「第14回女性作家を読む研究会」の報告
日時 2011年3月6日(日)13時から16時半
場所 慶應義塾大学・日吉キャンパス・来往舎会議室
研究発表
-13:00-14:30
「ルイーズ・ド・ヴィルモラン『サント・ユンヌフォワ』を読む ― グラースもしくはルイーズの世界」吉川佳英子
-14:45-16:15
「マルグリット・デュラスの『苦悩』について」佐藤浩子
<発表のレジュメ>
「ルイーズ・ド・ヴィルモラン『サント・ユンヌフォワ』を読む ― グラースもしくはルイーズの世界」
吉川氏は、サガン、プルースト、コレットと同世代の知られざる女性作家ルイーズ・ド・ヴィルモランを取り上げてその生涯を紹介された後、小説『サント・ユンヌフォワ』を分析し綿密な考察を展開された(テキストは研究会がこれまで継続的に取り上げてきたMartine Reid編纂のガリマールのフォリオ版、2ユーロシリーズ)。ルイーズ・ド・ヴィルモランの生涯において特徴的なことは、マルロー、コクトー、サン=テグジュベリ、オーソン・ウエルズ、ユゴーの甥といった蒼々たる文学者が登場することである。1930年代のコクトーを支えたのはルイーズであった。二十代でマルローと短い関係をもった彼女は、六十代になって彼との関係に自らの生を投じ、政界を離れた67歳のマルローが1969年に心臓発作で他界するまで彼の面倒をみたのであった。ルイーズ・ド・ヴィルモランが描く小説世界は「雅やかで格調高い文体」が漲り、「幻想性に満ちた物語性」に溢れ「諧謔と詩情」をも併せもつ。愛されたいと願いながら真に愛されることも愛すこともできず、苦悩と自嘲の果てに死を選ぶヒロインのノートに「終わり」と記すのは「透明人間」である。『サント・ユンヌフォワ』は男女の複雑な恋愛関係を主要テーマとする作品だが、そこにはリアリズムを消したい作者の強い意志が読み取られる。ヴィルモランは上流階級社会のアンニュイをシュールレアリスム的な詩人の筆捌きで軽妙洒脱に活写する。コクトーやサン=テグジュベリが彼女を敬愛した所以である。吉川氏はまた、ジョルジュ・サンドに共通する流麗な文体とロマン主義的な作風が、作品を特徴づけていることを指摘された。それはサガンの小説の甘美な苦さに通じるものでもあるが、ルイーズ・ド・ヴィルモランが描くのは虚無感というより沈潜した悲しさ、はかなげな感触や死を含む芸術的な要素なのである。
吉川氏の発表は、全体的に馥郁たる文学の香りが漂い、文体論の視点を踏まえた内容の深いものであった。人柄と美貌、知性と才能に恵まれた女性作家ルイーズ・ド・ヴィルモランの華やかな生涯と創造性に富む作品を鮮やかに蘇らせた氏の発表の後、小説の題名や他の女性作家との比較に関し活発な質疑応答が交わされた。
「マルグリット・デュラスの『苦悩』について」
佐藤氏の発表は、マルグリット・デュラスの作品『苦悩』(La Douleur,P.O.L, 1985)に焦点を中て、まず、演劇化され日本で公演されたパトリス・シェロー演出の『苦悩』について紹介された後、この作品の生成過程および『戦争ノート』との緊密な関係性について詳述された。デユラスは、戦中戦後に執筆し『戦争ノート』と標題を付した4冊のノートを残したが、『苦悩』の草稿はこの中の「二十世紀のプレスノート」と「百ページノート」に含まれていた。これらの未公開の著作がIMEC(現代文書資料研究所)に委託されていたという未知の事実もまた、本発表により明らかにされた。1945年以降に書き始められた日記形式の『苦悩』は、強制収容所に収容された夫を待つデュラスの懊悩を描いたものであり、帰還した夫の身体的心理的苦しみを内面化する彼女自身の過去が投影された「苦悩」そのものでもあった。
デュラスが当初『戦争』というタイトルにすることを望んだこの作品には、女性作家の目を通して浮かび上がる戦争と「時代の過酷」が刻印されている。帰還した夫が、数日間というもの、肉を押し絞った肉汁しか口にできない重苦しい現実をデュラスは描く。また、交差する男女の愛、恐怖と狂気の入り交じった三角関係が、デュラス独特の、うっすらと叙情性を湛えている抑制の利いた文体から滲み出てくる。1976年にXavière Gauthier主幹の女性誌『ソルシエール(魔女)』にその一部が匿名で掲載され、その後、1981年に『アウトサイド』に再録された『苦悩』は、1985年、P.O.L社から出版され、遂に日の目を見たのだった。長年のデュラス研究者でおられる佐藤氏は、以上のような作品に纏わる経緯のほか、作家独自の私的体験と作品世界が連動し展開してゆくデュラスの重層的な世界を丹念に分析され、作家の知られざる側面を詳らかにされた。本発表ではIMEC(現代文書資料研究所)の存在やEcole NormaleのITEMを巡る情報交換がなされた他、発表の後は多くの質問が寄せられた。
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研究会の後は「ひよ裏」の感じのよい喫茶店にて歓談会を開き、楽しく和やかなひとときを過ごしました。
(西尾治子)
日時 2011年3月6日(日)13時から16時半
場所 慶應義塾大学・日吉キャンパス・来往舎会議室
研究発表
-13:00-14:30
「ルイーズ・ド・ヴィルモラン『サント・ユンヌフォワ』を読む ― グラースもしくはルイーズの世界」吉川佳英子
-14:45-16:15
「マルグリット・デュラスの『苦悩』について」佐藤浩子
<発表のレジュメ>
「ルイーズ・ド・ヴィルモラン『サント・ユンヌフォワ』を読む ― グラースもしくはルイーズの世界」
吉川氏は、サガン、プルースト、コレットと同世代の知られざる女性作家ルイーズ・ド・ヴィルモランを取り上げてその生涯を紹介された後、小説『サント・ユンヌフォワ』を分析し綿密な考察を展開された(テキストは研究会がこれまで継続的に取り上げてきたMartine Reid編纂のガリマールのフォリオ版、2ユーロシリーズ)。ルイーズ・ド・ヴィルモランの生涯において特徴的なことは、マルロー、コクトー、サン=テグジュベリ、オーソン・ウエルズ、ユゴーの甥といった蒼々たる文学者が登場することである。1930年代のコクトーを支えたのはルイーズであった。二十代でマルローと短い関係をもった彼女は、六十代になって彼との関係に自らの生を投じ、政界を離れた67歳のマルローが1969年に心臓発作で他界するまで彼の面倒をみたのであった。ルイーズ・ド・ヴィルモランが描く小説世界は「雅やかで格調高い文体」が漲り、「幻想性に満ちた物語性」に溢れ「諧謔と詩情」をも併せもつ。愛されたいと願いながら真に愛されることも愛すこともできず、苦悩と自嘲の果てに死を選ぶヒロインのノートに「終わり」と記すのは「透明人間」である。『サント・ユンヌフォワ』は男女の複雑な恋愛関係を主要テーマとする作品だが、そこにはリアリズムを消したい作者の強い意志が読み取られる。ヴィルモランは上流階級社会のアンニュイをシュールレアリスム的な詩人の筆捌きで軽妙洒脱に活写する。コクトーやサン=テグジュベリが彼女を敬愛した所以である。吉川氏はまた、ジョルジュ・サンドに共通する流麗な文体とロマン主義的な作風が、作品を特徴づけていることを指摘された。それはサガンの小説の甘美な苦さに通じるものでもあるが、ルイーズ・ド・ヴィルモランが描くのは虚無感というより沈潜した悲しさ、はかなげな感触や死を含む芸術的な要素なのである。
吉川氏の発表は、全体的に馥郁たる文学の香りが漂い、文体論の視点を踏まえた内容の深いものであった。人柄と美貌、知性と才能に恵まれた女性作家ルイーズ・ド・ヴィルモランの華やかな生涯と創造性に富む作品を鮮やかに蘇らせた氏の発表の後、小説の題名や他の女性作家との比較に関し活発な質疑応答が交わされた。
「マルグリット・デュラスの『苦悩』について」
佐藤氏の発表は、マルグリット・デュラスの作品『苦悩』(La Douleur,P.O.L, 1985)に焦点を中て、まず、演劇化され日本で公演されたパトリス・シェロー演出の『苦悩』について紹介された後、この作品の生成過程および『戦争ノート』との緊密な関係性について詳述された。デユラスは、戦中戦後に執筆し『戦争ノート』と標題を付した4冊のノートを残したが、『苦悩』の草稿はこの中の「二十世紀のプレスノート」と「百ページノート」に含まれていた。これらの未公開の著作がIMEC(現代文書資料研究所)に委託されていたという未知の事実もまた、本発表により明らかにされた。1945年以降に書き始められた日記形式の『苦悩』は、強制収容所に収容された夫を待つデュラスの懊悩を描いたものであり、帰還した夫の身体的心理的苦しみを内面化する彼女自身の過去が投影された「苦悩」そのものでもあった。
デュラスが当初『戦争』というタイトルにすることを望んだこの作品には、女性作家の目を通して浮かび上がる戦争と「時代の過酷」が刻印されている。帰還した夫が、数日間というもの、肉を押し絞った肉汁しか口にできない重苦しい現実をデュラスは描く。また、交差する男女の愛、恐怖と狂気の入り交じった三角関係が、デュラス独特の、うっすらと叙情性を湛えている抑制の利いた文体から滲み出てくる。1976年にXavière Gauthier主幹の女性誌『ソルシエール(魔女)』にその一部が匿名で掲載され、その後、1981年に『アウトサイド』に再録された『苦悩』は、1985年、P.O.L社から出版され、遂に日の目を見たのだった。長年のデュラス研究者でおられる佐藤氏は、以上のような作品に纏わる経緯のほか、作家独自の私的体験と作品世界が連動し展開してゆくデュラスの重層的な世界を丹念に分析され、作家の知られざる側面を詳らかにされた。本発表ではIMEC(現代文書資料研究所)の存在やEcole NormaleのITEMを巡る情報交換がなされた他、発表の後は多くの質問が寄せられた。
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研究会の後は「ひよ裏」の感じのよい喫茶店にて歓談会を開き、楽しく和やかなひとときを過ごしました。
(西尾治子)