2〇年前の2月終わり、私は頭を抱えていた。
音大受験2日目にして、失敗をしたのです。
間違いようのない、自信を持って臨んだ「ベートーヴェンのソナタ」だったにも関わらず
ミスをした。
その日は、この世の終わりだ、、、と。。。
付属の音楽教室に入れて頂いて以来、目指していたのももちろん、音大進学。
6年越しの思いを持って臨んだ、というあたり、オリンピック選手のそれとそう変わりはあるまい。。
私は、当時(今も?)演奏に相当のむらがあり(あれ?まるちゃん?)弾けるときと弾けないときの差が激しかった。。
コンスタントに100点満点の演奏しているかのように見える子も大勢いる中で
出来の悪かった時は、先生と二人で「どうしましょー」となるのでした。
それでも、受験に向けて「できる時の波に乗れたら大丈夫でしょー。できない時??考えない考えない。
出来なかったときはそれも人生と思って!」とお教室の先生に励まされてました。
当時の私は、もし無理だったときに「それも人生と思って!」なんて
もちろん考えられませんでしたから、相当、落ち込みました。
2日後のショパン演奏試験までに立ち直れるのか否か。。
(試験日程は5日間ありました。)
それこそ、浅田真央ちゃんの気持ちがわかる、、
当時を思い出した今回のオリンピック。
終わってからの3日間、私は混乱していました。
次を落としたら後がないにも関わらず
何故、私はこんな大事なところで失敗するの??と自分への腹立たしい気持ち。
ベートーヴェンよりテクニックの難しいと思われるショパンエチュードでうまくいくはずがないと思う気持ち。
試験前日、トリプルアクセル並の難しい個所をいくら練習しても、
焦る私には上手に弾けてないように感じる。。
いろんな思いが交錯し完全に行き場をなくした私は、先生に電話で泣きついたりもした。
「たぶん、無理です。どんなに弾いても全然うまくないんです…」
当時、お教室の先生とは別についていた教授には、
「あーた、明日うまくいかないかも、なんて泣き言言うために、この忙しい私に
わざわざ電話してきたの?当然、100パーセント力を出しきらなければ無理よ」と言われるにきまっていて
(実際はそんなこと言いませんが…オーラがね)泣きつくことすらできなかったのですが。。
その教授が私の弾く部屋に入るらしいという情報まで入り、すっかりおびえる私。
逃げ出したいと、散々練習したのになんでこんなことになってるのか、とひたすら考えました。
で、その後、結果どうだったかって?
それが…ものすごく良く弾けたのです。
よく晴れた日で。気持ちはしーんとしていた。
前日までの大きな不安の渦にのまれている感じはもうしなかった。
試験会場には、友人がいて。
私が試験部屋に入るその組のトップバッターに弾く子がその子だった。
私は最後から2番目だった。
腹をくくるっておそらくこういうことをいうのだろう。
直前に案内された練習室で、私は一度も試験曲は弾かず、ひたすら音階練習とイメージトレーニングに徹した。
試験の部屋に入り、先生の姿を確認。
張りつめた緊張感の中、友達が弾き始めたエオリアンハープをぼーっと聴いていた。
その音色と教室を照らす日差しの温かさに、不思議と気持ちが落ち着いた。
そして、自分の番。
弾き出してからその日差しの中に自分がいるんだと思ったら、嬉しくなった。
ひとつひとつの音を正確にきちんと。
と思う気持ちでものすごく集中していたと思う。
結果はいいや。
たとえ落ちても悔いはないや。
ここまで連れてきてくれた先生にいい演奏をしよう。
ピアノ、やってて良かった。
などなど、たった数分ですが、いろんな幸せなことを一気に思った。
たぶん、ミスはなかったと思う。
弾き終わり、部屋を出た途端、1番目に弾いた友人が私に駆け寄り
「感動して涙が出たよ。本当にびっくりした!」と言って来てくれたこと、
それも驚いた。
自分もかつてないほどに、集中して弾けたけど、聴いていた人にも伝わったのかな??
その夜、教授に試験の出来を確かめたくて電話したら
少し間があった後、あなた、とても良かったわよ、と言ってくれた。
それで確信したのです。あの時、確かに私は何かに操られるかのように弾いて、
光の中で弾いた気分で、そしてそれを聴いていた人も同じように惹きつけられるんだ!
ということ。
こういうことって起きるんだ。
その出来事は、私のその後の、到底楽じゃない「ピアノ人生」を支えてることは言うまでもないでしょう。
そういう経験をいつかしてほしい、と生徒さんの本番の度に思う。
本当に、あの時、「生きるってスゴイ!」と思ったよ。
あの感触を味わったら、次もまた!って思って。
(でも、そこまでの極限状態に自分を追い込むのは、至難の業なのでした。)
今回、まおちゃんのフリーの演技を見ながら、私とは次元が違いすぎるのわかっていながら
書かずにいられなかったのです。
思わずあの時の感動がよみがえり。。
・・え?土俵が違いすぎるって?(笑)
大目にみてやってください。(笑)
音大受験2日目にして、失敗をしたのです。
間違いようのない、自信を持って臨んだ「ベートーヴェンのソナタ」だったにも関わらず
ミスをした。
その日は、この世の終わりだ、、、と。。。
付属の音楽教室に入れて頂いて以来、目指していたのももちろん、音大進学。
6年越しの思いを持って臨んだ、というあたり、オリンピック選手のそれとそう変わりはあるまい。。
私は、当時(今も?)演奏に相当のむらがあり(あれ?まるちゃん?)弾けるときと弾けないときの差が激しかった。。
コンスタントに100点満点の演奏しているかのように見える子も大勢いる中で
出来の悪かった時は、先生と二人で「どうしましょー」となるのでした。
それでも、受験に向けて「できる時の波に乗れたら大丈夫でしょー。できない時??考えない考えない。
出来なかったときはそれも人生と思って!」とお教室の先生に励まされてました。
当時の私は、もし無理だったときに「それも人生と思って!」なんて
もちろん考えられませんでしたから、相当、落ち込みました。
2日後のショパン演奏試験までに立ち直れるのか否か。。
(試験日程は5日間ありました。)
それこそ、浅田真央ちゃんの気持ちがわかる、、
当時を思い出した今回のオリンピック。
終わってからの3日間、私は混乱していました。
次を落としたら後がないにも関わらず
何故、私はこんな大事なところで失敗するの??と自分への腹立たしい気持ち。
ベートーヴェンよりテクニックの難しいと思われるショパンエチュードでうまくいくはずがないと思う気持ち。
試験前日、トリプルアクセル並の難しい個所をいくら練習しても、
焦る私には上手に弾けてないように感じる。。
いろんな思いが交錯し完全に行き場をなくした私は、先生に電話で泣きついたりもした。
「たぶん、無理です。どんなに弾いても全然うまくないんです…」
当時、お教室の先生とは別についていた教授には、
「あーた、明日うまくいかないかも、なんて泣き言言うために、この忙しい私に
わざわざ電話してきたの?当然、100パーセント力を出しきらなければ無理よ」と言われるにきまっていて
(実際はそんなこと言いませんが…オーラがね)泣きつくことすらできなかったのですが。。
その教授が私の弾く部屋に入るらしいという情報まで入り、すっかりおびえる私。
逃げ出したいと、散々練習したのになんでこんなことになってるのか、とひたすら考えました。
で、その後、結果どうだったかって?
それが…ものすごく良く弾けたのです。
よく晴れた日で。気持ちはしーんとしていた。
前日までの大きな不安の渦にのまれている感じはもうしなかった。
試験会場には、友人がいて。
私が試験部屋に入るその組のトップバッターに弾く子がその子だった。
私は最後から2番目だった。
腹をくくるっておそらくこういうことをいうのだろう。
直前に案内された練習室で、私は一度も試験曲は弾かず、ひたすら音階練習とイメージトレーニングに徹した。
試験の部屋に入り、先生の姿を確認。
張りつめた緊張感の中、友達が弾き始めたエオリアンハープをぼーっと聴いていた。
その音色と教室を照らす日差しの温かさに、不思議と気持ちが落ち着いた。
そして、自分の番。
弾き出してからその日差しの中に自分がいるんだと思ったら、嬉しくなった。
ひとつひとつの音を正確にきちんと。
と思う気持ちでものすごく集中していたと思う。
結果はいいや。
たとえ落ちても悔いはないや。
ここまで連れてきてくれた先生にいい演奏をしよう。
ピアノ、やってて良かった。
などなど、たった数分ですが、いろんな幸せなことを一気に思った。
たぶん、ミスはなかったと思う。
弾き終わり、部屋を出た途端、1番目に弾いた友人が私に駆け寄り
「感動して涙が出たよ。本当にびっくりした!」と言って来てくれたこと、
それも驚いた。
自分もかつてないほどに、集中して弾けたけど、聴いていた人にも伝わったのかな??
その夜、教授に試験の出来を確かめたくて電話したら
少し間があった後、あなた、とても良かったわよ、と言ってくれた。
それで確信したのです。あの時、確かに私は何かに操られるかのように弾いて、
光の中で弾いた気分で、そしてそれを聴いていた人も同じように惹きつけられるんだ!
ということ。
こういうことって起きるんだ。
その出来事は、私のその後の、到底楽じゃない「ピアノ人生」を支えてることは言うまでもないでしょう。
そういう経験をいつかしてほしい、と生徒さんの本番の度に思う。
本当に、あの時、「生きるってスゴイ!」と思ったよ。
あの感触を味わったら、次もまた!って思って。
(でも、そこまでの極限状態に自分を追い込むのは、至難の業なのでした。)
今回、まおちゃんのフリーの演技を見ながら、私とは次元が違いすぎるのわかっていながら
書かずにいられなかったのです。
思わずあの時の感動がよみがえり。。
・・え?土俵が違いすぎるって?(笑)
大目にみてやってください。(笑)