廣島パイレーツ・チャンネル

広島の名も無き”田舎侍”が地元プロスポーツを中心に色々と書いて行く過激なスポーツコラムや、広島の市政や街づくりについても

再び平和記念資料館へ

2021-03-02 22:22:22 | Weblog
 昨日、広島市内中心部に出ていつも通りに商店街・専門店巡りをしましたが、その前に平和記念公園の中に在る平和記念資料館に久しぶりに行きました。 去年の末から広島でのコロナウイルス感染の状況が厳しくなって入館規制が強化され、更には図書館や広島城も含めた市内公共施設の2ヶ月に及ぶ休館で私も再び訪れる機会がなかなか無かったもので。 今回も団体客など事前予約の人を除いて入り口と別の場所で整理券を貰ってから入り直す方式でした。 コロナで今は団体さんのバスも見ないが。

 入って見て客が少ない印象を受けた。 コロナによる長い臨時休館の影響で平和記念公園いや広島市内そのものが観光客のコースから外れてたり、需要の多い首都圏がまだ緊急事態宣言の解除になっていない事もあるのだろう、と思いながら常設展示を見て歩いていると展示室の奥に入ると急に人が増えた。 展示物をじっくりと見ている人が多いのだろう、今は少ないから良いのだがコロナ以前はこれによって館内で見学者の動きが滞留して見辛くなり入館者数の制限も頻繁に行われていたと聞きます。 



 常設展示室は何処も証明を抑え目にして暗い空間が続いていたが突然、視界が明るくなった。 東館から本館の方の展示に移動する際、本館の北側に設置された東西に長い休憩室を兼ねた通路は壁面に大きなガラスが張られて平和記念公園の北側が良く見える大パノラマになっています。 リニューアルした平和記念資料館ですが展示とは別に、この空間が最大の改良点と言うか工夫されたところで、それまでの展示を見ての重苦しかった気分が一気に解放される様な気分になれますから。 もっとも中国新聞は読者である平和団体さん達から怒られるのが嫌なのか、紙面で紹介された事はありませんが...



 当然ながら平和記念資料館の展示物は撮影禁止ですが、ここは名目上は”タダの通路”ですし多目に見て頂きたいですね。 この通路自体も観光客が原爆ドームを背景にした記念写真を撮る事を意識し。


 平和記念資料館の通路を兼ねた休憩所、北に在る原爆慰霊碑と原爆ドームが良く見えます。 原爆ドームの背後に見える商工会議所ビルは6年後の移転が予定されていますので10年ほど先には無くなるでしょう、一方で原爆ドームの横にはおりづるタワーもそれ以上に目立つのですが... そして目立つと言えば大改修して去年オープンした被爆建物でもあるレストハウスがこの場所から見え難いのはちょっと問題ですね。



 平和記念資料館の通路から見た平和記念公園の様子です。 慰霊碑からちょっと外れると公園にも関わらず人の姿が少なく、ベンチに座る人もわずかで。 設計者の丹下健三さんも本来は市民生活と平和発信が寄り添い、原爆の日で無くても市民が身近に感じられる様に繁華街だったこの場所を市民公園にした筈ですが、平和イメージ強化など聖地化の度が過ぎて市民の足が離れてしまった部分も...?



 平和記念資料館の休憩所・通路からスマートフォンのカメラをズームにして撮影して見ました。 原爆ドームは廃墟と言う関係で中に入る事は出来ませんし、この場で見て写真も撮ったから近くまで行って見る必要も無いでしょう、と言う意識が観光客にもあるのではないかと思います。 だからこの平和記念資料館の中は人でごった返してるのに原爆ドームや平和記念公園の北側は観光客もパラパラとしか居ないと言う事に。 半数以上は慰霊碑に手を合わせただけで観光バス等で他の場所や街に移動し。



 平和記念資料館の通路・休憩所から眺めると平和記念公園の各所では改修やリニューアル工事が行われています。 慰霊碑の北、公園を東西に横切る道路、江戸時代には西国街道も走っていたここは今も市民の通行が多くありますし、ここを中心に賑わいを創り出して資料館のこの場所から見た観光客の方々に「何をやっているのだろう?」と興味を持って貰えれば


3月2日の巡回備忘録

 徒歩で自宅を出発、今月半ばまでコロナウイルスの影響で街中の店の営業時間が短くなっているので普段より2時間も早く家を出た⇒五日市駅から広電の路面電車で広島市内中心部へ⇒原爆ドーム前......





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