“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

「アルプスの少女ハイジ」は大人達の再生物語だった。

2019年06月29日 16時54分00秒 | 育児
2019年6月の「100分de名著」のテーマは「アルプスの少女ハイジ」でした。

日本では誰でも知っている、テレビアニメで有名になった物語ですね。
私は大学受験時代に、平日午後に再放送されているのを楽しみに見ていた記憶があります。

さて、アニメでの主人公は、ハイジとクララ。
クライマックスは、車いす生活のクララが歩けるようになった瞬間・・・
と思っている方が多いと思われます(私を含めて)。

しかし番組で紹介された原作の内容は少々異なります。

まず、アルムの森とフランクフルトでの生活のバランス。
アニメでは自然賛歌というイメージですが、
原作ではフランクフルトの生活にも大きな意味を持たせています。
ハイジはフランクフルトでお金の使い方と教養(字を読めること)を苦労して身につけたのです。
そのことが、山に戻ってからの生活に潤いと豊かさを与えたのでした。

それから、アニメでは扱われなかった大人達の再生物語。
登場人物の大人達は、過去に心に傷を負っています。

アルムのおじいさんは、農場主の長男だったけど散在して逃げ出し、イタリアで傭兵になり、
しかしそこをも追い出されて山に戻ってきた過去があります。
噂では「人を殴り殺したので逃げてきた」と。
故郷の村人は彼を受け入れず、彼は仕方なく山に引きこもり状態で生きていくことになりました。

そこに天真爛漫なハイジが飛び込んできました。
忘れていた優しい心を思い出し、彼女の世話をするようになったおじいさん。
ハイジがフランクフルトに連れて行かれ落胆しましたが、数年後に戻ってきた彼女からキリスト教の一説を聞かされ、
罪深い自分でも宗教と人々を受け入れることにより、心穏やかな生活ができることを見出したのでした。

そしてかくれた主人公が、クララの主治医クラッセン先生。
彼はフランクフルト時代のハイジがホームシックで夢遊病状態になっていることを見抜き、
アルムの森にすぐ返すようゼーゼマン氏(クララの父親)に進言した人物です。
彼はアニメでは登場機会が少ないのですが、原作ではキーマンとして描かれています。
彼は妻を亡くし、最愛の娘も亡くした孤独な老人なのでした。

その彼が、アルムの山に戻ったハイジと再会しました。
ハイジの口から賛美歌を聴いた彼は、同じ賛美歌を母親から聴かされた子ども時代を思い出し、生きる元気をもらったのです。

というわけで、一見、ハイジの成長物語ですが、その周辺では傷ついた大人達の再生物語という面も持った、深〜いお話なのでした。

原作者のヨハンナ・スピリはふつうの主婦で、その文才に気づいた友人から「何か書いてみたら?」と進められて書いたのがハイジの物語第一部です。
第一部では、クララはまだ山に行っていません。
当初、匿名で発表されたそうです。
評判を呼び、第二部を実名で発表したという経緯です。

昔の小説には、このような「成長物語」的なものが少なくありません。
周囲の大人達をも巻き込み、時代を反映する記録的な要素もあると思います。

ハイジの物語が発表された時代のスイスは豊かな国とは言えず、家督を継ぐ長男以外の男子は、外国の傭兵となり家にお金を送るということがふつうだったそうです。


番組内容
 1974年に日本でアニメーション化され、今なお圧倒的な人気を誇る「アルプスの少女ハイジ」。スイスの作家、ヨハンナ・シュピリ(1827 – 1901)が1880年に執筆した児童文学の傑作ですが、日本ではアニメ作品があまりにも有名であるが故に、原作に触れる機会が著しく少ないといわれています。ところが、原作には、かつて傭兵として殺人も犯したことがあるおじいさんの心の闇、成長したハイジが発する宗教的ともいえる奥深い思想、クララの医師クラッセンの深い喪失体験と再生など、アニメ作品では割愛された、優れて文学的な要素がたくさん盛り込まれています。そこで、「100分de名著」では、瑞々しい人物描写、生き生きとした心理描写を通して「人間の生き方」や「心のあり方」を見事に描き出したこの作品から、大人をもうならせる奥深いテーマを読み解いていきます。

 孤児となり叔母デーテに育てられたハイジは、やっかいばらいのようにしてアルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元へあずけられます。暗い過去をもち人間嫌いとなり果てていたおじいさんは、当初こそ心を閉ざしていましたが、天真爛漫に明るさをふりまくハイジに魅了され心をほどいていきます。しかし蜜月は長くは続きませんでした。デーテの身勝手によってハイジはフランクフルトに連れ去られ、おじいさんから引き離されてしまいます。足の不自由な良家の少女クララ・ゼーゼマンの話し相手を申しつかるハイジは、彼女と友情を育んでいきますが、執事ロッテンマイヤーの厳しい躾やアルムの大自然とはかけ離れた過酷な都市の環境は、やがてハイジを心の病へと追い込んでいきます。果たしてハイジの運命は?

 近年「アルプスの少女ハイジ」の新訳に取り組んできたドイツ文学者の松永美穂さんは、この作品が巷間いわれているような単なる「児童文学」ではなく、深い思想的な背景をもった、人生への洞察を読み取ることができる、大人にも読んでほしい作品だといいます。人は「心の闇」とどう向き合っていけばよいのか、人間にとって本当の豊かさとは何か、真の家族のあり方とはどんなものなのか……といった人間誰しもがぶつかる問題を、あらためて深く考えさせてくれるのがこの作品なのです。松永さんにシュピリの名著「アルプスの少女ハイジ」を新しい視点から読み解いてもらい、「文明と自然は和解することができるのか」「人はどうしたら幸福になれるか」といった普遍的な問題を考えていきます。

【指南役】松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】安達祐実(俳優)
【語り】目黒泉

第1回 山の上に住む幸せ
 心の中に深い闇を抱え、アルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元にあずけられることになったハイジ。最初は心を閉ざしていたおじいさんだったが、ハイジの天真爛漫さに触れ少しずつ心をほどいていく。ハイジ自身も大自然の中で、瑞々しい感受性を育んでいく。その成長物語には、「子どもの眼を失ってしまった大人たち」に対するメッセージとして、子どもがもつ豊かな可能性やそれを育む大自然の豊かさを訴えるシュピリの深い思想性がうかがえる。第一回は、作者ヨハンナ・シュピリの人となりや思想性なども交えながら、私たち大人が見失いがちな「子どもの眼」をもつことの豊かさや可能性を考えていく。

第2回 試練が人にもたらすもの
 山で幸せに暮らしていたハイジだが、叔母デーテの身勝手さからフランクフルトに連れ去られてしまう。ハイジを待っていたのは足が不自由なお金持ちの娘クララ。病弱な彼女のよき友人となるよう申しつけられるハイジだったが、執事の厳しい躾や都市の過酷な環境は、豊かな心をもったハイジをがんじがらめにし、追い詰めていく。その一方でハイジはクララのおばあさんに文字や文化の素晴らしさを教えてもらう。ハイジは、都市文明から、厳しい抑圧と新たな豊かさという二つの影響を被る。そこには文明と自然がもつ光と影を見つめぬいたシュピリの深い思索が反映している。第二回は、ハイジが直面した試練が彼女に何をもたらしたかを読み解き、人間にとって本当の豊かさとは何かを問い直す。

第3回 小さな伝道者
 心の病へと追い込まれたハイジ。その症状を見抜いたのはクララの医師クラッセンだった。これ以上、都市文明の檻に彼女を閉じ込めておけば取り返しのつかないことになる。医師の助言により山へ帰れることなるハイジ。厳しい試練を乗り越えたハイジは、自分が大自然から学んだこと、そして文明から学んだことを見事に自分の中に融和させ、心の闇をかかえたおじいさんや、喪失感を抱えて山を訪れた医師クラッセン、ペーターのおばあさんらを再生へと導いていく。第三回は、試練を乗り越えたハイジの境地を読み解き、文明と自然をどう融和、和解させていけばよいかを考えていく。

第4回 再生していく人びと
 医師クラッセンの助言により、健康を取り戻すためアルムの山を訪れることになるクララ。大自然とハイジに導かれるように彼女は再び歩く力を取り戻していく。だが、その一方でハイジの友人ペーターの嫉妬心や暴力性も描かれていく。人間が再生していくためには一筋縄ではいかないプロセスがあるのだ。そして、やがて老いや死を迎えねばならないおじいさんに対して、医師は、自分もハイジの養父になり一緒に育ていこうと呼びかける。ここには、作者シュピリが提示する新たな家族像も込められている。第四回は「人が再生していくには何が必要か?」「本当の家族の形とは?」といった普遍的テーマを考える。


名著、げすとこらむ。
松永美穂(まつなが・みほ)
早稲田大学教授・ドイツ文学者

<プロフィール>
 愛知県生まれ。東京大学文学部独文科卒業、同大学大学院人文社会研究科博士課程満期単位取得。同大学助手、フェリス女学院大学国際交流学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。専攻はドイツ語圏の現代文学。翻訳家。主な著書に『ドイツ北方紀行』(NTT出版)、『誤解でございます』(清流出版)が、主な訳書にシュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞)、『階段を下りる女』( 共に新潮社)、ヘッセ『車輪の下で』、リルケ『マルテの手記』(共に光文社古典新訳文庫)、メルケル『わたしの信仰キリスト者として行動する』( 新教出版社)、メッシェンモーザー『リスとお月さま』(コンセル)、ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』(白水社)など、編訳書にヨハンナ・シュピリ作『10歳までに読ませたい世界名作9 アルプスの少女ハイジ』(学研プラス)などがある。

子どもも大人も味わえる魅力的な原作
 『アルプスの少女ハイジ』と聞けば、おそらく多くの方が、あの有名なテレビアニメを思い浮かべることと思います。高畑勲監督のもと、宮崎駿さんをはじめとする、のちに日本のアニメーション界を牽引することになるスタッフによって制作された作品です。一九七四年に最初に放送され、のちのスタジオジブリ作品にもつながるアニメシリーズです。
 スイスの作家ヨハンナ・シュピリの原作小説を丁寧に読み込み、物語の舞台であるスイス高地でのロケハンまで敢行したという力作ですが、一年間で全五十二話というテレビ放送のためでもあるのでしょう、脚色によって原作を大いに膨らませていて、実はシュピリの小説とは異なる部分がたくさんあります。
 例えば、アニメでハイジのおじいさんが飼っているセントバーナード犬のヨーゼフは、原作にはまったく出てきません。アニメでは親切で人当たりのいい男の子のペーターは、原作ではちょっと欲張りだったり嫉妬深い一面を持っています。また、あとで詳しく見ますが、クララの車椅子が壊れてしまうエピソードも、原作とアニメとではまるで違います。口うるさい家政婦のロッテンマイヤーさんは、原作ではアニメのようにクララと一緒に山にはやって来ませんし、クララを診るお医者さんはアニメでは影の薄い存在ですが、原作の後半では重要な役割を担っています。
 おじいさんの過去についても、アニメでは「大きな声じゃ言えないけど、若いときには人を殺したっていうじゃないか……」と、第一話に村人の噂話で一言触れられるだけで、あまり印象には残りません。ところが原作では、おじいさんの暗い過去が、冒頭から詳しく語られているのです。さらに、原作では大切な主題となっている宗教的なテーマ、暴力的なシーンは、ともにアニメからは周到に排除されています。
 そして、アニメを見てわたしが何よりギャップを感じるのは、ハイジもペーターも最後まで外見がまったく変化しないところです。原作では五年の月日が経って、ハイジは五歳から十歳になり、ペーターも十一歳から十六歳まで成長するのに、アニメではずっと同じ服を着て、背は全然伸びないし、相変わらず裸足で歩いている(テレビアニメでは致し方ないところなのでしょうけれど……)。
 とはいえこのアニメは日本のみならず、ヨーロッパをはじめ世界各国で放送され、海外でも大変な人気を博しました。外国で最初に放送されたスペインでまず大ヒットし、放送時間を大人も見やすい時間帯に変えてくれという抗議デモまで起こったそうです。また物語の舞台のひとつとなるドイツでも繰り返し放送され、ドイツ人の多くは日本のアニメだとは知らずに見ていたというくらいです。しかし、肝心のスイスではこのアニメは放送されませんでした。「スイスインフォ」というインターネット・サイトの記事によると、長年スイス国営テレビでドイツ語放送局の文化部門を率いた人が、その理由をこう語っています。「日本アニメでは現実が美化されており、スイスの視聴者が持つイメージや習慣、体験からずいぶんかけ離れていたため、このシリーズは拒否されるかもしれないと考えた」。また、いかにも「スイスの典型的なイメージ」であるセントバーナード犬の登場や、「大きな目をした、いつも同じ表情のハイジも批判の対象」となったといいます。
 視点を変えれば、もし日本を舞台にしたアニメをスイス人が作ったとしたら、おそらくは日本人も、そこで描かれる日本のイメージに対して違和感を覚えることでしょう。外国映画などでしばしばエキゾチックに美化され、あるいは誇張された日本や日本人に、ギョッとすることがありますよね。そう考えると、先の意見もわかる気がします。
 ところで、「ハイジ」という名前は、ドイツ語の発音だと「ハイディ」なのですが、日本では「ハイジ」としてすっかり定着しています。アニメ化されるずっと以前から、『ハイジ』の物語は日本でも親しまれてきました。
 日本で最初にこの作品を翻訳したのは、作家の野上弥生子です。一九二〇年(大正九)に家庭讀物刊行會から『ハイヂ』という題で刊行されました。英語からの重訳でしたが、一九三四年(昭和九)には『アルプスの山の娘(ハイヂ)』と改題され、岩波文庫から再刊されて多くの読者を得ます。
 ちなみに、そのころに出版されたちょっと変わった翻訳に、一九二五年(大正十四)の山本憲美訳『楓物語』があります。野上訳と同様に英語からの重訳ですが、この本では舞台はヨーロッパのまま、登場人物の名前だけが日本風に変えられているのです。なんとハイジは楓、ペーターは辨太、クララは本間久良子、ロッテンマイヤーさんは古井さん、デーテ叔母さんは伊達さん……といった具合。面白いですね。
 その後、『ビルマの竪琴』の作者としても有名な竹山道雄により、ドイツ語原文からの初の完訳が一九五二年(昭和二十七)に刊行されたほか、短縮版やリライト、絵本をふくめて実に数多くの翻訳本が出版され、その数はおよそ百五十種類にのぼるそうです。なかでも矢川澄子さんや上田真而子さんによる新訳は現在の定番ですし、また池田香代子さんや、かく言うわたしも『ハイジ』の翻訳者の列に名を連ねています。ハイジ人気は今もなお衰えるところを知らず、いまだに日本をふくめ、世界中の人々の心をとらえ続けているのです。
 わたし自身は子どものころ、たぶんリライト版で『ハイジ』を読んではいましたが、そのときはおおよそストーリーの印象が残っただけで、むしろバーネットの『小公女』に夢中でした。『ハイジ』のアニメが放送されブームになった当時も、有名な主題歌こそ知っていて歌えましたが、もう中学生になっていたので、熱心に見るという感じではありませんでした。
 わたしが『ハイジ』に強く興味をそそられるようになったのは、大学の教員になってからです。以前勤めていた大学の卒業論文で『ハイジ』を取り上げた女子学生がいました。その指導のために初めて原作を丁寧に読んでみたら、読み応えがあって面白かったのです。それから『ハイジ』の抄訳を二年間雑誌(「百万人の福音」いのちのことば社、二〇一三~一四)に連載する機会もあり、また短縮版のリライトの仕事(『アルプスの少女ハイジ(10歳までに読みたい世界名作⑨)』学研プラス、二〇一五)もふくめ、『ハイジ』を扱うきっかけが何度かあったので、ますますこの作品に惹かれていきました。
 さて、みなさんはシュピリの原作を完訳版でお読みになったことがあるでしょうか? アニメや絵本もいいけれど、原作を読めば、新鮮な感動を味わえるはずです。故郷や家族の喪失からの人間回復の物語は、子どものみならず大人の読者の心も慰め、希望を感じさせてくれることでしょう。普遍的で古びることのない優れた文学作品としての『ハイジ』の魅力を味わい、その秘密を一緒に探っていきましょう。



 番組中で、安達祐実さんの朗読のうまさに脱帽しました。
 

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