そもそも、楽器練習について、一生懸命やるスイッチがどこにあるか、何がきっかけになるのかなんてわからない。
だから、グループのお稽古に来てもらって刺激をもらって帰る。
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楽器の音(旋律)を聴いてそのカードを並べるゲーム中。。(3・4年生)
ひとつのことを長く続ける秘訣は単に「楽しいか、楽しくないか」
単調なお稽古ならば、たぶん、私自身も続かなかった。
私は、練習を掘り下げられるタイプでもなければ、先生の指示通りにきちんとやるタイプでもなかった。
当の本人はやっているつもりだったけど、付属の教室に入った時に私は、「ありゃ?やってるようでいてやっていなかった。」
と英才教育を受けてきた友人たちを見て息をのんだ。
素晴らしい演奏力!見事な表現力!
なーんだ、私、違うじゃーん とね。(と、すぐに放棄)
だから、実際専門的な大学に行く決断をするときも、自分の中で葛藤、大あり。
だって、私、音楽も好きだけど、他にもやりたいことたくさんあって、それに一心不乱にのめりこめる性質でない。
でも、付属のお教室のレッスンのいろいろは素晴らしく、音大生がそばで練習してるその隣の教室で、
子どものための合唱レッスンやら、ソルフェージュやらの授業に通っているだけで、
なんだか「いっぱし」になれた気がして。そう、それだけで良かったんですね。
実際、私、お教室が終わると、随分長くそこにいて、オーボエやらクラリネットやら、チェロやらコントラバスやら
はたまたティンパニやらを大事そうに抱えて移動していく大学生たちを眺めてることが楽しくて。
どんな話してるのかな~とか、何弾いてるのかな~、とか。
発狂してるだけなのでは!?と思う声楽科の練習室をこっそりのぞいては、あの喉はどうなってるんだろう・・・と一人
驚いたりしていた。。人間観察に行っていただけだったのかも!?
高校2年生の時に、スパルタだった先生からのんびりの先生に(先生、ごめん)移った。
その先生は、フラワーアレンジメントも極めている先生で、本番のたびに、リラックスできる香りのブーケをくれて
そのおおらかな雰囲気や、上からでない指導と包容力が何とも素敵な先生で
あ、それでいいの?それだけ(ピアノ)がすべて、でない私でもいいの?なんて思ってしまったが運の付き。
受験を決めたわけだけど、入ったら、そらまた、スパルタの世界で大変なのでした。
というわけで、私のベースは、あくまで楽しいお教室。
いつか、違う楽器も弾けたらいいね!のお稽古なのですが、
みんないろんなことを言うから、笑えた。
(あ、そうだ、みんなよ、リコーダーの音とフルートの音の違いくらいは、わかろうね。)
でも、最初に比べてどんどん「耳を澄ましてく」ことに慣れていくのがわかって、面白かったんです。
そんで、次のお稽古の時に「ここはホルンの音色だったらステキだよね」と言ってくれた生徒さんがいて。
練習が違う角度から取り組めたんだなーと、そのきっかけになるのなら、それでいいのデス。