生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

安心感は何故生まれるか?

2007年03月16日 | 第1章:愛の領域
人々の介護や医療活動で患者さんに安心感を与えない人がいます。事情は色々ですが、人の不安感を癒す力が無いからです。人の心は複雑ですが、意外と単純な所もあり、日々の小さな不安感を少しでも安心させてもらえると、必ず安心感が急増してくるものです。深層心理学での<安心感>の反対が<不安感>です。人を治療する場合に医師は自分の言う通りに患者さんを支配したい本能がある為に、患者を少々不安にさせた後、自分の思い通りにさせるタイプがいますし、新興宗教でも人を不安にさせて物を買わせるタイプの宗教もあります。それと同じ支配術が案外まかりとおっています。生きる事は即、不安と戦う事ですので、これ以上人々の不安をそそることは大きな犯罪です。:<NPD7:尊敬論:51-3>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋の妄想力

2007年03月15日 | 第1章:愛の領域
ここで思索しようとしているのは<恋と愛の中で、過度の理想化と蔑視の両極端のはざまで揺れ動く>現象を思索しようとしています。何故か人間には、自分勝手に過度に相手を理想化してしまい、現実を知るや馬鹿にする、蔑視する性格があるようです。過度に理想化する傾向は病的なものではありません。こうあって欲しいという人間の優しさがその原因です。この妄想力を今後、どう上手く活用していくか、を楽しく考えていきます。世間にはこの<妄想>を笑う人がいますが、その恐ろしさを意識し知覚しつつ、逆にこの人間の力・パワーをどう生き甲斐につなげていくか、明日から少し深く思索してみましょう。<妄想>を今までどうあつかってきましたか?今日は今までの<妄想>に対するあなたの考えを整理しておいて下さると助かります:<NPD7:尊敬論:51-2>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたは人から尊敬されていますか?

2007年03月14日 | 第1章:愛の領域
人から軽蔑されると切なくなります。と、いって人からの尊敬を得たい一心でうわべを飾ったり見栄をはったり、気取ったりするのも馬鹿馬鹿しい。世界の人口は65億になりましたが、その一人一人には<個性の美>が必ずあるそうです。地球上の生命(植物、動物、ビールス)には存在の意味がありますから、人間にも一人一人の生命の存在価値があります。その存在価値が個性の美と言われているものですが、さて、その個性の美とは何でしょう?結論はその人の自己実現への道、と言われています。自分自身で決めた悔いのない人生を淡々と歩く時、自然と周囲の人々はその人を尊敬します。今日から自己愛パースナリテイ障害の第7番目に入ります:<NPD7:尊敬論:51-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺と綺麗なお菓子

2007年03月13日 | 第1章:愛の領域
<のりこぼし>と言う銘菓を勉強会で頂きました。奈良東大寺のお水取りで松明の火の粉を体験された方のお土産でした。昔から聞いていたその銘菓は、椿の姿で、なんとも綺麗で味もよく、古いヤマトの伝統あるお菓子です。口に入れると優雅なとろけるような深い味わいが心に染み込みます。さてこの銘菓のような味を出す人間にもたまに出合います。簡素で裏表がなく、飾りもない、清純で真っ白な地に明快な朱、正直な感性なので、透明で爽やか。多分この人の世界は喜びも大きく深いけれど苦しみも多いかもしれません。人の苦しみには敏感で苦しみの原因を整理するのも実に上手。東大寺の糊こぼしの歴史を想いながら、この綺麗で味のある銘菓をいただくと、心まで幸せになります。人を幸せにするのは学問も貢献しますが、綺麗で味わい深い伝統銘菓は、より単純に、瞬時に、人を幸せにしてしまいます。古き伝統の銘菓には精霊が宿っているようです:<NPD6:権利と義務:50-5>:

人気blogランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じる力が欲しい!

2007年03月12日 | 第1章:愛の領域
古来から人々は<信じる力が欲しい>と祈りを捧げていたようです。信じる力は恩寵なり、と断言した哲学者、神学者がいるくらいです。生き甲斐の心理学ですから、恩寵という古代の人の知恵は借用しますが、諦めずに、どうしたら信じる力が得られるか、と悩む患者さんにノウハウを提供出来るか、真剣に対応しています。疑い深い子供時代を送った人は、なかなか人を信じません。信じて、幸せになった体験、信じて、愛を得た体験、信じて不安感が激減した成功例が生まれるような治療を行います。日々の不安感をあぶり出す事が一番重要で、そのあぶり出された不安感から平安感へ変化させる具体的な手法は人により違います。不安感は<理想と現実のギャップ>から生まれます。信じる力が低い事例はこの理想と現実の受け止め方、解釈の仕方を変える事で殆ど解決します。:<NPD6:権利と義務:50-4>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛は<権利と義務>を飲み込む!

2007年03月11日 | 第1章:愛の領域
心の病で苦しむ患者さんの大半は愛の孤独感が原因です。夫婦生活、親子関係、友人、職場の人間関係の中での愛の孤独です。特に男女関係での<私とあなた>の関係は、理想的な姿の二人は世間にはそうありません。愛し合う二人の世界では権利と義務を主張しあう緊迫した状況はあり得ません。相手の求めに歓喜と感動で献身する二人だからです。愛の関係が上手くいかないと、必ず妻の義務、夫の権利などという厳しい争い風の言葉が飛び交うようになります。さて、この権利と義務の世界から愛の世界に少しでも近づく方法は一つしかありません。人間とは何か、という考え方を整理し<人間とは魂と心と身体で構成されている>を検討する事、更に魂はどんな人間にも存在し、しかも魂は互いに深く愛し合っている、と信じた時、初めて心と身体での不信感が減少し、愛の世界に近づいて行く事が可能となります。<信じてみえてくるもの、信じない故に見えていないもの>の世界があるのです。:<NPD6:権利と義務:50-3>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あら、どちらへ?

2007年03月10日 | 第1章:愛の領域
私が外へ出ると、時々お会いするご婦人がいます。必ず、あら、どちらへ?と聞かれるのが苦手です。やぼようで、とか、ちょっと等と言いながら足早にすり抜ける努力をしています。いつも申し訳なく思い、あなはは?と聞いたのが運の尽きで、何と、病気の話、姑の悪口、もう尽きる事なく、一方的に話され、とどまる所をしりません。このような日常生活での、さりげない会話とは申せ、愛の病理現象はいつも目の前にも沢山あります。注意すべきは、この現象と同じものが、愛の世界にもあります。じっくりと聞かないと、愛していないからだわ、と泣き出す人も居ます。この現象にしばしば遭遇したら、自己愛パースナリテイ障害の勉強をしてください。:<NPD6:権利と義務:50-2>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しい鬼か、悪魔か?

2007年03月09日 | 第1章:愛の領域
自己愛パースナリテイ障害と言う心の病気の第6番目の特徴を持つ人は、時々<権利と義務>を全面に押しだしながら、相手を混乱させていきます。権利と義務を旗印に掲げられると公式の場面では、中々反撃しにくいものです。その隙を巧みについて、自分の権利と支配欲を思う存分に発揮していくケースです。やられていく側は変だなあ、と思いながら、どうして反撃していいか、わからないまま窮地に追い込まれていきます。これから5回に分けてこの反撃方法を思索していきます。愛の病気は微妙で恐ろしいものです。:<NPD6:権利と義務:50-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じる喜び

2007年03月08日 | 第1章:愛の領域
沢山の患者さんは私の恩師です。教えられる事ばかりなのです。その中でも<何かを信じる>事による癒し効果は抜群です。子供の頃からあらゆる不安感にさいなまれて生きてきた30代の女性は、今まで、人にたかる事で有名でしたが、ふとした契機に、村はずれの昔からの可愛いお地蔵様を信じてから、みるみる不安神経症が回復し、たかる習性も消え、依存症も軽減しだしたのです。そのお地蔵様が宅地開発のブルドーザーで、どこかへ持ち去られた後も、信じる力を体験した事から、地道に勉強を開始していました。今「ヘルパーさん」として大活躍されています。:<NPD6:ちゃっかり屋:49-5>:

人気blogランキングへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛を深められない人

2007年03月07日 | 第1章:愛の領域
せっかく心地よい愛に出会っても、それを大きな愛に育て上げられないタイプの人がいます。もともと愛は無償のものだからです。愛を深める事を妨げる敵が自分の心の中に存在しています。その敵は今回のテーマ<ちゃっかり>の思想です。いまだ小さな愛を深く美しく大きな愛に育てたい場合には、一度自分の<ちゃっかり>と言う思想を点検する必要があります。<ちゃっかり>と解釈する方の側に大きな問題が潜在している場合が多いからです。相手が自分をちゃっかり利用している、と思うその気持ちが愛を深める壁になっている場合が非常に多いのです。相手が信仰の対象である神仏の場合ですと、この<ちゃっかり>思想の持ち主達は、神を呪う、恨みつらみを言う、感謝しない、試練だと解釈出来ない、という現象を起こしています。もう一度<ちゃっかり>と解釈しがちな自分を見つめ直すと深い愛に発展する事が多いようです。:<NPD6:ちゃっかり屋:49-4>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい足

2007年03月06日 | 第1章:愛の領域
人生には様々な愛があります。銀座4丁目交差点ですれ違った時の一目惚れで結ばれた人、春の公園でふと見入った美しい足の女性、そんな出合いでも、今は沢山の孫に囲まれ、しわだらけの足をさすりながら、綺麗な足だったねえ君は、と涙ぐむ老人。そんな愛を私は沢山知っています。真剣な愛を、ちゃっかり屋さんだと見間違えて大きな愛を見失わないように:<NPD6:ちゃっかり屋:49-3>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は破滅者だった!

2007年03月05日 | 第1章:愛の領域
愛し合う二人は互いに与え合います。ここでは、そうではなく、相手が何となく<ちゃっかり屋>では、とぼちぼち気づきだし、それが自己愛パースナリテイ障害という恐ろしい心の病・人格障害であつた場合を考えようとしています。本当の愛は相互に対等に与え合います。どちらかが、とことん貢献する、と言うようなものでは、ありません。神仏の関係(ひたすら神が人間を一方的に愛する、と言うような)を、いとも簡単に、恋人関係に持ち込む、特に女性は母性があるので、その傾向が強いのですが、冷静に分析する必要があります。二人の関係での、その病理に気づいた時には、ぼろぼろになり入院してきます。自己愛パースナリテイ障害の第6番目の特徴:対人関係における搾取性:自己の欲望、出世、支配権のために他者を利用する事。他者の尊厳や権利をないがしろにする事。:<NPD6:ちゃっかり屋:49-2>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃっかり屋さん

2007年03月04日 | 第1章:愛の領域
今日のテーマは耳の痛い話で、この文章を書いている私の事みたいです。特に生き甲斐支援などと言うNPO団体を仲間達と運営していると、善意の人々にちゃっかりと甘えているからです。さて、意識して<ちゃっかり>利益を得るような事はしたくありませんが、結果として<ちゃっかり屋さん>と言われた事はありませんか?今のNPOではありませんが、以前、一億円を寄付したい、という申し出がありました。或人は素直に貰いましょう、と結論を出す、或人は、これは事件の匂いがするから止めよう、と結論を出し、紛糾しました。今回はこの日常生活での<ちゃっかり屋>と言う概念が人を発病に追い込み、人生を狂わせる怖い精神現象なので、この辺りの心の整理を5回に分けて思索していきます。:<NPD6:ちゃっかり屋:49-1>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生命をたべあう

2007年03月03日 | 第1章:愛の領域
生物が生き延びる為には<他の生命を食べ合う>現象が何故、おきるのでしょうか?植物も動物も、生きている他種を食べないと、生きていけません。人間はそれに加えて更に愛や精神的分野でも互いに食べ合う現象もあります。その哲学的、宗教的、心理学的原因も、色々主義主張はありますが、これが真実だ、と誰もが納得する理由は、はっきりしません。互いに食べ合って生きて行く、この不思議な営みに対して、どうしたらいいでしょうか?人類発生以来、何となく神話が生まれてきて、この食べ合いへの対応も自然と生まれてきました。どの神話、習慣、文化、宗教を見ても、この食べ合いへの心の納めどころとして<手を合わせる>事で解決しているようです。<手を合わせてから食事をする>。心から他種の生命に対しても、人に対しても手を合わせた後、いただく文化は、その種族を永続させるようです。手を合わせない文化は滅びる傾向にあります。:<NPD6:褒めどき:48-5>:

人気blogランキングへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこを褒めたらいいのか?

2007年03月02日 | 第1章:愛の領域
自分が褒められた経験からですと<自己実現への道>を歩んでいる私を敏感に感じ取り、その方向へと援助してくださった方が人生での恩人です。10代では己の才能がどこにあるかを苦しむ、20代は現実に歩み出した職業と学問に疑問を感じる、30代は職業に、40代はもうしょうがない現実に、このように、どの世代でも、自己実現への道を模索して生きるのが人間です。そんな模索と迷いと苦しみの時に的確に、ワンポイントを褒められると勇気と自信が湧いてきます。自分の力で色々の困難を乗り越えないと自己実現は実現しません。この自己実現への道を支援しない、また、別の道を下手に示唆される事ほど迷惑な事はありません。親切ぶった人々の褒め言葉に、私は随分と振り回され、遠回りさせられた人生でもありました。:<NPD6:褒めどき:48-4>:

人気blogランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする