明日から入院なのでちょっとのあいだ更新出来ないけれど元気を頂き、再生してきます、いつもたくさんの方々のご訪問ありがとうございます。
<感謝いたしております!> 29日追記
運命にさからわず運命に従う
ただひたすら生きる事を諦めず
今日、この日を、この時間を
生きるための努力をし
この命のつづくかぎり
時をきざむ鼓動を感じて
明日の希望を祈る
最近の私はなぜか母を恋しく思い出す、もう50年以上前に亡くなった母、42歳の若さでたくさんの思いを残しながら悔しくて、切なくて、それでも旅立つしかなかった母、母よりも25年以上も長く生きられても、それでも生きていたいとあがく毎日の私、今、しきりに母を恋しくて切ない・・・
運命に逆らう事は出来ないけれど命あるかぎり、希望を持ち、生きる努力をしよう!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<以前にどこかで書いた記事だけれど、下書きが出てきたので載せてみました。>
おはぎなどと共に、黒糖の塊を衣をつけて揚げたものを何度か食べた記憶がある。
おはぎなど、年に一度つくるかどうか、なにしろ、私の幼かった時代は、甘い物が贅沢な時代、東北の山奥での暮らしですから、町の店にはお菓子も売ってはいまし
たが、年に一度か二度のお祭りにも出かけられない時もありました。
なぜ、母が、あの黒砂糖のてんぷらをつくってくれたのか、つい最近まで不思議でした、私の定かではない記憶には、黒砂糖のてんぷらは、沖縄のお菓子のように思っていましたが・・・
ビョンホンシにめぐり逢えて、韓国の事に興味を持ち、韓国のテレビや雑誌を観ていて気づきましたが、韓国のお菓子に、確か、黒砂糖をてんぷらにした物があった
ように思うのですが・・・
私の両親は家族をつれて、私が生後6ヶ月まで朝鮮半島に渡っていました、今では、その頃の事を分かる人が誰もいませんので、はたして、何年朝鮮半島で暮らしていたのかは分かりませんが、母の42年の生涯で、一番幸せな時期だったようです。
今から63年も昔の話です。
今日のように雨降りの日は、母がつくってくれた「黒砂糖のてんぷら」がとても懐かしく思い出されます。
てんぷらの衣を少しかためにといで、黒砂糖の塊を衣をつけて揚げただけのとても、今思うと、とてもシンプルなお菓子です、黒砂糖の塊の大きさによってかたちがいろ
いろで、大きい物は、大人の手のげんこつほどもあったように思い出されます。
二人の姉たちとてんぷらが揚がるのを待ちかねて競い合って、大きい物を取り合いしながら、熱々の物を食べると中の黒砂糖がと~ろ~り~と溶けていて、甘くて、美味しかった。
今は、私の勝手な思いだけれど、母が、一番幸せな時を思い出しては、つくってくれたのだろうと、母の気持ちが分かったような・・・
私も何度か、子供たちにこの、黒砂糖のてんぷらを、おやつにつくった事があるが・・・
子供から、美味しいね!とは言ってくれるものの、再度のリクエストはありませんでした。
私自身が食べても、やはり、母のつくった「黒砂糖のてんぷら」の美味しくて、甘くての味ではないような・・・
お母さん
いくつになっても
お母さんの甘い香りが
この胸の奥に
この心の中で
懐かしさと切ない思い
何も残せなかったと
どうか思わないで下さい
この耳で聴かなくても
この心で聴きました
私の記憶の中では
美しく優しい微笑みは
あなたが私に
伝えてくださった心
真正直な生き方を
思い出して今も
お母さんの甘い香り
素敵な思い出を
ありがとうの言葉を
届けましょういつか
めぐり会えたその日に
<感謝いたしております!> 29日追記
運命にさからわず運命に従う
ただひたすら生きる事を諦めず
今日、この日を、この時間を
生きるための努力をし
この命のつづくかぎり
時をきざむ鼓動を感じて
明日の希望を祈る
最近の私はなぜか母を恋しく思い出す、もう50年以上前に亡くなった母、42歳の若さでたくさんの思いを残しながら悔しくて、切なくて、それでも旅立つしかなかった母、母よりも25年以上も長く生きられても、それでも生きていたいとあがく毎日の私、今、しきりに母を恋しくて切ない・・・
運命に逆らう事は出来ないけれど命あるかぎり、希望を持ち、生きる努力をしよう!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<以前にどこかで書いた記事だけれど、下書きが出てきたので載せてみました。>
おはぎなどと共に、黒糖の塊を衣をつけて揚げたものを何度か食べた記憶がある。
おはぎなど、年に一度つくるかどうか、なにしろ、私の幼かった時代は、甘い物が贅沢な時代、東北の山奥での暮らしですから、町の店にはお菓子も売ってはいまし
たが、年に一度か二度のお祭りにも出かけられない時もありました。
なぜ、母が、あの黒砂糖のてんぷらをつくってくれたのか、つい最近まで不思議でした、私の定かではない記憶には、黒砂糖のてんぷらは、沖縄のお菓子のように思っていましたが・・・
ビョンホンシにめぐり逢えて、韓国の事に興味を持ち、韓国のテレビや雑誌を観ていて気づきましたが、韓国のお菓子に、確か、黒砂糖をてんぷらにした物があった
ように思うのですが・・・
私の両親は家族をつれて、私が生後6ヶ月まで朝鮮半島に渡っていました、今では、その頃の事を分かる人が誰もいませんので、はたして、何年朝鮮半島で暮らしていたのかは分かりませんが、母の42年の生涯で、一番幸せな時期だったようです。
今から63年も昔の話です。
今日のように雨降りの日は、母がつくってくれた「黒砂糖のてんぷら」がとても懐かしく思い出されます。
てんぷらの衣を少しかためにといで、黒砂糖の塊を衣をつけて揚げただけのとても、今思うと、とてもシンプルなお菓子です、黒砂糖の塊の大きさによってかたちがいろ
いろで、大きい物は、大人の手のげんこつほどもあったように思い出されます。
二人の姉たちとてんぷらが揚がるのを待ちかねて競い合って、大きい物を取り合いしながら、熱々の物を食べると中の黒砂糖がと~ろ~り~と溶けていて、甘くて、美味しかった。
今は、私の勝手な思いだけれど、母が、一番幸せな時を思い出しては、つくってくれたのだろうと、母の気持ちが分かったような・・・
私も何度か、子供たちにこの、黒砂糖のてんぷらを、おやつにつくった事があるが・・・
子供から、美味しいね!とは言ってくれるものの、再度のリクエストはありませんでした。
私自身が食べても、やはり、母のつくった「黒砂糖のてんぷら」の美味しくて、甘くての味ではないような・・・
お母さん
いくつになっても
お母さんの甘い香りが
この胸の奥に
この心の中で
懐かしさと切ない思い
何も残せなかったと
どうか思わないで下さい
この耳で聴かなくても
この心で聴きました
私の記憶の中では
美しく優しい微笑みは
あなたが私に
伝えてくださった心
真正直な生き方を
思い出して今も
お母さんの甘い香り
素敵な思い出を
ありがとうの言葉を
届けましょういつか
めぐり会えたその日に