、生徒さんが大学生になられた年に連絡をくださった。

(中学生になった時に、素地となったピアノを生かして、別の楽器を習いたいと
移行されたので、そこでお別れし、大学生になられた時はその定期演奏会に招かれたのです。)

私は数年ぶりにお会いしたのだけど、自分のお教室を経営していることをお伝えしたら、
「やっぱり、私の目に狂いはなかった。
人を教えることに長けていると思っていたから嬉しい」と喜んでくださった。

思えば、その方のご自宅に出入りしていた皆様は、そのお母様を「先生」と呼んでいて
みなさん、そのお弟子さんだった。

技術を教える、人を育てるということに関して、お母様こそ、プロフェッショナルだったのだ。

そして、ただの営業だった私に、その素質を感じてくださって、娘さんを預けてくださった。

あの時に、声をかけてくれなかったら??
今でも考えることがある。

余談ですが、またその数年後??すっかり成熟し、素敵な大人の女性になられた生徒さんが
「徹子の部屋」に出ていて驚いた笑。

つづく・・・・














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私の足跡...教える始まり#1

2024年12月19日 | 私の足跡…
来年、20周年を迎える音のみるふぃ〜ゆ、
そして、仙田ミュージックスクールとしては、27周年目に入ります。

振り返りを、あえてしようとするなら、まさに今でしょう!
・・・と思って、重い腰を上げております。

そうです。そもそも、私、仙田麗子は、なんでピアノの先生してるの?
ってところまで掘り下げましょう。

人に何か教えるなんて、そんな大それたこと、できるわけがないと思っていた学生時代。

私は、音楽大学のピアノ科を出ているが、コンクールも常連ではなく、どちらかと言うと、音楽大学でも変わりもの。
通っていた音楽教室でも、私はピアノよりも、人間観察が好きという人間であったから、
隙あらば、練習室を抜け出して、こっそり、人の練習風景を覗きに行くような不真面目な中学生でした。

高らかに響く、トランペットに、コントラバスの低く唸る音。
発狂しているような!歌声、そして発声練習。

練習室の棟の階段脇には、必ずベンチがあって、そこに座っていれば
そんなふうに、音階だの、度々繰り返されるフレーズだのが聞こえてくる。

うまく弾けない箇所を何度も繰り返している。

あぁ…こんなふうに練習するんだなぁって、ずいぶん粘り強くやるなぁ

一心不乱に練習してるのをじっと聞いてると、あ、できるようになってきてる?

とか、先週も弾いてたな、同じ人かな?とか、わかってくるものである。

私は、「お前こそ練習しろよ」と誰にも突っ込まれないので😆
練習してる方々の熱量に感心したりしながら、
自分はそこにボケっと座っていた。。

そんな私だから、卒業すると、先生にはならずに、営業職に就いたのでした。

アルバイト時代から培った営業力、人と関わる事が好き。
(その時間を全て楽器練習に費やしたら、私は多分今頃、ピアニストになっていたかもね笑。)

相手が何を欲しているのか?
お客様の思いを汲む、ということに余念がなかった。

だって、相手の意図と私が提示したものがピッタンコだと、ものすごい有り難がられ、
たくさんの方から感謝される。楽しいのだ。
売り上げトップになれば、会社からも喜んでもらえて、充実した毎日でした。

でもね、、私、やり残したことがある気がする、、

それまで、音楽教室から大学まで同じ場所に、10年も通っていた私が、毎週のレッスンもなくなって
ひたすら売り上げの数字とにらめっこしているそんな毎日に、ん???違和感。。

大学時代の友人達は、どんどん難しいコンクールにチャレンジしている。
私はそこまでピアノに没頭できないから、そういうのは受ける気にはならないんだけど、
このまま、ここに居ていいのかなぁ、なんだか、しっくりこないなぁ。。。


ちゃんとピアノ、弾かなきゃね。。

そんな矢先に、ある方との出会いがありました。
楽器を買いにいらしたお客様でしたが、その方から
「来週から家に来ていただけます?この子の先生としてピアノ教えて欲しいです。」
と、突然オファーが来たのです。

えっ!!
私、教えたことないんですけど〜と慌てる私。

どうやら、娘さんがピアノを触っていて、私がその子とピアノを交えて会話をしていたのを聞いたらしい。

驚きを隠せなかったけれども、嬉しくて、妙に張り切ったことも覚えています。

まず、私の何を見てそう思ってくれたんだろう?
気に入ってくださったのならやってみようか。
ドキドキしながら、その方のお家に向かいました。

そんなわけで、突然に始まったピアノ指導の日々。
そこから、なぜか1年もしないうちに、
私は30人以上もの子ども達を教える先生になっていたのです。

つづく・・・



















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私は誰なのか

2024年12月19日 | 日記

今年もあと10日前後で終わりです。
ブログが放置状態になって半年以上過ぎてしまっていた。。。

書こうと思って、気持ちを正しても、湧き上がってきた言葉が宙に舞っては消えていく。
何か軸になるものがないまま、書き始めるのが怖かったのは、なんでだ?
去年の今頃、私は、少しずつここにまた綴ることを再開しようと決めたのに、
できなかったのです。

私、もっと自由に書いていたよね?躊躇うことは、あまりしなかったのに。
と、書けない自分がもどかしくもあり。。

ブログを開始してから、来年で20年目になる。
その間、別の場所で書き綴っていたことがあったり、必ずしもここを拠点としていたわけでは無いのだけれども。
何も考えずに、ただ育児日記のように始めたこの場所で、
私はたくさんの方と繋がれた。
その子たちもまた大きくなり、気がついたら1人取り残されていた気分。

そして、来年は、私、50歳。

一体、私は何者なんだろう??

半世紀生きたその手前で、まるで思春期の如く、立ち止まることになるとは、思いもよらなかった。

迷いなく始めて、迷いなく今まで進んできたのに、ふと、今までと見える景色が違ってきたことに慌てふためいて
過去の自分に引っ張られないように、何とか新しい自分を模索しなくてはと思い始めた今年でした。


それで色々とやってみました。試行錯誤。

少しずつ、見えてきたこともあり。
まだまだ、何もわかっていないなと思うこともあり。
でも、何かの気持ちにとらわれていたらできない、
そして、勝手に、自分を勝手に縛っていたなと思うことに気づいた。

そんなわけで、、
40代が終わります!
だから、もっと、気楽に・・

書いてみようと思います。

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本番の意味

2024年03月19日 | ある日のレッスン風景
昨年、ショパンの英雄ポロネーズを弾いて卒業した男の子の話。

2年間同じ曲を弾いた。なぜそこまで英雄ポロネーズにこだわったのかは、わからない。

これを弾きたいと言ったのは、高校1年生の夏だった。旋律が好きだと言った。
かなりテクニック的にも高度な曲だし、それに伴う練習量が必要な曲だから、最初は躊躇ったのだが、揺るがない意志。

…「自主性を持って曲を選ぼう、赤ちゃんの頃から知ってる君たちだから、私は知ってる、できない曲はないから。その土台はもう君たちに充分あるんだよ」と常日頃言ってるせいか、私の教室のお子達は、大胆な曲を選ぶ子たちが多く、本番でも失敗しようがしまいが、関係なく楽しんでくる子たちなのだ。

大胆不敵な難曲にチャレンジする子も多いけど、そんなことできるのって限られた時間しかないから、私は許すことにしている。

さて、その彼は、練習を始めて数ヶ月経ってその曲で臨んだ本番、そこそこうまくいったと思っていたので、私は勝手に胸を撫で下ろしたのだが、また次の年も弾きたい!と言う。えーっ?と私もそのこだわりに驚いた。で、その訳を話してくれた。

高校受験は、自分の思ったところに通らなかったのだと言う。
(・・と言う彼が通う高校は、滑り止めと言っても、かなりレベルの高い国立だ)

受けてきた模試の結果からも余裕の学力、塾の先生たちからも合格は間違いない!とお墨付きで受験をしたのに、なのに、通らなかったそのショックは、大き過ぎて、しばらく立ち直らなかったと。

何がダメだったのか?敗因を自分なりに分析した。

いつも受ける模試は、いつも講義を受ける塾の教室だった。
受験会場は、もちろん目指してる高校の教室で、緊張感がまるで違った。
要するに環境に適応できなかった、、
解いていく感覚がつかめないままに、テストを終え、時は既に遅し。。
なぜたくさんの本番をいろんな状況でこなさなきゃいけないのか、私がそれまで言ってきたことがよくわかった、と。

そうか!だから戻ってきたのか!

受験の最中は半年ほどお休みをしていたが、そのままやめてしまうかなぁと思っていた生徒さんでもあった。

高校に入っても、音楽室のピアノを借りたりして、ずいぶん頑張るなぁとは思っていたんだよね。

「一度成功体験をしないと、僕は大学受験に自信が持てない」と。

そんなわけで、高校2年生の時もさらに本番を2回こなして。。

徐々に良くなりつつもあったが、1つ言える事は、、頑固なんだよなぁ、私がこっちのやり方をやってきてと提示しても、どうしても自己流になりがち、まぁ、その話も本人にしたけど。

とにかく、同じ曲で3回本番をこなして、自分なりに納得して卒業した。

何でもそうだけど、いろんなことに気付く機会が大事。

本人が気づければ変われる。そのチャンスは若いうちに多い方が良いと思っている。

ピアノは、パフォーマンスだから、人前で弾く機会は大切なんだね。
時間芸術は水物だから、積み上げるのも大変なんだけど。

さて、春のコンサートまで残り1週間、今回の発表会は大きい子たちなので、演目も大きい。とにかく、やり切った、と思えるためには、試弾の場も必要。

写真は、一昨日のリハーサル風景。
一度、自分を信じて弾いてみる。できなかった事はまた手を加える。ただその繰り返し。

うまくいかない時もある。でも腐らずやるって言う。ただそれだけ。

明日は2回目のリハーサル、です。

1週間後は、桜が咲いてるかな?

















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マジック

2024年02月28日 | ある日のレッスン風景
「先生に、手品を見せてあげるね」
ピアノのレッスンにやってきて、上着を脱いで、譜面をピアノの蓋に置いて、、おもむろにマジックを始めたCoちゃん。
それは、左手が右手の長さよりも長くなるというマジックで、ひと通り見せてくれた後に、
「先生も一緒にやってみよう?」と言う。
私も試しにやってみて、ほんとに…変わった気もする。

私の様子をじっと見ていたCoちゃんは、よし、と満足気な顔をすると、
「じゃあ、弾こうかな」とピアノの椅子に座った。
頑張り屋のCoちゃんは、とっておきに練習してきた時にだけ、私が、偉かったね!の敬意を表し、譜面に書くgreat‼️のサインをもらえる事、を毎回のレッスンの目標にしている。
もらえない日もあるが、その日はちゃんともらって終わった。

帰り際、「Coのマジック、元気出たでしょ」
と私の顔色を見るように言うから、ちょっと驚いた。
「面白いマジックだから、先生も誰かにやろうかなぁ」と笑った。

レッスンが始まる前、発表会の構成で少し考え事をしていた。いつも元気に出迎える私だけど、その時のちょっとしたバタバタ感を察知したのかも。

子どもの方が大人の空気感を敏感に察知する、と私は思っている。
(いろんな子がいるから、当然そうでない子もいる)

Coちゃんは1年生だ。
終わってから、その時の様子を振り返って、つい笑ってしまった。


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まるちゃん、再び今日も行く!

2024年02月13日 | まるちゃん、今日もいく!
次女のまるちゃん(21歳)の話。

まるちゃんは、ずいぶん前から決めていた夢があって、それはもうとっくに叶えてしまった。
…なんと!それを決めたのは保育園時代に遡る…
(親としては、夢が叶った、よかったね
と言いたいところだけれども、それはまた別の話。)

さて、叶ってしまった夢は、継続させなくてはならない。

大概の人は、そこにやりがいを感じるとか、思っていたものと違うとか、その人なりの結果論がついて回って、結局またそれを土台に新しい夢や目的に向けて動き出すわけだが、、、
いろいろ考えてしまうから、躊躇いや迷いが生じるわけでしょう?

でも、まるちゃんは揺るがない。
いつもそうなのだ。

高校を辞める時もそう。
どんなに社会的に不利な立場に追いやられるかもしれないよと、大人(親であるワタクシが主に、笑)が忠告しても、頑なであった。

「将来のことを考えてみなさいよ」
と言えば言うほど
「私は今を生きているから、ママみたいに明日や明後日、数年先の未来まで考えられません」と、きっぱり言うのだ。

その度に、なんて!浅はかな!と、気が遠くなりそうだった。
胃もおかしくなり、ハゲそうだった。

思えば、ここに面白おかしく、まるちゃんのことを書き記していた時はよかった。
その後、まぁまぁ大変な事態に色々と巻き込まれて、それはそれは家族にとって試練だったわけだけれども、だから私にとっては、高校を辞める決断をしたまるちゃんは
「全てに見放されてしまった」と大袈裟に思っていたが、
まるちゃん曰く、「その日常を自分から捨てた時は、清々した」そうです。

私は情報や何かに振り回されることが常々だと思っているが、この躊躇いのない感覚は、
ほんとに我が子ながらあっぱれである。

でも、たまに聞くまるちゃんの経験談は、怪談よりも怖い😱

ただ、数年前には社会的にそれはダメじゃない?と思われたであろうことが、今は普通になってきていて、あれ、じゃあまるちゃんは、間違えてなかったのか?
と、私自身が訳が分からなくなっている時があって、ものすごい時代が変わっていってるなぁって思うのです。
先の見通しが立たない気がする時さえあるが、かつての「まるちゃん、今日も行く!」のテーマ通りに、現在のまるちゃんも、昔と同じように、突拍子もなく動き回っているのです。

そうやって、この15年もの間に私は、子育てを通じて本当に勉強させられました。
そして、時代がまるちゃんみたいな子についてきてる気さえする。。

それにしても。
まるちゃんは、もうすでに次の夢を決めている、らしい。

でも、私にはもうあれをしたい、これをしたいという夢の話をあまりしない。

いろいろ私に言われることが嫌なのだ。

子どもがどうなるのか…道を外してはならない、もしそうなったら、それは親の責任だろうと考えていた頃が、私は1番苦しかった。
自由?我儘?履き違えてるのでは?とかとか。
結局、それは「お母さん」という自分の問題だったんだよね。

娘らは、3人とも勝手に自分で道を作っていった。

よく、生徒さんのお母さん達が、子育ての悩みや迷いを私に話してくれるんだけれど、私は自分の経験談しか話せない。
専門家ではないけど、聞くだけなら出来る。

職業柄、たくさんの子どもたちと接してたくさんの親子関係も見てきて、もうほんとにケースバイケースだからアドバイスのしようもない気もする。

ただし、1つ言える事は、大概のことは「大丈夫だった」ってこと?

私は楽観的に「大丈夫、だいじょうぶ」って言ってるように聞こえるかもしれないんだけど、ほんとにそうなのよ。

ところがね、人ってなかなか「大丈夫」って言ってくれないのです。
それは大変ね、お気の毒、とは言わないが、そう顔に書いてある、って察した事、たくさんあって、その表情が私に突き刺さって、
でもそんな中で唯一、経験豊富な方たちが、大丈夫よーと言ってくれて、
その一言がその時の私を支えてくれた。

そして、困った困ったと、私がまるちゃんのことをうっかり人に話すたびに、まるちゃんは、
「ママは一体何に困ってるんだ?」と思っていたようである笑。

今だって、何かの伏線で、これから先はどうなるかわからないけど、「ママ、考えすぎだよ。」
と、そう言ったあの日のまるちゃんの声がたまに聞こえてくる。

取り留めもなくなりましたが
たまにまるちゃんて今どうしてるんですかって聞かれるので、書いてみましたよ。










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音の色

2024年02月05日 | 日記
銀座の街をぶらぶらと歩きながら、約束の時間に楽器店にたどり着く。

平日の夕方だ。
黒くて艶やかなピアノたちが並ぶフロアに、他にお客様はいない。

閑散としてはいるが、堂々たるその沢山のピアノに圧倒されて、所有する楽器がまた増えることにちょっと緊張、そして困惑しながらも
(いろいろ決意はしてみたものの、その大きさと値段に、やっぱり気押されてしまう。)
なじみの担当者さんを探す。

今後、新しくなる教室に置くピアノについての話を進めていた、しばらくは静かだったが、突然、ピアノの音がした。
エリーゼのためにだ。
指弾してる方がいるようだ。

担当の方が私にカタログを持ってこようと席を外したその間だったので、しばし想像した。
背の高いピアノのせいで、弾いてる方のお顔が見えないのだ。
どんな方が弾いてるのかな?

ゆっくりだけど、丁寧に一音一音を置いていく。
まだ、曲をさらい始めて間もない感じ。
家の外で弾いてるせいだろうか、緊張している少し硬い音。

音は、色に例えるならば「濃紺」かな。

まだ自信がない感じだけど、チラチラと見え隠れする、音へのこだわりもわかった。

音の強さから、大人ではないなと思う。
何度も、同じテーマの部分だけを繰り返す。
フロアは静かなのに、ほとんど話し声が聞こえてこない。

間をおいて何度か繰り返されたその折に、
担当者さんは戻ってきたので、
私も立ち上がって、チラリとそちらを見た。

5年生位の男の子。
メガネをかけている。
姿勢を正して座り、
神妙な面持ちで鍵盤に向かっている。

私の予想通りの男の子だなと思って、
その的中さに、驚いてしまった。

28年間、ほぼ毎日いろんな生徒さんのピアノの音を聞き続けている間に
それぞれの性格までもがわかるようになり、
何かに一生懸命向かわせるにはどうすれば?そして、どうやって短い子どもの間の時間に、多くのことを吸収させてあげられるか
その子自身のピアノのお稽古、成果の着地はどうすれば納得なのか、、

そこまで、その子の音で、読めるようになってしまっていた。

音楽が好きで、ピアノの音にしか興味がなくて、先生として自分の演奏テクニックを上げるための練習をしなくては…と考えるよりも、
今いる生徒さんがどんな気持ちで、ここに来て、どんなふうに音を奏でてくれるかということに、いつからか、重きを置くようになった。

また新しいピアノが欲しいのは、弦がきちんと床と平行に並んでいるグランドピアノで、今まだ小さくて、お母さんと一緒にレッスンを受けている生徒さん、数年後、1人ずつが奏でる音がどんななのか知りたいのだ。

だから、ここに来たんじゃないか。
と、考えたら、腑に落ちてしまった。

会場を同じ場所で継続すると決めた時もそう。
結局、バチっと頭の中にイメージが湧いたのだから、
もうそれでやるに充分の理由なのだ、と。

結局、私は新品のピアノをお願いすることにした。

あの子があそこで弾いてくれなかったら??
まだ、私は迷っていたかもしれないな、
と思いながら、帰路に着いたのでした。













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