「障害者は不幸を作ることしかできない」とは、相模原市の障害者殺傷事件の被告の口から放たれた言葉です。
「それは間違いである、とんでもない」と反論するのは簡単です。
しかし現在の日本社会で、障害を負って生きている人たち、その周囲の人たちが幸せに暮らせているかと問われると、そうとは言えない現実があると思います。
この番組は、生後間もなく障害を負った亜由未という名の妹にはじめて向き合おうとした兄(坂川裕野さん)の30日の記録です。
ほとんど介護の経験のない兄が四苦八苦し、徐々に妹の気持ちを、そして父親・母親・亜由未さんの双子の妹である由里歌さんの気持ちを理解していくさまが描かれています。
夜昼なく働きづめだった父親は、亜由未さんの介護のために、仕事量を減らせる部署に希望して移動しました。
裕野さんが父親にどんな気持ちだったか聞きました;
「同じ部署の社員に迷惑をかけることがつらかった、でも“介護”という仕事はこれからの日本では無視できないことであり、会社も“介護”しやすい労働環境に変化していく必要もあると考え、この選択をした」
自分の仕事を追求できない無念さもあっただろうに、そのことには全く触れませんでした。
「亜由美が何かできるようになったから、笑ったからうれしいという喜びは望めないけど、ただ一緒にいるだけで幸せなんだ」
双子の妹の由里歌さんは群馬大学医学部の学生さんでした。
障害者の姉に母親を取られてしまったという子ども時代のつらさと、姉の主治医になりたいという夢と、将来もし自分が介護をしなければならない立場になったときはどうしよう、という思いが交錯した複雑な心境に悩む姿。
それを如実に表現した文章を見つけました。2011年度高校生福祉文化賞エッセイコンテスト入賞作品;
「好きという言葉以上に」 東京都立戸山高等学校 3年 坂川 由里歌
私の姉は重い障がいを持つ。自分では寝返りもできないし、言葉によるコミュニケーションもとれない。
私は長い間この姉が嫌いだった。
幼い頃は、母を独占している姉が妬ましく、許せなかった。「お姉ちゃんみたいに抱っこして。」と言っても「あなたは歩けるでしょう。」と返されると、口をつぐむしかなかった。
思春期の頃は、ヘルパーさんが出入りする家にくつろげなかった。食事中も頻繁に嘔吐し下痢をする、姉のその臭いにもいらだった。
でも一番嫌いなのは自分自身だった。
姉は何も悪くない。痛みにうずくまることもできなければ、時に呼吸すら自力ではできなくなる、そうした過酷な状況を恨みも嘆きもしない。それどころかいつもニコニコしている。そんな姉に比べ、自分はなんて醜いのだろう。
黒いモヤモヤした思いに耐えられなくなり、ある日母に打ち明けた。母は言った。
「あなたはお姉ちゃんが嫌いなんじゃない。寂しい思いや我慢することばかりだった、そのことが辛かっただけ。ごめんね。たとえ歩けたとしても、あなたも抱っこしてあげればよかった。…今、抱っこしてもいい?」
いつだったか私が母に叱られた時傍にいた姉が号泣し、びっくりして母と顔を見合わせたことを思い出した。姉は私のために泣いてくれた。そして私のおしゃべりに耳をすまし、私が笑うと笑った。私もそんな姉を見ると嬉しかった。私たちは一緒に生きてきた。好きという言葉以前に。好きという言葉以上に。
母と話して黒いモヤモヤがスーと晴れた。
障がいを持つ家族がいることで、家族も少なからず障がいを負う。そしてその障がいを乗り越える力をくれるのもまた家族なのだと思う。
でも家族の力だけでは限界がある。だから私は将来、姉や私や私の家族のような人を、支える仕事につきたい。それが、私がこの家族に出会えた幸運に報いる道だと思うから。
そして母親。
母親は、亜由未さんの兄弟に彼女の世話をさせることを極力避けてきました。
兄弟の人生に影を作ってはいけないという親心から。
しかし母親は大病を患い、年も50歳半ばを越え、「自分だけでは亜由美の介護は終わらないのではないか」という限界と不安を感じ、自宅を改造して介護施設を作ることを模索しはじめていました。
由里歌さんとの電話の会話にその思いが集約していました。
「医者になったら大学のある群馬県で働くのではなく近くに戻ってきて欲しい」
と願う母に対して由里歌さんは、
「検討するけど約束はできない」
と返答。
「あなたがイヤといえばすがりたくなる、あなたがいいといえばかわいそうになる」
「親のエゴと、あなたを自由にさせてあげたいという気持ちが両方あって、もうわけがわからない」
追い詰められ、泣き崩れる母親の言葉。
これらの家族の思いを知り、受け止めて理解し合うことで家族の絆が強くなりました。
大変なことはたくさんあるけど、「ただ一緒にいる幸せ」に裕野さんは気づいたのでした。
相模原市の障害者殺傷事件の被告がこの番組を見たら、考えが変わったかもしれない。
自分が年老いて死んだら、この子はどうなるんだろう?
という不安は、障がい児のみならず、病気を抱えた子どもを持つ親に共通するものです。
しかし今の日本は寛容さに欠けています。
発達障害児、精神病者、寝たきりの高齢者、認知症患者・・・他人による介護を必要とする人たちがみな幸せに過ごせているとは思えません。
昨今話題になる「保育園建設反対」は、健康な子どもさえも排除されてしまう悲しい現実を突きつけるものです。
どうしたらよいのでしょう。
「亜由未が教えてくれたこと〜障害者の妹を撮る〜」
2017.9.27:NHKスペシャル
<番組内容>
19人の命が奪われた相模原市の障害者殺傷事件を起こした植松被告が語った言葉「障害者は不幸を作ることしかできない」。僕・NHK青森のディレクター坂川裕野(26)は、この言葉が心に突き刺さっていた。
3歳年下の妹、亜由未(23)は、事件の犠牲者と同じ重度の障害者。20年以上亜由未と暮らしてきて、僕は不幸だと感じたことはなかった。しかし、小さい頃から介助や世話は親任せ。そんな自分が、障害者の家族は幸せだと胸を張って言えるのか。
両親に相談し、介助をしながら亜由未を1か月にわたり撮影することにした。ところが、亜由未は、両親やヘルパーさんには幸せそうに笑顔を見せるのに、僕には不機嫌な顔で警戒心を解いてくれない。介助の大変さばかり感じ焦る毎日が続いた。
そんなある日、両親から「結果的に笑顔だったのと、笑顔を求めるのは違う。障害者は幸せじゃないと生きる価値がないと言っている植松被告と同じ考えになってしまう」と戒められた。
番組は、ほとんど言葉を発することができない妹を理解しようともがく兄のディレクターの姿を通じて、障害者を育てる家族の本音、大変なのと不幸は違うということ、そして共に生きる幸せとは何かを伝える。
★ この番組が本になっていました;
□ 「亜由未が教えてくれたこと―〝障害を生きる〟妹と家族の8800日」(2018/7/12:NHK出版)
<参考>
□ 「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー
※ 坂川智恵さんは亜由未さんの母親です。
第1回:「障害者の家族は不幸」という言葉
・犯人の植松容疑者は、「障害者の家族は不幸だ」と言ったわけですが、それに対して、「いや、私たちは不幸じゃありません」なんて言い返すよりも、「不幸な人間は殺されなければならないのですか? 生きるのが許されるのは幸福な人間だけですか?」という根本的なことを問いたいのです。
・(障がい者に)笑顔ばかり求められたらしんどいと思います。
・「私が笑わなくなると、みんな去っていくのではないか」、そう思って、いつも笑っていたというのです。
第2回:地域の人々と交わるスペースを創る
・重症心身障害児者に起こる入所時重篤反応を知りました。入所が引き金で筋緊張の亢進や発熱、不眠、摂食困難などが起こって、急速に消耗し、最悪の場合は死に至るという反応です。
第3回:重い障害があっても地域で暮らす理由
・まず私たち皆、「当たり前」に施設ではなく地域で暮らしているのですから、障害者も地域で暮らすのが「当たり前」であり、施設はオプションであると、そこはおさえておきたい。自分自身に置き換えてみればわかると思います。例えば、私は病院に何年も入院していたいとは思いません。病気であっても、一刻も早く、自分の匂いのする家に戻りたいし、町で暮らしたい。障害者だって同じだと思います。亜由未のように言葉で意思表示できない障害者の場合、どうしても家族や周囲の人の意向でことが進んでしまいますけど、もしも、亜由未が話せたらなんて言うだろうかということを、まずは本人と一緒にみんなで考える。
第4回:一緒にいることがスタートでありゴール
・「障害者の家族は不幸だ」。相模原障害者施設殺傷事件の植松容疑者が残した呪詛の言葉に対して坂川智恵さんは、「不幸で何がいけない」と言います。息子さんの坂川ディレクターが亜由未さんを笑顔にしょうとすれば、「結果として笑顔になるのと、笑顔を求めるのとは違う」とたしなめます。子どもたちに介助をさせなかったのは、「身内の世話を運命のように背負い込んでほしくなかったからだ」と振り返ります。そして、重症心身障害者も地域で暮らすべきだとするのは、「本人の目線を大切にするためだ」と言います。
坂川さんは一貫して個人の人生を尊重する人でした。重い障害があっても、施設ではなく、地域で暮らすべきだと強く主張しますが、施設に子どもさんを預ける家族に対して批判めいたことは何もおっしゃりませんでした。むしろ、そのような家族の助けとなるような活動もしていきたいと話します。批判をしているのはシステムや制度に対してであって、一人ひとりの個人のあり様についてではないと言います。
坂川さんにとって、地域とは場所ではなく、人と人とのかかわりのことです。コミュニティスペース「あゆちゃんち」を通じて、さまざまな人が行き交い、亜由未さんとかかわっていきます。触れ合いや体験を通じて、成長するのは亜由未さんだけではありません。周囲の人たちも確実に変化していきます。「障害者の家族は不幸だ」と植松容疑者は言いましたが、幸・不幸を超えたところに一人ひとりの人生があるのだと思いました。
「それは間違いである、とんでもない」と反論するのは簡単です。
しかし現在の日本社会で、障害を負って生きている人たち、その周囲の人たちが幸せに暮らせているかと問われると、そうとは言えない現実があると思います。
この番組は、生後間もなく障害を負った亜由未という名の妹にはじめて向き合おうとした兄(坂川裕野さん)の30日の記録です。
ほとんど介護の経験のない兄が四苦八苦し、徐々に妹の気持ちを、そして父親・母親・亜由未さんの双子の妹である由里歌さんの気持ちを理解していくさまが描かれています。
夜昼なく働きづめだった父親は、亜由未さんの介護のために、仕事量を減らせる部署に希望して移動しました。
裕野さんが父親にどんな気持ちだったか聞きました;
「同じ部署の社員に迷惑をかけることがつらかった、でも“介護”という仕事はこれからの日本では無視できないことであり、会社も“介護”しやすい労働環境に変化していく必要もあると考え、この選択をした」
自分の仕事を追求できない無念さもあっただろうに、そのことには全く触れませんでした。
「亜由美が何かできるようになったから、笑ったからうれしいという喜びは望めないけど、ただ一緒にいるだけで幸せなんだ」
双子の妹の由里歌さんは群馬大学医学部の学生さんでした。
障害者の姉に母親を取られてしまったという子ども時代のつらさと、姉の主治医になりたいという夢と、将来もし自分が介護をしなければならない立場になったときはどうしよう、という思いが交錯した複雑な心境に悩む姿。
それを如実に表現した文章を見つけました。2011年度高校生福祉文化賞エッセイコンテスト入賞作品;
「好きという言葉以上に」 東京都立戸山高等学校 3年 坂川 由里歌
私の姉は重い障がいを持つ。自分では寝返りもできないし、言葉によるコミュニケーションもとれない。
私は長い間この姉が嫌いだった。
幼い頃は、母を独占している姉が妬ましく、許せなかった。「お姉ちゃんみたいに抱っこして。」と言っても「あなたは歩けるでしょう。」と返されると、口をつぐむしかなかった。
思春期の頃は、ヘルパーさんが出入りする家にくつろげなかった。食事中も頻繁に嘔吐し下痢をする、姉のその臭いにもいらだった。
でも一番嫌いなのは自分自身だった。
姉は何も悪くない。痛みにうずくまることもできなければ、時に呼吸すら自力ではできなくなる、そうした過酷な状況を恨みも嘆きもしない。それどころかいつもニコニコしている。そんな姉に比べ、自分はなんて醜いのだろう。
黒いモヤモヤした思いに耐えられなくなり、ある日母に打ち明けた。母は言った。
「あなたはお姉ちゃんが嫌いなんじゃない。寂しい思いや我慢することばかりだった、そのことが辛かっただけ。ごめんね。たとえ歩けたとしても、あなたも抱っこしてあげればよかった。…今、抱っこしてもいい?」
いつだったか私が母に叱られた時傍にいた姉が号泣し、びっくりして母と顔を見合わせたことを思い出した。姉は私のために泣いてくれた。そして私のおしゃべりに耳をすまし、私が笑うと笑った。私もそんな姉を見ると嬉しかった。私たちは一緒に生きてきた。好きという言葉以前に。好きという言葉以上に。
母と話して黒いモヤモヤがスーと晴れた。
障がいを持つ家族がいることで、家族も少なからず障がいを負う。そしてその障がいを乗り越える力をくれるのもまた家族なのだと思う。
でも家族の力だけでは限界がある。だから私は将来、姉や私や私の家族のような人を、支える仕事につきたい。それが、私がこの家族に出会えた幸運に報いる道だと思うから。
そして母親。
母親は、亜由未さんの兄弟に彼女の世話をさせることを極力避けてきました。
兄弟の人生に影を作ってはいけないという親心から。
しかし母親は大病を患い、年も50歳半ばを越え、「自分だけでは亜由美の介護は終わらないのではないか」という限界と不安を感じ、自宅を改造して介護施設を作ることを模索しはじめていました。
由里歌さんとの電話の会話にその思いが集約していました。
「医者になったら大学のある群馬県で働くのではなく近くに戻ってきて欲しい」
と願う母に対して由里歌さんは、
「検討するけど約束はできない」
と返答。
「あなたがイヤといえばすがりたくなる、あなたがいいといえばかわいそうになる」
「親のエゴと、あなたを自由にさせてあげたいという気持ちが両方あって、もうわけがわからない」
追い詰められ、泣き崩れる母親の言葉。
これらの家族の思いを知り、受け止めて理解し合うことで家族の絆が強くなりました。
大変なことはたくさんあるけど、「ただ一緒にいる幸せ」に裕野さんは気づいたのでした。
相模原市の障害者殺傷事件の被告がこの番組を見たら、考えが変わったかもしれない。
自分が年老いて死んだら、この子はどうなるんだろう?
という不安は、障がい児のみならず、病気を抱えた子どもを持つ親に共通するものです。
しかし今の日本は寛容さに欠けています。
発達障害児、精神病者、寝たきりの高齢者、認知症患者・・・他人による介護を必要とする人たちがみな幸せに過ごせているとは思えません。
昨今話題になる「保育園建設反対」は、健康な子どもさえも排除されてしまう悲しい現実を突きつけるものです。
どうしたらよいのでしょう。
「亜由未が教えてくれたこと〜障害者の妹を撮る〜」
2017.9.27:NHKスペシャル
<番組内容>
19人の命が奪われた相模原市の障害者殺傷事件を起こした植松被告が語った言葉「障害者は不幸を作ることしかできない」。僕・NHK青森のディレクター坂川裕野(26)は、この言葉が心に突き刺さっていた。
3歳年下の妹、亜由未(23)は、事件の犠牲者と同じ重度の障害者。20年以上亜由未と暮らしてきて、僕は不幸だと感じたことはなかった。しかし、小さい頃から介助や世話は親任せ。そんな自分が、障害者の家族は幸せだと胸を張って言えるのか。
両親に相談し、介助をしながら亜由未を1か月にわたり撮影することにした。ところが、亜由未は、両親やヘルパーさんには幸せそうに笑顔を見せるのに、僕には不機嫌な顔で警戒心を解いてくれない。介助の大変さばかり感じ焦る毎日が続いた。
そんなある日、両親から「結果的に笑顔だったのと、笑顔を求めるのは違う。障害者は幸せじゃないと生きる価値がないと言っている植松被告と同じ考えになってしまう」と戒められた。
番組は、ほとんど言葉を発することができない妹を理解しようともがく兄のディレクターの姿を通じて、障害者を育てる家族の本音、大変なのと不幸は違うということ、そして共に生きる幸せとは何かを伝える。
★ この番組が本になっていました;
□ 「亜由未が教えてくれたこと―〝障害を生きる〟妹と家族の8800日」(2018/7/12:NHK出版)
<参考>
□ 「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー
※ 坂川智恵さんは亜由未さんの母親です。
第1回:「障害者の家族は不幸」という言葉
・犯人の植松容疑者は、「障害者の家族は不幸だ」と言ったわけですが、それに対して、「いや、私たちは不幸じゃありません」なんて言い返すよりも、「不幸な人間は殺されなければならないのですか? 生きるのが許されるのは幸福な人間だけですか?」という根本的なことを問いたいのです。
・(障がい者に)笑顔ばかり求められたらしんどいと思います。
・「私が笑わなくなると、みんな去っていくのではないか」、そう思って、いつも笑っていたというのです。
第2回:地域の人々と交わるスペースを創る
・重症心身障害児者に起こる入所時重篤反応を知りました。入所が引き金で筋緊張の亢進や発熱、不眠、摂食困難などが起こって、急速に消耗し、最悪の場合は死に至るという反応です。
第3回:重い障害があっても地域で暮らす理由
・まず私たち皆、「当たり前」に施設ではなく地域で暮らしているのですから、障害者も地域で暮らすのが「当たり前」であり、施設はオプションであると、そこはおさえておきたい。自分自身に置き換えてみればわかると思います。例えば、私は病院に何年も入院していたいとは思いません。病気であっても、一刻も早く、自分の匂いのする家に戻りたいし、町で暮らしたい。障害者だって同じだと思います。亜由未のように言葉で意思表示できない障害者の場合、どうしても家族や周囲の人の意向でことが進んでしまいますけど、もしも、亜由未が話せたらなんて言うだろうかということを、まずは本人と一緒にみんなで考える。
第4回:一緒にいることがスタートでありゴール
・「障害者の家族は不幸だ」。相模原障害者施設殺傷事件の植松容疑者が残した呪詛の言葉に対して坂川智恵さんは、「不幸で何がいけない」と言います。息子さんの坂川ディレクターが亜由未さんを笑顔にしょうとすれば、「結果として笑顔になるのと、笑顔を求めるのとは違う」とたしなめます。子どもたちに介助をさせなかったのは、「身内の世話を運命のように背負い込んでほしくなかったからだ」と振り返ります。そして、重症心身障害者も地域で暮らすべきだとするのは、「本人の目線を大切にするためだ」と言います。
坂川さんは一貫して個人の人生を尊重する人でした。重い障害があっても、施設ではなく、地域で暮らすべきだと強く主張しますが、施設に子どもさんを預ける家族に対して批判めいたことは何もおっしゃりませんでした。むしろ、そのような家族の助けとなるような活動もしていきたいと話します。批判をしているのはシステムや制度に対してであって、一人ひとりの個人のあり様についてではないと言います。
坂川さんにとって、地域とは場所ではなく、人と人とのかかわりのことです。コミュニティスペース「あゆちゃんち」を通じて、さまざまな人が行き交い、亜由未さんとかかわっていきます。触れ合いや体験を通じて、成長するのは亜由未さんだけではありません。周囲の人たちも確実に変化していきます。「障害者の家族は不幸だ」と植松容疑者は言いましたが、幸・不幸を超えたところに一人ひとりの人生があるのだと思いました。