今から40年ほど前、BCL(Broadcasting Listener)と呼ばれる趣味が存在しました。
具体的に云うと、海外短波放送を専門に受信すること。
なんだ、それだけ・・・と言うなかれ、電波は微弱なのでその日のコンディションにより聞こえたり聞こえなかったりというレベルなのです。アンテナを調節し、周波数ダイヤルを微調整して難度の高い放送局を受信できた時の喜びは格別でした。
さらに受信レポートを書いて放送局に送ると、放送局が受信確認証「ベリカード」を発行してくれます。ベリカードを集めるのも楽しみの一つでした。
当時は海外の情報が今ほど入ってこない時代であり、雑音(ジャミング)の中からかすかに聞こえる声や音楽に異国の生活を感じたのでした。
四畳半の部屋にある小さなラジオが世界への入口だったのです。
私はこの趣味にはまりました。
入門編とも言える各国の日本語放送をある程度クリアーすると、日本語以外のプログラムも狙うようになりました。
中学から高校にかけての思春期、部活で疲れ果てた体にもかかわらず、毎晩のようにラジオにかじりついて布団に入るのは午前様。
おかげで授業中に居眠りして叱られたことも一度や二度ではありません。
短波放送は聞こえてくる地域が時間帯で異なり、私が好きだったアフリカや中近東は深夜がゴールデンタイムなのでどうしても夜更かしになるのですね。
言語は理解できなくても、音楽を楽しむことは可能です。
世界中のいろんな地域から、お国柄を窺わせる音楽が私の目の前のラジオを通して流れてきました。
その土地の空気感がピシピシと伝わってきました。
アフリカからは鬱蒼としたジャングルを思わせる音楽。
中近東からは乾いた砂漠が思い浮かぶ音。
北欧からは透明感のある楽器の音。
等々。
いまでも民族音楽が好きなのは、このときの経験の名残ですね。
一番記憶に残っているのは「Voice of Nigeria」(ナイジェリアの声)という国営放送を受信した経験です。
放送開始時間前にラジオの周波数を合わせて待っていたところ、英語のアナウンスが聞こえてきました。
確かに「Voice of Nigeria」だ!
しかし、レポートには番組内容を書く必要があります。
雑音の中に消えたり浮かんだりする英語を理解するのは当時の私には(現在の私でも)不可能。
番組途中に音楽が流れ始めました。
それがなんと、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」だったのです。
ラッキー!
つたない英語で、この内容を書いてナイジェリアへ国際郵便を送りました。
しかし、待てど暮らせど、返信は来ませんでした。
やはり内容が足りなかったのかなあ・・・とあきらめ、すっかり忘れていました。
その約1年後に私宛にフランスから封書が届きました。
「?」
フランスに知り合いなんていませんでしたから、心当たりがまったくありません。
開けてみると「ナイジェリア発日本の私宛」の封書が出てきました。
その封書に付箋が貼られており「ナイジェリアからフランスにきたこの封筒はしばらくここに放置されていた、最近発見され本来の日本宛に送ることになった、申し訳ない」というような内容が書かれていました。
そしてナイジェリアからの封書には、念願の「ベリカード」が入っていたのでした。
このベリカードは1年かけてナイジェリア~フランス~日本へと旅をしてきたことになります。
ちなみになぜフランスへ寄り道したのかというと、ナイジェリアはその昔フランスの植民地でしたので、その繋がりなのでしょう。
その時に使用していたラジオがソニーのスカイセンサー CF-5950 なのです。
何年も愛用しているうちにアンテナが折れ、カセットが壊れ、受信不能となり、私のCF-5950 は昇天しました。
時は過ぎ、ティーンズだった私は今やアラフィフのおじさんです。
ふとしたことからヤフオクでこのラジオが出品されているのを見つけ、青春期の思い出に駆られるように落札しました;
もう、夜更かしする体力はないけど、たまにいじって世界に夢を馳せた少年時代に気持ちだけでも戻ろうと思います。
具体的に云うと、海外短波放送を専門に受信すること。
なんだ、それだけ・・・と言うなかれ、電波は微弱なのでその日のコンディションにより聞こえたり聞こえなかったりというレベルなのです。アンテナを調節し、周波数ダイヤルを微調整して難度の高い放送局を受信できた時の喜びは格別でした。
さらに受信レポートを書いて放送局に送ると、放送局が受信確認証「ベリカード」を発行してくれます。ベリカードを集めるのも楽しみの一つでした。
当時は海外の情報が今ほど入ってこない時代であり、雑音(ジャミング)の中からかすかに聞こえる声や音楽に異国の生活を感じたのでした。
四畳半の部屋にある小さなラジオが世界への入口だったのです。
私はこの趣味にはまりました。
入門編とも言える各国の日本語放送をある程度クリアーすると、日本語以外のプログラムも狙うようになりました。
中学から高校にかけての思春期、部活で疲れ果てた体にもかかわらず、毎晩のようにラジオにかじりついて布団に入るのは午前様。
おかげで授業中に居眠りして叱られたことも一度や二度ではありません。
短波放送は聞こえてくる地域が時間帯で異なり、私が好きだったアフリカや中近東は深夜がゴールデンタイムなのでどうしても夜更かしになるのですね。
言語は理解できなくても、音楽を楽しむことは可能です。
世界中のいろんな地域から、お国柄を窺わせる音楽が私の目の前のラジオを通して流れてきました。
その土地の空気感がピシピシと伝わってきました。
アフリカからは鬱蒼としたジャングルを思わせる音楽。
中近東からは乾いた砂漠が思い浮かぶ音。
北欧からは透明感のある楽器の音。
等々。
いまでも民族音楽が好きなのは、このときの経験の名残ですね。
一番記憶に残っているのは「Voice of Nigeria」(ナイジェリアの声)という国営放送を受信した経験です。
放送開始時間前にラジオの周波数を合わせて待っていたところ、英語のアナウンスが聞こえてきました。
確かに「Voice of Nigeria」だ!
しかし、レポートには番組内容を書く必要があります。
雑音の中に消えたり浮かんだりする英語を理解するのは当時の私には(現在の私でも)不可能。
番組途中に音楽が流れ始めました。
それがなんと、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」だったのです。
ラッキー!
つたない英語で、この内容を書いてナイジェリアへ国際郵便を送りました。
しかし、待てど暮らせど、返信は来ませんでした。
やはり内容が足りなかったのかなあ・・・とあきらめ、すっかり忘れていました。
その約1年後に私宛にフランスから封書が届きました。
「?」
フランスに知り合いなんていませんでしたから、心当たりがまったくありません。
開けてみると「ナイジェリア発日本の私宛」の封書が出てきました。
その封書に付箋が貼られており「ナイジェリアからフランスにきたこの封筒はしばらくここに放置されていた、最近発見され本来の日本宛に送ることになった、申し訳ない」というような内容が書かれていました。
そしてナイジェリアからの封書には、念願の「ベリカード」が入っていたのでした。
このベリカードは1年かけてナイジェリア~フランス~日本へと旅をしてきたことになります。
ちなみになぜフランスへ寄り道したのかというと、ナイジェリアはその昔フランスの植民地でしたので、その繋がりなのでしょう。
その時に使用していたラジオがソニーのスカイセンサー CF-5950 なのです。
何年も愛用しているうちにアンテナが折れ、カセットが壊れ、受信不能となり、私のCF-5950 は昇天しました。
時は過ぎ、ティーンズだった私は今やアラフィフのおじさんです。
ふとしたことからヤフオクでこのラジオが出品されているのを見つけ、青春期の思い出に駆られるように落札しました;
もう、夜更かしする体力はないけど、たまにいじって世界に夢を馳せた少年時代に気持ちだけでも戻ろうと思います。