「音みる(音のみるふぃ~ゆ)」ブログ...♪

100名を超える音楽教室「音のみるふぃ~ゆ」のレッスンノート。また3人娘の子育て日記。

それしかやってきてないから、それしかできない

2024年01月30日 | 日記
夢とかよりも、って話。

私は、小さい頃から音楽は好きであった。
かといって、音楽家になれるとは思っていなかったし、極度の緊張しいだし、
でも教える事は好きだったから、
ピアノ講師になる事はおのずとしっくりくる、というだけで、それが憧れる職業、ではなかった。

夢を持つって言うのは、何が好きかを探るとか、そんな大それたことじゃなくて、
例えば、好きなことでいえば私は絵を描くのも好きだったし、歌を歌うのも好きだったし、そう考えると漫画家にも憧れたし、歌手になりたくて、オーディションを受けたこともあるのだ。ひと時はモデル業にも、憧れモデル事務所に所属した。

そんな風にチャレンジしてはみるが、次が動かないのだ、全てが自然に流れていかない感覚。
あれもこれも欲張る方なので、果敢にチャレンジして、でも、心もとない感じ。
それで、結局長続きしなかった。
若かったから、自分で自分を探るチャンスは全て生かしたほうがいいと思って、動いてはみたが。

あ、いや、
「若かったから」はいらないかも。
昨年の私は、その若い時と同じように、もっと別に何か違う事もできるかもしれないぞと思って、いろいろ動いたりしてみたのだ。

そう、でも、次につながっていかないあの感触、、じわじわと思い出し、結果、やっぱり「しっくり来なくて」戻ってきた。

私は、ピアノしか弾いてこなかったから、それしかできない。
教えていると、次から次と自分がやりたいことがひらめく→思いつく→やってみる→楽しい→で、結果、出会いにつながる→そこから数々のご縁があり、生かされている感触となる。

だから、、「夢を持って」とかじゃなくってさ、
もっと日常的に転がってる何かでいいんじゃないかなぁって思ってる。

この前、このブログを読み返していたら、15年前の話で、長女が無類の洋服好きで、おしゃればかりしているという記事を見つけた。

彼女は今、アパレルで働いているが、それもまた自然に道が開けていった。
彼女がそれに決めるまで、紆余曲折あったが、たどり着いたところがそこだとわかると、身内中が納得し、やっぱりね、おしゃれ好きだったもんね、で落ち着いた。

「小さい頃からそればかりやってたもんね」
と。結局ね。


着地が決まるまでは、悩みながらもいろんな職種を経験している彼女を見て、職種が変わる度に、周りも、そうなんだね、なら、きっとその道の方が合ってるね、なんて好き勝手に言ったり思って、周りはいろいろ言うわけなんだけど。

結局、彼女も、今の職を選んだのは、しっくりきたから、という理由。

だから、中学、高校生の生徒さん達が、よく将来のことで悩んで打ち明けてくれたりするのだけど、何か好きなことを見つけたら?
じゃなくて、日常の中でよくやってることで、苦にならない何かで、仕事にできないのか探して、それをやってみたら??とかって、
とても現実的なことをアドバイスする私です。

なんか、、毎日の事だけだって精一杯なのに、進路を決めなさい、あれしろこれしろって大人に言われて大変だなぁって、
先日もつい思ったので、ここに書きました。











選択に迷ったら

2024年01月25日 | 日記
AとBのどちらかを選択しなくてはならない時、私の20代は直感を信じた。

何かをしたいというはっきりした動機があるなら判断は早いが、私の場合、大概が「どっちでもいい」んである。

めんどくさいことは出来るだけ避けたいな
っていう、怠け心が、結構私の気持ちの中では大きいのだが、人からはそう見えないらしい。

直感が思いの外、的を射ていてまぁ、まずまず。。

30代は、状況に応じて。ちょうど子育て絶頂期で、家庭環境やら、その時の立場でAまたはBを選んできたつもりだが、家族にはママは仕事一直線の選択をしている、と捉えていたらしい。

だから、3匹の娘らも相当、苦労したことだろう。

振り回されてる感はなかったと思いたいが
「ママは忙しそう、仕方ないから諦めてしまおう」感は拭えない。
仕事優先になってしまったことで、結果的に私も子育てには、いろいろ諦めた。

でも、ま、紆余曲折、あるにはあるが、
芯の強い子らには育ったから、ま、いいか。
(所詮、親なんて、出来ることは限られているのだ)

30代はそっちに振り切ったんだから、そうすりゃ結果は付いてきて、40代はますます張り切って、立場がねー、、を理由に「家族ないがしろ」状態の選択をしてきて、
そこに「待った!」がかかったのが、2020年だった。

で、まぁ昨年2023年、選択させられる1年を迎えるまで、結局私は迷って悩んで、の数年だった気がします。何せ、ベースは「めんどくさい事は避けたい」願望があり、それを選びたくないもんで、決断をのらりくらりと避けてた、という感じだろうか。

結果、Aを選ぶつもりが、誰もが、えっ!そっちにしたの?!と驚いたBになり、
自分自身も驚いている。

なのにだ、現実は、Bを選んだらするすると運びがいいのだ。

要するに、スムーズ。

気持ちはまだどこかで、ゲー、めんどくさい方選んじゃってるじゃないか!と思うわけだが、ありとあらゆる話がスピーディーにまとまっていく。

そういう 流れって抗えない。

それで、もう失敗するかもしれないってところは、考えない事にした。

それにしても、私は20代と同じく、
意に反して、最後の最後ギリギリで、
結局は、「直感」で決めてるんだな。






美味しいもの食べて悩みを聞く

2024年01月20日 | 日記
「私、職場で仲間はずれにされかかってんだよねー」と。余興的な話題のあとに本題に入った長女。

 昨年から一人暮らしを始めた長女に
(かつてここではおねえちゃんと呼んでいた)
呼び出されて、彼女の住む近くの美味しいバインミー屋さん?に行く事にした。

バインミーも鶏肉のフォーも、陽だまりの中で食べるベトナム料理は美味しくて身も心も温まったので
普段はあまりマイナスな内容のトークは話さない彼女だが、話してみる気になったのか。

「私、ここからは後ろ向きな発言しかしないから注意ね」と前置きをしながら、
ならばじっくり話を聞こうと、カフェに向かう道中、顛末を話し始めた。
まぁ、いわゆるよくある、くだらない類の仲間はずれ事件(大人版)だ。

 事件があった翌日から、手のひらを返したように、みんなの態度がよそよそしいと感じたらしい。

この類は、娘を3人持っていたら、何かしらあって、私は自分自身もPTAで経験してるので、とにかく、人との距離をバランスよく保とう!をモットーに子育てしてきた。

現在、23.21.17歳の娘たちが、かつて1日の大半を過ごす保育園の頃からあったいざこざ。

メンタルがやられるのって、たいてい人間関係が原因かもだなと思い、
育てていく中で娘らにも繰り返し言い続けてきたこと↓

人との距離を保つ
ひとりでも大丈夫なように過ごすこと

このふたつね。
それでも、容赦なく、いろんなことが起き翻弄された20年間だった。
(10代のうちにたびたび経験した次女は、心底強くなったし、だからといって、家族は腫れ物に触るようには扱わなかった。)

なので、生まれて初めてそういったことを経験した長女も、衝撃的ではあったようだけれども、すごく達観したところから、自分が置かれた位置を眺めていたらしい。

でも、やっぱり、最初三日間ぐらいは、食事も喉が通らなかったと。

1番自分の気持ちの中で厄介だったのは、ドラえもんでいうと「しずかちゃん」的な立ち位置の方たち。

何を言うでもなく、励ますでもなく、傍観してるかというとそれもわからなくて、ひたすら困った顔で自分を見つめてくる。
そうされてる自分のみじめさに、腹が立ったと。

私が言える事は、ただ1つ。

とにかくその手の事は、時間が解決するので考えないこと。
それから、おそらく遠巻きに見ている人たちも、自分たちのことでは無いから、どうでもいいと思っていること。

人って集まれば調子を合わせようとするから、ついその場に居た強い人が言う噂話で盛り上がり、話題的に「そうだよね」と相槌打ってるかもしれないが、案外そんな風には思ってなかったりする。
だから間に受ける必要はないってこと。

本人は、「どう考えても私は間違ってはいないと思うんだよね。」と言ってるし。

でも、強気で言ってる彼女も、食べること大好きなのにそれが出来ない位に、
メンタル的にきつかった三日間だったんだろうね。

私は、自分も経験あるし、この手のことで相談してくる生徒さんもめちゃくちゃ多いので、本当に世の中、ひとたび人が集まればそんなふうになるもんなんだなぁって
改めて思った昨日でした。

強く生きろよ、と、まぁ思うしかないんです、親は。

ちなみに、美味しく頂いたベトナム料理屋さんは
です。

スタンドバイミーにかけている笑

人って結局ひとりで生きられないからさ。
頼っていいよ、いつでもね😊










思い出とこれから

2024年01月19日 | 日記
グループレッスンを展開するようになったのは2005年で、その年に1歳だった生徒さん。
2011年(6歳)と、2022年(高2卒業)の写真です。

この子達が高校生まで続けて、「難しい曲」をとても楽しそうに弾いてくれるようになる、
そんなイメージは…
開講した時から実は、あった。

でも、予測できなかったことがあって。

「難しい曲」という箇所は、クラシック、ジャズ、流行りの曲、自分が作曲した曲…
何にでも置き換えられるのだが、
ラ・カンパネラや、上原ひろみさんのジャズを選んでくれたり、自分で研究してオケのピアノアレンジ版を見つけてくれたり、音楽の道を選んでくれたりするようになることまでは、考えていなかった。

2022年、彼らが卒業したあと、私は少し気が抜けてしまった。。

もちろん、自分の大学卒業と同時にピアノ指導を始めたので、それ以前もその後も同じように達成感はあって、そこが初めての卒業演奏ではなかったのだけど。

1歳からのお付き合いで、16歳までの約15年間、それって、彼らが物心ついたときには、私がいたってことで、親戚以上のお付き合いをさせていただいたのではと思う方もいて、
そして、その子達の卒業演奏会は、とても見事に終わったのでした。

1歳から通ってくれたお子さんを育てられた、と、やり通せたことでの安心感、そして、我が子たちもまた同時期に手が離れたことの寂寥感も相まって。

ボケっとした。

だから、2023年はそんな1年だったんだなぁと思う。

小休止。

でも、小休止って、(音楽を構成するメロディ上もそうだけど、)
止まってるわけじゃないから、
次のこと考えなくちゃいけない。
どっちに向かえばいいかわからなくなってしまって、
結果、気持ちが複雑だった。

はて、こんなふうに捉えた1年て、
今まであったかな??

思い返してみると、そう多くは無いなぁ。
いつも私は急き立てられるかのように、
毎日を過ごしてきてるから。。

このまま、こんな風にゆったりと暮らしてみようかなぁ?と、
そこまでも考えて、また思った。

小休止のこの1年は大事だったけど、
どこに向かうかわからない気まな暮らしって憧れるんだけど、あんまり私には向いてないんだなぁって。


ならば、やっぱり次の年はエネルギッシュにやってみようかと、思ったのです。

私も、もう20代30代ではないので
ぎゅぎゅっと詰め込む、そういう欲張った過ごし方?(それがそもそも、贅沢さからかけ離れてるね。)
はできないかもしれないんだけど。


今考えてるのは、ブログの使い方。
たくさん書きたい気持ちはあるのに、
どこに何を書いたらいいのかわからなくなっている。
ここ(旧おとみるブログ)で、子育てを中心に書いてきたのでそのまま残し、これからも自分の思いを吐露する場所、そして大人になった娘たちのことを少しずつ書いていこうと思います。

今まで卒業していた生徒さんのことは、ほんとにドラマチックにおとみるでの時間を過ごしてくれたので、
少しずつ紹介する場所は別に設けようと思います。

どちらも私の備忘録。

歳をとると、思い出を思い出すことすら難しいんだなぁって、
ちょっとずつ感じてきてる今日この頃。