「音みる(音のみるふぃ~ゆ)」ブログ...♪

100名を超える音楽教室「音のみるふぃ~ゆ」のレッスンノート。また3人娘の子育て日記。

私の足跡...上達させることは全てじゃない#5

2025年01月08日 | 私の足跡…
記事を書くにあたり、過去のブログを振り返ってみたらこんな記事
辛抱する
を見つけました。

今思えば、この生徒さんとレッスンをしていた時、歳の差は一回りしか違わなかったのか、と気づく。
私は、彼女から、ピアノ講師って、上達させることが全てではない、ということを教わった。

それまで、毎回のレッスンごとに、必ず何かを理解して帰ってもらわないと!とやっぱり思っていたと思うのです。

2年経っても、なかなか上達していかない彼女に、にっちもさっちも行かなくなっていたのは紛れもない事実。

もうあまりにも昔のことなので書いてしまうと、実は、その子を受け持つきっかけは、
優秀な生徒さんばかりを育ててるベテランの先生から、「この子のレッスン、もうお手上げ」と
当時私が受け持っていた土曜日クラスに移ってきた、ということと、多感なお年頃の10歳で、
最初、移られた時は私も困惑した。。

音符読めない(読もうとしない)のも、今でこそ教える身としてはへっちゃらだが、当時は辛かった上に、
不器用だから、両手が違うことができない。。
何より、コミュニケーションが取れないという、、ひたすら私の一人芝居だったしね。
それでも辞めないのは、なぜなんだろう?と、当然思っていた。
その後のくだりは、読んでいただければよくわかると思うが、私に慣れるまで2年という時間をかけた彼女。
私がどんな人間か?探っていたのだなぁ、と思う。

心を許してくれた頃から、ゆっくりだが正確にものを言う、という点でも、その子のペースだったのだなと思う。

中学3年生になる頃に辞めたのは、受験のためだが、そのあとついた職業(救急救命病棟の看護師)にしても
軸がぶれなかった彼女らしい、というか。。

「ピアノに救われたんです」と言ってくださった言葉は、私の励みになっている。

今きっと、40歳くらいかな?
小学生から思春期の中学生にまたいで、私と一緒に過ごした時間が、今でも彼女の支えになっていたらいいのに。
...と思う。











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私の足跡...教える始まり#3〜

2025年01月05日 | 私の足跡…
見出しの写真は、25年前の看板です。。
お教室を持って、1年で30人の生徒さんが通ってくださるようになった、、
と2つ前のブログで書きましたが、なぜそうなったかというと。。

私、まるで先生っぽくなかったから

だと、今でも思ってる笑

練習してこない子には、叱るよりも
共感しかない

「・・・だよね〜」と、私の経験談を語っては、安心させていた。。

それを聞いて、やる気になったかは別として、それでも十分うまくなるんだ、という
安心感だけは与えてあげられていたってことなのかな・・と。

紹介が紹介を呼んで、30人になるのなんてあっという間だった。

もちろん、積極的にポスティングもしたりして、個人情報が漏れる恐怖とか、そっちのけ。
(まぁ、時代もそんなにうるさくなかったが)
若かったのだ。エネルギーに満ち溢れていた。。

断っておくと、私は「練習しなくていいよ〜」と言っていたわけではなく、
練習しろよ、とも言わないが、
私はいつもここを気にしていた↓↓

その子にとって適度に弾きやすく、適度に難しい、、
そんなちょうどいい教材を渡すこと。


なので、そんなに時間かけなくても1週間で弾けるようになるのだ。
練習するのが苦にならなかったはず。

なんでそんなことができたのか??
私が、音楽畑出身にも関わらず、ピアノよりも人間に興味があったから。

要するに、「対人」に関してピアノを弾くより一生懸命だった。
功を奏したその経験笑
生徒さんの性格やら、好みやら、を分析するのが楽しかったので、
それに合わせて渡していたのだと思う。

それから、私自身が、コンクール志向ではなく一つずつ段階を踏んでいく習い方だった、、
ということも大きいだろう。
40年前、大人顔負けの難易度の高い名曲を弾く小さな子はたくさんいた。
私は、それとは真反対の、その月齢の理解力に応じた課題を渡す先生に習っていたのだ。
ピアノ椅子によじ登るほどの小ささでコンクールに出して、小さな手に無理をさせてしまう・・
そんな先生がたくさんいた時代である。
(だからこそのコンプレックスもたくさんあったが、その話はまた今度)

上達しないのに、ダラダラと通わせる親はいないだろう。

練習量がそんなに多いわけでは無いのに、ちゃんと弾けるようになっていく

という、そこが、どうも生徒さんが集まった理由だったらしい。

当時通っていた生徒さんが、今では30代後半になるのだが、それを大人になってから教えてくれた。

30人に到達したその年に、私は結婚し、そして、すぐに子どもを持つのでした。
(前回の記事と話が前後してますね、ごめんなさい。)

かれこれ25年も前の話。。







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私の足跡...教える始まり#2〜1人の生徒さんから30人へ

2024年12月20日 | 私の足跡…
私の足あと〜教えるの始まり
の続き。。

初めての生徒さんのお宅にお邪魔した時に、あまりの豪邸に驚いた、、ということも、ともかく、
ある有名な方のお子様で、そのご自宅にはたくさんの方が出入りしている、という事実に、アワアワ・・・と
なりながらも、とても楽しくレッスンできたことを覚えています。

そして、レッスンを重ねていく中で思い出した子供の頃の記憶。

小さな頃にした、ごっこ遊び。
友達と遊んでる中で、私は張り切って「先生ごっこ」を提案したのだけど、誰も乗ってきてくれない。
私にとっては、楽しい「遊び」と思っていたけど、何が面白いの??という雰囲気に一瞬でなったのは、気まずかった。。
それからは、密かに1人でやっていた笑。

あ〜・・そうなんだ、、私、教えたりするの、好きだったのかぁ。
ってこと。

そこからは、不思議なもので、どんどんいろいろなことが思いついていく。
数年先を見越して、その子のためのオリジナルなレッスンの中身を組み立てるのも楽しかった。

私は、そのご自宅に出入りする大勢の大人が目の前にいる「仕事場」で、レッスンをして、
先生と呼ばれるのも気恥ずかしく。。
でも、今考えれば、教えた経験がない私のやり方を、同じ空間にピアノを置いていることで、
レッスン中もご両親にじっと観察されていた、ということになる。
なるほど、、先生としての力量をさぐられていた?のかも。

そのあと、それもまた不思議だが、ご紹介やら、音楽教室の講師の誘いやらが、なぜかその年に重なり、
結局、私は会社を辞めることになり、いつの間にやら、先生業だけになったのでした。

その、1人目の生徒さんのお母さんは、生徒さんが大学生になられた年に連絡をくださった。

(中学生になった時に、素地となったピアノを生かして、別の楽器を習いたいと
移行されたので、そこでお別れし、大学生になられた時はその定期演奏会に招かれたのです。)

私は数年ぶりにお会いしたのだけど、自分のお教室を経営していることをお伝えしたら、
「やっぱり、私の目に狂いはなかった。
人を教えることに長けていると思っていたから嬉しい」と喜んでくださった。

思えば、その方のご自宅に出入りしていた皆様は、そのお母様を「先生」と呼んでいて
みなさん、そのお弟子さんだった。

技術を教える、人を育てるということに関して、お母様こそ、プロフェッショナルだったのだ。

そして、ただの営業だった私に、その素質を感じてくださって、娘さんを預けてくださった。

あの時に、声をかけてくれなかったら??
今でも考えることがある。

余談ですが、またその数年後??すっかり成熟し、素敵な大人の女性になられた生徒さんが
「徹子の部屋」に出ていて驚いた笑。

つづく・・・・














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私の足跡...教える始まり#1

2024年12月19日 | 私の足跡…
来年、20周年を迎える音のみるふぃ〜ゆ、
そして、仙田ミュージックスクールとしては、27周年目に入ります。

振り返りを、あえてしようとするなら、まさに今でしょう!
・・・と思って、重い腰を上げております。

そうです。そもそも、私、仙田麗子は、なんでピアノの先生してるの?
ってところまで掘り下げましょう。

人に何か教えるなんて、そんな大それたこと、できるわけがないと思っていた学生時代。

私は、音楽大学のピアノ科を出ているが、コンクールも常連ではなく、どちらかと言うと、音楽大学でも変わりもの。
通っていた音楽教室でも、私はピアノよりも、人間観察が好きという人間であったから、
隙あらば、練習室を抜け出して、こっそり、人の練習風景を覗きに行くような不真面目な中学生でした。

高らかに響く、トランペットに、コントラバスの低く唸る音。
発狂しているような!歌声、そして発声練習。

練習室の棟の階段脇には、必ずベンチがあって、そこに座っていれば
そんなふうに、音階だの、度々繰り返されるフレーズだのが聞こえてくる。

うまく弾けない箇所を何度も繰り返している。

あぁ…こんなふうに練習するんだなぁって、ずいぶん粘り強くやるなぁ

一心不乱に練習してるのをじっと聞いてると、あ、できるようになってきてる?

とか、先週も弾いてたな、同じ人かな?とか、わかってくるものである。

私は、「お前こそ練習しろよ」と誰にも突っ込まれないので😆
練習してる方々の熱量に感心したりしながら、
自分はそこにボケっと座っていた。。

そんな私だから、卒業すると、先生にはならずに、営業職に就いたのでした。

アルバイト時代から培った営業力、人と関わる事が好き。
(その時間を全て楽器練習に費やしたら、私は多分今頃、ピアニストになっていたかもね笑。)

相手が何を欲しているのか?
お客様の思いを汲む、ということに余念がなかった。

だって、相手の意図と私が提示したものがピッタンコだと、ものすごい有り難がられ、
たくさんの方から感謝される。楽しいのだ。
売り上げトップになれば、会社からも喜んでもらえて、充実した毎日でした。

でもね、、私、やり残したことがある気がする、、

それまで、音楽教室から大学まで同じ場所に、10年も通っていた私が、毎週のレッスンもなくなって
ひたすら売り上げの数字とにらめっこしているそんな毎日に、ん???違和感。。

大学時代の友人達は、どんどん難しいコンクールにチャレンジしている。
私はそこまでピアノに没頭できないから、そういうのは受ける気にはならないんだけど、
このまま、ここに居ていいのかなぁ、なんだか、しっくりこないなぁ。。。


ちゃんとピアノ、弾かなきゃね。。

そんな矢先に、ある方との出会いがありました。
楽器を買いにいらしたお客様でしたが、その方から
「来週から家に来ていただけます?この子の先生としてピアノ教えて欲しいです。」
と、突然オファーが来たのです。

えっ!!
私、教えたことないんですけど〜と慌てる私。

どうやら、娘さんがピアノを触っていて、私がその子とピアノを交えて会話をしていたのを聞いたらしい。

驚きを隠せなかったけれども、嬉しくて、妙に張り切ったことも覚えています。

まず、私の何を見てそう思ってくれたんだろう?
気に入ってくださったのならやってみようか。
ドキドキしながら、その方のお家に向かいました。

そんなわけで、突然に始まったピアノ指導の日々。
そこから、なぜか1年もしないうちに、
私は30人以上もの子ども達を教える先生になっていたのです。

つづく・・・



















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そしてこれから・・

2019年05月21日 | 私の足跡…


なんというか、今年、2月のおさらい会を経て、一巡したなぁと感じました。
リトミックのお教室を開講して15年経ち、115人の生徒さんは、堂々と本番のステージをこなし
小さく始めたつもりだったお教室もたくさんの先生と子どもたちとご家族に支えられて。


さて、私はこれからどうしよう??と何とはなしにふと、思ったのです。
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4年の間・・・③

2019年05月14日 | 私の足跡…
 連休明けたら怒涛の日々が待っていた!
仕事、しごと、娘の学校、仕事、学校、みたいな感じです。。

おさらい会の写真、110人以上もご出演いただいたので、その写真の選別も大騒ぎしながら終わりました。
もうすぐアップしますので、お待ちくださいね。

さて、まるちゃんの話ばかりじゃなくて、4年の間、私は何をやっていたのかということですが、
講師はなんと10人に増えまして。お教室もいよいよほんとのほんとに、飽和状態になりました。
どの先生たちも一生懸命やってくださいますから有難い話です。
それで生徒さん増加に伴い、第2レッスン室が2016年の秋に開講しまして、
今はあっちやこっちでピアノ鳴らしてる状況です。

2年前、ムジカノーヴァで少しだけ記事を書かせてもらったりしたときに、
自分の浅さに気づき、もっともっと勉強したい気持ちも募りまして、
今はある先生の勉強会やらフォルマシオンミュジカルの面白さに目覚めて、自分の時間も大切にしてます。

4年の間に、おねえちゃんは大学生になり、よく「音楽の方ですか?」と聞かれますが違うのです。。
サックスは今でも大好きでサークルで吹いてますが、それで生活するには、才能的にほど遠いと気づいた、
と言ってました。サークルには、多様な大学からたくさんの上手な演奏者が参加していて、
楽しくって仕方ないみたいです。
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4年の間‥②

2019年05月05日 | 私の足跡…


お天気のいいこどもの日となりましたね~♪
みなさん、かつて経験したことのない10連休!!楽しく過ごしていますか?
私も、あーちゃんと板長と一緒に熱海くんだりまで、行ったりしてきましたよ。
でも、3日ほど前からもう「お休み」というこの状況にくたびれている。。
のんびりできない、、性分なのです。。

さてさて、4年の間...書いてなかった時間の「振り返り」ご報告ですが。
(いったい、、だれに??(笑))
面白いもので、子どものことでいろいろあるっていうのに、仕事だけはとにもかくにも
順調で、たくさんの生徒さんと出会い、お稽古をこなし、自分の勉強し、

本当に、この間を支えてくださっていたのは、生徒さんとそのご家族、そして音みるを支えてくださってる先生方、
といっても過言ではない。。。

いろいろあるたびに、頭を抱え、、涙し、怒り、悔しく思い、
歯がゆい気持ちを隠し、足しげくまるちゃんの学校に通い、それでも、、
結局はこちらが何と言おうとも、本人が決めたことです。

私のみならず、家族全員が、それを受け止め、受け入れるのに時間がかかりました。

乗り越えたとは、まだ思っていない、渦中にいるのかもしれませんが、
ひとまず嵐が去ったなぁと思ってます。

あらゆるものを巻き上げ、破壊し、取っ散らかったあとに思った、自分の感情は、
「これ以上、私にできることはない」でした。
諦めとかというよりも、結局は私自身の人生ではないのだ、という線引き、かなぁ。。

それでも、自分の子どもであることには変わりないし。
大好きな気持ちには変わりないんですけどね。
せめて、親ならやってあげたいこと、が全うできなかった悔いは残ります。

でも、そこからの学びは、ありました。

本当に、いろんな親子の形があるから、周りでとやかくは言えないし、
生徒さんひとりひとりの見方とか、親子の関係とか、親の想いとか、子どもの気持ちとか。
一筋縄でいかないことが子育ての醍醐味なんだろうけれど、どこにたどり着くのかな~
って。ひとまず流れに身を任せようと思えたのは、やっと今年に入ってからです。


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4年の間

2019年04月24日 | 私の足跡…
 4年間の空白、(といってもお教室のホームページを見ていた方はがっつり働いてるぞと思われたと思うのですが。。)
何が起きていたか・・・ざっくり説明しますと。

子育てに没頭していました。

多分、娘ら3人小さい時よりも、多感な時期の方が手がかかるのだろうと踏んでいたので、あまり公にせずにいこう!と
決めた2015年の春。

兆しは、、ありました。
「まるちゃんは・・・学校には行かなくなるんだろう」

それでも、私は高校までは行ってほしかったので中高一貫校を受験させましたがね。
入った後が大変でした。それで、結構疲れてもいた・・・、2014年の秋。

いろいろ、ありまして、結果、まるちゃんは、学校には行ってません。
でも、楽しそうに暮らしてます。

今は、いろいろなことが落ち着き始めたから、こんな風に書けます。


まるちゃんは、日々、写真を撮ったりしてます。

つづく。




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それぞれの道。

2006年10月16日 | 私の足跡…
 ミクシイをはじめて、大学時代の友人の近況を読んだりしてると、みんなそれぞれの分野でがんばっているなぁと、励まされてます。オーケストラの本番を常に抱えているNちゃん、飲むのが大好きなところは変わらないけど、自分の音楽性を高めるための努力は惜しまず、なおかつ小学校の音楽の先生のIちゃん。

 そうか、大学を卒業して10年経ったんだね。。私にとっては、今年は変化の年でした。長年勤めた、音楽教室を第3子妊娠にともない退職。小さくても、自分の音楽教室を盛り上げていこう、と決意した(できた)年。3人の子供に恵まれるなんて、学生時代は思いもよらなかったなぁ。そして、その上のちいさな2人の子達は、私をリトミックという新しい世界にも導いてくれたし。嬉しいことに!!、その世界が思いのほか、楽しかった!
その新たな発見が、私の中でのピアノという楽器の存在を、音楽の可能性をさらに大きくしてくれました。

 気持ちに任せて自由に弾いていいんだ♪と、即興演奏のときに気づいたときの楽になった気持ち、安心感。
この気持ちがある限り、仕事も子育てもがんばっていけるだろう、と確信したときに授かった命。(この頃は、お腹の中でもしょっちゅう暴れまくっていて、痛いくらいだけど…)なんだか、私としては不思議なめぐり合わせに感じております。

 ビデオカメラ、足に落として、もがいてる場合じゃないね(笑)。
いつか、学生時代のみんなとまた一緒の舞台に立てたら、演奏できたら嬉しいな。腕を磨いておかなくちゃ
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あたたかい言葉。

2006年04月21日 | 私の足跡…
 私のはじめてのピアノの発表会は、もうずいぶん昔の事だけれど、その時に思った事、舞台に出る前の緊張感、弾き始めた時のかぁっと熱くなった瞬間、今でもきっちり思い出せる。
でも、それが、上手に弾けたのかどうだったかはよく覚えていない。恐らく、そんな事を気にかける余裕なんかはなかったのでしょう。ただ、その時見に来てくれていた私のおばあちゃんが、私が弾き終わってからかけてくれた言葉は、声のトーンまでも完璧に思い出せるのだ。

「とてもじょうずだったねぇ。おばあちゃんも知ってる曲だったよ。」と。

その後のレッスンで先生からなんと言われたかは覚えてないし、両親からも何を言われたかは思い出せない。でも、おばあちゃんがにこにこと嬉しそうに言ってくれた言葉は、はっきり覚えているし、(2曲弾いたうちの1曲がローレライという曲だった)おばあちゃんも知っている曲だった!
というのがきっと嬉しかったのだ。それで私は、「はじめての発表会は上出来♪、次もがんばろう」と幼な心にも大満足のうちに終わったのです。

 さて、発表会のDVDができあがってきました。遠くに住んでて見にいらっしゃれなかったおばあちゃんや、おじいちゃん、そして、お友達にもぜひ見せてあげてください。ふだん、会えない親しい誰かからのあったか~い言葉は、やっぱり身にしみるもの。誉めてもらうと嬉しいもんです。

 土曜日クラスのみんなも、明日はミニコンサート。がんばって弾き終わった時、おうちの方からどんな言葉、掛けてもらえるのかな?がんばろうね。
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