生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2025年01月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何が健全で、何が病理か、これは難しい識別問題です。変な人、と世間が騒いでも騒ぐ方が変な場合もあれば、聖人君子だと言われる人が実は本当に変な人であったりします。aさんには健全な人に見えてもbさんには明らかに病理に見えたりします。こうしている内に、自分自身の場合でもどこも悪くなく、健全なのに自分は変だ、おかしい、と錯覚したり、勘違いしたり、誤解して、暗い日々を送る場合もあります。生き甲斐の心理学ではこの識別を何を基準にして思索しているか、と言いますと、プロセススケールという世界的な基準を使用して判断していきます。健全な五感と病理的な五感をどう区別するか、この問題は数年前にすでにここで語りつくしましたが、別な視点から分かりやすく述べてみます。カールロジャースという学者は7つの視点から先ずは取り組みだします。その一つが「湧き出す感情」に注目します。本当の感情があるのに、生育史の関係で、その湧き出す感情が何者かにかくされていて、意識の上のあがってこない事例を心配しているわけです。感情には全て意味があるんだ、という哲学を教えようとしています。変な倫理観、宗教観があると、何故か自分で自分の感情を抑圧していて、素直に意識の上にあげない人が病理に追い込まれていきます。同じ抑圧でも健全な抑圧と病理的な抑圧があるのですが、ややこしくなるので、ここでは子供でも分かるように解説していきます。変だ、と思う場合の事例は80億の人類がいた場合、その一人一人の身辺に起きる事例を具体的に一つ一つ語り合ったら永久に語れませんので、ロジャースは抽象的に、その人全体が正常か異常かを識別させます。その7つの内の一つが今日の「湧き出す感情には一つ一つ深いいみがあるんだよ、その意味を冷静に五感と体感のレヴェルで意識し、知覚しなさい」と教えているわけです。本当の感情をあえて認めない、意識の上に表出してこない事例を(底辺)という言葉で説明していて、異常とはいいません。ここがロジャースの良い所です。底辺、中辺、高辺(本当は1から7段階に分類していますが、現場のカウンセラーが対応しやすいように3段階、低、中、高、としています)の3分類です。さて、今後、どうしたらいいか、と言いますと、言葉にする、しないはその人の所属するコミュニティで違います。病院勤務の人、学校の先生、学校の父母会での付き合い、永田町の政治家、団地の理事会等、その環境でどこまで言うかは、その人の教養とか考え方で違いますし、表現の自由は、その人の自由意思です。結果はその人におよぶだけの話ですが、ここでは心を健全に保持する為に、感情だけは、倫理道徳にとらわれずに、正直に、一旦、意識の上にあげないと、心を病みやすいよといいたいわけです。何が健全か、何が異常かの識別の第一が、抽象的ですが、感情を正直に意識出来るか、出来ないかにポイントを置いています。嫌なものは嫌い、好きなものは好き、怖いものは怖い、と見栄も外聞もなく、意識化するのが健全、ひたすら抑え込み意識の上のあげないのが異常という道を歩み出します。
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