お山の大将にはなれなかったけれど私の人生の中からは山、登山は切り離す事の出来ないものだ、70年の人生でそのほとんどを山、自然にかかわって生きてきた。
子供の頃は登山という言葉すらわからなかったけれど、たぶん中学生の頃だったと思うが、ヒマラヤの「マナスル峰」を日本の登山隊が初登頂した時のドキュメンタリー映画を観てとても感動して登山というものをおさな心に記憶したのだろう・・・
ど田舎で山ざとに育った私は日常の生活が山や自然とかかわって日々、18歳でいきなりの大都会「東京」に出てきて戸惑いから「神経はげ」が出来て驚いたことを思い出した。
今日は私が山人生のたいはん、かかわった地元の山の会の40周年きねんのイベントがあった、残念ながら私は出席出来なかったが、40年の山々との出会いを振りかいらずにはいられなかった今日だ!
山の会との出会いは38年前の「尾瀬バスハイキング」だった、既婚者の私はただのお邪魔虫だったようだが、そのころの私は若く、元気だったから、なぜ仲間(会員)に入れないのかが理解できずにいて、何度もお邪魔虫をしては、後悔もした[恋愛対象者にはなれない事を悟るべきだった)
何年か後、お邪魔虫の押しが強かったのか、会員にさせて頂き・・・
初めての北アルプス「白馬岳」緊張のあまりひどい高山病にあえぎながら歩木、同行者の励ましに涙した、そして苦しみの中から登山する喜びを感じ取った山への原点となった、忘れる事の出来ない「白馬岳」
今頃の季節、もう何年になるのだろう、初めての雪山「鳳凰三山」初日は小春日和の暖かでシャツ一枚で下界の紅葉を楽しみながら穏やかな稜線を歩いてその夜半から雪が降り出してテントをおしつぶすほどの雪、借り物の初めてのアイゼンをつけて歩く雪山、吹雪の中前を歩く人の姿を必死で追い歩く事が精いっぱいだった、ながく苦しくて怖かった初めての雪山、けれど、無事下山して、ふと気づいた時、全身から喜びの説明のできない興奮した感覚は今でも忘れることが出来ない!!!
まだまだ書きたいことがたくさんあるけれど眼がダメなので残念です。
『山の会、40周年おめでとうございます』