つんのめり
人生さほど
つらいとは
おもわず生きる
それができたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日がどこか不快感に耐えている
それが老いという物なのだろう
よい人生だったのだからと思い出に浸りながらも毎日くらいニュースに心が痛む、けれど、少しでも若い方の地球を守りたいと思えている方々の運動を見ていると頼もしくなる、どうかお守りくださいと願いながら祈りながら・・・
つんのめり
人生さほど
つらいとは
おもわず生きる
それができたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日がどこか不快感に耐えている
それが老いという物なのだろう
よい人生だったのだからと思い出に浸りながらも毎日くらいニュースに心が痛む、けれど、少しでも若い方の地球を守りたいと思えている方々の運動を見ていると頼もしくなる、どうかお守りくださいと願いながら祈りながら・・・
もうと言おうか、やっと、と言おうか
毎日がただ、長くて短い時間が過ぎていく
この世の中についていけてない思いと
荒れ果てた地球を思いながら
それでも世界は美しい
そんなふうに考えないと
生きて行く力さへ
何処かに持っていかれそうで
本当はとても大切な時間で
一分、一秒が大切な一日のはずなのに
なぜか、むだづかいしてるようで
苦しくなる日々
77年を生きて
ありがたく思いながら
心と体とそしていきばのない世界を彷徨う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぱそこんと体調が悪いのでこのへんで、いつもたくさんの方のご訪問頂きありがとうございます。
大好きな五月だけど、もう今日で去ってゆく
これほどまでにも、時間と言う物に追われすぎた五月は悲しくて
そして、ほっとする、矛盾がある
ふっと、妄想してみる
けれど、この私には無理だよね
あの懐かしい地、檜枝岐村に「コロナ疎開」してみる
大自然のなかで思い切り心呼吸して歩きたいな~
なにしろ、村の人たちはもう望む人全員に「ワクチン接種」終わっているのだとか
羨ましいけど、良かったねと嬉しい気持ちになれる
何度も、なんども、訪れた懐かしい場所だから
なんだか、心が安心する、
そして、妄想まで描いてる
この見えにくい瞳の奥には、尾瀬、会津駒ケ岳などいくつもの
思いでの風景がよみがえる
吹雪の中で、萌黄色の季節を、幾重にも彩るにしき絵の中を
ふと、一瞬だけ見たくまさんのすがたを
記憶と瞳の奥には走馬灯のように回り始めて
出来る事はずも無い夢をみる
過ぎてゆく時間は同じはずなのに
ゆるやかで、穏やかな時の流れをえがく
あいたい場所、檜枝岐村
いつの日か、会いに行きます
(写真は無いので、大好きな山)
思い悩む、そしてまた考える
けれど、伝わらないこの想い
むずかしいあぁ~人間て
でも諦めないよ
ひと、には、人間には真心があるから
信じて、待ちましょう
ふと、そんな思いにしてくれた言葉
清く、正しく、生きる
そうだってね
わが相方さんはいつだって
清く、正しく生きて来た人だから
この世界では辛い事、多かったね、わかってるよ
その一番が私だったからね
今、少しだけ頑固さを増し
けれど、真心は伝わっているよ
こんな時代だから
相方さんの隣りで
テレビに向かって毒付く私を
ただ、おろ、おろしながら見ているけど
「今日のお月様は」
ほら、こんなにも、綺麗に見えてるよと
おしえてくれる人だもの
私はもう、その一言で元気になりました
ありがとう
いつになったら私はあの頃のようになれるのだろうか
そうだね~それは心の持ちようなんだよ
今までの私は充分に幸せだったのだから
そろそろ自分のこの身と折り合いをつけてね
自立して
命をつなぐ努力をしてるんだねぇ
毎日の家事が辛いけど
眼は心の窓
音楽は擬音だけれど
記憶の中で奏でてくれる
今の私に与えられた機能で満足しなくてはいきられないよね
昨日観た、養老せんせい、
人間は必ず死ぬんだから
命ある限り生きるために
毎日の時を刻むんだね
なんだかとても納得、感謝だね
相方さんと私、とても価値観が違う、それなのにとても、途轍もなく?長い時間を歴史を刻んできたね、今のこんな時代だからこの見知らぬ街に越してきて3年半、考えもしてなかった「怪物めのコロナにおびえる日々が」来るなんてね~気難しくて、頑固さんだけど、私より7年も先を生きているんだね~あのおぞましい戦争、そして東京大空襲も体験してるんだよね~戦争の話をすると「覚えてない」と言うけれど、たぶん記憶はあるのだろうね、だけど、話したくない事なのだろう、悲惨で残酷な現実を見ていたのだからね~ 私は映像の世界でしか戦争は分からないけど、絶対に戦争はしてはいけない事、それだけは声高に訴え続けたい、私は本当にいい時代を生きさせて頂いた、ただただ、登りたい山に向かってひたすら働き 、実現させてもらった、あの大自然と対話が出来た事を今更ながら感謝している。この事からも相方さんに感謝だね~理解は出来なかっただろうけど、諦めたのかな?止めたところで、私は元気だったから家出してまでも山へ行ってしまう、たとえどんなにか危険な山であってもただひたすら行きたかったから・・・
あれからもう20数年が過ぎて行ったね~相方さん、あなたがいてくれたからできた事なのだよね~ありがとう感謝しています。
見知らぬ街で、親しく言葉を交わすことも出来ない今の時代の孤独さを私に向かってしまうのも理解してます、そんな時心の中でドク付きわめいてる私をゆるしてね、今夜の月は何処にあるのだろうか、少しの時間ふたりで観ましょうね、小さな幸せの時間ですから・・・
写真、近藤謙司さんからお借りしたものかも、2000年の夏この山で大変お世話になった近藤さん、今もお元気そうで何よりです。
最近の私はテレビニュースを見られないから、仕方なくEテレのを多く観るその中で久しぶりに感銘を受けたのが「100歳になられた画家の野見山暁治」さんの生き方だった。
恥ずかしながら、私は野見山さんを知らなかった、野見山さんは生まれついて物心がつき始めてからずーと絵を描き続けて100歳を迎えたそうだがやはり戦争体験をしている、美大で学んだそうだが、その多くの画学生仲間が戦死されていて、生き残ってしまった事にもがき悩まれた歳月が長かったそうだ。
100年生きていればたくさんの人生経験をするだろう、野見山さんは若き日にパりに留学されたそうだが、野見山さんの私心を最優先し子供を持たない約束で結婚されるなど、自分は残酷な男だったとも言葉にされていた。
私自身もそんな生き方をした時期もあり、野見山さんの言葉一つひとつに、なんだか、とても納得できる思いになれた、私のこれからの生きる指針にさせていただきたいと思う、私にはとても100年は生きられないだろうけれど、生かされた命だから、今は世の中がコロナに占領された時代だから、身近にいる人の為にありがたくがめつく生きる事なのだと改めて思い、自分に誓うそんな日だった。
<絵は色を塗るだけでいいんだと言われた言葉がやけに心に響きました>
あまりに時が過ぎて行ったけど、私にも成人の日はありましたよ確か1964年だったかしら?もちろん、その頃は成人式なんてあったのかどうか、けれど、だいぶ時間が過ぎたころ文京区から成人のお祝いだったのかはがきだったか?送られてきた思い出があります。
あの頃は成人の日も、前の東京オリンピックの開会式の日もお仕事頑張っていましたよ、ただ前を向いて働いていました、無我夢中で働くのが当たり前でした、誰も振袖も買ってくれないし、自分では買えるはずもなく、又それほど振袖を着たいとも考えてもいなかった、たぶん、あの頃の若者は一部の裕福な家庭以外の多くは自立してただ一生懸命働き、小さな夢や希望を持って頑張った。もちろん理不尽なことも残酷な事も突然やってくるし、絶望的な思いになったことも何度もありましたよ、けれど、そのたびに自分を奮い立たせて全力で生き乗り越えた気がします。
(戦争を体験し、又戦後の残酷な世をみて、その後を頑張った人たちがこの国の平和をつくり経済の豊かさをつくった人々の存在を無駄にしないでください)
今を生きる若者たちへお願いがあります、今の日本は平和で暮らせて本当に幸せなことなのです「どこかのおばかなお大将が核のボタンを押すと」世界中が地球がどうなるのか、どうなってしまうのか、想像してみて下さい、そんな想像力が働けば、今のコロナの怖さや間接的に誰かを苦しめたり、言葉にもしたくないけれど誰かを死に追いやるきっかけになっているのかもしれないのだと想像してみて下さい。
願わくば政治家がもう少し国民の側に寄り添ってくれたなら、これからの未来を背負い生きる若者や子供の世が平和で日本で暮らせて幸せだと思えることが誇りとなりコロナにうち勝った人間として明るく未来を希望を持って暮らせますように祈りながら・・・
今日は眼科へ行ってきました、お正月が気になるので、こんな非常時ですので予定外に診察はやはり行きたくないけど、仕方ないから診察を受けましたが、なんとなく患者さんの数が少ないように思えてたけど(この前も少なかった)やはり、みんな診察を控えてるように思えた、誰だって今の状況だったら少しぐらいの痛さを我慢してるんだよきっと、医療関係者も、患者も我慢、我慢と必至さで乗り越えてるんだよ・・・
<夜空の半月が元気をくれた、さあもう一日生きてみようか>
12月22日
この日本では、料亭やレストランが裏側の政治の場所だとは思っていたけど、こんな大変な時代でも政治活動は変わらないのだろうか、なんだか、とても悲しくなって、人を益々信じられなくなってしまった。
なぞコロナで未来に失望して多くの人が自殺している事はあまりニュースにならないけれどもしかしたら、コロナの感染して亡くなる人より多いかもしれない、けれどみんなが頑張ってこのひどい現実から何とか今日一日を生き抜く事に、この日本でどれだけ苦しい事に耐えている事を想像できないのだろうか、この国のトップにいるこの国をつかさどる政治家は自分は何があっても守られているから、弱き者の苦しみを想像できないのかも知れないが、弱き者はお金が無くて一日1食で行く抜いている国民もいる事を想像できたなら、バカ高い料亭やレストランで会合や選挙資金を集めているパーティなど出来ないはずだ、もっとも、こんなひどい時代に選挙の事ばかり考えている政治家がよく解散と口に出しているから・・・もし今度選挙があってもそんな人には投票は私は出来ないけど、でもほかの政党も、似たりよったりだし?・・・いったい誰を信じればよいのだろうか・・・
私の通う病院もコロナ対策の為に今までの先生には診察してもらえない事になっちゃいました、私は益々不安がつのります、病院は益々ピりピりして、私たち患者も何となく遠慮がちになってきて、聞きたいことも聞かずに帰ってきています。
<運を天に任せて、明日を信じて、今日生きよう>
月を追いかけてる日々がつづきます
周りにはたくさんの人々が暮らす街です、もちろん若い方々もすんでいます
今の世は痛むふたりには辛い日々です、なぞコロナは何処にいるのかわかりません、相方さんは、さんぽと買い物、私は病院へ行くだけの生活がいつまでつづければよいのでしょうか、誰も教えてくれないから、迷い不安がつのります、テレビでは毎日、毎日怖さを報道して、ここ数日は大雪に地震までつづいて、どこへ逃げれば良いのでしょうか、そんなこんなをのりこえて耐えて行きます、痛むふたり、細い月をみつけてやれやれだね~
<少しだけ幸せ感じて、命ある事に感謝だね> 12月19日、少し寒い日に
最近のふたり
なんだか不思議
夜の挨拶は、月は何処に行ったの
そんな会話で、なごんだ気持ちになるから不思議
相方さんも何となく喜んでるみたい
こんな時代だから
なんの意味も無く会話をかわす
けれど月は私たちに平和をもたらせて
ちぃちゃな幸せを届けてくれる
あぁ~今日もなんとか生きられたね~
そんな気持ちを確かめてるように
≪もう少しだけ頑張ってみようか>>
生きるための心得
体調が悪くてもぐちや弱音を言わない事
耐えて、希望を持って
不調を前向きにかえて
自分を生きる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このおもいでがんばってみるそんな日々です
この難しい時代を生きて行く事
それは私が生きて来た人生を考えるたびに本当に我儘し放題の素晴らしい人生だったから
思い残しも後悔もないけれど
やはりまだ生かされている事は
やはり誰かの為に私のできる事がある
それは家族なのか、誰であっても
全力で生きて恩返しをする時間なのだろう
こんなつたない言葉でもつづれる場所を頂けて感謝
≪苦しくてもまずは今日生きてみる≫