今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

小説だったらいいのに・・・(少しだけ手直しあり)

2020-11-03 10:21:09 | あの日、あのとき

コロナ禍の今年も紅葉は何処も美しいとニュース報道を見るたびに、私の胸の中は複雑になる

へっぽこ山屋として生きて来た長い歳月ではたくさんの感動や言葉では表せないほどの喜びも多いけれど、山に入った歳月や数が多いほど、身近で事故を眼にすることも多いのかもしれない、私自身が死の淵から這い上がる、病気をふくめても、生かされた奇跡の意味を考えつづける日々です。

今頃の時期になると、どうしても思い出してしまう、あの日、あの時の出来事、
今年もやはり載せてしまいます。

なぜかわからないが思い出したくないことが頭に浮かぶ、とくに今頃の季節は紅葉の美しさと共にあの事故の事が忘れられない・・・

もう一度、あの場所「谷川岳、一の倉沢の岩場を」みたいと願っているが、今の私には無理なことのようで、だからなのだろうか、眼を閉じるとあの光景が鮮明に表れて私を苦しめてくる。

小説「贅沢な寂しさ」を書いたことであの記憶から抜け出したいと思うのだけれど、やはり、忘れる事は出来ないようだ!

あの遭難事故があった日、予定では、山仲間でとても仲の良い友が同行してくれるはずだったが、急に体調が悪くなり、一緒に行くことが出来なくて、でも、宿を予約してあったので、私一人で行ったのだ!あの時同行するはずだった山友も今はもういない、2年前の春に突然に亡くなり、私はいまだに、友を思う時、胸が苦しくなる・・・

あの遭難事故と共に友人の死も小説だったらいいのにと思う・・・

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以前に載せた記事ですが、忘れがたくて載せてみました。

<初雪の頃>

ひとりハンドルを握り、谷川岳にむけて、関越道をハンドルを握り走りながら、まだ10月だというのに、いやに底冷えがする、ダウンのジャケットをひざにかけても、寒さが体中に伝わってきて、背筋が凍るほど寒さだ、明日登る予定の谷川岳が気になるが、今夜の宿に入り、まだ、夕食には間があるので持ち込んだ本を読むが、今朝の夫との気まずいやり取りが頭から離れず、気持ちがどんどん落ち込んでいる嫌な感じ、どうも、気分がすぐれない、こんな日は大抵何かが起きる事が多い、今までの経験から不安がよぎる。

大阪から来たという、やはり、あすひとりで谷川に登るというご婦人と、ひとしきり山の話に盛り上がったが、あまりにも寒くて、山の装備を全部着込んでも、まだ寒くて、仕方なく宿の人に暖房を入れてもらう事にした。

夕食もおえて、明日のために、早めに休もうかとふたりで話していたら、宿の主人が、「お二人は明日、谷川に登るのですか?」と言って、今、山はかなり雪が降っています!昼にハイキングで山に入っている何人かが下山していなくて、どうやら、遭難したようで、捜索できる状態ではなくて、吹雪いていて!、と、無線機を手放さずに話している。

そのあとも気にしながらも、どうする事も出来ないので、部屋に戻って横のなっては見たが、熟睡など出来るはずもなく、朝をむかえた。

昨日の夜の遭難騒ぎが嘘のように、空は快晴!本当に美しい青空だ、だが現実は、一晩のうちに谷川岳は90センチの降雪で、多くのハイカーの命を奪っていたのだ・・・
ほとんどの人が、紅葉の美しさを求めて山に入り、軽装で吹雪の中で彷徨いながら、疲労凍死したのだった。

その状況をここで書くことは出来ませんが、その日、谷川へ登る気持ちにはなれず、宿の主人の好意で、一の倉の岩場が見えるところに連れて行ってもらう事になり、車を走らせていると
、朝から頭上をヘリの爆音が響き渡っていた音が一段と大きくなって、そして、目の前に、遭難者を収容するヘリが、私の目の前で見る事になってしまった。

そこで、人間の死とは、物体になってしまう事を、実感させられた!山をやっていると、多くの遭難事故のニュースを見聞きしなくてはいけないが、このときほど、私は衝撃を受けた、辛く悲しい思い出出す記憶、忘れる事の出来ない季節だ。

谷川岳は、山の師である、長谷川恒男さんと一の倉の岩を登り、また、多くの山仲間との思い出が多くあり、又ひとりで、何かを悩み考える時に訪れた山で、苦しみの中に喜びが、感動が多くある山、谷川岳で、初雪の便りが届く時、いつも、あの美しく輝く青空の下に、残酷な現実を見たあの日が、忘れられない、今も・・・

・・・初雪の頃・・・


眼が谷底へ・・・(少しは、暑さしのぎに)

2020-08-10 10:23:27 | あの日、あのとき

毎日、コロナ、その他いろいろとあり、動きの悪い身を、ブログにのめりこんで、眼が谷底へ行っちゃたので、

2016年7月8日にこんなことを書いてました、暑いのとなぞコロナよなんとか早く立ち去ってくれ、おねがい、お願い・・・

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  <ヨーロッパアルプス、近藤謙司さんからお借りして!>

ここのところ暑さが厳しくて、家の中で悶々ととしていて、自分が情けない、気分はヨーロッパへ飛んで行きたいけど・・・
私の登る姿はこんなにかっこよくないですが、まあ~子ゴリラくらいの?すがただろうか?


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もう20年も前になるのかな?
ヨーロッパアルプスへ出かけて

シャモニーの街からケーブルに乗って
氷河の中を歩き
コスミック稜を登った日

にわかづくりのあぶみが
アイゼンの羽をくいこませて
苦しんだ、場所だ!

フランス軍のアーミーさんたち
イケメンぞろいの真ん中で
嬉し、恥ずかし、はやし立てられ

小柄なおねえさんとおばさんのふたり組
大いにハッスル、ハッスル
あの爽快な気分が忘れられない

あの場所、思い出のあの日

今、動かぬ体が感覚だけを呼び覚ます!

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近藤さんのブログへ見に行ってください!

http://blog.goo.ne.jp/kenken8848





雪だけど、真っ赤な太陽

2020-08-06 14:15:55 | あの日、あのとき

ブログにのめりこんでるこの頃、やはり眼がだいぶいかれたので、本日はパキスタンつながりで以前にのせたものですが、又、しつこく載せさせてください、

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なにげなく、テレビのスイッチを入れた<ニュース速報の文字>
北朝鮮が水爆の実験をやったと報じて、その後はその関連の事が続いて、新年になって、6日が過ぎようとしてるけど、世界情勢は益々嫌な方向へ進んで行きそう・・・
自由人を気取ってはみても、少しも心穏やかにとは暮らせそうもない!
なんの権力も力も知恵も無いひとりの老女が思い悩んでも仕方がないと思いながらも、この国、この世界(地球)はどうなってしまうのだろう・・・

この地球が誕生して、人間が誕生して、今、生きている人間なんて地球の歴史の中では、針の穴よりも小さい、小さい点でしかない事を考えれば、今、生きられる事の大切さ、幸せであることがわかるはずなのに・・・

下の詩は以前に書いたものです。
長い時が過ぎても、あの、パキスタンを山旅した時に経験した記憶があまりにも鮮明に、今、よみがえります。
また、載せさせていただきます。


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この日本国に住み
今日、何事もなく過ぎていく
今、窓の外は雪交じりの雨
やがて雪に変わるだろう
寒い、さむい、冬の一日
私は何をすればいい

なんの目的もなく
テレビのスイッチを入れた
誰かが話しかけた
イスラムについて
私の知るイスラムは
パキスタンの君たちだ

遠い日に別れたあの日
何を望んだのだろうか
はにかんだぎこちない笑み
手わされた小石は
ラピスラズリ
幸せを呼ぶお守りだと言った

夜も明けきれぬ早朝から
走るカラコルムハイウエー
人を飛ばし、獣を飛ばし
十数時間の暑くて寒い車の中
ほこりとスパイスの香りを身に
イスラマバードを目指す

荒涼とした大地を抜けて
気が付けば緑の畑が光る
時は太陽が山陰に消えるころ
太陽の炎が燃える
あまりにも大きくて
真っ赤に燃える太陽

ふと、誰かが言った
<パキスタンて、核、持ってるよね>
偶然なのか私も同じことを思ってた
あまりにも真っ赤で
燃える太陽は怖さまで
私を緊張させて
旅の終わりに聞く
コーランの祈り優しく


足早にくる、冬なのかもう~

2017-11-20 14:26:57 | あの日、あのとき

まだ、11月なのに、寒さが身に染みる
早くも暖房のお世話になる

元気だったころは
雪山への逸る心をおさへながら
仕事に家事に励んだ?
あの頃が懐かしくて
あの頃が取り戻せないけど
あの頃が私を輝かせて
そして
今を生きる糧

初雪の頃
たくさんの思い出
心躍らせれ

テーブル懸垂
スクワット
走り込み

今、体のきしみと
戸惑いながら
老いを受け入れ
心の奥底に
遠い記憶に揺れてみる



<写真はネパールの山旅より>

忘れないよ・・・

2017-04-18 12:25:17 | あの日、あのとき

一歩踏み出すと
崩れ落ちる足元1000mの谷底へ
あの日、あの時
しっかりと私の手を取り、支えてくれた
こわもてだけど屈強なあなた方を忘れないよ!

あれから、20数年がすぎて
元気でいるだろうか
無事に
過ごせているだろうか
お国は益々厳しい現実を伝え聞く

おだやかで
平和に暮らせているだろうか
きっと、きっと
あなた方はどんな困難も力にして
生きるすべを知る勇気ある賢者

運命の出会い、人生を変えた瞬間

2016-05-28 15:00:03 | あの日、あのとき

今日のさんぽ道
いつもとは違うコースを歩いた、なつかしい社名を目にする、けれど、よくみるとそれは「廃業のおしらせ」だった!

今から28年前になるのだろうか、私が探し求めていた仕事が募集チラシ一枚がホストに入っていた。
私はそのチラシを握りしめて会社のドアをあけ、面接を受ける、ただ、ただ、その仕事がしたかった!
いくつかの問題点はあったが、とにかく仕事がしたかった!

その時はまだ、勤めていた会社も辞めていない時期だったが、面接の結果も分からないままに「退職届」を出し、面接の結果を待った!

ありがたいことに、仕事を頂けて、私は24時間休む暇も惜しんで仕事をして、得たお金を登山につぎ込んだ!

自宅で、出来る仕事!それは夢のような仕事!
出版印刷の版下をつくる仕事だった!
私は東京に出て来てから、殆どが印刷関係の仕事だったから・・・
それに、版下の勉強もある程度していたから、まさに、私が求めていた仕事だった!

そのころから、海外登山に心奪われていた時期でもあり、時間の自由がきく仕事を探していた私にとってまさに、夢のような仕事だった!!!

仕事が頂ける会社は丁度、東京都から私の住む街に、会社がまるごと移転してきた時期で、しかも我が家とは15分距離だったから幸運だった。

仕事が決まり、私は24時間、いつでもOKの受け入れ態勢で仕事をした。
仕事の連絡は、夜中の12時や2時3時はざらだった、しかも、納期が短くて、寝る時間などない事も多かった!
でも私は大好きな仕事で、やりがいもあり、ただ楽しく、頑張れた!

勿論、登山に使える資金も稼げる喜びも大きかった!

睡眠不足や体を休める時間が無くても、仕事の合間に登山!
ある程度お金がたまると海外登山へ出かけて行った!

夢のような17年の歳月はあまりにも短く過ぎて行く、コンピューターの発達はめざましく、私の仕事は少なくなり、長年の体の酷使は病気というボロボロの体が残された。

けれど私は後悔はしていない、むしろ、あの素晴らしい満足した時期があったからこそ、今の自分がいる!

今日のさんぽ道で懐かしくて、そして私の運命を人生を、幸運を授けてくれた会社!
ありがとう、感謝しています。
もし、K社に巡り合えなかったら、私の人生は違っていたでしょう、そう思いながら、少し寂しくて懐かしくて・・・

(久しぶりにながい?文を書いたので眼がひどく痛いです、誤字があってもお許しくださいませ)




木蓮の花と羽織

2016-03-21 12:03:22 | あの日、あのとき

今、散歩に出ると
木蓮の花に出逢う

あれはもう何年になるのだろう
母が亡くなって60年になるのだろうか

春は
たくさんの思い出が
よみがえります

母代りだった
一番上の姉

木蓮の花が好きだったのか
私が娘の入学式に着る
着物の事で相談したことがあった

そのころは
羽織を着るのが当たり前だった
だから、これから、
羽織を買うけどと
姉に言った

姉の答えは
すごく、明解だった

春に着るのだから
木蓮の花の絵が描かれてる
羽織があるから
取りに来て、だった
そのあとは
その羽織は
私の物になった

姉ももういない
あの羽織だけが
箪笥の肥やしになって

虫干しさへも
出来ずにいる事が
気がかりな事



君たちへ

2016-01-14 00:37:03 | あの日、あのとき

幾千幾万の時を越えて
この地球に誕生した私
この愛する地球は

今どんな事を望むのですか
遠い地では人の命など

あまりにも無残に消されて行く
悲しむ言葉さえ打ち消されて

私はただ暖かな部屋にいて
少しだけ欲望を持ち
美しき言葉に出逢いたい
何かを願っても
ただ虚しく時が過ぎて
そんなささやかな贅沢さへ心痛む
空腹も満たせずに

この時を苦しみ
歪む笑顔を隠す人に

遠い日に出会ったイスラムの君
共に平らな日々を祈った
あの日を忘れられない



約束

2015-12-30 15:51:33 | あの日、あのとき

あの日
遠い昔
約束をしたね

けれどこの私
まだ何も
果たされていない

このまま
時間だけが過ぎていく

果たせない約束

今、この心の中で
あまりにも
重くて

いつだって
自分に
言い聞かせてる

まだ、大丈夫だと

きっと、果たせる
こんなにも
真剣な想いが
今の私を
生きさせてる

この年も
数日で終わってしまうけど

またひとつ
歳を重ねてしまうけど

きっと、きっと
あらたなる想いで
あの約束を心に



小さな幸せ・・・

2015-12-28 10:58:07 | あの日、あのとき

寒さが本来のこの時期を知らせてくれる
手、足が冷たい
けれど、さんぽ道で見上げる青空は
透明さを際立たせて
際限のない大宇宙をみてるようだ

遠い昔
元気だった頃
この時期の富士山にいた日を思い出す

あの頃は
とても冬らしい寒さだった

富士山は氷の世界
硬く、ピッケルやアイゼンの爪さへ
跳ね返して
富士に棲む魔物は
侵入者を拒みつづけた

突風が渦巻き
容赦のない砂つぶてが
顔に突き刺さる痛みが
今もなお
感覚として
よみがえる

今年は暖冬だという
瞳をとじて
太陽の暖かがうれしい

今、なにも変わらない日常が
素敵で
小さな幸せをありがとう





故郷の風、コスモス揺れて

2015-10-11 13:18:55 | あの日、あのとき

10月11日、朝おきて、空を見る
雨模様のどんよりとした空気が重い

相変わらず、めまいと頭痛、耳鳴り
心が折れそうになる

ふと、故郷の風景を思い出した
もう、何年も帰ってはいない
疎遠になってしまったあの場所
家族と呼べる人もいない故郷
実家と言える場所も消えてしまった

秋の日
実家へと向かう田舎道
車を走らせて、風を呼ぶ
細い道には風に揺れるコスモス
それは故郷の香りと色とりどりの
コスモスと風のダンス

花色のドレスが揺れて
それは私を異次元の世界へ導く

あの秘密の花園
誰にも邪魔されずに
心が喜びの波を引き寄せた
幼き日の
私の遊び場へ

あの頃へ
ほんの一瞬の心の旅をした
もう、ながい歳月が過ぎ

想いだけが鮮やかな記憶
帰れない故郷の
コスモスが揺れるダンスを

姉さまの夢・・・

2015-10-03 19:39:20 | あの日、あのとき


体調が悪いせいか、このところ、何だか気になる夢をよくみる。
今日は、父とふたりの姉が出て来て、リアルに話しかけて来た。
これはどお言う事なのだろう・・・なぜか、気になる夢


下の物は、以前書いたきじです。

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このごろしきりと思い出す二番目の姉

年も離れていたし一緒にいた時間もあまりながい時間だったとは言えない

どんな会話を交わしたのかも思い出せない

幼かった日に別れて家族ではなくなってしまった二番目の姉

極たまに姿を見たけれど何を話したのか笑顔のないさびしげな記憶

なんの前ぶれもなく突然この世から消えてしまった二番目の姉

けれど私は無意識に貴女の姿をつたない小説の中に描いていました

幸うすい姿ではなく輝ける健康な理想の女性に

今なんだかとてもあなたに会いたいですあねさまに

今とてもお話がしたいです二番目の姉さま

もし会えたなら妹として何ができたのでしょうか

笑いながら励まし励まされて悲しいことなど無かったと

逢いたいですあねさまにこの心の中で呼んでいます

今、自分の身に起きた困難から逃げたいからなのでしょうか

助けてなどとは言えないけれど会いたいです二番目の姉