「愛を感じる度合い」を心理療法はどう分析するか?これは大変難しく、かつ、学派により相当違いますが、私はこう考えています。精神病であれ神経症、人格障害、正常であれ、人類全ては必ず、それなりに愛を感じています。間違いありません。しかし、何故か、人により「自分は幼少の頃から人に愛されたことは一度もありません」と語るのです。何故でしょう?私はその発言に驚きますが、その人の言う言葉を信じるように努力しています。本人が愛されたことがないと断言しているからです。もし否定したら、その人は私から離れていくでしょう。私を訪問しなくなれば心理療法は展開出来ません。仕事上、その人を受け入れてスタートしないと職業も成立しません。かつ、人の身体は神の神殿という考え方をしている私としては、その人の中に住んでいる「全知全能の、愛そのものである神様の働き」にも期待しているわけです。私の拙い人生経験を通しても、この難問での答えは医者とかセラピスト側にあるわけではなく、クライエントの中に、その答えが存在していた経験を持つています。これがあなたの答えです、なんて言われた場合、あなたはどう感じるでしょうか?不愉快だと思います。自由意思を持つ人間は他者から強制されることこそ、一番哀しい印象をもつはずです。さて愛をかんじる度合いを心理療法はどうスケールするか、といいますと、先ず、愛の孤独感の度合いを測定します。人間は正直なもので、愛の孤独感を感じると、生き甲斐を失うものです。この愛の孤独感を、どう測定するか、といいますと、身体症状の有り様を洞察します。身体症状が出ていない場合はあまり深刻に分析しません。ここでは身体症状が出ていない事例をまず考えてみましょう。
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