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あの日からもう50年の歳月が過ぎて行った。
私は昨年の春に乳がんを患い、ある病院で、乳房の摘出手術をした。
幸いな事にがんはまだ他の組織には転移してはいないために、どうにか命の危険は避けられたようだが、独り身で頼れるべき人間もいない心細さから、病気ほど不安感や孤独感を大きく感じさせられる事の辛さを思い知らされた。
今は、体調も快復して、小さな我が家、仕事場兼、住まいとして庭付きの古い賃貸アパートはたぶん私の終の棲家になるはずだ!
畳3畳ほどの庭には仕事の手を休めて気分転換出来る私の大切な場所で小さな世界だけれど、私の感性や生きるエネルギーを感じて心休まる場所だ!
この狭い、小さな世界を丁寧にを見渡し、可愛い花に出会っては、花たちと会話する!
「おはよう!今日も私をみつめていてね!可愛い、私の子供たちよ!」
そんなふうに声をかけるのが私の朝の日課だ!
私は、もう人生の終盤を迎えた初老の女だけれど、今、たぶん、私の人生の中でこれほど穏やかで、幸せな時間は無いのかも知れない・・・
この心は毎日が幸福感に満たされて、孤独ではあっても、心の平安を感じさせてくれる時、私の生きてきた道の厳しさを思う一瞬、少しだけ胸の苦しみを感じるけれど今は、とても穏やかに暮せている!
「人生は長いようで本当に短い!」
今、65年を生きて、ふと、30代はどんな時間だったか、40代はどんな生き方だったのかを振り返っても、思い出せないほど、フルスピードでただひたすら仕事に心を託して時は過ぎて行ってしまった気がする。
だが、私には忘れようとしても忘れられない20代の鮮明な記憶がある、面相描きの修行を始めて6年目だった、私は突然の腹痛で、ある病院に運び込まれた、病名は「盲腸炎」だったが、じつのところ、数日前から私は腹痛の自覚症状があったが、仕事の忙しさやまだ仕事では見習いの身で多少の腹痛など認めてはくれない事なのだと思いこんでいた、自分の我慢出来る限界まで我慢していた。
だから、病院に運ばれた時にはあと少し遅かったら手遅れだと言われた、やっと命が助かった幸運な状況だった。
緊急手術の後十日ほど入院して体が快復した私は、自分ではとても入院費を払えないので、人形工房が払ってくれた事は知らされていたが、師匠から、もし、自分の気持ちで病院へのお礼をしたい気持ちがあるのなら、仕事の休みの日に、病院の院長さんのお宅にお手づだいに行きなさいと言われた。
私がお世話になった病院の院長さんの先祖も同じ村の人間だった、言わば、私たちの郷里での出世頭であって、地域の実力者でもあった、そんな事情もあり、私は何日か病院長の自宅に手伝いに行った。
その時に病院長の一人息子である「長谷川恭介」に出会い、初対面では日常の挨拶を交わす程度の間柄だったが、恭介とは不思議な縁のめぐりあわせなのか・・・
私は珍しく仕事の休みである日曜日、大好きな画家の絵を観る為に東大の赤門の近くの小さな画廊で偶然にも「長谷川恭介」に出逢い、その後ふたりは急速に親しくなって行った!!!
<つづく>
☆~☆~☆
見えにくい眼もどうやらほんの少しずつだけれど快復してるようで、ここ2~3日は状態も良いみたい、やはり、生きがいがある事は嬉しい、短い時間で集中して出来るのも良いのかも知れない、疲れない程度に頑張れればと思う・・・
このお話は、ビョンホンさんのファンの方には物足りないかもしれませんが、きっと、何処かに、ビョンホンさんのイメージで描いている場面があると思いますので、そのへんを感じ取っていただければ嬉しいな~
今回も多くの方々に御読み頂けて本当に感謝致しております。
<追記>
明日から秋田方面を数日放浪してきますので、すみませんがコメント欄を閉じさせていただきます、帰りましたら又どうぞよろしくお願いします。