今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

約束

2015-12-30 15:51:33 | あの日、あのとき

あの日
遠い昔
約束をしたね

けれどこの私
まだ何も
果たされていない

このまま
時間だけが過ぎていく

果たせない約束

今、この心の中で
あまりにも
重くて

いつだって
自分に
言い聞かせてる

まだ、大丈夫だと

きっと、果たせる
こんなにも
真剣な想いが
今の私を
生きさせてる

この年も
数日で終わってしまうけど

またひとつ
歳を重ねてしまうけど

きっと、きっと
あらたなる想いで
あの約束を心に



冬が来る前に

2015-12-30 15:50:33 | ひとりごと

相変わらずの不調だけど
今日は少し、なが歩きのさんぽ
行きかう人はそれぞれの人生を
生きてるのだろうな~
ふと、そんな思いになる

我が家の相方も
どうやら足が痛むようで
ずり足になる
頑固爺さん愚痴は
言わない

ひとりで散歩すると言うと
必ず、ついてくる
もうすこし、自分をいたわってほしいのに
痛むとは言わずに
引きずりながらの歩く姿が
なんというか
切ないようで
心が痛む

冬が来る前に
痛むふたりは
どうすればいい

たとえ、家族でも
他の人の
本当の痛みはわからないから
お大事に
そんな一言だけが

今日のさんぽ道で
会話する
痛むふたり



残酷な歳月 31 (小説)

2015-12-30 15:31:53 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十一)

ふと、立ち寄った、アドベンチャー・ガイズ社で、カトマンズまでの飛行機便とホテルを何泊か、手配、予約して貰っていた。

ジュノは、飛行機が大の苦手だ!
だから、無意識のうちに、関西空港から、カトマンズまで乗り換えのない直行便を取ってもらった。

飛行時間の短い、ネパールへの直行便を選んだ!

大阪まで、新幹線で、行く、車内での事は、ほとんど、覚えていないが、誰か?どうも、知り合いに出会ったような記憶が、定かではないが、心の片隅で、気になっていた。

この出会いが、後に、ジュノを大きく、成長させて、導いてくれる、ジュノはそういった優れた人の縁を引き寄せる、強運を持っていた。
だが、この方、「清宮吉野」と言う、人物に、仕事の面で、大きな力になってくれる出会いは、まだ、まだ、先の事!

ジュノは、この数ヵ月後に、新たなる人生を歩き出す為の力を与えてくれる人だった事が、その時は気づけずに、ただ、挨拶を交わしただけで、ふたりは別れたが、「清宮吉野」は、この時のジュノの姿を覚えていて、後にその事を印象深くはなした。

『地域医療を実践している事での権威、清宮吉野』
そういった点では、ジュノは人の縁の不思議さと
『魅力がある人間なのだろう』

関空から飛び立った、「ロイヤル・ネパール機」は中国のどこかの都市で、給油の為に二時間ほど、滞在した。

その時、周りの、ほとんどの乗客が、降りて、がらんとした飛行機の中は、人々のエゴをむき出しにした、ごみが散乱した、見るに耐えがたい状況!

ジュノは、あけられたドアーから、もわぁ~と、息苦しいほどの重く、熱くて、湿気の含んだ風と共に、きつい臭いが、ジュノは一瞬に気分を悪くした。

鼻を突く臭いが、たまらなく嫌だった!

これから、ネパールで、トレッキングをするのか、多くの中高年と言われる人々がこの飛行機には乗り併せていた、その中には、登山靴を履いた人を多く見かけた。

それぞれに、これからの旅に夢を描き、楽しげに、はしゃぐ姿と興奮を乗せて、カトマンズに向かう飛行機は、時々、乱気流に大きく揺れ、一瞬、体が椅子から飛んで、宙に舞うほどの衝撃に、ひやりとさせられた!

そうかと思えば、まったく?
『飛行機のエンジン音がしない事の恐怖を』

ジュノは、こんな時、どんな科学も文明も信じられない、一人の気の弱い、ただの臆病な男になってしまう。

飛行機の外気?、翼が風をきる音さえ、全く聞こえない、無音の世界に、乗客たちは不確かな不安を抱き、ただ、緊張して、誰もが、冷たい汗をかき、呼吸を止めて、無音の今の状態を確かめて、
『エンジン音の響きを待つ!』

そんな事が、何度かあって、無事、カトマンズに着いた。

真夜中の一時が過ぎているはずなのに、入国カウンターを通り過ぎたと同時に、私の持っていた小さな旅行カバンを掴む、小さな手がいくつも、伸びてくる、幾重にも、折り重なるように!

絶え間なく伸びてくる、振り払っても、振り払っても、私が動く方向に、先回りしている、このような経験のないジュノは驚き、どのような対処をすればよいのか戸惑う・・・
少し歳かさな子のずる賢さが、ジュノをとてもイライラした気分にさせていた。

私は、はじめ驚きと不安で混乱したが、薄暗い中で異様なほど、その伸びてくる小さな手の持ち主は、どの子も異常なほど眼が強く輝き、たくましくて、どこか憎めない気分に変わって来た。

やっと、その場を逃れてタクシーに乗り、ホテルに着いた。

案内された部屋は、一人で使うには広すぎるほどの、外の雑多な風景と鼻をつく臭いとは、あまりにもちがう!
享楽な空間が広がる別世界だ!

清潔で、南国の花の香しさと色彩の落ち着いた古いヨーロッパ的な雰囲気の部屋は、今のジュノにとても気持ちの休まる空間であった。

ジュノは何も考えずに、手荷物のカバンをそのままにベットに倒れこむように、寝た!

厚いカーテンにさえぎられた、外からの淡い光は、浅い眠りを時には妨げもしたが、さほど、眠りを邪魔するほどの事もなく、三日ほど、何をするでもなく、時々、ホテル内にあるレストランで食事をして、お茶を飲み、ゆっくりと時間が過ぎて行く。

ホテルの中だけで過ごしてるジュノ
「朝も、昼も、夜も」

時間という観念が消えてしまったように、眠るでもなく、起きるでもなく、何も心の中にない、ただ、肉体がそこにいるだけのひとりの人間の存在だけだった。

誰ひとり、ジュノを知る者のいない日常が、少しずつジュノの中で変化が起きているのだが、ジュノ自身はまだ気づいてはいない!

ジュノは今、自分が何処にいるのか確かめるように!
「なぜ、ここにいるのかが、わからない時がある」

そして、夢の中で、起きた事のように、思い出しながらも、現実の事として、受け入れるのには、あまりにも辛い、大切な人!
『りつ子と加奈子』
『ふたりの死!』
を認められずに苦しんでいた。


       つづく



残酷な歳月 32 (小説)

2015-12-30 15:27:51 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十二)

このような、見知らぬ地に漂流したかのように、たどり着いたジュノ
けれど、まだ、この雑多な街が、ジュノ自身の心の目には見えていない、
『現実の世界!』

このような、ジュノの無意識の行動というには、あまりにも現実的ではない、ジュノの行動は、それだけジュノの中で、耐えようも無いい苦痛だったが、ジュノの身近にいる人たちには、到底理解出来る事ではなかった。

だが、ジュノは、誰かに、理解して貰おうとは思わずに、ひとりで、この雑多な街に身を置く事で、辛うじて、現実の苦しみから逃れられる、錯覚にとらわれていた。

「何かに、ジュノ自身が救われている幻」
「実感の無い、感覚が、なぜか、うれしかった。」
ネパール、カトマンズの街にたどり着いてから!
ジュノは一瞬、加奈子の幻を見たような気がして、何度も夢みる!

夢の中の君は美しくて
ただ微笑みかけてくる
瞳で私に語り
美しく咲き香る花のように
手招きをする
見知らぬ君の姿
愛する君はそばになくても
通じあえたふたりが
私をおいては行けない
この世界に生きて
見知らぬふりをする
彷徨うだけのふたりの心

「夢の中の君、何時も、その姿は、笑顔でジュノに駆け寄って来る加奈子の姿」
「あの美しい肉体がジュノを包み込んでくれる」
「柔らかで、ジュノの手が、魔法にかけられてしまう!」
「あの全身に走る熱いエネルギー」
「ジュノと加奈子の力強い鼓動がお互いの言葉!」
「全身を幸せの波が響き渡るような感触!」

そんな瞬間を何度も何度も現れては消えていく、幻を見ていた。
ジュノは目覚めてもまるで、夢の続きがある、そんなふうに思えるのだった。

少しずつ、カトマンズの重い空気にもなれたのか、目的のない旅の不必要な動きは、時として、思いもしない風景に出くわす。

『無表情のまま、ただ歩き続ける人の波の怖さと異様さは幻なのか?』

ホテルから、街の雑踏の中へ、ジュノが一歩踏み出し、気づかされる、人の息づかい!

いつの間にか、夕闇が迫って来たと、思った瞬間に、すべてを暗い闇が迫り来る恐怖を避けようとしてただ、やみくもにさ迷い歩く!

明かりのない、手さぐりの心もとない歩みがなお、不安感を大きくして、街中の雑多な音がジュノに迫る、
『人の足音なのか、ザック、ザック、と』

それは、見えない人々が、今にも襲い掛かって来る、恐怖を感じて、混乱が増幅して行く、ジュノは無我無中でただ、ひたすら歩いて、ホテルに急いで帰るしかない!

このホテルにもう何日、滞在しているのだろう、早朝の深い霧の中を、淡い光が射す、眠れないままに、光射すほうへ、ジュノは又、街に出た。

目的のない、ただ彷徨うだけの、何かに頼りたい、救いを求めて歩く、
『巡礼者のような、ジュノの姿』

今、目の前で観る人々の暮らし、ここでは人間が自然に生れて、消えて行く情景が、あまりにも、日常的に、誰もがこだわることなく、過ぎて行く!
この雑多な風景に、似合いすぎている
「強烈な臭いと共に!」

「人の生と死が隣り合わせで起きている」
今、起きている死の現実を、誰一人、あわてふためく事もなく、道端に息絶える人が横たわっている傍で、神のお使いである牛がのんびりと餌を噛む光景はジュノには不思議と違和感を感じる事のない、心に穏やかさをもたらす事であった。

夕闇の迫る対岸の川辺では死者を送る儀式の青い炎が闇と重なり、幾重にも揺れる炎!
『魂の燃え尽きる炎』

ジュノにはなぜか、恐怖などのない、この情景が、とても厳かで、美しい姿に見えていた。

その夜、ホテルのベットで横たわるジュノは、原因のわからない、高熱にうなされて、何度も、加奈子の名を呼び、姿を追い求めて、泣きながら、許しを請う!

何処からか、加奈子がジュノを呼ぶ声が聴こえて来るのに、ジュノは加奈子を抱きとめる事が出来ない事がもどかしい思い!
ジュノは体の快復を待って、
『加奈子との約束の場所!』

『アマダブラムの見えるクムジュンの村』へむかった。

そこに、加奈子がいて待ってくれるような、ジュノの身勝手な思いを抱く、微かな望みで、すべての願いが叶う気がした。



      つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この小説は2008年頃、書いたものです。
わたしが元気だった頃、3回、ネパールへ山旅をして、経験し感じた事など、織り交ぜての小説ですが、ごぞんじの事と思いますが、今年4月にネパールで大地震が起き、たいへんな被害を受けて、カトマンズだけでなく、多くの村が壊滅状態で、今も復興が進んではいないようです。
私が山旅をした頃とは違った環境かもしれませんが、書いた頃の想いのままに連載をつづけさせていただきます。

これから、ネパールは冬の季節、寒さの中でテントも足りない状態のようです。
ネパールへの復興を願い、≪しゃくなげの花プロジェクト≫を立ち上げて、これからもネパールを応援していくそうです。

近藤謙司さんのブログをお読み頂いて
再び、ネパールへの関心を持っていただくと嬉しいのですが。

近藤さんのブログ、アドレスです。

http://blog.goo.ne.jp/kenken8848


残酷な歳月 33 (小説)

2015-12-30 15:27:00 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(三十三)

ジュノの傲慢さから、かすかな罪意識としてめばえた、懺悔する心が、ジュノの弱った心と体が、いつの日か、加奈子とふたりで旅をする
『約束の地、アマダブラムの見える丘に向かった!』

ジュノは、そして、何かに導かれるように、さ迷い歩き、タンボチェの僧院を訪れた時、ある高僧がジュノの姿を見て、伝え、言った!

『貴方の苦しみはもうすべてが消えている』
『君の愛する人たちは、すぐ近くで待っている』
『貴方は人を生かし、心を与える!』
『人の世に尽して生きる!』
『道なきみちを極めてこそ!』
『待つものへ届く道しるべ!』

この言葉が、ジュノの体をがんじがらめにしていた、すべての見えない鎖を解き離してくれたような思いになった。

ジュノは加奈子への愛がまだ自分の中で絶つことの出来ない、強い想いとしてある事に気づいた。

改めて、自分の愚かな行動で、加奈子を死に追いやってしまった事の重大さと、後悔と自責の思いで、今、眼の前の風景!
『アマダブラム』
の美しい姿が、時として、加奈子の微笑みに見えてきて、なお切なかった。

気がつけば、ジュノは、懺悔の思いと、何かにすがるような、頼りなさの中で、ヒマラヤの山すそを、ひと月ほど彷徨い歩いていた。

だが、いつしか、ジュノ自身が気づかない心の変化があったのだろうか、医者としての自覚が自然なかたちで、おとずれた村々で、病める人々の苦しみを見ていて、ジュノはその場で、出来る簡単な医療行為を施していた。

その事がジュノの心の苦しみを和らげている事も事実であった。

おおよそ、医療設備など、とは言えるものではなかったが、いくつかの村には、外国からの援助で、過去に医療従事者がいた形跡があったが、そのほとんどは、使えるような医療器具ではないことが多く、時には、なぜなのか理解出来ない、驚くほどの最新の医療器具が置いてある事もあった。

電源のない山奥で、又、この最新の医療機器を使いこなす人間がいない事の現実を、どう判断すればよいのか?

これが使える場所だと考えて、この器具を運び込んだのだろうか!

あまりにも、ちぐはぐな心使いは、そこに住む人々に対しても、迷惑な事であり、失礼な事ではないだろうかと、ジュノは、腹立たしく、又、暗い気持ちにさせていた。

ジュノは気がつけば、医者としての最低限の役割を果たしていた。

医療設備や薬品のほとんどない村々で、なんとか、その場を切り抜けて、ジュノは出来るだけ、請われるままに、急場しのぎの医療であっても、最善をつくして治療をしていたが、同行している、ネパール人の道案内人「パサン」は、突然、ジュノに聞いてきた。

「ミスターイ」はこのまま、ネパールにとどまって、ドクターを続けてくれるのか!と尋ねてきた、ジュノは、いきなり尋ねられて、返事に困ってしまった。

これからどうするか、など、何一つ考えてはいなかった。

ただ、加奈子との約束だった、『アマダブラム』を観ていたい!
その事しか、頭になかったのだった。

パサンは、ジュノにストレートに尋ねてきた、病人を助けてくれる事はとても嬉しいし、ありがたいが、ネパールにいてくれるのでないのであれば
『予定を先に進めるほうがいいよ』
ただそれだけを言って、後は、何も尋ねては来なかった。

ただ、パサンの独り言のように
『村の大切な薬が無くなってしまった!』

そう言っているのを聞いて、ジュノは人助けの為にした事が、何かが、違っていたのだと気づかされたように思いながら、何がいけない事だったのかは、今は、判断出来なかったけれど、ジュノの心に重い課題として考えるべき事なのだと思う!

ここではジュノの価値感で、物事を判断する事は、まちがっていたのかも知れない!

一時しのぎの手助けは、確かに病人の体や心を一時的には柔らげる事が出来るかもしれないが、それは見せかけの行為になってしまう事なのだろうか?、
ジュノには、どうしても理解出来ない事だった。

パサンの言おうとしている事!
ここでは、どんな時も、自力で乗り越えなくては、生きて行けない現実がある。


          つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この小説は2008年頃、書いたものです。

わたしが元気だった頃、3回、ネパールへ山旅をして、経験し感じた事など、織り交ぜての小説ですが、ごぞんじの事と思いますが、今年4月にネパールで大地震が起き、たいへんな被害を受けて、カトマンズだけでなく、多くの村が壊滅状態で、今も復興が進んではいないようです。

私が山旅をした頃とは違った環境かもしれませんが、書いた頃の想いのままに連載をつづけさせていただきます。

これから、ネパールは冬の季節、寒さの中でテントも足りない状態のようです。
ネパールへの復興を願い、≪しゃくなげの花プロジェクト≫を立ち上げて、これからもネパールを応援していくそうです。

近藤謙司さんのブログをお読み頂いて
再び、ネパールへの関心を持っていただくと嬉しいのですが。

近藤さんのブログ、アドレスです。

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残酷な歳月 34 (小説)

2015-12-30 15:26:02 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(三十四)

村人たちが出来る事、それはお互いを助け合いのルールで、生き抜く事が大切で、その為のそれぞれの意識や団結した気持ち、人の輪のゆがみが起きる事が、一番怖い事なのだと!

パサンの、真正直な生き方、黙々と歩く、物言わぬ姿で、ジュノに伝えようとしているのかも知れない。

その後、ジュノは、パサンのすすめもあり、ただ、アマダブラムにより近づける場に向けて歩いて行った。

それは、医者としての自分を意識せずに、前へ進む事が、旅行者としての勤めなのかもしれないと思いながら・・・

加奈子と何度も写真で観た風景!
『アマダブラム』が今、眼の前に、聳え立つ!

その美しい姿と永遠の光に、包まれた暖かさを感じて、ジュノは、ただ、涙が流れた!
そして、タンポチェの僧院の高僧の祈りの中で語り、伝えてくれた言葉。

ジュノが聞いたあの言葉を改めて、この場所でジュノは心の奥深く刻み祈った。
加奈子への詫びる思いと、恋しさがつのる!

後悔の思いがいつまで、『アマダブラム』に触れていたい!

ジュノはその場にたたずみ、去りがたい感情で祈り、冷たい風に身をおきながら、この美しい風景を、加奈子は、いつか、きっと観る事が出来るような、強い想いと願いを持った。

ふと、ジュノは加奈子が生きていると思えて、不思議なほど、ジュノの心が穏やかになり、確信を持った、加奈子に又逢える!

加奈子に逢わなくてはと思う気持ちが、加奈子の生と死の動揺などみじんもない、確信となって、ただ、加奈子に逢いたい!
加奈子が恋しかった!

とにかく、東京に帰ろうと、ジュノは決心して、立ち上がった。

美しき人は確信する
君は今私に命を
たとえようのない力
気づかない心が
約束の場所で
ヒマラヤの嶺がおしえる
後悔の心を
今物言わぬ自然の力が
生きる道しるべを奏でて
君へたどり着く想い

ネパールから帰国しても、ジュノは大学病院へ、外科医としては復帰しなかった。

むしろ今のジュノは外科医よりも、「心療内科医」として医師をつづけて行きたいと思うようになっていた。

だが、ジュノの精神的な心のよりどころである、「ヒマラヤ杉医院」では今のジュノがすべてをつぎ込む事が出来ない、たくさんの問題や事情があった。

東京に戻ったジュノは、加奈子が死んだと言う、マークの一方的な連絡をジュノは信じていなかった、だから、今、加奈子に逢わなくてはいけないと思う!

けれど、長い間、仕事から離れていたジュノは、とにかく、なすべき事が多く、忙しく時間が過ぎて行く!そのなかでジュノは
『加奈子の死は絶対にないと確信していた』

確かに、加奈子に対して、ジュノはひどい仕打ちをしてきたが、ジュノの我儘を加奈子は、いつだって許してくれる事に慣れすぎていたジュノの身勝手さが、今、悔やまれるけれど、加奈子が死ぬ事など、ジュノは一度も考え事もなかった。
ジュノには絶対にありえない事だった!

お互い、言葉にこそ出してはいないが、ジュノと加奈子の間に子供がいても、不思議ではない!

自然な男女としての関係だったから、加奈子の生んだ、息子は、たとえ、現実にはジュノとの血縁関係がない事であっても、ジュノと加奈子の愛すべき子供として、今は、ジュノの中では受け入れていた。

だが、今、加奈子への連絡が取れない事が、ジュノには理解出来ない、生来の持つ我儘な性格なのだろうか?

加奈子の一番身近な存在である、加奈子の母が今、何処に住んでいるのかも知らなかったが、ジュノはなぜか、不安に囚われることはなかった。

だが、不思議と、加奈子は生きている!と、確信しているジュノだった、その強い思いは、やはり、優れた人間性と意志の強さが確信を持たせていた。

ジュノが、加奈子に対して、ひどい仕打ちをした事で、加奈子は姿を隠して、ジュノを困らせていると思いたいのだろうか?

そんなふうにしか、考えられない、ジュノの身勝手で、ジュノの隠された、幼稚さから来る、ジュノ自身も気づいていない、そんな思いがあった。

りつ子の死は、外科医としての認識で、受け入れられても、加奈子の死は、マークの電話連絡だけだったから確かめようがないし、ジュノは確かめる必要がないとさえ思っていた。


  つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この小説は2008年頃、書いたものです。

わたしが元気だった頃、3回、ネパールへ山旅をして、経験し感じた事など、織り交ぜての小説ですが、ごぞんじの事と思いますが、今年4月にネパールで大地震が起き、たいへんな被害を受けて、カトマンズだけでなく、多くの村が壊滅状態で、今も復興が進んではいないようです。

私が山旅をした頃とは違った環境かもしれませんが、書いた頃の想いのままに連載をつづけさせていただきます。

これから、ネパールは冬の季節、寒さの中でテントも足りない状態のようです。
ネパールへの復興を願い、≪しゃくなげの花プロジェクト≫を立ち上げて、これからもネパールを応援していくそうです。

どうしても、気になってしまい、何度もお願いしていますが・・・

近藤謙司さんのブログをお読み頂いて
再び、ネパールへの関心を持っていただくと嬉しいのですが。

近藤さんのブログ、アドレスです。

http://blog.goo.ne.jp/kenken8848




残酷な歳月 35 (小説)

2015-12-30 15:25:01 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(三十五)

だが、なぜか、混乱した中で、加奈子との約束の「アマダブラム」をどうしても見たくなって、ネパールへ出かけたのか、今になってジュノは不思議に思えるのだった。

ジュノの中で、加奈子の存在の大きさを思い知らされていたが、ジュノは孤独だったが、寂しさや切なさは耐えられていた。
『加奈子はきっと元気でいる!』

そう思うことで、どうにか冷静になり落ち着きを取り戻して、ジュノは、これからの生活を考えていた、ネパールから帰国して、ジュノは、小さな病院をはじめた。

外科と心療内科をメインに、いずれは、総合病院として運営していく準備を進めていたが、ジュノの計画よりはるかに、早いスピードで、多くの事が進んで行く!

だが、ジュノは、人の縁には恵まれているようで、スタッフも、ジュノを頼りにして来てくれる者も多く、又、経営の面でも、ジュノの外科医としての知名度があることで、開業と同時に、訪れる患者も多く、順調すぎるほどのスタートであった。

部屋数は少ないが入院患者用の部屋もあり、ジュノの考えていた事よりも、はるかに多い患者がおとずれてくる忙しさで、ジュノは対応に苦慮していたが、必死の思いで来る、患者さんのその気持ちを大事にしたい!
『出来るだけ患者さんの希望を受け入れたい』

だが、時間とスタッフの不足がジュノの想像をはるかに超えていて、以前よりも、ジュノ自身の体を休める時間も無いほどの日々だ。

だが、以前のジュノとはちがって、前にもまして、仕事の的確さと優秀さを発揮していた。

そんなある日、突然、ジュノの元に、荷物が送られてきた、差出人も住所も書いてなくて、だが、長野からの取り扱い印が記されていた。

荷を開けて、驚いたのは、母が最後まで大切に持っていた!
『あの詩集、反戦の詩が載っている!』

同じ本が、三冊と大杉さんからの長い手紙が入っていた。
『大杉さんから送られてきた荷物だった』

大杉さんの手紙には、
『今、自分がいる場所は、言えない!』

おそらくは、私は、もう、長くは生きられないだろうと思う。
『肝臓がんの末期のようだ!』

ながい間、君たちを避けて来たけれど、今しか、すべての事を話す機会がないと思い、ここに、すべての事を書き残す事にした。

だが、ジュノ(寛之)も樹里も、この伯父さんを信じてくれるかが、本当に心配です!
先ず、何から、話せばよいのか、思いばかりが、先走り、言葉にならない気持ちが辛い!

君たちへ、たくさんの許しを請う事があって、気ばかりが焦りますが、今、この頭に浮かんだ事から、ひとつ、ひとつ、書きますから
『必ず、読んでください、お願いします!』

一番に知らせたいのが、あなたたちの韓国の祖母!
『私と君たちの実の母、君たちの祖母は』
今、日本に住んでいて、元気に暮らしています。

そして、私、『大杉春馬』は、
『君たちの本当の、母方の伯父です!』

君たちの実の母
『イ・スジョン』
は、父親がちがうが、私、大杉の妹なのです!

君たちのおじいさんは
『イ・ゴヌ』
と言って、朝鮮半島が、日本に統治されていた時代に、小さな、出版社を営みながら、危険な状況の中で、密かに!
『朝鮮の民族が、日本の統治から独立する事!』
日本政府の厳しい監視の中で、独立運動をしていた人です。

その、独立運動の仲間だった、私、大杉の実の母、君たちのおばあさんは、十七歳の時に、『朝鮮総統府』に出入りしていた日本人なのか、それとも同胞の人間だったのかわからないが、拉致されて、ひどい拷問を受けた中で、暴行されて、その時に出来た子供が、私!『大杉春馬』です。

あまりにも、衝撃的な事で、驚いた事だろうけれど、すべての真実を、君たちには知ってほしい、知っておくべき事です。

私が生まれた何年か後に、私、大杉の母
『キム・ソヨン』

は君たちのおじいさんである
『イ・ゴヌ』さん

と結婚して、生れたのが、君たちの母
『イ・スジョン』なのだよ!

私の父は、誰なのか、確かな事ではないが、私が成人して、大分時間が経った頃に、私の父だと思われる人物が、外交問題を専門に研究した人物として、名をなした人物だそうで、つい最近まで、政治家として活躍していたのだと、人づてに聞いた事だ!

しかも、朝鮮問題を研究し、論文に書いて、発表して、絶賛された事を、今、日本に住む、私の母『キム・ソヨン』は、かなりショックを受けたそうだが!

私には、何一つ、話すことなく、耐え忍んで、日本で、生きて行く事を幸せな事と考えたようです。


                  つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。



残酷な歳月 36 (小説)

2015-12-30 15:23:11 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十六)

君たちがこの真実をどう、受け止めるか、私が答えを出す事ではないと思う!
ふたつの国の不幸な時代に、朝鮮の人々は!

『民族の誇りである、朝鮮語を奪われた!』
『強制的に日本語を話さなくては、生きて行けない時代だった』
『人が生れて、はじめて話す、馴染んだ言葉!』
『たとえ、朝鮮の人間であっても!』

あの時代に、日本語で育った人間は、物事を考える時!
『民族の言葉ではなく!』
『考える人の、思考回路を!』
『日本語がすべて、先んじて、決めてしまう事の、悲しみを!』

少しでも良いから、心の片すみに留めておいてほしい!

君たちが、なにより、一番知りたい事は、なぜ!、穂高での事故が起きたのか?
『真実を知る事だろうね!』

私にも、今だ、どうして、あの忌まわしい事故が起きたのか、わからないけれど、お互いの誤解から、あんなむごい事故が起きて、その後の行き違いや、まちがった情報が伝わり、君たちや、お母さんに申し訳ない事になってしまった。

ジュノはもう知っているだろうが、君たちの実の両親は、両方の家から、結婚を認めてもらえなくて、特に、蒔枝の家では、父である
『蒔枝伸一郎』は結婚したと、同時に勘当された。

その事で、岡山の実家とは、まったくの音信不通の状態になってしまった。
ジュノ(寛之)と樹里が生れても、蒔枝の家からの許しがなく、一切の連絡さえ、出来なかったから、君たちが岡山の蒔枝の家の事を知らなかったのは当然なのだよ。

君たちの母『スジョン』は、私が、兄だと言う事を知らされずに!、たぶん、日本に留学する時に、韓国の両親からは、私は、日本での、在日韓国人の一人で、その頃には、反戦運動家として活躍していた。
『イ・ゴヌ』『キム・ソヨン』

ふたりの大切な、日本での支援者なのだと、聞かされていたようで、私は、一度も「妹、スジョン」からは、兄として接して、又、兄として、名前を呼んでくれた事がなかった。

だから、君たちの母は、死ぬまで、血を分けた、兄の存在を知る事なく、亡くなってしまった事が私にも悔しく、悲しい事だ。


私自身も又、隠された『存在』だったようで、辛い!

だか、今も、実の母や義父(イ・ゴヌ)の考えが、理解出来ないけれど、何か、真実を告げられない事情があったのだと、思う事で、私も、兄だとは告げずにかげながら、妹を、そして君たちを心から愛し続けていたのだよ!

当然の事だが、君たちの実の父「蒔枝伸一郎」にも、私が、「スジョン」の兄だとは知らせていない!

そして、韓国への支援者の在日韓国人の仲間のひとりとして、付き合い、同郷だった、親友の君たちの父である
『蒔枝伸一郎』へ、大切な妹『スジョン』を紹介したんだよ。

私は、君たちの家族と過ごす時間が、最高の贅沢であり、いつも、
『最高の幸せな時間だった!』

君たち家族に登山やハイキングを進めたのは、僕だからね!

朝鮮動乱の時は、とても苦労したが、朝鮮の親族の多くは、北朝鮮で、行方不明になったが、君たちの祖父母は韓国を選んだ。


(穂高でおきた事)

私の実の母と義父は韓国人として、韓国、いや、朝鮮半島が平和な地であって欲しいと真剣に考え、宗教者として常に祈り、その後も、表に立っての政治家ではなく「反戦運動」を続けていた人たちなのです。

韓国がベトナム戦争へ参戦する事になった時に、激しく抵抗して、おじいさんも、おばあさんも、しばらくの間、投獄された事もあるが、正しいと思う事を曲げずに、反戦運動を続けた人たちだ!

どんなに、辛い立場になっても
「平和への願い」
反戦の気持ちは変わらなかったが!

あの穂高での事故のあった頃に、韓国では、とても大変な
『悲劇的で物言えぬ時代』
になって、すべての運動が出来ない、独裁政治の武力に常に監視される状況になってしまった!

君たちの祖父母のふたりに暗殺の危機が迫っていて、身を隠す事になって、その時に問題が起きて、間違った情報が伝わった事で、韓国で同じ運動の仲間から、日本に住む、在日韓国人の方々からの支援金の横領の疑いをかけられてしまった。


  つづく



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。



残酷な歳月 37 (小説)

2015-12-30 15:22:19 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(三十七)

たぶん、韓国でも、母や義父の運動を、良く思わない人々がいて、権力に連なる組織があったり!
表向きは平和で、民主主義を語りながらも、あの時代は、誰もが自由に、もの言えぬ、時代でした。

目立つ運動を極端に嫌う、良く思わない人たちもいて!
あの時の隠されてしまった、真実!

今も確かな事が分からず、とても残念で、悔しいし、真実を明かす事が出来なかった、私の不甲斐なさは、あちらの世界に行った時に、君たちの父と母にお詫びするつもりだ!

この事の真実を明らかに出来ずに死ぬ事は、
『私は身震いするほどの怒り』
を覚えるが、もう、私にはどうする事も出来ないほど、体が動いてはくれない。

『今はただ、だれよりも、君たちに信じて欲しい、ただそれだけが願いです。』
『君たちの前で話せない事が、残念ではあるが!』
『君たちは、真実を見る眼を持つと信じています!』

だが、あの頃の政府と、反戦運動の同士からの疑いをかけられ、又、何者か分からない者に私の母、「キム・ソヨン」は謎の交通事故にあい、危うく命を奪われる危険な状況になった事や眼に見えぬ
暗殺の危険が身近に迫っていた事やそのような状況の中で、あの事故がおきてしまった。
同じ頃だった!

あの穂高への登山に誘ったのは私だ!
『一緒に山に行ける事が、何よりの楽しみだったからね』

まさか、あんな、むごい事故が、おきてしまうなんて、思ってもいなかった!

君たちのおじいさん、おばあさんは、政治家ではなかったが、日本の統治時代は、出版の仕事をしながら、独立運動を渾身の思いで、懸命にやっていて、とても、人々から信頼されていた、日本人の友
人も多くいた人で、知識人だった。

義父「イ・ゴヌ」と母は、危険から逃れる為に、韓国から、出て、日本で、名前を変えて、暮らす事になり、その時の手助けをしたのが私だった事から、多くの在日韓国人の方にも誤解され、その事が、君たちの両親にも不信感を持たれたようで、穂高を一緒に歩いて話し合い、誤解を取り除きたいと、登山に誘った。

「私は、神に誓って、話します。」
この不名誉な疑惑を抱かれた事件には、決っして、
『ふたりが不正はしていない事!』
『私も不正にお金の横領など、絶対にしていない!』
『この事を信じてください!』
だが現実に、在日の方々に支援していただいた、大切なお金!

かなりの大金が、何処かに消えてしまい、誤解が疑惑を生み、私と君たちの祖父母が横領した事になってしまった事で、益々、韓国の同士の方や在日の方々から、追われる立場になった事!

その打開策を話し合う為に、在日韓国人の実力者で、理事の方、数名を、私が案内して、穂高、奥穂高小屋で君たちの両親と会い、話し合う約束になっていたが、その方々が、なぜか、来てくれなかった。

その事で、君たちの両親と話をしている時に、誤解が生れて、言い争いなってしまい、君たち家族は、急に、帰る事になって、小屋出てしまい、私は、必死で、後を追いかけた。

あの場所で、あの事故が起きた場所で、追いついて、又、言い争いになった時、つい興奮して、君の父に触れたと同時に、伸一郎君と君は、浮石に乗ってしまって!
『滑落してしまったのだよ!』

だが、どんな言い訳をしても、君たちの父は戻っては来ないけれど、
許される事ではないが、神に誓って話そう、決して、突き飛ばすなど、絶対にしていないし、思ってもいなかった。

君の母と妹、樹里は、あの事故を眼前で見ていて、私を誤解して、おそらく、ショックが大きくて、私を恐れたようだ!、

君たちの母は韓国の両親の行方もはっきりとわからないまま、夫と、息子も、事故で、亡くなったと思い、自分たち(実の母と妹の樹里)も、いつか・・・
『私に殺されると思ったのだろう!』

あの穂高での事故で、恐怖と混乱の中で、君たちの母は、心が壊れていってしまい、恐怖だけが、増幅してしまったようだった。

私、大杉も今は、かなり、体も悪い状態で、ジュノと妹の樹里に、会って、今までの、君たちの運命を変えてしまった、悲惨な思いをさせた事を、何より許しを請いたい!

死んでも、死に切れない思いだと書かれた手紙が添えられていた。

何処まで私は悲惨な運命
明瞭なる姿は消えて
いつまで悲しみの道を生きるの
美しき人が願う
大好きな人は私を欺いて
この心を奪っていたのですか
今、新しい朝を迎える
しなやかなる肉体に光を
それはだれも邪魔など
出来ない大きな力
運命など打ち砕いて
自らの命が宿るエナジー


        つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

それまでの私は外国の事などにあまり興味が無く、ましてや韓国がお隣の国だと意識した、はじめての事でした。

私自身が統治時代の朝鮮で生まれた、日本人だと意識を持ったこともなく、その時までを生きてきましたから・・・

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。



残酷な歳月 38 (小説)

2015-12-30 15:21:35 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十八)

どんな思いからなのか、姿を隠して、居所さえ知る事の出来なかった、叔父だと自ら名乗った、大杉さんから突然の手紙は、ジュノに新たなる混乱と、ショッキングな真実を知る事になり、ジュノはしばらく何も手につかない状態ではあっても、開いたばかりの小さな病院だが、患者がひきもきらずに、訪れる現実!

あふれるほどの患者さんに、とうとう、ソウルの養父母がジュノを手助けする為に、駆けつける事になってなんとか、現実を維持できていた。

ながく日本の病院で外科医として勤めた経験から、ソウルの養父の尽力で、スタッフもなんとか、確保出来て、予定された外科手術や診療を行う事ができていた。

ジュノは、今まで、どんなに精神的に辛い状態であっても、外科医としての仕事に影響する事なく、メスを手にすると、あきらかに別人のように、意識を仕事に集中出来ていたはずが、今のジュノは、仕事に対して、あの頃のように、意識を集中出来ない事に、ジュノ自身も驚きと戸惑いで混乱していた。

何より、ジュノが驚きと混乱して、信じがたい事は、韓国の祖父母が、あの事故の直後に、日本に来て、在日韓国人として、今、現在も日本に住んでいた事だった!

祖母は今も健在だと伝えているが、大杉さんの手紙には日本の何処に住んでいるのか、記されていなかった事が、ジュノには信じがたい、不信感を覚えてしまうのだった。

だが、一方では、今すぐにでも祖母に会いたいと思う気持ちも本心から願う事だった。

何度も、何度も、大杉さんからの手紙を読み返し、又、養父母にも、手紙を見せて、大杉さんの居場所や韓国の祖父母が日本に来て、暮らしていた事を尋ねても、ただ、驚くばかりで、あまりに
も、想像しがたい事で、ジュノの養父母にとっても
『衝撃的な現実を知った』
『大杉さんと実母が兄弟であった事!』

これほどの事実を知らなかった事、親友の息子,寛之を自分の息子として名前をジュノとかえて養子として迎えて育てたが、真実を知って、その時の心情を言葉に出来ないほどの養父母の驚きだったろう。

ジュノの養父母は、韓国の祖父母や実母とは長い付き合いがあってもなを、知らされていなかった事、大杉さんは、日本に住んでいる、在日韓国人だが、日本人の大杉家に養子になっている
『大杉春馬』として、紹介されて、年齢的にも近く、友としての確かな信頼を持つ間柄だった!

ジュノの養父母は事実を知って、親友だと信じていた人間の裏切り行為なのだろうか?疑心を抱くほどのショックだった!

ただ、『大杉春馬』として、ジュノの韓国の祖父母にはじめて紹介されたのは、まだ、大杉さんが高校生位の時期で、その後も、養父は、何度も、ジュノの祖父母の韓国の家で会っていた!

『親しい友人』
『互いに硬い信頼を持つ友として』
のつきあいが続いていたのだったと、養父母は話してくれた。

ジュノの韓国の祖父母は熱心なキリスト教徒であって、ジュノの実母と養母も教会に熱心に通う姉妹のような付き合いで、実母、「スジョン」が日本への留学が決まったときにも、迷う事なく、ふたりは一緒に来日した。

実母は声学を、養母は、東洋史を学ぶ、大学生として平穏な学生としての生活の中で、大杉さんを通じて、お互いの伴侶との出会い、二人の人生を決める選択だった。

ジュノは実の母がどんな風に恋をして、実の父がどんな風に母を愛して、大切な故郷を捨て!

そして切り離す事など出来るはずもない両親をも諦めての結婚を選ぶしか、方法がなかった事のへ重大さをジュノは考えていた。

ジュノ(寛之)や樹里の成長をどんなにか見せてあげたかった、だろう、岡山の両親に会わせたいと願っただろうかと、ジュノは、ただ、両親の心の痛みを思いながら、ふと、母の最期の言葉!
『ヒョンヌ』

この言葉は、母の父に対する愛の深さを表現する言葉なのだと、改めて、思い出していた。

あの深い愛を見せてくれた
暖かな背中がただ懐かしくて
もう逢えないのでしょうか
幼き日に兄と妹は
競うように肩車をねだった
大好きだった人
今何処にいるのですか
どんなに苦しくても
私に逢いに来て
貴方に逢いたい


       つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、

国際問題などに気にするほどの余裕もなく、子育てや生活に忙しい日々の中で「金大中氏」の事件は、それまでの私の思考を大きく揺るがすほどの出来事でした。

又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

たぶん、このつたない小説<残酷な歳月>を書く、原点だったように思われます。

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。




残酷な歳月 39 (小説)

2015-12-30 15:20:37 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)

残酷な歳月
(三十九)

(愛から始まる残酷な日々)
突然、送られて来た手紙の後も、ジュノは連絡を待っていたが、音信不通のまま、大杉さんの行方はわからないままだった。

ジュノは、今までの大杉さんとの係わりをいろいろ考える中で、血の繋がった伯父だとわかってみると、とても納得の行く事が多かったと思う、たぶん、伯父として名乗る事も出来ずに、ただ、私たちが愛おしかったのだと感じる。

そういった中で、起きてしまったあの、穂高、吊尾根の事故!

今、ジュノは、大杉の伯父は決して、父を殺そうとして、あの場所から突き落としたのではないと思う!
不幸にも、起きてしまった、偶然の出来事であっても、父を死に追いやった責任を感じていたからこそ、大杉の伯父の心が、自分の気持ちを許せないのだろうと、ジュノは思えるのだった。

今、たとえ、命が終わろうとしていても、自分の言葉で伝える事が出来なかった!
『愛する家族であった』
『大切な人々の残酷な運命!』
『残酷なながい歳月』

「大切で、愛する家族」を、どうする事も出来ない、残酷な運命を背負わせてしまった事が、ただ、辛かったのだろう。

だから、今、自分の出来る事は、命が終える、最後の時であっても、誰にも見取られる事なく、残酷なまでに、自分の身を隠す事しか出来ない、せめてもの、伯父として!
「愛する家族への」償いの方法だとかんがえたのだろう。

そんな大杉の伯父の優しさがジジュノには辛かった!

なぜもっと早く、打ち明けてはくれなかったのか、ジュノの心の中で、全身すべてから、父や母、そして私たち家族をあまりにも『残酷な運命』

に追いやった人として、憎しみ、恨み、呪いたかったが、ジュノの、どこかで、その事を考えた時、どうしても、あの大杉の伯父の優しい笑顔を思い、憎みきれない気持ちになる。

やはり、言葉に出せない大杉の伯父の心が伝わって来ていたのだろうと、ジュノは思うのだった。
大杉の伯父の告白の手紙で、ジュノは又ひとつ、喜びと不安な感情が起こって、今、どうすればよいのか、いまだに、妹の樹里の行方が分らない!

大杉の伯父の手紙にも、妹の事を心配していても、行方を捜す事が出来なかったと、わびる言葉が添えられていた!
『本当にすまない!』

私もなんとしても、生きている内に、樹里ちゃんに逢いたいと、毎日、祈っているとも、書いてあった。

ソウルの養父の力で、何人かの優秀な外科医とスタッフがジュノの病院に入って来てくれた事で、ジュノは相変わらず、忙しいスケジュールではあるが、養父の手助けもあり、精神的にとても、落ちつける事が、嬉しかった。

自分の意志とは関係なく突然、十歳から、十八歳までのソウルでの生活は、ジュノ(寛之)にとって、決して、精神的に安定した日々ではなかった。

さらに、養父母のぎこちないほどの優しさ、気づかいは、ジュノの心を不安定にして、「寛之」と「ジュノ」のふたつの精神がせめぎあいする事を、ひとつ、ひとつ、心の奥底に閉じ込める行為は、どうする事も出来ない怒りで、すべての事にめちゃくちゃにしたいほど、爆発して狂いそうな思いだった日々!

そんな生活から抜け出したい思いから、アメリカにわたっても、尚、孤独と寂しさ、不安感から、心が壊れそうになっていた時に、出会い、少しずつ心を寄せ合っていった時間、恋人としての『津下加奈子』の存在は、ジュノにとって、途轍もなく大きな存在で力だった。

その、加奈子の心を、ずたずたに傷つけた、ジュノの行為は、あまりにも、ひどすぎる事だった。

だが、加奈子は苦しみの中で、ジュノを理解して、身を引く事しか出来ない自分の情けなさが、なお、加奈子を苦しめて、辛かった事だろう。

ジュノと面ざしが似ているという、ただ、それだけで、年若いロイが、加奈子の悲しみと孤独を何処まで理解したかはわからないが、加奈子との十歳以上も年若い少年のような、ロイとの生活が、ふたりを死に追いやるほど、ロッククライミングにのめりこませてしまった。

その責任はやはり、ジュノにある事なのだと、加奈子とロイの二人を知る、まわりの仲間は心配していた。

ジュノはいまだに、加奈子の死を受け入れてはいないが、その事の現実を認めたくない為に、今、アメリカへ渡る事などの思いに至る事が出来ないジュノだった。

『ジュノの心の中で加奈子は今も生きつづけていたのだ!』

ソウルの養父『イ・ジョンジン』はソウルの大学病院ですでに現役を引退していた。
『神が宿る手を持つ、天才的な、外科医で、科学者』

たくさんの言葉で養父を名誉を称えられる、韓国での生活に区切りをつけて、養父は決断して、日本に来てくれた。

だが、どんなに優秀な人であっても、老いの壁を取り払う事は出来なかった事を一番良くわかっていたのも養父自身だった。

今は、後進の指導する立場の名誉教授であったから、ジュノの病院で手助けをしていても、ある程度は許される時間のよゆうがある事が、ジュノには本当に力強い、父の存在にただ感謝して、父の手助けと気使いがありがたかった。

養父の助けもあり、病院も安定して、運営して行ける事で、ジュノは心の穏やかさを感じながらも
『不思議な期待感を持っていた』

大杉の伯父の手紙には、妹の行方と日本にいる事を知らせた、母方の祖母の居場所が明らかにされていないが、なぜなのか?

ジュノには、不思議とすべての不安や疑問が解消される事がもう真近に、何かがジュノを導いてくれそうで、期待感を覚えている。

春の風はどんな運命も
優しく解きほぐして
美しき人に届けてくれる
あの暖かく力強い手で
あの人は私の大切な家族
どんなに求めても
言葉では伝えられない
心がもどかしくて
その暖かき手を求める美しき人
大切な私の家族


            つづく



残酷な歳月 40 (小説)

2015-12-30 15:19:39 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(四十)

小さな病院でも、今のジュノは仕事に何より集中出来る事が、心を安定させている。
加奈子に逢いに行く事も考えては見るが、ジュノには不思議なほど確信していた!
『加奈子が生きている事に!』
『そして、大杉の伯父の言葉の真実を!』

そんな、ある日、岡山の直樹から連絡が来た、正直、岡山の父の実家の事は、今のジュノには考える余裕もなかった、だが、直樹は上京して、どうしてもお会いしたいので、時間をつくって欲しいと言ってきた。

わざわざ、ジュノに会うために上京して、どんな話があるのか、ジュノは確かにまだ、岡山の「蒔枝家」の事をすべて、知ったわけではない!

ジュノは、確かに、蒔枝家の直系の子孫ではあるが、今は、国籍も韓国人であり、日本の戸籍さえない、寛之としての身分を証明する事が何もない!

『蒔枝寛之』として、これから、どう生きて行くのかを、いつかは考えなくてはならない事が、差し迫った現実であった。

だが、直樹が、ジュノの前に現われて見せた姿は、あまりにも、衝撃的な姿だった!!
ジュノには、考えもつかない現実に、言葉に出来ないほどの驚きだった!

ジュノの目の前の姿は!
『美しい女性の姿の直樹!』
『そして、私が、妹の樹里です!』

いきなり、驚かせてしまい、本当にごめんなさい!

お兄さんにいつお話すればよいのか、とても悩みましたが、どんなかたちでお知らせしても、驚かせてしまう事は間違いなく、私自身も、どう、お話すれば、驚かせず、衝撃が少ないかと考えていましたが、こんな姿で、お眼にかかりごめんなさい!

先ず、何からお話すれば、よいのでしょう?

私も、自分が女性だと言う事は、わかっていましたが、岡山の「蒔枝家」に入った時は、まだ七~八歳の時で、父が亡くなった、あの事故の事も、あまり良く覚えていなかったのです!
自分がなぜ、男の子の姿になったかも、わかりませんでした。

この家で育てられていく中で、悩みながら生きて来たけれど、私が、本当の事がわかったのは、蒔枝のおばあさまが亡くなる直前に、すべての事を話して下さいました。

その時、自分が、『蒔枝樹里』なのだと知らされたのです。

私は、あの事故の事やあの頃の事を微かな記憶でしかなくて、ほとんどの記憶がないのです。
わずかにあるおぼろげな風景が時々見えていましたが!

おばあさまのお話では、あの穂高での事故で、父とお兄さんが亡くなって、あの事故の一年後位あとの時期に、母が、突然、岡山の、この家、『蒔枝家』に私を連れて来たそうです。

それも、私は、髪の毛を刈り、丸坊主にして、祖父母に、お頼みしたそうです。
『どうか、この子を男の子として、育ててください!』
『蒔枝家の後継者として、育ててください!』
『どうか、お願いします!』

ご両親に認めて頂けないまま、結婚して、蒔枝家の後継者である、伸一郎さんと孫の寛之を死なせてしまいました事、本当に申し訳ございませんでした!

この子をお願いする事が、伸一郎さんへの、せめてもの、私のお詫びで、
『蒔枝家の血筋を守る、唯一の事だと存じます。』

そう言って、おじいさま、おばあさまに、お願いして、母は直ぐに、立ち去って行ったそうです。
ただ『どうしても、お願いしたい事は!』
『この子が樹里である事は、絶対に!』
『誰にも知られないように、育てていただきたいのです。』

遠縁から迎えた養子として
『男の子として、育てしてください!』

そうする事が、樹里を危険から守れる、ただひとつの方法ですので、樹里だという事は、どうか、誰にも知られずに、育ててください!

母はそう言って、何度も、何度も、母は祖父母に頼んだそうです。
だから、私は、その時から
男の子!『蒔枝直樹』
として、戸籍も作られています。

ジュノには、あまりの驚きで、すぐには、理解出来ない事だった!

言葉もなく、ただ、直樹の話を聞くしかなかった。
そして、直樹は、話し続けた!
昨年の夏、父の事故のあった、場所で!
『吊尾根で、お会いしましたね、覚えていますか!』

またもや、直樹は驚きの事実を話した。

直樹(樹里)はおばあさまから、真実を聞かされて、一時期は、ショックが大きくて、生きて行く自信をなくしてしまい!

自分の人生のすべてに嫌悪感を抱き、何をする気力も無くして、今まで生きてきた歳月をどう理解すればよいか、混乱する日々だった。


       つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつも、たくさんの方々のご訪問頂き、感謝です。
眼と耳が、調子が悪くて、憂鬱、パソコンも、ひらいては閉じての日々
たくさん、訪問させてきた抱きたいけど、気力が続かない・・・
このまま、ダメになるのか、ちょっと、気にしながらも、今、出来る事を頑張ろう・・・
来週は病院も1日だけだから、疲れもそれほどじゃないだろう、書きたい事、いっぱいあるけど、言葉つづりが出来たらいいな~


残酷な歳月 41 (小説)

2015-12-30 15:18:50 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(四十一)

直樹?、樹里?は話し続けて・・・
本当に苦しくて、死を覚悟して、父の亡くなったあの事故現場である『穂高、吊尾根』に向かったのだと言って、泣き崩れた!

その姿は、あの凛とした『直樹』の姿ではなく!

女性としての切ないほど、弱弱しい姿で、ジュノは思わず、抱きしめてあげたい衝動に駆られたが、やはり、たった今、聞いたばかりの妹としての樹里の姿を、どう受入れて良いのか、戸惑うばかりだ!

妹の樹里は、確か、ジュノ(寛之)より3歳年下のはずだ!

今、目の前にいる女性の姿の直樹であり、妹の樹里は三十三歳になるのだろうか?
『直樹としての姿も、凛とした、美しい姿だが』
『樹里としての女性の姿は、美しさと気品に満ちた』
『輝きと内面の気高さが際立ち、本当に美しい女性の姿!』

その両方がひとりの人間として、
『苦しみながら生きて来た姿だ!』

樹里は、今の今まで、兄への思いを隠して、直樹としてジュノに接していた事が、本当に辛くて苦しかったのだろう事が、ジュノにもその気持ちが、わかりすぎるほど、心に伝わって来る。

ひとしきり泣いて、落ちつきを取り戻した、妹としての樹里は、話を又、はじめた。

いままで、誰にも甘える事も出来ない、妹、樹里としての気弱さをジュノに一気にぶつけてしまったのだろう、おそらく『直樹』として、生きて来た日々は、人の前で泣く事さえ許されぬ立場だった事が
ジュノには予測できた。

妹、樹里は、死を考えながら、穂高、吊尾根を、死に場所を求めて歩きながら、気づいたのだと言った。

何度も、何度も、父と母に、なぜ?
『私ひとりを残し、行ってしまったのですかと!』
問いつづけた!

そして、なぜ!どうして?
『私は、男として、生かされたのかを、考えた!』

その時の、穂高では、両親からは何の答えも出してはくれなかったけれど、ふと、思ったのは、自分だけが生き残されたのには、何か
『特別な意味がある事!』

私には、なすべき事があるのだとの、強い思いに、たどり着いたのだったと、その時の樹里の心境を、ジュノに話してくれた。

無念な思いを残したまま亡くなった、父や兄(その時はまだ兄がジュノだとは知らなかった)の悔しさを悟り、樹里は何か、なすべき事があるのだとの、思いになった。

私はただ怖くて
見えない恐怖が
運命の悪戯
大切な人を心で追う
美しき人は言葉もなく
心が引きちぎれるほど
切なくて悲しいけれど
命ある事の感謝
めぐり逢えた事の感謝
君は太陽のように
輝き美しい


岡山の家に帰り、蒔枝家の仕事をしながら、あの事故の事や母の行方を捜しながら、大杉さんの事を調べていて、母の異父兄弟で、伯父である事もわかり、又、今、蒔枝の家にいる、樹里(直樹)の世話
をしてくれている、女性『金崎ゆき』はじつは、韓国の祖父母と共に、日本に来た韓国人の
『ハン・ウギョン』と言う、母の祖父母達と共に!

独立運動や反戦運動をしていた人だった事を、金崎さん自ら、韓国を離れる事なった、いきさつを話してくれて、韓国の祖父母も、日本で暮らしている事を知ったのだと、樹里はジュノ(寛之)に話した。

大杉の伯父の計らいで、樹里の乳母として、日本に来てから、程なく、蒔枝家に住む事なって、樹里を手助けしてきたのだった。

だが、樹里(直樹)の知る限り、大杉の伯父は、蒔枝家には一度も訪れてはいないし、あの事故以来一度も、大杉の伯父には会ってはいないのだと話した。

ただ、祖父母とは連絡を取っていたように乳母の金崎さんから聞いていますと樹里は話した。

蒔枝家と大杉家とは親戚筋にあたる事でもあり、大杉の伯父の養父母が健在の頃は、親戚づきあいで、樹里も、祖父母のお供で、何度も大杉家に伺っていたけれど、大杉の伯父には一度も会う事は出来なかったと樹里は話した。

そして、寛之が自分の意志とは関係のないところで、大杉の伯父と養父母の善意から、運命をかえる事になった。
『ジュノとして、韓国に渡ったと同じ頃!』

神の教えをそして、正しき道、生き方を貫いていたが運命の悪戯なのか、祖父の『イ・ゴヌ』と祖母の『キム・ソヨン』が日本に渡って来たのだと話した。

その時に、金崎ゆき、こと「ハン・ウギョン」も一緒に日本に来たのだった。
その後、三人は、名前をかえて、在日韓国人として、政治運動的な事はせずに日本で暮らしていた。


            つづく



残酷な歳月 42 (小説)

2015-12-30 15:17:52 | 小説、残酷な歳月(31話~42話)


残酷な歳月
(四十二)

だが、樹里(直樹)が最近、知った事は、大杉の伯父の手引きで、日本に渡って来た、ジュノたちの祖父母の日本での生活や経済的な援助をしていたのは、たっての大杉の伯父の願いもあり、大杉家と共に、親戚筋にあたる蒔枝家もかげながら、手助けしていたのだと、樹里は「金崎ゆき」から聞かされて知ったと、ジュノに話した。

だが、祖父の「イ・ゴヌ」は十五年ほど前に病気で亡くなったが、祖母の「キム・ソヨン」は岡山の蒔枝家に近い場所の高齢者医療施設にいて、少し「アルツハイマー病」があるが、健在で、八十九歳になっ
ている。

ふたりの娘である、ジュノと樹里の母『イ・スジョン』が亡くなった事はまだ知らされていない!
けれど、先日、樹里はこの祖母「キム・ソヨン」に
『孫、樹里として』会ったのです。

と言って、樹里は又、泣いた、妹はもう、こらえようのない、心に重くのしかかっていた、いろいろな重圧に耐えられなかった。

ただ、泣きくずれるしか、自分の気持ちを伝えられない、もどかしさがあった。
『母が亡くなった事をどうしても知らせる事が出来ない!』
『樹里に話せないジュノ!』

もうこれ以上、辛い思いをさせたくなかった、今まで、思うさま泣く事も出来なかったのだろうと、樹里を思い、ジュノは、その事が又、切なくて、胸が痛む!

大杉さんは伯父としても、父の友人としても、事故のあと、一年が過ぎた頃に、寛之は父と一緒にあの事故で死んだ事を伝える為に
「蒔枝家」を訪れて以来、来ていないと樹里はジュノに言った。

実際、大杉家へもあまり帰ることもなかったようで、大杉の両親が亡くなった時も、葬儀は『蒔枝家』が、親戚筋でもあり、大杉家には他に家族と言える者がいない事で、蒔枝家が、代わって、とりおこなわれたのだが、そのお葬式やその他の行事に、直樹(樹里)は手伝いをしていたが、大杉の伯父は来なかったが、何日か過ぎた時期に、お墓にお参りしている姿を、見かけた人がいたようだったと、樹里は話した。

ふるさとを離れて
孤独に生きる事が償い
あの暖かな背中を
美しき兄と妹が求める
いま何処で耐えて
心を閉ざした優しい人
ただ逢いたいのです
恨む思いも
憎しみの心も
父と母がつむいだ愛


今も、ジュノも樹里も疑問に思いながらも、大杉の伯父は、自分の命があとわずかだと思いながらも、愛する大切な家族を、不幸のどん底に落としてしまった事の責任を、どうする事も出来ない苦しみと懺悔するような思いで、孤独に耐えながら、身を隠しているのだろう。

ジュノは、幼かった頃の大杉の伯父の優しい眼差しが、思い出されて、今、伯父の置かれている状況の厳しさを思うだけで、辛く、悲しく、とても、伯父に会いたいと願わずにはいられない!
「今、どこで、どんな姿で、苦しみに耐えているのか!」

美しい姿の樹里は、数日、東京で過ごして、ジュノの養父母とも、初対面ながら、打ち解けて、特に母とは女性同士!話も合うのか、とても楽しそうに微笑む笑顔がとても美しくて、その姿を見ている時、
ジュノは心が熱くなり、思わず、全身が震えるほど和む。

樹里は、時には実の母のように思えるほどの感覚になるようで、お互い遠慮がちではあるけれど、よく笑い、話していた。

幸いにも、養父母は長く日本に住んでいた事もあり、日本語も話せる事で、樹里との意志が通じ合える嬉しさを、そばで見ていても、楽しい事だった。

そして、突然、よみがえった記憶、まだ、幼かった頃に実の両親と暮らしていた家、東京の、我が家で、クリスマスのお祝いのパーティに、大杉さんと一緒に今の両親が、来てくれて、楽しく過ごしているジュノ自身の幼い頃の思い出がジュノは懐かしい夢を描くような、胸が熱くなる、幸せを感じていた。

いままで、一度も思い出す事が無かった、父の笑顔!
いつも、生真面目な、学者の顔!
母が父を呼ぶ
『ヒョンヌ』
の声も鮮やかに!

とても、懐かしい、一瞬のうちに、ジュノは十歳の幼い日々!
『母の唄う、アベ・マリア』
あの頃の事が浮かんできた!

ソウルで、養父母と暮らしていた頃には、思い出せなかった事、心の奥深く閉じ込めていた、思い出だった。

おそらくは、ジュノは、無意識に、感じ取っていた、養父母への気遣いから、そうさせていたのだろう!
兄と妹として、幼い頃の事を、お互いがまだ、素直な気持ちで話せるほど、親しさを見せる事が出来ない、ぎこちなさはあるが、顔をあわせる度に、ただ嬉しくて!
一言の言葉を交わす度に!
お互いの心が近づく喜びを感じていた。

だが、樹里は、岡山へ帰る時は、『直樹』として、男性として、帰って行った。
その姿は、ジュノにとって、悲しみと樹里の毅然とした、振る舞いの清々しさを感じた。

岡山では、『直樹』が女性だと知っているのは「金崎ゆき」だけだったし、戸籍上も『蒔枝直樹』であり、仕事上も「直樹」として生活する事が、今は仕方のない事だった。




            つづく