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今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

夏の終わりに

2015-08-25 14:00:12 | あの日、あのとき

あれはもうどれくらい前になるのだろう
私がまだ元気で山に出かけられてた昔の事だけど

今日のように台風のニュースや秋の気配、風が少し冷たさを感じて
何となく、もの淋しさと、何かが満足できていない感情

そう、その年は、雨の多い、台風も夏の台風が多かった
だから、夏山登山が満足できていなかった
このまま秋が来てしまうのだな~
などと、心の中で、もやもやした感情が続いてたのだろう

丁度、仕事が2日ほど暇になって
思い切って八ヶ岳に出かけた

急な事なので、同行者はいない、ひとり山行
朝7時、新宿駅を出る「あずさ」に飛び乗って

茅野~美濃戸口まではバス、
その日の予定は「赤岳鉱泉小屋」に泊まり
次の日、早朝に出て、赤岳をピストンする予定だ

美濃戸口から林道をのんびりと歩いて、
もう、何度も歩きなれてる道だから気が楽だった

たいていは美濃戸山荘の分岐から北のコースを歩く
沢沿いにゆっくりと歩き、何度か沢をわたり
やがて、あの懐かしい「大同心」が見えてくる

山の師である、長谷川さんの手ほどきで真冬の大同心を登らせて頂いた登攀
あの精神状態もバラバラになる感覚を思い出しながら・・・

この八ヶ岳は四季を通じて70回以上は通った山だ!
思い出も数えきれないほどのたくさんの経験を走馬灯のように
浮んでは消えて、喜びも、悲しみも・・・

歩く一歩が思い出と共にその感覚を呼び起こす

そんな思いの中、突然、赤岳鉱泉小屋が見えた!
夏の終わりなのに「ヤナギラン」の花がまるで小屋を覆い、包み込むように咲き乱れて
夢の中の花園にたつ、小さな城のように、

平日の小屋は泊り客も少ない
顔見知りの小屋番の方と挨拶を交わし
明日の予定を告げて、部屋で読書
けれど、本の文字など頭の中に入らないほど
なぜか、言葉に出来ない興奮した思いだった

早朝5時、まだ、外は薄闇の中、寝不足のまま歩き出し、赤岳に向かった
行者小屋を過ぎ、地蔵尾根を登り、岩の感触を楽しみながら・・・

もう、赤岳の山頂に何時ごろに着いたかは忘れてしまったけど
赤岳山頂から、文三郎尾根を下った、
文三郎尾根はだいぶ荒れていて、鉄のはしごがむき出し、宙に浮いてしまうほど
尾根の土が流されていた。

ぐらぐらと動く梯子段を気を付けて下りた
ふと周りの風景を見ると、なんと!
まわり一面、「トウヤクリンドウ」の花が咲いていた
色合いは地味な花だけど
大自然を感じさせて、思わず感動出来た風景だった

赤岳鉱泉小屋に戻り、コーヒーを頂きながら、小屋番の方に、トウヤクリンドウの花の事を話しタラ、今年は、台風が多かったことや、雨の日が多くて、夏の季節が狂っているようだと、笑いながら、話してくれた。

鉱泉から、美濃戸へ下る時、うっかりして、洪水時のための高まき道に入ったりと!
おまけがいっぱいの八ヶ岳、赤岳山行だった、

今は登れない山になってしまったけど
今日のように台風のニュースを見ていて
思い出す、夏の終わりの頃

タイでの出来事

2015-08-19 11:01:10 | あの日、あのとき


(この王様はタイだったけ?違ったらごめんなさい、お隣の国だったかも?)


今、タイ国では何が起きているのか
海外に出かけられなくなってから
もう10年になるのだろうか

本当に怖い!
日本からも多くの観光旅行者の多い、タイ、バンコク

以前にも、デモのニュースなど、見、聞きはしていた
けれど、失礼な事かも知れないが、
お祭り気分でデモに参加しているような、ゆとりさがあった気がする
(こう感じたのは、私だけなのかもしれないが?)

私がタイ、バンコクの街を歩いたのはもう20年も前になるが
ネパールへ行く途中の飛行機の乗り換えに1泊した
トレッキングツアーのなかに組み込まれていた、バンコクでの23時間の滞在だったか?

夜中にバンコクに着いて、ホテルで数時間の睡眠
朝、起こされて、そのあとは、なぜか?宝石店へ連れて行かれた
勿論、他のお土産も売ってはいたが・・・

それほど、高級な店ではなかったけど
登山靴でリックを背負い、入る店では、場違いは感じた
そして、その店の店員さんのあまりのしつこさに、我慢できず

<宝石など私は興味がない!>と少し、強い口調で言った!

すると、その店員さんから出た、言葉が
<あんた、女じゃないね!>と、のたまう!
あのいやらしい、笑い顔が、今も思い出す・・・

まあ~宝石店?では嫌な思い出だけど

何食かの食事はどれもおいしくて、今思い出しても、食べたくなる
タイ料理!甘い、辛い、酸っぱいの絶妙のお味!
特に、あの時以来、巡り合えていない
<シャコのお化けのようなエビのから揚げ!>
頭からしっぽまで触感の良い、柔らかすぎず、硬すぎず、誠に美味!

今でも、忘れられない、バンコクの甘い夜!のお味!   

ねばっこく熱い、バンコク!
なまあたたかいビールと共に思い出す

ネパールからの帰りにもなぜか?、同じホテルに泊まり
同じ、宝石店へ行き、食事も同じように食べ、
だが、なぜか、あの、お化けシャコのようなエビには出会えなかった!

ひかくてき、安全な国、タイ!
そう願いたい、思い出のバンコクに思いをはせて
今は辛いタイ料理は食べれない私だけど、忘れたくない味覚だ!



旅の途中

2015-08-06 11:06:23 | あの日、あのとき

今日も朝から暑い
何をするでもなく
実際は何もできないけど

ぼんやりしてるのもつらいから
パソコンを開く

頭の中で
言葉がどうどう巡りして
こんがらかって

さて何を書こうとしたの
すこし錆びついた頭は
この暑さで錆が厚くなったか

誰も何もいう事もなく
ひとりで混乱して
そして、今と、昔

心は旅の途中
空を舞う鳥のように

思い出という
幻想の鳥になって旅をする
貴女のいた風景の中へ

残された力

2015-07-06 12:07:33 | あの日、あのとき
☆美しき人の映画「ターミネター」7月10日公開です、シュワちゃんの主演だけど、T-1000のビョンホンさん、中々よいですよ!


山を諦めた時、仕事も出来なくて
これからの人生をどう生きればよいのかと
混乱する頭と心がバラバラな状態がしばらくつづいた

それでも、いつかは私も誰かにお世話になる時のために
今、体が動けるうちに誰かの力になりたいとボランティア活動を
それは、介護サービスのケアー施設だった

時はまさに「介護保険」導入の始まりの頃だった
錆びついた頭脳を何とかフル活動して、資格だけは得られた

けれど、私の心は悲鳴をあげていた時期
介護施設の前で何度も何度も心呼吸して、つくり笑顔をひきつらせて
おはようの挨拶をする日々

うわべだけみていれば、よほど私が介護される側の人みたい
眠れぬ夜は長くつらく、悪夢ばかりが苦しめる

介護ケアーを受ける方が10人ほどの小さな施設だった
もう、だいぶ前の事なので、今の介護施設がどのようなことをしているのかわからないけど

あの頃は大きな部屋に10人が座れるテーブルとイス
そして、何人かが横になって休める、3畳くらいの和室があった

利用者は、介護の度合いがそれぞれ違っていて
歌が歌える人、体が動かせる人、ただ、何も話さず、じっと座ったままの人又その反対に常に動き回る人もいた

私は介護の資格は持っていたが新人で介護の経験が無いに等しいから
先輩の指示に従うのが当然のこと!
だけど、時にはなぜ?と思うことが度々あって
この年になって、改めて、本音とたてまえを使い分ける事をしらされた!

そんなある日、いつも気になる利用者に私は余計なことをしたのだろうか・・・
その方は、重度の認知症で言葉も無く、ただ無気力に座っているだけ
トイレの時間も介護者の知らせが無いと自分からは気づけない方だった
誰も手助けしなければ、一日中、一歩も動かない方だった
私は家にある書道の道具一式を介護施設に持ち込んで
墨をすり<春の日>と書き、筆を気なる利用者に手渡した!

すると奇跡が起きたのです!
すらすらと、素敵な<春の日>達筆でした!
眼の輝きが違っていました!

みんなが、みんなが歓声をあげました!

けれど筆を置いた利用者は一瞬の輝きを見せてくれた後、静かな無言の人に戻っていました。

私のやったことは行けない事だったのでしょうか?
ケアーマネジャーさんの怒りをかい、仕事をやめる事になってしまった。

私は今でもわからないのです、そんなにいけない事をしたのでしょうか?
あの日以来、介護という意味に悩んで、答えのない日々
みんなで「北国の春」をうたうことが介護なの?

今、私は介護を受ける身になったけど、
我儘な私はみんなで仲良く「北国の春」をうたうのは苦痛だから
生きられるだけ生きて、あとはサヨナラ出来たら良いの二なんて考えて
少ない年金の中から強制的に1万円弱を支払っているけれど

介護保険のお世話になる日が一日でも遅くなるように
歩け、あるけの、散歩の日々だ!






あの日を思い出す。

2015-04-30 00:55:03 | あの日、あのとき

2度めのネパールの山旅、エベレスト街道をいつも一緒歩いてくれた、少年?青年と僧院でき念写真を・・・
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ネパールでの地震災害はあまりにも大きく、想像もできぬほどのようだ、電波状況の悪さやいろんな事情でいまだに安否不明の場所も多いようだ、日本の救援隊もやっと活動が出来るようになったが、あまりにも大きな災害で、上手く機能を発揮できているのだろうか・・・
今の私には何もできないもどかしさが募る。

思えば、はじめて、ネパールに行ったのは25年以上前になる、23日間だったか?アンナプルナ南峰8000m?のベースキャンプまでのトレッキングコースだった。

確か、3度目の海外の旅だったろうか?

バンコクを経由して、ネパールの飛行場についたのは確か、夜も遅い時間だった、、街明かりはほとんどなかったと記憶している。

飛行機を降りて、まず、驚いたのは小さな子(5~6歳?)が我々の荷物をいきなりつかむ、その子たちを大人が、大声で怒鳴りながら、追い払う、異常な光景に驚いて、ちょっと怖くなったのを記憶している。

カトマンズのホテルへの向かう車の中から見る街は真っ暗の闇の中を走って、それでいて、歩いてる人々の眼だけが光る、私にはまさに初めての体験で異様な世界に来てしまった事の不安感が募った記憶!

カトマンズからポカラへのプロペラ機の機内の空気の薄さにやたら眠くて、周りの人たちを観たら殆どの人が眠っていた、あの事も異常な体験だった。

ポカラに無事つき、もう忘れてしまった村の名前だけど、トレッキングが始まるまでの車の中は笛や太鼓、歌で大歓迎してくれたネパールのスタッフの陽気さに戸惑いながらの驚き。

そして、はじめてのランチで、牛のふんや真っ黒になるほどのハエの大群!何よりも耐え難い「田舎の香水」のにおい、どうしても、食事が出来なかった思い出!

あの時は、本当に「今ここにいる事、ネパールに来たことを後悔したものです」

ですが人間とは、私はですが、「慣れる、順応する」ことが得意だったようで、何日か歩いているうちに<ハエ>も<におい>も気にならなくて、むしろ、素晴らしい風景の中で食事が出来る事を楽しんでいる自分に気づきました。

あのはじめてのネパールの山旅が私をより山への思いを深くして、のめりこんでいったようです。
それからの私はひたすら、山登り、岩登り、雪山へとどんどん深みにはまって行きました。

山を登るために働き、お金を作る事の繰り返しで、寝る間も惜しんで突っ走った人生!
結果的に無理を重ねてきた体には限界がくるもの・・・

数えきれない思い出が、ダイヤモンドの輝きとなって輝いてる、幸せな人生だと感謝しています。

ネパールの一日も早く平安をとりもどせる事を願い、祈りながら・・・

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読み返しが出来ないのでおかしな部分があるかもしれませんがお許しを!

落ち着いて考えれば・・・

2015-03-30 15:02:33 | あの日、あのとき


最近はテロやなぜ?と思うような航空機事故が多いのが気になる。

あれはもう何年も昔の事だけれど、南米に行った帰りの事、何度も乗り換えて、そのたびに乗り換えの待ち時間が長くて、それでいて、乗り継ぎの飛行機がいつ出るのかわからない、ただ待つだけの耐え難い時間!どこでも眠れる人は良いが、私は眠れない人間なので、最後の乗り継ぎのニューヨーク、ケネディー空港で惨めな大失敗をしでかした、今も思い出すと恥ずかしくて、ひや汗が出る。

なにしろ、長い時間寝ていないのと、20日近い山旅の疲れから、ちょっとした判断もできなかったようで・・・

ケネディー空港で、あれは多分、正規の出口ではなかったのだろう!
なにを、どうしてあのドアを開けたのか?ドアを開けた瞬間に<クマみたいに大きな黒人の男性に両手で押さえられてがんじがらめ>そのうえ、頭の上から大声でまくしたてられ、私は、頭が、真っ白、何が何だかわからなくて、怖くて、泣きそうな状態になってしまった。

私はこれからどうなるのだろう、ただ怖かった!

落ち着いて考えれば何のことは無い!
一歩違ったドアを開けたらそこは<アメリカ>だった!
正規の出口ではないから<不法入国者>になるところだった!

セキュリテーを通れば何のことは無い!<無事通過>

今、思うに、現在だったら、銃で撃ち殺されても仕方なかったかも?

何とか、アメリカ入国が出来て、その夜はニューヨーク泊!
あの有名な、ティファニーのお店の近くのホテルに泊まって、その夜のデナーは、美味しいステーキだったそうだけれど、私はおなかが痛くて・・・
その次の日はニューヨーク観光だったけれど、<自由の女神>もその他いろいろといったようだが、私はただ、バスの中・・・

もう一泊したかどうかは忘れたが、飛行機に乗ったは良いが、その年のニューヨークは何年かに一度の大雪で、飛行機は雪かきを何度も、何度もして、長く待たされたが、無事飛び立ち帰国できた。

十数か国の山旅で、その時、それぞれに思い出深い、忘れがたい出来事があった、今、テロや世界情勢の変化で、私が旅した頃とは違う怖さがあるのだろうと思う、旅は良いものです!
私の今は、国内の旅もなかなかできないけれど、小さな旅くらいは出来る体で居たいです。

<歩いて><歩いて>

糸魚川の海

2015-03-05 13:58:08 | あの日、あのとき

今の私、身辺整理ではないが、古い写真を整理している。

思えば、たくさんの写真が残されている、元気だったころ日本の山はもちろん、海外の山へも出かけていた。

体がダメになって、そのつらさから多くの写真を捨ててしまったけれど、どこかで捨てきれずに残された思い出写真が今もまだ時々出てくる。

そんな中に糸魚川の海の写真があった、北アルプスや雨飾り山などあの辺の山が大好きで何度も出かけた山々、その時々に糸魚川経由で帰ってきた。

山から下りて糸魚川の海を見ると、特別な感動が私にはあった、その感情をつたない小説のいくつかに書き込んだ思い出の場所だ。

もうすぐに北陸新幹線も開通するそうだし、もう一度、糸魚川を旅したいと願っている。

それにしても<あの海の色は>
 <言葉に表せないほどの美しさ>だったと思うのだが・・・

古い写真はやはり思い出と共にセピア色になってしまったのだろうか・・・

光さす中へ

2015-02-26 15:00:23 | あの日、あのとき

貴女はまぶしいほどに
輝いて生きてる

遠くから
そぉ~っと
のぞき見る

元気でよかったね
きれいでよかったね

貴女は素敵に輝いてる

今の私
ちょっといじけて
貴女を避けた

貴女は何も悪くない
だけど私は言葉が出ない

あの日はごめんね
見て見ぬふりをして

とても惨めな私がいて
素敵な貴女に嫉妬した

でも本当は貴女が羨ましい

今日、今、心から
輝ける貴女を誇れる友として

貴女のお邪魔にならぬよう
貴女の後ろ姿を追いましょう

平和への祈り

2015-02-02 15:17:07 | あの日、あのとき

この場所で言葉をつづらせていただき、そしてたくさんの方にお読みいただけて嬉しく感謝いたしております。

書く言葉のほとんどが元気で動けたころの思い出が主流になっていますが、体が動かない分、いろんな思いがよぎります、私が元気で海外に出かけられたころは今よりはどこの国でもどんな場所であっても安全だった良い時期だったと思いながら毎日のニュースを見ています。

私の大好きなパキスタンでもいろいろと危険なことが起きているようです、同じ教えを信じながら解釈の違いで争い、憎しみ、そして人間としての良心をなくして過激さだけを信じてしまう人々・・・

この平和で穏やかな日本に住んでいる私たちは本当に幸せ者、感謝すべきことなのです、ともすれば隣国の脅威をも忘れがちです危機は私たちのすぐそばにもあるようです。

心無い人の人間性をなくした行為をニュースで聞くたびに「なぜ、どうして、こんなことができるのだろうと」思い悩みます、北朝鮮をからめた韓国のドラマなど見ていると本当に恐ろしくなります、どうか現実ではなく、ドラマの世界だけなのだと祈りたくなります。

私のできる事!それはこの場所で平和について言葉をつづること、そしてだれかひとりでも心に伝わることを願い、祈ります。

暴力から暴力が生まれ
憎しみから憎悪が膨らむ

今、なにをすればいい

ただ祈ろう

無力だけれど
不安だけれど
何もできないけれど

ただ祈ろう

たくさんの矛盾があって
たくさんの理不尽があって
たくさんの苦悩があって

ただ祈ろう
平和を

あの日、あの時
君に出会った

今、幸せな大人になったの

遠い、遠い地
たくさんの時間が過ぎていった

忘れないあの日

 


音楽の力、記憶の中の音

2014-10-13 13:03:58 | あの日、あのとき


   <美しき人、いつだって心に感動を届けてくれる、ビョンホンさん>


昨日の朝、ひさしぶりで「題名のない音楽会」を観た、耳がダメになってからは大好きだった音楽も心に伝わってこなくて悲しくて聴くことを諦めていた。

言葉や音量を高くすると雑音として聞えて頭が痛くなるし、言葉が聞き取れないイライラで辛くなるのでテレビもパソコンも55インチ大きい画面の文じを痛む眼を労りながら楽しむのが私の日常だ!

なにげなくテレビをつけたら「題名のない音楽会」だった、しかも、大好きな「ラフマニノフ」だった!耳が大丈夫だった頃はほんとうによく聴いた、ショパンやモーツアルトなど¡飽きもせず、お気に入りの曲などは朝から晩まで何度も何度も聴いていた!

今はなさけないことだが曲の題名が出てこないのだ・・・

けれど昨日は少し違って聴こえて?「音楽の力?」なのか心が揺れたのだ!あの元気だった頃、聴いた「ラフマニノフ」だった!感動がよみがえって、胸があつくなった!!!

今、眼をとじるとうかぶ、「ラフマニノフ」の曲の旋律!強くダイナミックに、そしておだやかに、記憶の中の音楽の調べが私に伝わりくる、音楽の力だ

そして思った、私はなんて幸せな人間なのだろう、眼と耳、そして少し不自由さがあっても手も足も動く、走る事は出来ないけれど歩ける体があることの感謝を忘れてはいけない!

心をゆらす感動!美しき感性が命を、生きる意味をさとす!!!

記憶への道

2013-11-19 23:50:03 | あの日、あのとき


      ★写真は国際山岳ガイド、近藤謙司さんよりお借りしました★


なんの前ぶれもなく

突然あらわれる記憶

あの場所から

消えてしまったのはいつ?

希望だったこの街を歩く

灼熱の太陽と嵐をひきつれて

眼を閉じて深呼吸した

記憶とあこがれは

いつだって私をとりこにして

蜃気楼は儚くも去っていく

あの頂まで、さぁ~がんばろう

記憶の中で胸の鼓動が息づく

黒く光り輝き、とてつもなく高く大きい

憧れの師はいくどこの道を歩いただろうか

この胸のさきにつづく

大望の白き山々を求めて

はるかに遠い日の

記憶とあこがれをのこして

今、私は生きてる

祈り

2013-11-18 23:53:53 | あの日、あのとき


   ★写真は近藤謙司さんよりお借りしました★


<祈り>

ただ言葉もなく

みえぬ世界にささげる

心だけがその存在を知る

魂だけがづうじて

この祈りだけがとどくだろう

すすむべき道の険しさが

どれほどの高き望みであっても

ひとすじの光さす道しるべ

祈り

それは無限の可能性をしめし

邪悪の魔物をさえぎり

静寂の中できく鼓動

孤独と極限の闇を耐え抜く力

祈り

オ ン マ 二 ぺ 二 フ ム

今この危機から守りたまえ

いつの世も平安なれ

宇宙(そら)から

2013-11-17 23:57:18 | あの日、あのとき

       <写真は近藤謙司さんよりお借りしました>



遠い、遠い、そらの上から

誰かがみつめる世界

そこにはたくさんの力があつまる

ひとつひとつの窓には

今日この日を生きて働き

よろこびに笑い

悲しみに涙して

一生懸命に前にすすむ人がいる

だれも気づかないけれど

遠くの遠くのそらはみている

天の星のもっと遠くで

いつの日か行くことが出来るだろうか

今日の苦しみを乗り越えて

あすの喜びに感謝して

そらに向かうときのために

人々は今を生きる