今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

突然の訪問者

2017-03-30 15:37:07 | 生きて行くこと

ある日
突然の訪問を知らせる電話
それは
あまりにも予期せぬ人からだった
なぜ
なぜ、今なの
私には
心の準備が出来ていないのに
どうすればいい
緊張と胸の鼓動だけが激しくて
時間という意地悪な時の刻み

えぃ~もうどうにでもなれと
開き直りが私に
勇気という答えを与えた

まだ、まだ、だよ!の声が・・・

2017-03-10 15:15:57 | 山、人、幸せな出会い

  (今も、ウルタルの谷を見渡せるホテルに飾られてるのだろうか、山の師、長谷川恒男さんの写真が)


もう、25年が過ぎたのだろうか

少し痛む足を気にしながらのさんぽ道、少しの坂道を歩きながら、ふいに思い出した
<まだ、まだだよ!>
あの懐かしい声が聴こえた

昨年が、ウルタルで亡くなって25年だったけれど、昨年のうちに私の山の師である「長谷川恒男」さんの思い出の記事を書きたいと思いながらも言葉をつづれなくて、心が重かった。

師との山行はいつも強烈で、私にとっては体力も登山技術も限界を超えた山行ばかりだったが、そんな私の持つ能力以上のものを引き出してくれる、言葉に出来ないほどの感動をいつも与えてくれた、たくさんの忘れがたい思い出と経験だった!

特に、師との最後の山行は「槍ヶ岳、北鎌尾根」だった
5月の連休明け、長い長い歩きと重いリック、眼もくらむような雪壁のトラバース、重いリックを背負いながらのアイゼンでの岩壁登攀の連続で恐怖感と体力の限界を超えていたのか<幻覚>を見るという経験もはじめてした、あの時、「善と悪」の区別が出来ずに、ただ、この重いリックを何処へ捨てようかと思いながら歩いた記憶!(捨てる事もなく下山したけど)

長く、苦しい山行も終わり、上高地で重いリックをおろしてトイレへまっすぐ歩けずよろよろしていた私を見て、同行者が「Tさん、だいぶ疲れてるようね!」と言った事に

師は「まだ、まだ、だよ!」との声が聞こえて

あの日以来、私はどんな困難にであっても<まだ、まだ、だよ!>の声を思い出しては懐かしく、励まされてきた。

あの日から、25年の歳月が過ぎ、今、私は眼と耳の機能がわずかに残されて、足も手も不自由さはあるけれど、さんぽも出来るし歩ける、一日が幸せで穏やかに暮らせてる。

たくさんの山での感動と経験は私の生きて来た道、私という人間が存在した証なのだろう・・・
まだ、まだ、だよ!
この声が聞こえた時
切なさと共に生きる勇気がよみがえる
私が今、精一杯頑張れる
そんな、思い出の声だ!


生きて行くこと

2017-03-03 15:06:33 | 生きて行くこと

人は何処へむかうのか
ひとって、人間って、
命があって、食べ物があって
少しだけ幸せで、満足できないのだろうか
人は誰もが平等に命はてる時が来ます
決して、永遠に生きる命などありません
死、それは<無>なのです
たとえどんなのお金があっても
あちらの世界へ向かう時は
身ひとつだけです
たとえどんなに祈り、願っても

春を待つ思いで、希望を持ち何かに期待するけれど日々は何事もなく過ぎて、それでいて、小さな変化はあるのかもしれない、また一つ歳を重ねるのだと思うと、もう覚悟はできていると思いながらも、いや、いや、まだまだだと、欲望のささやきが始まる・・・
眼が痛い、耳がよく聞こえない、めまいが吐き気をよぶ
ふらつく体を自分の心で喝
今、私に出来る事がある、それは何、何ができる?
不自由さと自我の戦いになる、冬の寒さが追い打ちして、この身が硬くなるけど、まだ、立ち上がれる、まだ、ゆっくりと歩けることが幸せだと自分に言い聞かせてみる、なんだか、希望があるように思えて心が軽くなる、すると、私の脳は動き出す、言葉つづり、たとえ、耳と目がダメでも、考える心と脳が働く、こんなにも素晴らしい能力が私にはまだあったではないかと悟らせてくれた、窓を開けると冷気と共に微かな梅の華に香りがした気がする、まだ、遠い春を思い描き、ささやかな希望を持って、散歩に出る私の一日がはじまる。