生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

2011年頃、友人夫妻がパリを案内してくれましたが、その旅は毎日が天国でした。若いころから海外に住み、公務でもロシア、南米、欧米、東南アジアなど出かけましたが、楽しいこともありましたが、暴動、革命、飛行機事故に遭遇し、思い出としては余り良くありません。今回の海外旅行は人生でも最高に楽しい旅でした。このような人生もあるんだなあ、と四人の旅仲間と神様に感謝しています。この毎日が天国だ、というイメージを人生の宝物として生涯大事にしたいと思いました。この幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)があればこれからの人生での大きな希望に繋がると思いました。この明るい思い出はこれからの私の生き抜く勇気ともなっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

だいぶ前のお話ですが、ひと時、エコノミー症候群、という話題が報道されていました。2011年頃の旅の話です。飛行機の後部で太極拳を演舞していました。八段錦、という短い演舞ですが、それでも気分爽快でした。パリのシテ島という古い公園でも早朝誰も居ないので知人と24式を演舞しました。不思議な現象なのですが上流に向かって演舞すると何となく圧迫感を感じるのですが、下流に向かって演舞すると、旅の疲れ、ストレスの蓄積が見事に流出し身体と心が軽くなりました。このセーヌ河の気は何だったのだろう?川で演舞する時は、どうも下流に向かった演舞のほうがストレス曲線の放逐にはいいようです。海で演舞する時も砂浜で海に向かうよりも岩の上で海を背中にして、岩にぶつかり、その砕かれた波が背中から自分を通り過ぎていく流れを見たほうが気分が良いのと同じかもしれません。流れに抵抗するよりも流れに乗る自然原理が働くようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

親しい医者が時々変な事を言います。もしあなたが太極拳をしていなければ今の健康は維持出来ないと思いますよ、ですって。嫌味だなあと思いつつ,まんざらでない自分も居ます。例えば書斎で一日勉強をしたりラジオの原稿を書いていると身体も心も何となくだらーっとした気分になりますが、そんな時、大好きな太極拳を20分ほど、演舞すると、気分爽快となり、意欲が湧いてくる体験が毎回なので、その効果を熟知しているだけに、医者の嫌味も却って幸福感に連動してしまいます。太極拳は神仙思想ともつながっていて何とか長生きしたい仙人が編み出した術とも言われているだけに、その身体と心に与える健康感は確実です。と言う事は免疫力が自然に備わり、分泌も順調で自律神経も爽やかになるのが当然だ、と思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

人は6つの要素で発病していきます。身体と心の病気でも、この6つの組み合わせを平素、考えていると、とても発病率が低下すると言われています。その6つとは、遺伝、環境、老化、自律神経、分泌、免疫です。環境には家の建物、周囲を含めますが、主に、その環境の中での<心の環境>を意味します。さて自律神経はその人の遺伝に影響を受けていて神経質のタイプもいれば、鈍感でおおらかな人もいますが、遺伝を考えても自分ではどうにもなりませんので、心構えで勝負します。この自律神経は、不思議な生き物で、意識して心をおおらかに保持すべく努力すると、案外、その通りになるのが特徴です。くよくよしたり、暗い解釈をしたり、挫折感や劣等感をいつまでも保持していると確実に自律神経は弱まり免疫力が低下、激減していきます。心を明るくのんびりと保持し明るい解釈を努力して保持すると、自律神経は強化されます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
赤ちゃんから老人まで免疫力いかんで発病の契機が違ってきます。臨床心理学系の人々は人生の最後まで臨床に徹したほうが成功するのに、なぜか、医者気取りのカウンセラーに出会います。お医者さんは医学の専門家、臨床心理学の人は臨床心理の専門家なので、もっとプライドを持って欲しいのです。日本には心理療法の国家試験制度が無い為に、何故か医師法が優先されるせいか、カウンセラーは肩身が狭いようです。精神科医の治療をそばで拝見すると随分と無謀な会話をしています。精神科医が臨床心理学の知識を多少は知る必要があるように、臨床心理学系の人も程々の医学知識は必要ですが医師がつける病名に振り回されてはいけません。このあたりの微妙な領域について暫く思索します。その領域の代表が免疫力です。この免疫力について思索します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々、自分一人で生きているような人に出会いますが、とんでもない勘違いをしています。赤ちゃんを観察していると、とても一人では生きていけません。幼児虐待と言われるような両親のもとで育ったとしても、この親のお陰で生き抜けたわけで、決して一人で生きてこれたわけではありません。独立自尊の思想は重要ですが、周囲の人々のお陰で今日に至った事だけは確かです。人間の身体の仕組み、心の仕組みを勉強していくと、いかに人間の本質そのものが<不安感>を中心としていて、<平安感>を獲得する為には、相当、心の仕組みを勉強していかないと<平安感>を得る事が出来ないかが分かります。不安が本来の人間の姿であって平安は恩寵に近いものだ、と、段々と理解してくるようになります。どんなに強い人間でも一人では生きていけません。直接、間接に人々のお陰で生きている現実を知らないで、あたかも自分一人で生きているような人間にだけはなりたくありません。愛と感謝と祈りの生活が人類の理想的生き方と言われていますが、時々立ち止まり、独立自尊と傲慢の関係を思索してみましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
神仏に依存する、とはどういう事なのだろうか?マザーテレサは健全な信仰の指針のような気がします。日々、あらゆる面で全力を尽くしてはいるものの、時々は神様に文句や苦情をぶつぶつ言いながら明るく元気に路上の行き倒れの人々を勇気づけながら臨終を見守る姿に涙しない人はいないでしょう。中々このような境地には普通の人々は達せられませんが、それでも生きる希望をマザーテレサは私たちに与えてくれます。神仏に依存する、祈る、求める、希望を託する、このような健全な依存は生身の人間をとても勇気づけてくれるものです。健全な信仰生活を求めて生き抜きたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛の関係は平等な依存関係が原則です。愛は案外厳しい世界で愛は訓練だ、と心理療法の学問は教えてくれています。だらだらと、だらしない二人は永遠に幸福にはなれないでしょう。愛する人に益々愛されるように学問に励んだり人格修行に励むものです。経済力にも励み人情を深める人生修行にも励みます。この励みが楽しければ本物の愛でしょうし励みが苦痛なら案外愛していないのかもしれません。相手の思いやりや励みを心から有難う、と言わない人、感じない人を愛さぬようにしないと弱い人間は案外、短期間のうちに愛の世界から離脱していくようです。無償の愛、という言葉は人生修行の目標ではありますが、日常の生身の人間の世界では通用しません。あからさまの感謝の要求は厭らしものですが、不満を感じている場合は、さりげなくその不満を相手にぶつけるのが案外必要なようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛している人から適度に甘えられるのは幸せです。どの程度、甘えると相手が幸せを感じるかは、その都度、状況により違いますので、愛の訓練の中で悟る以外、方法はありません。馬鹿みたいに、年がら年中、甘えっぱなしでは、どんな人間関係でも、すこしづつ破たんしていきます。この程度甘えたら相手は幸せそうだった、と認識出来ても、次回は、相手が少々、機嫌が悪ければ、程々にしないと嫌われます。その折々の人間の感情の曼荼羅を楽しむ余裕がないと二人の関係は親子であれ恋人同士であえれ楽しく成立しません。現実吟味力の修行を楽しみましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人格形成過程は赤ちゃん時代からスタートしほぼ青春期で終わります。この時代での挫折体験または何らかの理由から、そうだと思いこんでいる事例の場合は、どんな簡単な現実に遭遇しても処理不能の状態となります。思いこみ、自信喪失は本当に気の毒な成育史です。この傾向を打破する方法はただ一つ、その傾向に関係なく、なんとしてでも欲しいとかなんとか達成したい燃えるような願望だけが薬なようです。燃えるような願望の前には病気は負けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
適応不能障害の一番早道の対処方法は患者さんの成育史における<理想像>の把握と<現実の解釈の内容理解>が先決だと言われています。理想が高すぎると現実とのギャップが大きすぎて日々、欲求不満の塊のような人間生活をしているからです。自分の理想から人と社会を裁き、不満を言い続けます。そのギャップが高いと、どんな元気な人でもストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ>から、いつも緊張状態へと追いやられていきます。心が休まる暇もありません。環境が激変すると普通の人は必ず適応障害現象が出てきますが、新しい環境に慣れてくると自然に解消していきます。理想が高い人の場合はなかなか断念出来ないので、いつまでも、その不適応現象に苛まれることになります。その人の貴重な理想を減らすか、現実をあるがままに受容していくか、その解決はこの点にかかっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人格形成過程は赤ちゃん時代からスタートしほぼ青春期で終わります。この時代での挫折体験または何らかの理由から、そうだと思いこんでいる事例の場合は、どんな簡単な現実に遭遇しても処理不能の状態となります。思いこみ、自信喪失は本当に気の毒な成育史です。この傾向を打破する方法はただ一つ、その傾向に関係なく、なんとしてでも欲しいとかなんとか達成したい燃えるような願望だけが薬なようです。燃えるような願望の前には病気は負けます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の基本なのですが<発病の契機>という解釈が重要です。発病の契機とは<自分で処理不能な事>を意味していますが、子供から高齢者まで、自分で処理不能と思う内容が、残念ながら全部違います。可能な事でも処理不能、と勘違いしてしまうタイプが多すぎますし、自信が持てるはづなのに、何故か、自信が持てません、と言うタイプもあります。もうひとつのタイプは処理不能なのに、処理可能とおもう自信過剰タイプです。子供から高齢者まで、なぜ、こうなっていくのか。考えてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
心理療法の基本なのですが<発病の契機>という解釈が重要です。発病の契機とは<自分で処理不能な事>を意味していますが、子供から高齢者まで、自分で処理不能と思う内容が、残念ながら全部違います。可能な事でも処理不能、と勘違いしてしまうタイプが多すぎますし、自信が持てるはづなのに、何故か、自信が持てません、と言うタイプもあります。もうひとつのタイプは処理不能なのに、処理可能とおもう自信過剰タイプです。子供から高齢者まで、なぜ、こうなっていくのか。考えてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年06月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大人から子供まで<自分の現実>を厳しいと解釈して元気がなくなる人もいれば、同じ現実でも厳しいと解釈しない人もいる。この解釈の違いから人は発病したり、悩んだりして生きていきます。この解釈の違いはどこから出てくるのでしょうか?心理療法の原理をここでは学習していますがこの<発病の契機>という課題を暫く思索していきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする