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今朝の新聞に、雪景色の涸沢にカラフルなテント場の写真が載っていた。
ほとんど毎年、今の時期は、このような記事がでる、私は、その度に、あの穂高での10日間のことや、五月の山での思い出が何度となくよみがえってくる。
あれだけ、山に呪縛されたように、雪山や岩登りにのめり込んでいったきっかけはやはり、あの時だ!!!
私は、山登りは若い頃からやっていたが、長谷川恒男さんとめぐりあうまでは、自然の中を歩く事が気持ちがいい、そんな程度の喜びしか分からなかった。
だが、あるきっかけで(私を輝かせてくれた3人の騎士の記事に書いたが)長谷川恒男さんという、すごいアルピニストとおつきあいをさせて頂き、何気なく言った、「私の憧れの山は穂高です」と、すると、返ってきた言葉が 「じゃ、来週行きましょう」と・・・
その言葉が私にはどんな事なのか、すぐには、理解出来なかった、だが、来週と言った日から10日ほどで、もう、私は穂高に来ていた。
その頃の私は、経済的にも貧しくて、登山技術のいろはも分からなかったので、アイゼンもピッケルもただ安いだけの物を、間に合わせに買い求めて、ほとんど、雪山がはじめての体験だから、あの時ほど、アイゼンの前歯が何故ついているのかを、強烈な体験で実感し、雪山の高度感を身をもって感じた。
長谷川さんの一言 「谷口さんと??さんは、常に私のそばに置かなくちゃ~」
その言葉がどういうことなのかを理解出来たのは、すぐ、次の行動で、実体験!!!
とにかく、恐怖感! 私の体は自分の思うようには動かない! 手足が凍りつき、感覚がない!
3000m近い標高は私を高山病にして、意識が薄れがち!
そんな中で、私の前を歩いている(4~5m先)長谷川さんは、私がふらついた瞬間に私の隣にいて、滑落しそうな私を止めていた。
私は、長谷川さんは、後ろにも眼があるのだと、その時、確信した。
そんな事の繰り返しで穂高での10日間は、自分が今、何をしているのか、今、何処に居るのかさえわからないほどの体験をして、恐怖感と今までに感じたことの無い魂の喜びとで、どんな言葉で表現すれば良いのだろうか・・・
あの時、体中の細胞が沸騰するような感覚と、ただ、ただ、嬉しくて、嬉しくて、叫びたいほどの興奮を、どう表現すればよいのでしょうか・・・
そんな感覚が帰宅しても、一月ほどつづいた。
この体験が、その後の私を、山からの呪縛されるような思い、あつい恋心が雪山に岩に・・・
もう、何よりも大切な事と、思いながら、頑張ってしまった。
今、体を、悪くして、山を諦めてすごしているけれど、たぶん、あの情熱を注ぐ、対象が、イ・ビョンホンさんとのめぐり逢いだったのでしょう。
あの山で感じた、魂の喜びを、ビョンホンさんの生き方や作品から、私に伝わってくる感覚が本当に良く似ているのです。
とくに映画「甘い人生」では、観るたびに、いい知れぬ感情の昂ぶりを感じます。
ある監督が言った言葉 「映画とは、作り手だけがすぐれた感性を持って表現してもそれだけではだめなのだ、その作品を観る側の豊かな感性をその作品にプラスしてこそ、より素晴らしい作品に仕上がるのだ」 と言っていた事がとても理解できる。
山の世界も、映像の世界も、体験を通して、また、観た時の感性がどれだけ純粋な思いになれるかなのだろうと思う。
よく私が言われる事だが、「何故そんなに苦しい生き方をするの!もっと、楽に生きなさいよと!」
確かにそうだと思う、だが私は、決して苦しい生き方をしているのではない、むしる、この生き方が、楽しくて、喜びが大きいのだ・・・
たぶん、私は、これからも、こんなふうにしか生きられないのだろうと思う。
5月の空を小さな庭から眺めていたら、こんな事を書きたくなった、中々理解して貰えないだろうけれど、もし、読んで頂けたら嬉しいです。
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上記の記事は以前に別の所に載せたものです、今は長い文章を書く事が出来ないので、でも、どうしても、もう一度読んで頂きたくて・・・
長谷川恒男さんとは数年のお付き合いさせて頂き、まちがいなく私の人生の中で、大きな影響を受けた方です.
長谷川恒男さんがパキスタン、ウルタル峰で亡くなって20年、それと、先ごろ大きなニュースになってる、ビンラディン容疑者のいた、パキスタン!長谷川さんと共に忘れられない国です、2度行った事がありますが、次々に思い出され、言い知れぬ思いになります。