雪が降る外を窓からずいぶん長いこと見ていました。
このところの私の近況の変化といったら!
順風満帆なんて人生はないとわかっていながらも、
この世界中の危機になぜ、重なる!?と最初はむむむ?と思う気持ち。次に暗澹たる思い。
そのあと、ゆっくりと前向きな気持ちが起き上がってきました。
板長が長いこと勤めていたお店が急遽、閉めることになり。
ま、巷のウィルス騒動が拍車をかけたわけですが。
いずれは独立を促したいと思っていた私ですから、「ピンチはチャンス」とこの期に及んでも思っていますが、
思いがけずやってきた試練というのは、傍からみると「相当イタイ」と思われるようで。
周りの反応に、ちょっと戸惑いつつある板長であります。
んなことに負けるなよ、と心の中ではエールを送っている私。
面と向かって言うのはしゃらくさい。
それよりも前に、18になったら家を出ていく宣言をしていたまるちゃん(←次女、こう呼ぶのはなつかしい響きです、5年前のブログ参照ください)が、
3月のお誕生日で本人、待ちに待った18歳。
自活を前提になんでもかんでも、自分の住む場所までもとっとと自分で決め、
昔からの夢に向かって、さぁ、船を漕げ!と思っていた矢先のこの状況。
「今?!」と、親としては思うわけですが、
いったんこう!と決めたらテコでも変えない、のは学校を中退するときに、
家族もみくちゃにしながらも振り切った一件以来、私たち家族はもう、あきらめている。。
そのあと、たくさんの仲間に支えられながら今に至るわけで
「案外、こういう子の方が生きる知恵があり、たくましいのかも・・・」と認めてる(いや、重複しますがあきらめてる)ので、
この状況でも彼女なりにきっと生き繋いでいくのでしょう。
ちなみに、今年ハタチを迎えた2つ上の姉は、世間で一般的に言われてるであろう「成功事例」にのっとってお勉強いっぱいして、自分の希望大学に入っても、「もはや、このご時世、そんなもん通用しないんじゃないか」と戦々恐々としております。
まるちゃんの引っ越しは、奇しくも長女の誕生日、3日前のことでありました。
20年前にちいちゃすぎる赤ちゃんのおねえちゃんをだっこして、茫然としていた私が懐かしすぎる‥
何しろ、25歳でしたから、私にしてみたら子どもを産み育てるなんて若過ぎました。
あんなに早く産まれてこーい、と待ち望んでたのに、実際にだっこした我が子は小さすぎて不安でいっぱいだった私。そのあと、私、さらに2人も産んじまって、3姉妹育てるおっかさんとなり、20年経って鍛えられたなー、なんて思ったり。
さて、その夜、次女が帰ってきて、業者さんに頼まず、仲間をたくさん引き連れて、引っ越しの荷物を運び出し、
いよいよ次女を送りだす瞬間、思いがけず、泣けました。
そんな私をみて、「ママ、私、引っ越すタイミング間違えたよね~」なんて苦笑いしてる次女。
もう、5人で一緒に暮らすことはないのかも、と思う気持ちももちろんありますが、
違う、そうじゃなくて、こんなときでも、こうやって支えてくれる人達が、あなたにいて良かったね!の涙。
学校をやめたい、やめさせたくない、の時期に、家に帰ってこなくなったまるちゃん。
行方知らずの時期が一瞬だけあり、心臓が止まりそうになった時がいっぱいあった(笑)。
年齢を飛び越えて、たくさんの仲間ができて、学校じゃない場所で幸せにやっていけるんだ、と、
私のそれまでの価値観をガラガラと崩していったまるちゃん。
大丈夫。
とにかく、健康でいること。
そして、人とのつながりを大事にすること。
こんな時期に降りしきる雪、不思議な光景をみながら決意を新しくしました。
思い悩んでいたときに、みんなを連れてアメリカにおいでと言ってくれた友人の元へ行く2年前。
3姉妹にレンズを向けると大抵こんなで、普通に撮りたい・・といつも思う。左端の普通に記念写真を撮ってる見知らぬ人たちが羨ましかった(笑)。
雪が降る前に記念に撮っておこうとジョギング中のさくら!満開!
このところの私の近況の変化といったら!
順風満帆なんて人生はないとわかっていながらも、
この世界中の危機になぜ、重なる!?と最初はむむむ?と思う気持ち。次に暗澹たる思い。
そのあと、ゆっくりと前向きな気持ちが起き上がってきました。
板長が長いこと勤めていたお店が急遽、閉めることになり。
ま、巷のウィルス騒動が拍車をかけたわけですが。
いずれは独立を促したいと思っていた私ですから、「ピンチはチャンス」とこの期に及んでも思っていますが、
思いがけずやってきた試練というのは、傍からみると「相当イタイ」と思われるようで。
周りの反応に、ちょっと戸惑いつつある板長であります。
んなことに負けるなよ、と心の中ではエールを送っている私。
面と向かって言うのはしゃらくさい。
それよりも前に、18になったら家を出ていく宣言をしていたまるちゃん(←次女、こう呼ぶのはなつかしい響きです、5年前のブログ参照ください)が、
3月のお誕生日で本人、待ちに待った18歳。
自活を前提になんでもかんでも、自分の住む場所までもとっとと自分で決め、
昔からの夢に向かって、さぁ、船を漕げ!と思っていた矢先のこの状況。
「今?!」と、親としては思うわけですが、
いったんこう!と決めたらテコでも変えない、のは学校を中退するときに、
家族もみくちゃにしながらも振り切った一件以来、私たち家族はもう、あきらめている。。
そのあと、たくさんの仲間に支えられながら今に至るわけで
「案外、こういう子の方が生きる知恵があり、たくましいのかも・・・」と認めてる(いや、重複しますがあきらめてる)ので、
この状況でも彼女なりにきっと生き繋いでいくのでしょう。
ちなみに、今年ハタチを迎えた2つ上の姉は、世間で一般的に言われてるであろう「成功事例」にのっとってお勉強いっぱいして、自分の希望大学に入っても、「もはや、このご時世、そんなもん通用しないんじゃないか」と戦々恐々としております。
まるちゃんの引っ越しは、奇しくも長女の誕生日、3日前のことでありました。
20年前にちいちゃすぎる赤ちゃんのおねえちゃんをだっこして、茫然としていた私が懐かしすぎる‥
何しろ、25歳でしたから、私にしてみたら子どもを産み育てるなんて若過ぎました。
あんなに早く産まれてこーい、と待ち望んでたのに、実際にだっこした我が子は小さすぎて不安でいっぱいだった私。そのあと、私、さらに2人も産んじまって、3姉妹育てるおっかさんとなり、20年経って鍛えられたなー、なんて思ったり。
さて、その夜、次女が帰ってきて、業者さんに頼まず、仲間をたくさん引き連れて、引っ越しの荷物を運び出し、
いよいよ次女を送りだす瞬間、思いがけず、泣けました。
そんな私をみて、「ママ、私、引っ越すタイミング間違えたよね~」なんて苦笑いしてる次女。
もう、5人で一緒に暮らすことはないのかも、と思う気持ちももちろんありますが、
違う、そうじゃなくて、こんなときでも、こうやって支えてくれる人達が、あなたにいて良かったね!の涙。
学校をやめたい、やめさせたくない、の時期に、家に帰ってこなくなったまるちゃん。
行方知らずの時期が一瞬だけあり、心臓が止まりそうになった時がいっぱいあった(笑)。
年齢を飛び越えて、たくさんの仲間ができて、学校じゃない場所で幸せにやっていけるんだ、と、
私のそれまでの価値観をガラガラと崩していったまるちゃん。
大丈夫。
とにかく、健康でいること。
そして、人とのつながりを大事にすること。
こんな時期に降りしきる雪、不思議な光景をみながら決意を新しくしました。
思い悩んでいたときに、みんなを連れてアメリカにおいでと言ってくれた友人の元へ行く2年前。
3姉妹にレンズを向けると大抵こんなで、普通に撮りたい・・といつも思う。左端の普通に記念写真を撮ってる見知らぬ人たちが羨ましかった(笑)。
雪が降る前に記念に撮っておこうとジョギング中のさくら!満開!